「お前に、腹いっぱい美味いもんを食わせたいんだ。服だって新しい綺麗なやつ着せて、おもちゃも沢山好きなだけ用意してやる。俺たちふたりで毎日笑って暮らそうぜ」
まるでこれから遊園地にでも行くみたいな顔で、パパは楽しそうにそう言った。
実際、俺は現在、あの古アパートから引っ越して、郊外にあるそこそこ小綺麗なマンションで暮らしている。床は沈まないし、壁から湿った匂いもしないし、窓にはちゃんと破れてないカーテンがかかっている。ベビーベッドも粗大ゴミ置き場からかっぱらってきたものではなく、新品だ。柔らかい毛布もある。おもちゃもある。くたくたおうどん以外の食べ物も出る。
環境だけを見れば、俺の生活は間違いなく良くなった。だが、それは突然パパが真っ当に働いて金持ちになったからではない。
あの、こう……なんと言ったらいいのか……。
強盗殺人の末の乗っ取りにより、本来の家主が死にまして……。
この部屋を契約した本人はもうこの世にはおらず、パパがその人の服を着て、その人の鍵を使い、その人の生活にすっぽり入り込んでいる。
数の暴力って純粋に強いんだなあ……。あの日、裸に剥かれた本来の家主にクローンたちが群がり、写真を撮り、あらゆるサイズを測り、必要な情報をひとつずつ抜き取っていった。
俺はその間、パパの腕の中にいた。視界を塞がれているわけではなかったけれど、パパは俺をくるくる回して、頬ずりして、にこにこ笑いながら何度も言った。
「かわいいかわいい陽火、俺のたからもの! お前のためなら、俺はなんだってできるんだ。パパは無敵だ。ずっと俺が守ってやるからな」
あまりにも明るい声だ。古アパートの風呂場で、冷たいシャワーを浴びながら「死ぬ」と叫んでいた人間と同じ声だとは思えないくらい、晴れ晴れとしていた。
本来の家主は猿轡をつけられていたが、処分の手前でそれを外されたのだろう。やめてくれ、ゆるしてくれ、という涙声の合間に、「仁」と、明らかに人名らしい音が混じった。
なので、パパの名前は仁くんなのだと思う。やっと分かった。俺のパパは仁くん。
あと、この声は知っている。直接聞いたことはない。けれど、電話越しに何度も聞いた。パパが何度も「すんません」と謝り続けていた、あの電話の向こう側の声だ。電話でパパを虐めていた男の声だ。
俺が「うー」と怒りを表明すると、パパは「うーだなあ」とにこにこしながら、俺の唇に指を当ててぷるぷる動かした。アプププププ。
「ほら陽火、社長にバイバイしろ」
「やいやい」
俺が手を振ると、パパは目をまんまるにして「マジかよ……本当にバイバイ出来てる……天才過ぎる……ほぼアインシュタインじゃねえか」と驚愕した。パパが嬉しそうなので、俺はもう一度「やいやい」と手を振る。見てください、この手の振り方。品があるでしょう。
やがてドアが閉められる。向こう側で悲鳴が上がる。最初はまだ強く、次第に細く、最後には聞こえなくなった。数分後、完全な沈黙が訪れた。
はじめて入った部屋のふかふかのソファに座って、パパは俺の小さな手を指先で包む。
「これで陽火に美味いもん食わせられるなあ。もう寒いのとか暑いのとか、全部なくなるぞ」
そう言って、嬉しそうに笑う。それから俺のお腹をこちょこちょとくすぐった。きゃーははは、と笑い声が出る。これは反射です。赤子の身体が勝手に笑うんです。俺がきゃはきゃは笑うと、パパも笑った。
人ひとりの命と引き換えに、俺とパパが平和に生きられるなら、それはもしかすると悪くないのかもしれない。そもそも、可哀想な被害者というわけでもない。
あの声はパパを虐めていた声だ。パパを追い詰めて、謝らせて、ぼろぼろにしていた声だ。あれだけ性格が悪ければ、自業自得というやつではないだろうか。
