火継バレあたりのよくしゃべる男の談【動画】


ええ、聞き流していただいていいんですけど、最近、というか、ついに、というべきなんでしょうか、あかりさまが公式にヴィラン連合の《火継》として指名手配されましたね。いえ、驚きはしなかったんですよ、実際のところ。ああ、でも、驚かなかったことと、納得したことは別なんです。そこ、世の中よく混同されるんですけど、本来は別でしょう。雷がどこかに落ちると知っていても、自分の家が燃えたら嫌じゃないですか、死ぬかもしれないし、大切なものだってあります、私も家で育てているダンゴムシ達が燃えカスのひとつぶになってしまったら悲しいものです。最近新しい飼育方法を確立しまして、ええ、何の話でしたっけ、ああ、そう。国への批判でした。私などはその知らせを見た時、ああ、とうとう来たか、と思うと同時に、ずいぶん時間がかかったなあ、とも思ったんです。だってそうでしょう、この国というのは昔から、責任を取る気がない時ほど名札を作るのが好きですから。整理した気になるんですよ、名前をつけると。危険思想、要監視人物、潜在的脅威、そういうものを作って、ファイルに挟んで、机の上に積んで、これで対処しています、みたいな顔をする。便利ですね、紙は、燃やせば暖も取れる。ああ、もちろん比喩ですよ。私は平和主義者ですから。温厚な男を自認しています、同僚にはアホボケマイペースダンゴムシ男と罵倒されますけど、彼女は幼いので語彙がないのです、可愛らしいものでしょう、気性の荒いジャンガリアンハムスターとか、そういう生き物に見えます、ああまた話が脱線しましたね、何の話でしたっけ。そうだそうだ、指名手配の話でしたね。火継。あの名前、私はあまり好きではないんです。いえ、響きは悪くないでしょう、火を継ぐ、なんだか由緒ありげで、使命感がありそうで、民話か何かの主人公みたいだ。大学では民俗学を専攻していましたので興味深いものです、でも、だからこそ嫌なんですよ、綺麗すぎる名前には、だいたい他人の期待が詰まっているものだ。名付けというのは呪いの初手ですからね。優しい子になってほしい、強い子になってほしい、国を背負ってほしい、希望になってほしい、燃え尽きても誰かのために光っていてほしい。そういう、本人に一言も相談していないくせに、いかにも善意みたいな顔をした欲望が、ぬるっと入り込んでいる。火継というのも、そういう名前でしょう。誰かの火を受け取って、誰かのために燃え続けることを前提にしている。本人がそれを望んだかどうかはさておき、周囲は最初から、そういう役をやってくれるものとして扱っていた。それを敵側である公安が名付ける、形を与えた、酷い話です。あかりさまもそういうのを感じ取っているのでしょう、常々「ダサすぎて嫌だ」と言っておられますね、いえ、彼の場合は偶然にもお兄様の名前と連想づけられるからだ、と仰られていましたが、兄弟合わせるとあまりにも“死”が近い名前です、前時代はわかりませんが、私が小学生の時には既に『その人が嫌がるニックネームはつけてはいけません』というルールがありました、さすがにダメでしょう、死を連想する名前を国が勝手につけるなんて、いじめですよ、私は“しろたん”と呼ばれていました、名前からと、親しみを込めてですね、嫌ではなかったのでずっと“しろたん”でやらせていただいておりました。ええ、ええ、意外でしょう、虐められた経験がないんですよ、人運には恵まれていますので、定期的に連絡をくれる友人も数人いましたし、いえ、私から切りました、恩知らずで申し訳ありませんが、なにしろ私、いまヴィランをやっておりますので、友人も家族も、善良なる人たちを巻き込みたくないのです、人間的な感情でしょう。私は愛されている自覚もありますし、愛してもいますので、守りたいものもあるんですよ、私のような人間でさえ。それでもまだ足りないと、そう思ってしまったのです。与えられる愛を自覚しておきながら、それでも私は“普通”になりたかった。もっとたくさん、当たり前の普通が欲しかったのです、できませんでした、そういう人間として存在してしまったがゆえに。恵まれているくせに、それでも求めてしまうのは何故でしょうか。また話がズレましたか、何を話していましたか、ああそうでした、そうそう、しかもですよ、今まではあくまで潜在的危険だとか、《あかり教》の象徴だとか、よく分からない理屈で、事実上ヴィランネームだけは与えられていたらしいじゃありませんか。おかしいでしょう、それ。私はずっと変だと思っていたんです。つまり何ですか、その時点ではまだ何もしていない、少なくとも公式には何もしていない一般人だったあかりさまに対して、国の側が先に「お前は危険だ」「お前はいずれ脅威になる」「だから名前をつけて監視対象にしておく」とやっていたわけでしょう。