アイの肖像

 堂寺 愛どうじ あい
 旧姓、生画せいが愛先輩は予見よけんそとみの友人で。
 それこそ、エスカレーター式の大学附属校の幼稚園から院まで。幼馴染と言っても何ら差し支えない、長く一緒に時間を過ごした、ひとつ年上の優しい友達で、憧れのお姉様。

 彼女の卒業式の度に、その胸のコサージュをつけるのはそとみのお役目で。幼稚園も、小学校も、中高一貫の学院も、大学も、学位授与式も。ひとりっ子の愛先輩は、そとみを妹のように可愛がって。
 それは、先輩が結婚しても同じこと。

「あたしたち、ずっと幸せでいましょうね」

 真っ白いドレス。6月の晴れ空に映えるサムシング・ブルーのリボン。艶々チョコレート色の髪の毛に、ふんわり被せられたヴェール。
 背の高い、綺麗な顔した新郎にエスコートされた先輩の。花のような笑顔と手渡されたブーケ。

 愛先輩。きれい。愛先輩、愛ちゃん、愛ちゃん!

 あたしはずっときっと幸せ。
 だって貴女が、愛ちゃんがきれいなんだもの。あたしの世界で一番尊い貴女がこんなに美しいのだもの。
 だからきっと大丈夫。あたしたちの幸福は確約されている!

 あたしたちは世界中から祝福されていた。
 貴女は何もかもに恵まれて、何もかも上手くいっていた。あたしも幸せだった。

 堂寺梅洋ばいよう氏は再生医療分野ではそれなりに名の知れた人物である。
 出自は代々医療の名門家系。個々の努力や日々の研鑽。無論それらもさることながら、この多様性極まる社会において、その“個性”こそが彼を医学の徒として更なる高みへと押し上げている。

 人体細胞の同時精製。

“任意の細胞を少量複製する個性”を同時展開させることで、従来不可能だった欠損障害や形成不全へのアプローチを可能とさせた若き医学者。時に“個性”により甚大な被害を受けた患者にとって、希望のような存在。

 家柄のいい才媛と結ばれ、子供は2人。母親の愛らしさと父親の聡明さを継いだ、年子の姉妹。裕福な家計、美しい家に、広い庭。大きな白い犬。
 絵に描いた成功者そのものだった男は今日もこの家に帰ってこない。
 疲れ切った顔をした愛先輩は、それでもあたしに微笑みながら珈琲を出してくれた。

「お砂糖は2つ、でよかったよねえ」
「はい。ありがとうございます」

 部屋の隅には、安置されたランドセルがふたつ。
 年月が経つのに、まだ新品の気配があって、ぴかぴかしてるやつと、少し角が丸くなってるのと。どっちもコードバン製の十分に上等なもの。埃ひとつ被ってないのは、前来た時と一緒。

 以前と違うのは、壁。絵画が飾られていたそこには一面に、茶髪の姉妹の写真が乱雑に画鋲で留められている。何枚も、何枚も。
 ミルクをたっぷり入れたはずの珈琲を、ひどく苦そうに口にした後。愛先輩は、おずおずと口を開いた。

「あ、のね。親戚の人たちにも、みんな協力してもらって……やおよろずさんのところにも。ほら、あそこお嬢さん、ももちゃんいるでしょ、前にパーティーの時円と仲良くおしゃべりしてくれてたのよ……
「ええ」
「『昔に一度お会いしただけなのであまりお力にはなれないかも』ですって、出力しても凡庸なのしか出してくれなくて、ひどいわ、ひどい、」
「薄情ですねえ」
「でしょう!?」
「本当に。愛先輩は、愛ちゃんはこんなに頑張ってるのに。協力してくれないなんて酷いですよ」
「ええ、ええそうなの、そうなのよぉ」

 血走った目が妙な輝きを帯びてこちらを見据えてくる。そとみちゃんならわかってくれると思ったの。震える手をカップごとそっと両手で包みこむ。

 大丈夫、大丈夫ですよ。愛先輩。
 貴女は何も間違ってない。あんなに可愛い子達を忘れる世界の方がずっとずっと悪いんだから。

 何度も繰り返し伝えると、睫毛に涙を溜めた彼女は少しだけ笑ってくれた。よかった。

「じゃあ、今日もあたしが『見て』行きますから。何パターンか出すので、出力してみてください」
「ありがとう、本当にありがとう。貴女だけが頼りなの、」

 先輩の手に触れたまま、目を閉じる。瞼の裏に映る虚像。茶色い髪の姉妹。行方不明になった年から年齢を足した分、大人になった姿。

“個性”『外見予測』

 面識のある人間の未来の姿を、ある程度の精度で予見できる。本来なら警察官や美術関係者ぐらいにしか喜ばれない、出力するには画力が必要なそれを。愛先輩の『画像生成』は触れた人間の思考から完璧に読み取って、紙の形で出力できる。