俺のパパが虐められてたんですよ! 判決は死刑です。当たり前だろうが、俺の命綱である保護者はもはやこの世にパパだけなんだぞ。命の重要度が違いすぎるだろ。
この家の元の家主は“社長”と呼ばれていたが、俺が行動できる範囲に、何の社長なのか分かるようなものはなかった。名刺もない。社名入りの封筒もない。仕事用の資料もない。
というか、たぶんここはメイン拠点ではないのだろう。
ベッドやソファはやけに大きくて質がいいし、床も壁も古アパートとは比べものにならないくらい綺麗だけど、部屋全体に生活の匂いがない。
なんだかインテリア店の展示スペースを、そのまま区画ごとコピーアンドペーストしてきたみたいな感じだ。こだわりが見えない。趣味のものと呼べるものもない。
二足歩行初心者の俺が、つかまり立ちしますよ……のふりをして棚の引き出しを引っ張り出した時も、中から出てきたのはローションとコンドームと、なんかそういう大人向けの玩具だけだった。うわあ……。うっわあ……。
たぶん、ここってヤリ部屋とかそういう感じなんだろうなあ……。
愛人を住まわせているという感じでもないし、本当に、その用途のためだけに用意された部屋なのだと思う。
俺がコンドームを引っ張り出し、なんとなくサイズを確認していると、「陽火~、いたずらしてんのか?」と後ろからパパに抱き上げられた。はい。いたずらしております。赤子なので、手の届くものは全部引っ張り出す習性があります。
パパは俺が持っているものを見て、「お゛っ」と濁った悲鳴をあげた。
そして次の瞬間、何もないところから社長が“増える”。俺が瞬きをするより早く、「テメエこの野郎!! 陽火に何見せてんだ殺すぞ死ね!!!!」と俺を抱いていない方の手で即座に顔面へ拳を叩き込んだ。増えた社長は短い悲鳴をあげ、どしゃりと潰れるように消える。
俺は抱っこされたまま、その一連の光景を見ていた。
ええ……。ええ……? パパは俺の手からコンドームを取り上げると、俺を撫でくりまわしながら「これはばっちっちだからポイしような~~! ごめんな~~、グロいもん見せたなあ~~! あとで五百回ぶっ殺してくるからな~~!」と、おいおい泣きはじめる。
俺はとりあえず、小さな手でパパの頭をよしよしと撫でながら、パパの特殊能力についての謎をまた深めていった。
俺はこれまで、パパの能力は自分のクローンを作るものだと思っていた。けど、今みたいに自分以外も増やせるらしい。
だとすると、“社長”を殺す前に裸に剥いて、写真を撮ったり、あらゆるサイズを執拗に測ったりしていたのは、このためだったのかもしれない。
身体のサイズ感とか、外見とか、声とか、持ち物とか、その人について知っている情報が多ければ多いほど、他人も複製できる。そういう能力なのかも。
めちゃくちゃ強い。そりゃ、追われるな……。有能すぎて社会に馴染めなかったのかもしれない。
きっと悪い大人に利用されて、怖い目に遭って、逃げるしかなかったのだろう。可哀想なパパだ。
俺はパパの頬に手を伸ばし、「ぱぱ」と呼んだ。パパはそれだけで、さっき社長を殴り飛ばした手と同じ手を、世界でいちばん壊れやすいものに触るみたいに俺の背中へ添えた。
俺が大人になったら、パパがもっと生きやすい社会にしてやるからな……。
俺とパパの閉じられた生活は特に問題なく続いている。
俺への装備は日に日に豪華になるが、どう見ても盗品みたいな姿である以外は何も問題ない。バックヤードに置いている在庫みたいなダンボールが積まれてるんだよな……。
でもそれ以外にも、俺を抱っこしながらドラッグストアにいってベビーフードの棚をうろつきながら「陽火は何食いてえ?」と俺の意見を聞こうとしてくれる。
実は俺くらいの子供って何が好きかとか無いんすよ。知らないんです、“味”というものを……。でも俺は転生者なので知ってます! パパ俺肉じゃが食べたい!
