わるいいぬ

“先生”を失ったという取り返しのつかない大敗北を背負った直後、俺は別ベクトルの大ピンチに陥っていた。俺が国を騒がしている大ヴィラン、【あかり教】象徴的教祖、あかり様……公安が勝手につけたヴィランネーム、“火継”だと、ついにバレてしまったからだ。
 いや待ってください。俺は確かに「i am 教祖様」とは言ってないけど、“あかり”は名乗ってたんですよ! まずそこを念頭に入れて、悪意の無さを見てくれませんか!

 視線の先ではトゥワイスが、さっきからずっと同じところをぐるぐるしている。武器を持ったまま落ち着かず、でも斬る気はなくて、「俺、お前のこと殺したくないなぁ」と、ぼやくように漏らす声がやたらと生々しい。
 これはトゥワイスとして……ヴィランとしての発言というか、仁くんの本音だ。
 情に脆い方がすぐ前に出るから、俺は正直心配です。仁くん、人に騙されないでほしい。もし俺が詐欺師だったら、真っ先にあなたみたいな人を狙うから……。

 現実逃避ぎみに遠い目をしていたら、胸のあたりからくぐもった笑い声が聞こえた。あ、忘れてた。負傷して気絶していたから抱きかかえたままだった荼毘くんだ。
 目を覚ましてからずっと無言で擦り寄ってきていた実兄は、人を小馬鹿にしたような声音で「今更かよ」と嗤う。息が首元にかかってむず痒いのに、その温度だけが妙に現実的だ。さっきまで俺に散々心配かけていたとは思えないふてぶてしさです。かわいいね、俺のオニイチャン。

「お前ら、ニュースとか見ねえから馬鹿になってんだ。あかりくん、別に隠してなかっただろ。なんで分かんねえんだよ」

 それは……まあ……そう、だけど……! だからって挑発しないでください……! 案の定、仁くんが「なんだぁ!? やんのかテメエ! 握手する!!?」とバグりながらキレてきたが、荼毘くんは挑発するだけ挑発したあと、俺の喉元に頭を押し付け、懐いた猫みたいに目を細めるだけだった。

 心の中で頭を抱えていると、ナイフを手遊びみたいに弄っていたトガちゃんが、思い出したように口を開いた。「私、“あかり様”のあかり、持ってたよ」と笑い、「お腹の中にしまっちゃいました」と無邪気に続ける。
 「火傷しなかった?」と聞けば、「ベロがちょっと燃えたけど、大丈夫」と笑った。“食べたい”はトガちゃんの中でだいぶ上の方の好意なので、知らないうちに拡散された俺の灯火はそこそこ好印象だったのだろう。
 あかりって、あかりくんのやつだったんだ。私たち、ずっと前からオトモダチだったってことだよね! と弾む声に、さっきまで張りつめていた空気が一段軽くなる……軽くなるんだけど、彼女の手元の刃は相変わらず俺に向いている。うん、安心。女の子はこれくらい警戒心があった方が安全だからね。そのままでいいです。
 そこへミスターが肩をすくめて口を挟む。

「まあ、考えたら分かることだったな。“あかり様”は“あかり”だし、信者が持っている“あかり”は“灯火”。何一つ隠しちゃいない。こっちが勝手に“神秘的で強大な存在としての【あかり様】”ってイメージを持ってて、うちで料理作って人を太らせてくる男が同一人物だとは思わなかった。……でも、なんで自分から言わなかった? そこらへんどう? 言い訳してみて」

 水を向けられて、俺は観念して視線を逸らした。本当に……こういう、タイミングで言う気は無かったんです……。もっとこう、どうでもいい時にバレるものだと……。まさかこんな空気の中、どうでもよすぎる理由を吐くことになるとは思わなくてぇ……!!

 「あの……ヴィランネームって、公安のクソ共が勝手に付けたんですけど……」と口を開いた瞬間、ミスターが「クソ共」と復唱してくるのがつらい。そこは拾わなくていい。俺は必死に続ける。

「『荼毘』の弟が『火継』って、狙い過ぎてて、逆にダサくねえ? って……嫌で……」

 言った。言ってしまった。言い訳が、世界で一番ちっさい。本当に恥ずかしい。みんなが真面目にやってる中、一人空気が読めずにはしゃいでる子供の気分だ。

「……名前が恥ずかしいから?」とミスターが確認する。
「はい……」
「名前が恥ずかしいから、連日世間を騒がせてるヴィランであることを伏せて……?」
「はい……」
「絶対そっちの方がダサいよ」
「だって……! 俺が決めたわけじゃないのに、絶対『ペアで決めたでしょ~お兄ちゃんと合わせたでしょ』って言われると思って!!」

 その瞬間、ギチリと胸元に当てられた手に力が込められて服が握られる。やっっべ。温度が一段下がった。荼毘くんの気配が、猫から虎に変わった。

「なんでそんな事言うの俺あかりくんと二人でひとつみたいな名前で嬉しかったのになんであかりくんは喜んでくれないの俺と一緒なのになんで嫌がるの何が恥ずかしいの。俺? 俺がオニイチャンだと恥ずかしい? 俺のせい? 俺が悪い?」

