ふわふわは幸せなので

「だってラギー、寮長と付き合ってるんだろ? 」

「は? 頭沸いてます? 」

「殴り掛かりながら言うことか!? 」

 話の発端は、俺たちの年齢に相応しい、たいへん可愛らしい恋バナからだった。放課後、サバナクロー寮の談話室でだらだら時間を潰しながら、どういう子が好きだとか、顔と性格ならどっちを取るだとか、付き合うなら同級生と年上どっちがいいだとか、そういう翌朝には半分くらい忘れてそうな取りとめのない話をしていたのである。
 窓の外では乾いた風に木々がざわざわ揺れていて、開け放した窓から入り込んでくる熱気に混じって、どこかで昼寝している寮生のいびきまで聞こえていた。

 そんな平和極まりない空気の中で、俺が何気なく「髪がふわふわな子が好きかな」と話したら、向かいで椅子の背もたれにだらしなく寄り掛かっていたラギーが、ぴこん、と丸い耳を立てた。

 それから自分の前髪を指先で摘まんで、いつもの悪戯っぽい顔で、「じゃあオレっスね。シシシッ」と笑ったのである。

 だから俺も、ごく自然な流れとして「いやお前には寮長いるじゃん」という意味の返答をした。ただそれだけだった。まさか椅子から飛び上がる勢いで胸倉を掴まれ、拳まで振り上げられるとは思わなかった。
 恋バナってもっとこう、頬杖つきながら照れ笑いしたりするやつじゃないか? 突然の殺意にびっくりだよ。

「いやいや、だってお前、寮長と同じシャンプーのにおいすんじゃん! あんな高級セレブ御用達の、1回5000マドルくらいしそうなシャンプー、恋人でもなければ使えないだろ!! 」

「レオナさんが捨てるって言ったボトルにこびりついてるやつを、水で8倍くらいに希釈して使ってるんスよ! 」

「惨めが過ぎる……」

「うるせえっスね。タダで使えるもん使って何が悪いんスか。それでも寮の共用のやつより髪の毛ふわふわになるから、すげえよな。なに使われてんだろ。処女の生き血でも混ぜられてそう」

「黒魔術~~」

 胸倉から手を離したラギーが、何言ってんだこいつ、とでも言いたげに鼻へ皺を寄せる。頭の上ではハイエナの耳がまだ不機嫌そうに外側を向いていたが、それより俺は「8倍希釈」の方が気になって仕方なかった。
 高級シャンプーを薄めて使う発想までは分かる。いや、分かりたくはないけどラギーならやる。ただ、ボトルの底やポンプの管に残った分をわざわざ水で溶かして回収し、それをさらに8倍まで引き延ばしていると聞くと、もはや節約というより抽出作業じゃないか。
 故郷じゃ食べられる草ならだいたい口に入れてきた、と笑っていた男は、王族の残留シャンプーまで余さず生活資源へ変換するらしい。たくましいことだ。共用シャンプーなら無料だから、それを使えばいいのに。

 とはいえ、言われてみれば確かにラギーから漂う香りは、レオナ寮長のそれとまったく同じではない。レオナ寮長とすれ違ったときにするのは、乾いた草原みたいな香りの奥へ、素人でも分かるくらい露骨に高級そうな甘さが重なった匂いだ。
 あの人の場合、香水なのかシャンプーなのか、それとも王族は生まれつきそういう匂いがするのか俺には判別がつかない。

 一方、目の前のラギーからするのは、まず太陽に焼かれた制服と砂埃と、食堂から拝借してきた揚げ物の残り香があって、そのずっと奥、向こう2つの山を越えた彼方から「実はオレ、元は高級品です」とセレブが小さく手を振っているような匂いだった。

 なるほど。これをレオナ寮長と同じ匂いって言っちゃダメだな……。レオナ寮長に失礼になっちゃうな……。あとシャンプーにも失礼だな……。

「そもそも、同じシャンプーのにおいなら付き合ってるって理論がめちゃくちゃなんスよ。その理屈でいくなら、寮の共用シャンプー使ってるやつら全員付き合ってるってことでしょ? さすがにそこまでインモラルになってたら、レオナさんもダッシュで卒業っス」

「『レオナさんもダッシュで卒業』を慣用句にするな」

 留年してる本人が聞いたら普通に機嫌悪くしそうだぞ。いや、でもラギーは本人の前でも平然と言いそうだな……。遠慮無いもんな……。
 あの二人の距離感は未だによく分からない。主従っぽいときもあれば、ラギーが一方的にレオナ寮長を金づるとして見ているような瞬間もある。たぶん全部なんだろう。サバナクローでは細かいことを気にした方が負けだ。

 そういえば、と改めて目の前のラギーを見る。
 最近、あちこち好き勝手な方向へ跳ねていた髪が、どことなく以前より柔らかそうになった気がする。前は寝起きなんか特にひどくて、本人がどれだけ手櫛で押さえても後頭部の一房だけ意地でも天を目指していたのに、今は毛先こそ相変わらず自由だが、全体的に空気を含んでふわっと丸い。
 8倍希釈でこれなら原液はどうなるんだ。レオナ寮長の髪なんて触った瞬間に指が天国へ召されるんじゃないか。

「触っていい? 」

「どうぞ」

 聞けばラギーは拍子抜けするくらいあっさり許可して、椅子に座ったまま少しだけ頭をこちらへ傾けた。
 ぴこ、と片耳まで一緒に傾く。触りやすくしてくれたらしい。素直だな。こういうところだけ見ると、本当に愛嬌のあるヤツなんだけどな。食堂で人の皿から肉を攫う速度とか、落ちてる一マドルを見つけたときの眼光とか知らなければ。

 遠慮なく頭へ手を置く。指先を入れた瞬間、お、と声が漏れそうになった。
 前はもっと乾いていて、指を通すたびに細い毛がところどころ引っ掛かったはずなのに、今日はするすると根元まで指が入る。獣人だからなのか元々毛量も多く、掬い上げると手の中でふわっと膨らんで、そのまま離せば軽く跳ねて元の形へ戻った。見た目以上に柔らかい。表面だけじゃなくて、中の方までちゃんとさらさらしている。

 すげえ……。

 さすが王族御用達ヘアケア……!