俺は毎日日替わりでいろんなベビーフードを食べられるようになったし、パパも俺のごはんをあたためるついででパスタやレトルトを作って食べるようになった。
おなかいっぱいになったら一緒にお昼寝をするし、でっかいテレビで教育番組を見せてもらえるようにもなった。なんて優雅な生活だ……。俺が健やかに生きる、それが親孝行だろう……。
俺は毎日たいへん可愛がられてすくすくと成長中。パパは、自分のクローンをたくさん並べて、その中から本物のパパを当てるクイズをするのが好きだ。毎日やらされている。
リビングに同じ顔、同じ服、同じ声のパパがずらっと並び、「さあ陽火、本物のパパはどれだ!」と両手を広げる。俺はありがたいことにだいたい本物のパパが分かる。理屈は分からない。匂いなのか、呼吸なのか、俺を見る目なのか、それとも本当に父子の縁とかいう謎センサーがあるのかは知らないが、同じ顔が何人並んでいても、なんとなく「こっちだな」と分かる。
よちよちと本物のパパのところへ向かうと、本物パパは「当たり! すげえ! 陽火は俺のことが大好きだなあ!」と、それはもう大喜びで俺を抱き上げ、くるくる回され、頬ずりされ、ほっぺにちゅっちゅされ、「俺のこと分かるんだもんなあ、俺の陽火だもんなあ」と蕩けた顔で笑われる。
パパが嬉しいなら何よりです。何よりですけど、正直これはけっこう緊張感があるので、ちょっとやめてほしい。
もし俺が間違えたらどうなるんだ。クローンの方に向かってよちよち歩いてしまったら、パパのメンタルがボロクソになる未来しか見えない。
「俺のこと分かんねえのか……?」とこの世の終わりみたいな顔をされる可能性が高すぎる。しかもクローンたちもクローンたちで、「俺が本物だぞ!」「陽火、こっち来いよ!」「なんでそっちなんだよ!」「俺もパパだろ!」と口々に不満を申してくる。
圧が強いんだよなあ。全員同じ顔で、全員俺に向かって両手を広げてくるので普通に怖い。
愛されているのは分かるが、愛の確認方法が毎回ちょっとした儀式。自己同一性の補強を、俺でやらないで……。
俺は本物のパパの胸にしがみつきながら、「ぱぱ」ともう一度呼ぶ。
するとパパは「そうだなあ、パパだなあ」とでれでれに笑い、クローンたちは「ずりいぞ俺!」「俺も抱きてえ!」「俺ばっか得しやがって!」と騒ぎながら、最終的にはどろりと消えていく。
本物当てクイズは、今のところ全勝だ。これからも勝ち続けるしかない。赤ちゃんってのも気を使うから大変ですよ、ほんと。
時々、パパwithクローン達が返り血と思われる血まみれで帰ってきたり、盗品と思われる時計や宝石やよく分からない高そうな壺などが部屋の隅で妙な存在感を放っていたりするくらいで、俺たちの暮らしはおおむね平和だった。
少なくとも俺は腹いっぱい食べ、綺麗な服を着せられ、毎晩あたたかい布団で眠り、パパにべたべたに甘やかされながら育ち、パパも電話越しに酷いことを言われたり酷い目にあうこともなくなったらしい。すこやかハッピー親子ライフだ。
古アパートの湿った空気も、くたくたおうどんだけの日々も、夜中にベビーベッドを覗き込むパパの壊れかけた目も、遠い昔の悪夢みたいに薄れていく。
しかし俺の中身は前世持ちなので、幸福な赤子生活の片隅でうっすら分かってしまう。“社長”の財力は有限だろう、と。
この部屋が持ち家だったとして、固定資産税とか管理費とか修繕積立金とか、電気ガス水道代とか、そのあたりが“社長”の口座から自動で引き落とされていたとしても、口座残高というものはいずれ尽きる。
社長本人はもうこの世にいない。働いて収入を得ることもない。パパがどこかからお金や金目のものを持って帰ってくるとしても、それは安定収入とは呼ばない。その恐怖をうっすら自覚しながら、それでも俺は愛情いっぱいにすくすくと育っていった。
そして、気づけば四歳。四歳の俺は、もう赤子ではない。こんにちは、幼児です。
頭の重さに負けて後ろへごろんと転がることも減り、歩行にもかなり安定感が出てきた。
ソファから床へ降りる時も、昔のように命懸けではない。両手を広げてよちよち進む必要もない。小走りだってできる。まあ調子に乗ると普通に転ぶが、それは大人でも転ぶ時は転ぶので問題ない。おしゃべりだってだいぶ得意になった。
