亡骸の名をなぞる

 猫が親切心で、死にかけのネズミを飼い主の前に置いていくことがある。「おまえもこれで狩りが上手くなりなさいよ」という、あれだ。猫がやるなら可愛げもある。問題は、「おまえもこれで医療技術を手に入れなさいよ」という知育玩具みたいなノリで、邪老からハイエンド脳無──血縁者──を送りつけられた俺はどうしたらいいのか、という話である。

 一応、善意というか……まあ、向こうとしてもこうするしかなかったのだろうから、「ありがとうございます……」とは言っておいた。言っておいたが、実際、実際な? 俺が今からドクター並みの医療技術を身につけようと思ったら、三十年くらい必死に学んで、ようやく半分届くかどうかというところだろう。

 俺はドクターのことを、マジで邪悪で、ろくでもなくて、倫理観のない、人間の皮を被った化け物カスジジイだと思っている。思っているが、それはそれとして医療従事者としては倫理観以外は信頼も尊敬もしている。何十年もかけて得た知識や技術を、「はい、今から全部覚えてね」と渡されても現実的ではない。だから効率厨邪老の案は、悪の組織としてはベストと言ってもいい。
 最短距離で、必要なものを、必要な形にして差し出してくる。人の道を完全に踏み外しているだけで、手段としては合理的だ。俺もね、こういう所は割り切りますよ。俺個人としては好ましくないと言えるけど、弔くんを四ツ橋にNTRされるくらいならハイエンドもドンと来いだ。
 でもわざわざ血縁者を選んだ理由が、「血の繋がりがあると親しみも出るじゃろ。名前は氷叢ちゃんでいいか?」なのは素直におしまい過ぎないか? すごい嫌なのは、これがドクター的に本当に“ちょっとした気の利いたサプライズ”であると理解できるところだ。
 素体が持つ個性が“薄氷”なのは、ドクターという人間が素体を選ぶにしては弱すぎる。
 ハイエンド用の素体なら、もっと医療に使いやすかったり俺の護衛用に戦闘特化の個性を持っているものも選択肢にあったはずだ。それなのに、薄い氷を張るだけの個性持ちを選んだあたり、本当に、純粋に、言葉通りに、『血縁者なら親しみが出ていいだろ』でしかない。
 人間の心を模倣しようとして失敗している化け物みたいだなあ。俺じゃなかったら、嘔吐くらいはしていた。

 後継者修行の名のもと、ドクターの持つあらゆるデータの閲覧を許されるようになったので、素体となった人間の情報も、少し探せば見られるようになった。

 氷叢六花。死亡時、十六歳。出産時に羊水塞栓症を発症し、そこから産科DICを併発。止まらない出血と急激な循環不全によって死亡、と記録されている。年齢が若いし、妊婦健診未了の記載もある。妊娠を隠していたのかもしれないし、隠さなければならない事情があったのかもしれない。どちらにせよ、十六歳の少女が、誰にもまともに手を伸ばされないまま、子供を産んで死んだという事実だけは残っている。

 氷叢本家の六女と書いてあるが、男兄弟もいた場合、いったい何人きょうだいになるんだ……? もしかして、氷叢の家って子供を量産して売ってる? うちには実際に、売られてやってきた実母がいるので、妙なリアリティがあって怖いな……。

 生まれた子供は養子に出され────。

 

「うっわ…………」

 すごい。

 すごく最近、見た顔だ……。

 ハイエンド脳無氷叢ちゃん(仮)は顔が無いから分からなかったが、十六歳で亡くなった氷叢六花さんの生前の写真は、母さんに似ていた。

 細い輪郭。透けるように白い肌。長いまつ毛に縁取られた、どこか遠くを見ているような目。美しい顔立ちなのに、幸福に愛されて育った人間特有の明るさがない。
 淡い氷の花みたいに儚くて、触れたら崩れそうで、綺麗なのに、近寄り難い。
 母さんにも、そういうところがある。綺麗で、静かで、薄い硝子の向こう側にいるような人。笑っていても、幸せそうというより、これ以上恐ろしいものに襲われないように、息を潜めているように見える時がある。

 だから最初は、母さんに似ている、と思った。

 けれど、違う。似ているだけじゃない。もっと直近で、もっと鮮明に、この顔を見ている。

 写真の中の六花さんから、母さんの面影を一枚ずつ剥がしていく。目元の柔らかさを残し、口元の儚さを少し削り、表情から怯えを消して、代わりに冷たい無表情を置く。
 長いまつ毛の影をそのままに、視線だけを刃物みたいに鋭くする。そうしたら、そこに残るのは───────外典くんの顔だった。