未成年に。未成年ですよ。まだ子供の相手に。ずいぶん先回りがお上手だ。未来予知の個性でもお持ちなんでしょうか。持っていない? ならただの雑な決めつけですね。酷い話です、本当に、いえ、もちろん分かりますよ、分かりますとも、《あかり教》は肥大化していた、あれが自然現象のように広がって、誰も全容を把握できず、配られた“あかり”を持つ人間が静かに、でも確実に増えていって、しかもその多くが穏やかで、善良で、普通に見える。怖いでしょうね。敵意や暴力で輪郭が見える脅威なら対処のしようもあるけれど、優しさの顔をして浸透してくるものは厄介です。殴る理由を作りにくいから。だから管理したかった、名付けたかった、監視したかった。その気持ち自体は分かるんです。人間、理解できないものにはラベルを貼りたがる生き物ですから。冷蔵庫の残り物にも貼るでしょう、「これは月曜まで」とか「勝手に食べるな」とか、あれに近い、いや、近くないかもしれない、人間を食べ物と同じ棚に並べるなと怒られそうですね。でも国家権力というのは時々そういう雑なことをしますから。分類の精度が高いふりをして、実際にはかなり大雑把なんです、何の話でしたっけ。ああそうだ、知らなかった、の話です。知らなかったんでしょうね、たぶん。あかりさまが未成年だと。あるいは知っていて、でも重要ではないと判断したのかもしれない。どちらにせよ、あまり良くない。知らなかったから許されることって、実はそんなに多くないんですよ。熱湯に手を突っ込んで「あっ熱いんですか知りませんでした」と言っても火傷は消えないでしょう。車で人を轢いて「そこに人がいるとは思わなくて」と言っても、轢かれた側の骨や命は元に戻らない。悪いことは悪い事だと、私は思いますよ。聞き流していただいていいんですけど。だいたいですね、未成年ひとりを国の都合で「潜在的脅威」として扱っておいて、いざ本当にヴィラン連合の一員として表に出てきたら「やはり危険人物だった」と言うの、あまりにも美しくないでしょう。最初に突き落としておいて、落ちた先で泥だらけになった姿を指差して「ご覧なさい、あの子は最初から汚れていたんです」と言っているようなものです。論理が汚い。手順が汚い。ついでに心根もやや汚い。ああ、でも私は別に、国とか制度とか、そういう大きなもの全般が嫌いなわけではないんですよ。嫌いなのは、自分のやったことの順番を忘れる人たちです。原因と結果のあいだに、自分たちの手が挟まっていたことを都合よく見落とす人。あれはよくない。とても。書類の上で人生を折りたたむのが上手い人間ほど、その折り目の深さを理解しないものですから。あかりさまは、そのあたりを案外、怒らないでしょう。怒った方が楽な場面でも、妙に静かにしていることが多い。いえ、怒っていないわけではないんです。あの方、自分の中で怒りをズラすのがお上手で、実際にはちゃんと腹も立てるし、傷つきもする。ただ、わざわざその場で相手に見せてやるほど親切ではないんですよ。そこが好きなんです。聞き流していただいていいんですけど。優しい人というと、何でも説明してくれて、何でも許してくれて、分かりやすく微笑んでくれるものだと誤解する人がいますが、そういう優しさはだいたい接客業のものです。本当に優しい人は、相手を甘やかすより先に、相手の勝手な期待から一歩引く。あかりさまはそういう種類の方でした。だから、ご自身のことを「情がない」と思っていらっしゃるのかもしれませんね。いや、違いますよ、それは。あかりさまはちゃんと優しい。ただ、その優しさが、どこかであかりさまご自身の重荷になっているのかもしれない。切ないことです。何の話でしたっけ、ああそうだ、指名手配です。公式に、火継として、ヴィラン連合の一員として、顔も名前も、あるいは名前めいたものも、国に掲げられた。世間はこれでようやく納得するのでしょう。「ああ、やっぱり悪いやつだったんだ」と。便利ですねえ、指名手配というのは。ひと目で善悪を判別したい人たちのための、非常に親切な看板だ。けれど、私は思うんです。その看板が掲げられるずっと前から、国はあの人を普通の子供として扱っていなかったんじゃないですか。まだ一般人だった頃から、もう“火継”の輪郭を押しつけていたんじゃないですか。だったら、その看板を見て安心する資格なんて、本当は誰にもないのかもしれませんね。少なくとも私は、素直には安心できない。だって、これは新しく悪が生まれた話ではなく、ずっと押しつけられていた役名を、本人がついに引き受けると決めた話にも見えるから、そして、それがいちばん嫌なんですよ。覚悟を決めた人間は美しいでしょう。