今では「ぱぱ、だっこ」「ごはんたべう」「てれびちけて」くらいは言える。教育番組に合わせて踊ることも可能だ。これはパパへのサービスダンス。俺がぷりぷりと尻を振ると、スマホの連写音が響き渡り、「かっ……わいぃ……」と万感の想いが言葉となって絞り出される。
本当に平和なんだよな……。治安は悪いんだろうけど……。
そんなことを考えながら、部屋の隅に放り出されていた宝石を手のひらの上でころころ転がしていた。
どこかから持ってきた盗品なのだろう。俺は四歳なので鑑定書の無い宝石の価値なんて分からないが、きらきらしていて、冷たくて、固くて、いかにも高そうだということくらいは分かる。
これがたくさんあれば、しばらくは安泰なのになあ。そんなことを考えながら明かりに透かしていると、背後から「陽火、それ好きか?」とパパの声がした。
「きらきらしゅき」と答えると、パパは「そっかあ」と嬉しそうに笑い、俺の手から宝石を受け取る。それから、いつも持ち歩いているメジャーを取り出して縦横を測り、厚みを確かめ、手に取って明かりに当てたり、硬さを確かめるみたいに爪でこつこつ叩いたりした。
何をしているのかと思って見ていたら、その宝石を片手で包み込む。ほんの一瞬、手の中で何かがぶれるように見えた気がした。
次に開かれた手のひらには、同じ宝石がふたつ乗っていた。「わ」俺が素直に驚くと、パパは得意げに胸を張る。
「パパの個性は二倍だからな。ふたつまで増やせるんだぜ」
個性。俺の知っている単語とは少し違う意味を持つ言葉なのだと、テレビの情報でなんとなくは分かっていた。
この世界では、人によってはそういう不思議な力を持っている。火を出したり、身体の形が違ったり、物を動かしたりする。それが個性と呼ばれているらしい。
「本物にはなんねえけどな。パッと見、同じもんは作れるって話だ」
パパはそう説明しながら、ふたつになった宝石を俺の前で揺らしてみせた。本物にはならない。つまり、完全な価値までは写せないのかもしれない。けれど、俺の目には同じものに見えた。両手をぱちぱち叩いて、「すごおい」と素直に感嘆。
パパはその一言で、もうこの世の王様みたいな顔になった。
「だろ? パパすげえだろ?」
すごい。ひとつのものを二倍にする。ということは、だからパパのクローンたちはどんどん増えていたのか。
パパが自分を二倍にして、そのクローンもまた二倍を使って、そのクローンのクローンもさらに二倍を使っていく。え。これ、いずれ世界をパパが覆い尽くすことも可能なのでは?
俺の脳裏に、前世で見たドラえもんの栗まんじゅう無限増殖編がよぎった。あれは最終的に宇宙へ捨てていた気がする。ドラえもんで一番の地球の危機、うちのパパがそれできるんだ……。
俺もパパの子なら、同じことができるんじゃないか? ふと、そんなことを思って宝石をひとつ手に取ると、両手の中に大事にしまいこみ、増えろ、増えろ、と念じながらこねこねして両手をぱかっと開いた。
「あい!」
…………増えてる………。手のひらの上に、同じ宝石がふたつ乗っていた。
「うおおおおおお!!?」
パパが一度派手に仰け反り、そのまま床に後頭部をぶつける。ごんっ、という鈍い音がしたので「ぱぱ!?」と慌てた瞬間、パパは反動でばねみたいに戻ってきた。
「おま、お、ええええ!? コネコネしただけで!? 持っただけで出来てんの!? どこまで天才なのよ我が子!!」
「ふえちゃ」
「増えまちたね!?」
理論は……分からない……。分からないが、できた。できてしまった。俺はもう一度、手のひらの中で宝石をこねこねしながら、増えろ~~と念じる。ぱかっと開く。
「ふえちゃ!」
「増えまちたねえええ!?」
パパが両手で頭を抱えたあと、すぐに俺を抱き上げて、ほっぺに何度もキスをした。「すげえ! すげえぞ陽火! パパの子だ! いやパパよりすげえ! 天才! 世界一!」すごいすごいと褒められて、俺もにこにこした。これで安定した経済基盤ができるかもしれない。
俺はこの家の平和を守る四歳児として、たいへん重要な労働力を手に入れたのである。
しかし、調子にのって宝石をむっつほど増やしたあたりで、だんだん目の奥がとろとろしてきた。身体が重い。まぶたが落ちる。
パパが「陽火?」と呼ぶ声が遠くなる。俺は返事をしようとして、「んむ」とよく分からない音を出し、そのままこてんと横になった。ちょっと眠るだけ。そう思った。あまり深刻なことだとは思わなかった。