 一息で吐き出された言葉は問いかけの形をしているのに、答えを求めていない。胸元から上がってくる呪詛は荼毘くんのものだ。声は荒れていないのに、淡々と自分を被害者に、俺を加害者に置いてコントロールしようとしてくる。やり口が稚拙だから毎回意図がわかりやすいが、だいたいいつもスイッチを入れるのは俺のやらかしなので反省しきりです。

「しまった地雷踏んだ。もう全方位おしまいだよたすけてくれ俺が悪かったから」

 思春期だから仕方ないじゃん、お年頃なんだからさあ! と言い訳を重ねながら、ネチネチと拗ね続ける荼毘くんを必死に宥めすかす。

 そのやり取りを横で見ていたトゥワイスが、会話の流れなんてお構いなしに、ひょいと一語だけを拾い上げた。「お年頃ってお前、何歳よ?」二十ちょい超えくらい? と軽い調子で続けられ、まあ見た目的にはそうよねと、俺は「15」と答えた。
 今後は正直にいくと決めたのだ。すでに“火継”を隠していた時点でワンアウト、これ以上誤魔化せば試合終了が見えている。
 別に年齢については隠していなかったし、ここで嘘をつく意味もない。……はずだった。その瞬間、トゥワイスが「思ったより若……いやガキ……」と呟き、次の拍で何かが頭の中で繋がったらしい顔になる。そして勢いよく荼毘くんを指さし、「ばけもの!」と叫んだ。その声に被さるように、ミスターも遅れて理解したのだろう、「いやいや、荼毘も18くらいだろ? それくらいの年齢差ならまだ……」と場を丸く収めようとする。だが、その努力を台無しにするように、実兄がわざわざ楽しそうに口角を上げ、「23。あかりくんの8歳上のオニイチャンだな」と、言わなくていい情報を誇らしげに付け足した。
 結果どうなったかというと、ミスターとトゥワイスが揃って「ばけもの!」「ばけもの!」と指を突きつけてくる地獄絵図である。
 荼毘くんは満足げだし、俺は頭を抱えたいし、空気はもう完全に元に戻らない。
 ……そりゃあ、そうなるよね、としか言いようがなかった。23歳のオニイチャンが15歳の弟を攫って監禁しつつ近親相姦! これはもうだいぶ特殊なエロ本だろう。別にそこまででも無いんだけど、現実で見るとグロ過ぎる。俺が見た目成人済に誤認出来るくらい健やかに成長していたから異常性は薄れていたが、年齢を表に出したら怖すぎる。こういう時だけまともっぽい倫理観を持ってるから生き難いんだろうな、大人たち。
 一方、トガちゃんは「あかりくん、私より年下? こんなにおっきいのに!」とキャハキャハ笑っている。カァイイね……未だにナイフは俺に向けたままだけど……。

 俺の火継バレも客観的に見れば相当デカい爆弾だったはずなのに、弔くんにとってはそんなもの、優先順位のずっと下だったのだろう。
 転移してきてほとんど間を置かずに部屋を出ていき、今はもうここにいない。
 “先生”を奪われたという事実だけを胸に抱えて誰にも触らせないまま、ひとりで考える場所へ行ったのだと思う。

 スピナーもマグネもその空気を察したのか、俺に向けられていた視線を自然に外し、「あとは任せた」と言わんばかりにトゥワイスたちへ丸投げして素早く退室していた。この部屋がめちゃくちゃ狭いというのも理由の一つか。
 倫理観ヘイトが荼毘くんに向かっている中、俺のやらかしは若干許された空気感を出していた。恐る恐る「これ、許されたってことでいいかなあ」と聞くと、トゥワイスはさっきまでずっと握りしめていたナイフの刃を、拍子抜けするほどあっさり畳んだ。そして、どこか諦めの混じった笑い方で言う。

「まあ実際、お前が何であっても今更手放せねえよな。俺の給料、お前の会社から出てるもん」
「それはそう、ほんとそう」
「福利厚生も貰ってるし」
「家賃補助もあるよ」
「なんか別の名前も貰ったし」
「予備も沢山あるから、バレたら言ってね」

 俺がみんなに飢えないで生活してもらいたい一心で用意した立場と身分と福利厚生でございます……もう二度と捨てられたハンバーガーで腹を満たして欲しくない。
 トゥワイスは一度ため息をついて、「お前もう、内部に入りすぎてて逆にめんどくさい存在だからな」と半ば呆れたように手を上げた。
 「終わり終わり! あとはリーダーに謝っとけ! ボコボコに殴られろ!」と、軽い調子で宣言され、みんな各々自分の怪我の治療や後始末に戻っていく。いつもは本心と反対のことを言いがちなトゥワイスの最後の言葉が、今回は現実になる危険があって辛い。
 現在メンタルがガタガタに壊れている弔くんが、少し落ち着いて、全部を整理し終えたとき……俺の所業を理解して「テメエこらアホ犬潰すぞ」と頭を鷲掴みにされる可能性が普通にある。死んじゃうんですよ、それ。弔くんの“崩壊”って五指で鷲掴むと発動するから……。

 己のやらかしを理解しているから早めに判決してもらいたい……。ちょっと……媚びを売る素振りをしておくか……。腹を出してひっくり返ったらワンチャン許されないか? 犬だけに……。