嫌いな名前を背負う覚悟。期待の詰まった役柄を、あえて自分で着る覚悟。世間が怖がる怪物の顔を、自分の意志で引き受ける覚悟。立派です。立派すぎて、胸が痛くなる。だって本来、そんな覚悟、持たなくてよかったはずなんですから。もっと別の名前で笑っていてよかったはずなんです。私はあかりさまが好きですよ、私を見てくれて、私を私のままで肯定してくださった、だからこそです、あの人は平和な家庭で幸せに生きて欲しかった、お兄様があの状態なので仕方ないと思うかもしれませんが、逆にお聞きしますけど、お兄様ごと救われてよかったのでは? と思いますね、あかりさまだけではありませんよ、あの兄弟は救われるべき時に救われなかった、そう思います。あれは本当に、すごく大事なことなんですよ。世界を救うとか、社会を壊すとか、宗教がどうとか、そういう大きな話の前に、地面の豆じゃお腹を壊すから新しいのを買ってきて分け与えてくれる、という行動が先にある人間です。その順番が私は好きなんです。英雄性より先に生活がある。教義より先に胃袋がある。救済より先に腹痛の予防がある。そういう人が、火継なんて名前を名乗らされるの、やっぱり少し、いやかなり、腹が立つ。私はあかりさまのことを信じています。少なくとも、あの人が無意味に誰かを壊すことを喜ぶような人ではない、と。それだけは。あの人が壊せと言うなら、悪をなせと言うのなら、そう言わせた方が悪いと信じています。そう、私が勝手に信じていますので、これは洗脳だと言われたくありませんね、あかりさまは私達を拘束していない、いつだって逃げる道は残されていて、その上で自ら望んでここにいるので。だから、指名手配の報を見て「悪が露見した」とは思わなかったんです。「とうとう追いついてしまったんですね、国の方が」と思った。ずっと先回りして名前をつけていたくせに、理解だけが最後まで追いつかなかった。そんな感じでしょうか。国家というのは足が速いようで、肝心なところでは鈍いものです。ああ、でも、これを言うと誤解されるかもしれませんね。私は別に、あかりさまが何をしても無罪だ、とは言っていないんですよ。そこは違う。やったことには結果があるし、選んだ道には責任がある。ヴィラン連合の一員として立つ以上、その責任からは逃れられない。けれど、それと、どうしてそこに至ったのかを考えることは、両立するでしょう。むしろ両立しない方がおかしい。人間を裁く前に経緯を見ろ、というだけの話です。それをしないなら、裁きではなく省エネですから。考える手間を惜しんで、ラベルだけで済ませている。ずいぶん怠惰だ。怠惰なのに正義面ができるのだから、権力というのは本当に便利ですね。羨ましくはありませんけど。何の話でしたっけ。ああそうだ、聞き流していただいていいんです、最初から。私はただ、あかりさまについて話していただけなんです。公式に火継として指名手配された、その事実を前にしてもなお、私にとってあの人は、豆を買ってきてくれた人であり、否定せずに話を聞いてくれた人であり、私みたいな仕様の人間を「まあそういうものか」とそのまま置いてくれた人なんですよ。国はあの人を危険として見た。世間は怪物として見るでしょう。仲間は別の意味で象徴として見るのかもしれない。でも私には、やっぱり最初に、あのどうでもいいくらい小さな親切がある。神様というのは案外そういうものじゃないですか。大きな奇跡ではなく、地面の豆を食べるなと言ってくれること。あなたはそこにいていいと言葉にせず示してくれること。扱いづらいものを、扱いづらいまま放置できること。救うでも矯正するでもなく、ただそこに置いてくれること。だからまあ、ええ、全て聞き流していただいていいんですけど。始まりましたので、もう終わるまで止まらないでしょう。悲しいことです。

 


Q.何言ってんだ……?

A.

1、国はあかりさまを普通の子供として扱わないまま勝手に《火継》なんて役名を押しつけておいて、事が起こってから今さら「やはり危険人物だった」と言っているようにしか見えず、その順番の汚さがどうしても許せない。

2、自分にとってのあかりさまは怪物でも象徴でもなく、豆を買ってきてくれて、私みたいな人間をそのまま置いてくれた、生活の中でちゃんと優しかった人であり、保護され庇護されるべきだった未成年の少年だ。

3、あかりさまが背負う責任は責任として見つつも、それでもこの人たちは救われるべき時に救われなかったのだと思っていて、その経緯を無視してラベルだけで裁くやり方に腹が立っている。

 


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イラスト

わっふる様