 今日も、ほら。出てきた。
『茶色い髪』の『母親によく似た顔』の、女が2人。

「ありがとう、ありがとうねぇ! これできっとまた捜査が進むわ!」
「あんまり無理しないでくださいね。お母さんが倒れちゃうとまどかちゃんもおとちゃんも心配しますから」
「ええ、ええ勿論、勿論よ」

 このやり方で、見つかるわけがない。

 姉妹の“個性”は『ランダム生成された外見の成人男女に身体を変化させること』
 姉のまどかちゃんは解除できるからワンチャンあるかもしれないが、妹のおとちゃんは自力解除が出来なくなっている上に24時間単位入れ替わり制の成人男性フォーム。
 いくら個性発動前の姉妹の姿を出したって、引っかかるわけがない。

「きっと2人とも『誘拐』されて怖い思いをしてるでしょうに……早く見つけてあげないと、」
「そうですね。でもきっとまどかちゃんはおとちゃんと一緒にいますよ。しっかり者のお姉さんですもん、か弱い妹のこと守ってくれてます。きっと」
「そう、そうよね。そうに決まってるわ、嗚呼円、音……

 出力バグらせて、男の姿から戻らなくなった次女を。この家は持て余した。

 筋金入りの女子校育ち。男は父親と夫しか知らない女は、毎日毎日見知らぬ成人男性が己を母と呼び助けを求めるのを、生理的に嫌悪し、拒絶した。
 夫は夫で、“個性”は制御できて当然。何故姉のようにしない。努力が足りない。お前はおかしい。家の恥でしかない。そう娘に言い続けて、最後は親族の家に監禁した。

 姉妹がいなくなった日は同じ。
 姉は学校から帰ってランドセルを置いてすぐ、出て行って。
 妹は、その数時間後。推定異形系個性の女が窓を割って、彼女を担いで去っていくのを防犯カメラが記録していた。

 大規模な事件になっていないのは、姉妹の父親一族が諸々察して全てを握りつぶしたから。
 哀れ、愛先輩がこれまで作って今からも作るビラ達は。全て『呼びかけたけれど情報はなく』という結果になる。そういうことになる。

 だから彼女の夫は、家に帰ってこなくなった。

 わかっていますとも。ええ。
 懸念があれば、姉の個性は『非・異形系』の成人女性に成るものと聞き及んでいたけれど。
 ほら、“個性”って進化しますから。絶望とか希望とか欲求とか。
 あと、愛とかで。

「早く見つかるといいですね」

 心にもない笑顔を浮かべる。きっとあの日、まどかちゃんに『あかり』を渡した時とおんなじ顔で、少しだけ心配そうに、元気づけるように、あたしは微笑む。

 外面がいいからひょんなことで好意を寄せられて。ひょんなことで貰い受けた。
 でもね、あたしに『あかり』は要らないの。
 善意も慈悲も優しさも、あたし別にそれは欲しくないし、かと言ってあたしが他者に差し出してやる義理もないので。

 ただ、これを使ったら何か起こる。そんな予感がしたから横流しした。それだけの話。

『ともしびのつどい編集部さま。いつもありがとうございます。おかげさまで毎日とても安心してすごしています。質問ですが、』

 続報は勝手にやってくる。
 あたしに“あかり”を分けた人間。或いはあたしが『もっと幸せになるべき人に“あかり”を譲った』ことを知っている人間から。優しい人たちの善意の報告、流し読みした会報、その他諸々。
 あの子達のその後は、皆々様の善意によって守られている。

「そとみちゃんだけよ。頼れるのは」

 泣きじゃくる愛ちゃんの顔。小さい頃と一緒。嬉しいなあ。あたし、今幸せ。
 貴女に必要とされているので、とてもとても幸せ。

 そして貴女の幸せとあの子達の幸せはきっと重ならないので二度と会わないでほしいから回避させ続けよう。
 大丈夫。そのうちきっと貴女は自動的にこっちに来てくれる。

 薔薇の匂い、本当は大嫌いなの。二度とブーケは受け取りたくないなあ。

 世界で一番尊い貴女。愚かで可愛い、何にも知らない貴女。全部喪ったとしても、きっとそれすらにも気付けない。美しいきれいなまんまの貴女。
 どうかこれからも、貴女の味方があたししかいませんように!

 ひらひらと床に落ちる。茶色い髪の姉妹の姿絵。母親とよく似たそれは、あたしの足に踏み躙られてぐしゃりと歪んだ。