 いや、生き写しじゃん。彼可愛い顔してるから、そのまんまお母さん似じゃん。

 あの氷使い、氷叢の血かあ~~!!! 親族!? 雑に置かれた点と点が勝手に繋がったような気持ちだ。

 親戚付き合いがほとんどない家庭だったから、よくわからないなあ……。
 父方の祖父母とは、祖父が祖母の再婚相手だったせいか、交流がかなり乏しかった。
 母方の方は、母さんがよく電話をしていた記憶はあるが、俺たちが遊びに行くとか、向こうがこちらへ顔を出すとか、そういう親戚らしい行事はほとんどなかったと思う。
 ずっと轟家で生活していれば、どこかのタイミングで顔を合わせて氷叢の血筋について何か知る機会もあったのかもしれない。でも俺はわりと早い段階で轟家を離脱して、野良の児童としてぬくぬくサバイバル生活をしていたからなあ……。

 自我が残っているって、記憶が残っているという意味ではないよな……。出産時に死亡したシックスティーンが記憶ありでハイエンドだと全ての話が変わってくる。
 さすがに……さすがにそれは無いだろう……。普通に、十六歳女性の自我ってだけで……。

 パソコンのタブから氷叢六花さんの記録は消しておく。これは一旦全てを保留だ。
 
 それにしても、この世の中に氷系の個性を持っている者なんて数多くいるのに、なんで氷叢だけが、こうも求められるんだ? リ・デストロしかり、実父しかり、薄氷なんていう弱個性素体をわざわざ10年以上保管していたドクターしかり。

 うちは個性婚で、子ガチャのために買われた花嫁だった。母さんは、そういうものとして轟家に迎えられた。だからこそ、嫌な方向に想像が働く。
 俺の想像でしかないが、外典くんも、里子に出された時点でリ・デストロに見定められて回収され、光源氏計画が如く、幼少期から洗脳教育を受けて今に至っているんじゃないか?
 外典くんからは、弔くんと同じ風を感じる。
 非血縁者の保護者がカスで、そのカスによる洗脳が完了していて、下手なことを言うとぶち殺されるという強風を……。

 なんか、氷叢って特別な血でもあるのかな……。
 焦凍はヒロアカにおける準主人公みたいな存在だし、燈矢くんも大人気ヴィランだし。子ガチャ用に氷系個性の女を選んだにしても、敢えて氷叢を選ぶ必要があったか? という疑問が残る。特別に、なにか理由があったのかもしれない。母さんが美人だったから選んだという訳では無いだろう。

 ちなみに俺は、母さんの個性の影響がほぼ皆無なので、あるかもしれない恩恵はほぼ確で無いと見ていい。ここに来て、真実に近づいた俺への覚醒イベントが始まるかと思ったが、どうやら俺には初めから資格がなかったようだ。なるほどね。主人公補正でも血統補正でもなく、ただ無駄に勘の良いガキになっただけですね、これは。

 ……保留! 見なかったことにしよう!!

 

 俺は弔くんが好きだが、それは弔くんがモンちゃんというハンドルネームのネトゲ界隈厄介荒らしだった頃からの、数年来の付き合いがあるからだ。
 数年かけて寄り添い、理解ある彼くんムーヴをしつつ、「おもしれえ男だ……好きだな……」とだいたい全部を許してきたからこそ、地獄の死柄木くんちで洗脳教育を受けた、社会不適合無敵の弔くんとも仲良しでいられている。

 今からそんな、同じように地獄の四ツ橋んちで洗脳教育を受けた社会不適合無敵の外典くんと仲良くするのは、無理!!

 向こうもこっちを警戒しているし、なんなら外典くんの方が氷叢について持っているカードが多い可能性すらある。情報戦で不利。そもそも初期好感度が低い。
 あと、燈矢くんと外典くんの相性が確実に悪い。お互いに無理だ。今は協力関係だから殺しあってないだけで、たぶん普通に性格が合わない。

 この話、やめよう! 面倒なことには目を伏せて、黒霧の情報も開いた。

 黒霧という成功作の書類だからだろう。氷叢六花さんのものより、明らかに情報量が多い。
 彼女の時にはなかった死亡時の記録写真まで残されていて、そこには頭部を潰された亡骸が写っていた。一目で分かる。もう助からない姿だ。人間が人間として生きるために必要な形が、そこには残っていなかった。

 黒霧の頭部が霧のようになっていたのは、素体の頭部が、最初から形を伴っていなかったからなのだろうか。そんなことを考えてしまって、すぐに嫌になる。知りたくない推測ばかり、こういう時に限って妙に筋が通る。

 俺にとって黒霧は立派な大人の男だった。いつも落ち着いていて、弔くんの無茶を受け止めて、連合の空気が変な方向へ転がりそうになるたびに、静かに手を添えて軌道を戻してくれる人。
 少なくとも俺は、黒霧のことをそういう頼れる“大人”として見ていた。