幼児って、眠る時は本当に突然シャットダウンするみたいに眠くなるし。
パパの手が俺の頬に触れて、「陽火? おい、陽火?」と何度も呼んでいる。その声が焦っていることには気づいたけれど、返事をするための口も、手を伸ばすための腕も、もう眠気の中に沈んでいた。
大丈夫だよ、ちょっと寝るだけだよ。そう伝えたかったのに、ねむすぎて舌が動かない。視界の端で、パパの顔が一気に青ざめたのが見えた気がした。
次の瞬間には、俺の身体が抱き上げられて、どこかへ運ばれていく感覚だけがぼんやり残る。揺れる。パパの心臓の音が近い。何人もの足音がする。誰かが怒鳴っている。けれど、それも全部、水の中で聞く音みたいに遠くなって、俺はそのまま意識の底へ落ちていった。
次に目を覚ました時、俺は知らない天井の下にいた。白い。けれど、明るい病院というより、なんだか薄暗くて、地下にある秘密の診療所みたいな雰囲気だ。
あとで知ったことだが、だいたい闇医者みたいなものらしい。隣には顔色を悪くしたパパがいた。俺が目を開けた瞬間、パパは息を呑んで、それからぐしゃっと顔を歪める。
「ごめんな、ごめんな、陽火。パパが悪かった。考え無しでごめんな」
起きたばかりの俺には、何が起きたのか全然分からない。
眠くなって、寝て、起きたら病院。けれど、パパがぐすぐす鼻を鳴らしながら、涙でべちゃべちゃになった顔で謝り続けているので、俺はとりあえず手を伸ばした。
「ゆるちゅよ。パパわるくないよ、よしよし、いーこいーこ。パパはいーこ」
まだ身体がちっちゃいので、小さな腕でパパの頭を包むようにぎゅっと抱きしめると、パパはまたわんわん泣いた。
いまのところ、俺がパパを上手く慰められたことは一度もない。慰めようとするたびに泣かれる。
しばらくして、診察室の扉が開いた。白衣を着た医者が、カルテらしきものを片手に入ってくる。夜の裏道で怪我人を縫っていそうな雰囲気の人だったが、俺を見る目は案外まともだった。
医者はベッドの上で目を覚ましている俺を確認すると、ほっとしたように息を吐き、それから隣で青ざめているパパへ視線を向けた。
「目が覚めたなら、ひとまず大丈夫だろう。個性の初発だ」
どうやら俺にも“個性”が発生したらしい。個性にはデメリットがあるものもあって、俺の場合は使い続けると強い眠気が出るのだという。
今回は眠っただけで済んだからよかったものの、ものによっては身体が個性に耐えきれず、事故になったり、大怪我をしたり、意識不明になったりすることもある。特に幼児の個性は、本人が加減を知らないぶん危ない。だから親がちゃんと注意しなさい、と医者はパパを叱った。
パパは何も言い返さず、膝の上で握った手を震わせながら「すんません」と小さく呟く。俺はむっとした。違う。違います。これはパパがやらせたわけじゃない。俺が勝手にやったのだ。
俺はベッドの上でよいしょと身体を起こし、パパの前に出るように身を乗り出した。「おれがやったの! パパはわるくないれしょ!」医者は少し驚いた顔をしたあと、俺とパパを見比べた。それから、ふっと表情を緩めて「良い子に育ててるね」と言った。
パパは俯いたまま、小さな声で答える。「俺に似なくて、良い子なんです」俺は思わず目を丸くした。
俺、けっこうパパ似だと思うんですが!? 俺は抗議の気持ちを込めて、パパの袖をぎゅっと掴んだ。
「おれ、パパににてるれしょ! そっくちれしょ!」
そう言うと、パパは一瞬だけ息を止めて、それからまた泣きそうな顔で笑った。肯定してくださいよ、かわいい息子がこう申しておりますよ!
形や材質だけでなく、重さ、色、傷、古び具合までそのまま写し取るため、原本が新品なら新品が、壊れかけなら壊れかけの物が出てくる。
数に決まった上限はないが、使えば使うほど強い眠気が出る。複雑な物や大きな物ほど負担が大きく、無理に使い続けるとその場で眠ってしまう。
複製品の耐久度は原本とほぼ同じなので完全な複写品といえる。
父方の「複製する力」と、母方の「物の形を記録する力」が混ざって生まれた個性で、何かを一から作るのではなく、実在する物を写して増やす個性。そのため、補給や偽装、潜伏には強いが、原本のない物や、形を変えた改造品を作ることはできない。

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