 けれど、その素体は、今の俺とそう変わらない年頃の少年だった。

 白雲朧。雄英高校ヒーロー科在籍。インターン中に発生したヴィランとの交戦、および建造物崩落事故に巻き込まれ、現場で死亡。
 死因は瓦礫による圧死。頭部から上半身にかけて致命的な損傷があり、救助時点で生命反応は確認されず────そう、淡々と記録されている。

 同じフォルダには、生前の写真も入っていた。制服姿。ヒーロースーツ姿。弾けるような明るい笑顔。写真の中の白雲朧は、黒霧からは想像できないほど眩しかった。太陽みたい、というより、青空そのものみたいな少年だった。曇りを知らない顔で笑っていて、これから先の未来が当然あると信じている人間の顔をしていた。

 その隣に、見切れている黒髪の少年がいる。

「……学生の頃のイレイザーヘッドか?」

 三人並んで撮った写真で、真ん中だけを切り抜いている。だから端の二人はほとんど写っていない。それでも、髪の色や装飾、わずかに残った雰囲気を見る限り、もう反対側はプレゼント・マイクじゃないだろうか。イレイザーヘッドとプレゼント・マイクについては、俺のなけなしの原作知識にも『学生時代からの友人』という情報が残っている。そうか、三人組だったのか。

 ……これ、いつか黒霧の自我が復活して、俺たちを裏切る展開があるんじゃないか?

 メタ知識からの予想でしかないけど、そういう展開は、有り無しで言うなら普通に有りだろう。悪の組織に亡骸を奪われ改造されたヒーロー志望の少年が、現役ヒーロー兼主人公の師となったかつての親友の声によって覚醒し、破壊されたはずの自我を取り戻す。見事な逆転劇のはじまり。美しいヒーロー譚!

 あ、ありそ~~!! この世界がジャンプである限り、友情・努力・勝利という世界の規則は適用される。俺たちは、あくまでも敵だ。どういう形になるかは分からないが、ストーリー上、確実にどこかで負けるのだろう。
 嫌すぎる。悪役が悪役として倒されるのは、物語として正しい。正しいが、それを当事者として受け入れられるかは別問題だ。俺というバグが混入した以上、悪役大勝利で全てを終わらせたい。弔くんが負けるところをみるのは、死ぬよりやだ。俺は弔くんの厄介ファンボーイだからよ……常に勝っててほしいんだ……。

 それに俺は黒霧が好きなのであって、元の人格の朧くんについては、こう言ってはなんだけど、どうでもいいんだよな……。

 白雲朧という少年が、明るくて、眩しくて、友達に愛されていて、ヒーローになりたかった人間だったことは写真一枚見ただけでも分かる。分かるし、可哀想だとも思う。
 希望に溢れた少年が若くして死んだとなると、奪われたものが大きすぎるし、彼の友人たちからすれば、取り戻したいと願うのも当然だろう。けれど俺にとって、俺にずっと優しくしてくれて、仲間として存在していたのは黒霧だ。朧くんではない。

 だから、困る。天に召されていてくれないかな、朧くんの人格……。物語の都合で、俺の好きな人を“本来の姿”みたいな顔で上書きされたら辛すぎる。

 

 

「おお、勉強しとるか。感心感心。情報は多いほど良い。つまらん記録でも、持っておれば思わぬ所で役に立つ。何でも覚えておくといい。たとえば、いつかイレイザーヘッドと相対した時に、白雲朧の命日でも小さく囁いてみろ。向こうが勝手に意味を見つけてくれる」

「突然現れて的確に最悪なアドバイスどうも」

「どういたしまして。ほら、休憩時間は終わったぞ。挨拶回りだ、立て立て」

「はい……」

 また~~? と文句を言いたいが、俺に必要なことをわざわざ時間を作ってやってくれているので文句を言う資格はない。継承、というか、引き継ぎだ。
 氷叢ちゃん(仮)がオール・フォー・ワン抜きでは完成しないように、俺へ引き継がせるものにも、オール・フォー・ワンの助けがいるらしい。

 あの“先生”の手が入るのは本当に嫌だけど仕方ない。必要な工程だと言われれば、こちらに拒否権はない。いずれ来る暗黒イベントを粛々と待ちながら、今の俺がやっているのはドクターの引き継ぎ────関係各所への、「こちらが次期就任者です」という顔見せだった。
 やっていること自体は、ほとんど営業まわりみたいなものだ。挨拶をして、名刺代わりに笑顔を見せて、相手の話を聞いて、必要なら少しだけ相槌を打つ。ただし扱っている商材が人命と違法研究と悪の組織の未来なので、営業資料が倫理の墓標でできているだけである。

 ドクターの外面は、驚くほど良いというか、良すぎる。まるで温厚な人格者のように振る舞うのが上手すぎる。
 黙っていれば知的な老医師に見えるのが本当に腹立たしい。
 実際に話しても、必要な相手には丁寧で権威ある偉大な老医師だ。だから関係各所も、「あなたほどの方が言うなら!!」と諸手をあげて俺を歓迎してくれる。

 あと、突然本名を開示されてビビった。氏子達磨って偽名はなんだったの? 殻木球大って、著者近影が無いから気づかなかったけど、めちゃくちゃ医学系の本を出してるじゃん……。

 名前で検索しただけで、蛇腔総合病院の創設者だし、数えるのも面倒になるほどの病院や児童養護施設の運営にも関わっている。
 しかも表向きの評価がすごい。僻地医療への貢献だの、難病研究への多額の寄付だの、身寄りのない子供たちへの長年の支援だの、並んでいる言葉だけ見れば聖人の経歴だ。

 過去には、国民栄誉賞とか、それに類する国家的な表彰の話もあったらしい。医療と福祉の両面における長年の功績を称えたい、という綺麗な文面が残っていた。
 それに対する殻木球大の返答も、また美しい。

 「私がしてきたことは、称えられるためのものではありません。医療とは、名誉のために積み上げるものではなく、目の前で失われようとしている命へ、ただ手を伸ばし続ける営みです。過分な栄誉は、むしろ私よりも、今この瞬間も現場に立つ若い医療者たちへ向けられるべきでしょう」と言って、穏やかに辞退している。キリッとした顔で言ってたんだろうなあ~~。
 本当に嫌なんだけど、すごいわかる。俺でもこういうこと言う。
 綺麗に見えているだけで、絶対に自分の研究や素材集めのためにやっていたことだろう。それが偶然、多くの人にとって素晴らしい形になっただけだ。
 それに正しさのレッテルを堂々と貼られたら面倒なので、綺麗な言葉でノーサンキューしただけ。人の心がないんだよこの邪老。

 とはいえ、これが理解できる俺の外面も我ながらだいぶ良い方なので、こういうところがドクターに見出された部分なのかもしれない。

 相手が欲しい反応を返すこと。敵意を見せず、警戒を解き、必要な分だけ親しみを滲ませること。
 自分の中身を見せずに、相手が安心できる形だけを差し出すこと。
 医学そのものは、ハイエンド脳無氷叢ちゃん(仮)に任せればいい。俺に求められているのは知識の蓄積ではなく運用だ。
 得意分野です。たとえ紛争地域だろうとも、まず自分の味方を作り、周囲を固め、同じ方向を向かせて、目的の達成まで持っていく自信があります。前世から今世まで、俺はずっと同じことをしているからな。この道のプロですよ。

 ふと、ドクターが立ち止まった。

「わしは“普通の人間”じゃからな。結局は、こういう地道な継承でしか、おまえに力を与えられん。すまんな……」

 どこか悲しげな声だった。ちなみに現在、国家予算規模の資産と権利、それに伴う人材や施設を、ほぼ自動で俺へ譲渡する流れを作り終えたところである。

 どうした? 普通の爺さんみたいになっちゃって。いつもみたいに邪悪でいてくれ。普通の人間に悪の前宰相は無理なので、死ぬまで悪ジジイでいてくれなくちゃ困る。迷惑まである。

「裏方っていうのは地味なものだから、俺だってそんな、突然レベルアップ! みたいな展開は前提にしてないよ。コツコツ頑張るのは得意だからさ、気にしないで」

陽火……。あとで一緒に脳無を作ろうな。わしがおすすめのカスタムを教えてやろう……」

「脳無って、そんな“一緒にラジコン組み立てよう”みたいな流れで作れるもんなんだ」

「おまえならどう作る?」

「まずは顔をつける。脳みそ剥き出しにはしないで、人間の造形に近づける」

 それだとメンテナンスが面倒じゃろ、とドクターは即答した。脳みそは触れるくらいで丁度いい。顔なんぞあっても意味がない。無駄なコストがかかるだけじゃ、と。

 たぶん、長く作りすぎて基本的なことを忘れているんだろうなあ。

 

「いや、俺たちの敵ってヒーローだから、こんな破壊しやすい造形じゃ、気持ちよく攻撃されるだけだよ。
身体はどんな形でも異形型個性と見間違えてもらえるから、せめて顔は子供か女のものにする。発声機能も欲しいな。“助けて”とか“殺さないで”を繰り返す感じで……」

 

「これが、天才か……」

 振り向くと、ドクターの頬を、一筋の綺麗な涙が伝っていた。

 ええ……俺なんかやっちゃいました……?