 8倍に薄められてなお貧民の髪質をここまで改善するのか。文明ってすごい。いや、文明というより金の力かもしれない。一本いくらするのか知らないが、あのボトルの底に残った数ミリリットルだけでこの効果なら、たぶん俺が普段使ってるシャンプー十本より高い。

 楽しくなって、前髪をふわふわ、頭頂部をふわふわ、後頭部もふわふわしていたら、最初はされるがまま椅子に座っていたラギーの耳がだんだん横へ倒れていった。
 頬杖をついていた口元からも笑みが消え、尻尾まで椅子の脚へぱし、ぱし、と当たり始める。あれ。なんか機嫌悪くなってない?

 触りすぎたかと思って手を引こうとしたところで、頭がぐいっとこちらへ押しつけられた。

「もっと撫でて」

「え、あ、はい」

 命令された。仕方なくまた手を戻して、今度はちゃんと掌全体で頭を撫でる。額の少し上から後頭部へ、毛並みに沿ってゆっくり手を滑らせると、さっきまで不機嫌そうに伏せていた耳がぴく、と動いた。
 いや、初めから撫でてたわけじゃないんだけどな。俺がやってたのはどちらかというと毛質検査というか、高級シャンプーの性能確認というか。ラギー自身を愛でていたつもりはあんまりない。

「あんたが、ふわふわの方が気持ちよくて好きって言ったんじゃないっスか。なんだよ、わけわかんねえの……」

「好きだよ、ふわふわ」

「じゃーどうしてオレのふわふわは褒めねえんスか。よりにもよってレオナさんと付き合ってるって。あーあ、名誉毀損でオレが死んだら、末代まで呪ってやりますからね! 」

 王族への名誉毀損は死なの!? いや、そうだな……冷静に考えたらそうだ。寮長が俺達に優しいから忘れてたけど、あの人マジで偉い人だった。

 ラギーはサバナクローのNo.2としてあの人の1番近くにいるから、そういうのもよくわかっているんだな……。
 いや、待て。そんな偉い人の捨てるはずだったシャンプーをパクって8倍希釈して使ってるの、普通に不敬では……? ていうか俺、この前こいつが「レオナさんももう忘れてるから良いんスよ」ってでかい宝石のついたネックレスをぽっけないないしてるの見たぞ。それを許されてるならもう何言っても死を賜わることはないだろ。無敵だよこいつ。

 考え込みながらふわふわの頭を撫でていると、さっきまで横へ寝ていたラギーの耳が、ぺち、ぺち、と俺の手のひらへ当たり始めた。
 撫でるたびに当たるんじゃなくて、耳の方から狙って叩いてきている。完全にハエを追っ払うときと同じ動きだ。

「褒めてくんないなら触るの禁止」

「ふわふわ! 指通り神! 一生触れる質感! 」

「もっと」

「努力の証! 可愛いよ! 超好み! 」

「ちょーしいいやつ」

「ふわふわ失礼しま~す」

 シシシッ、と歯を見せて笑ったので許されたと思う。
 むしろさっきより頭をこっちへ寄せてきたので、たぶん正解だった。こういうときのラギーは分かりやすい。ほんとに嫌なら俺の手首なんか簡単に捻り上げるし、それでも離さなければ躊躇なく人体急所へ攻撃を入れて脱出するやつなので、こいつが大人しく椅子へ座ったまま俺に頭を預けている時点で、これはもう完全に合意の下で行われているふわふわである。安心安全の両者合意。

 褒めた甲斐があったのか、機嫌を直した耳が今度はゆるく立っている。
 指を入れて髪を梳けば、さらさらした毛が指の隙間を抜けていって、手を離すとまたふわっと膨らむ。何回やっても面白い。

 ラギーは頬杖をついたままされるがままになっていたが、しばらくすると、何か言いたそうにちらちらこちらを見始めた。俺が気付いてもあえて聞かずにいたら、とうとう我慢できなくなったらしい。ふん、と鼻を鳴らしてから口を開く。

「あのねえ、オレが髪の毛ふわふわにしようって頑張ってた意味わかってます? 」

「俺の好みに合わせたかったから? 」

「ぶん殴ってやろうかな。そこまで分かってたら言うことないんスか」

「どうしようかなあ」

「ぶっ殺すぞ」

 こわ。恋バナの最中に殺害予告を受けている。

 でもまあ、そこまで言われればさすがに分かる。分かるというか、最初の「じゃあオレっスね」の時点でもしかしてとは思っていた。ただ、そんな都合のいい話ある? と俺の中の常識が必死になって止めていただけだ。

 いやあ、朽木に虫のような幸運を得てしまったので、俺もどうしていいのか分かんないんだよな。

 だって俺、結構長いこと失恋してるつもりだったので。

 好きになったのはいつだったかなんて、もうよく覚えていない。
 気付いたら食堂でラギーを探すようになっていたし、廊下ですれ違えば一日ちょっと機嫌が良かったし、向こうから声を掛けられただけで、しょうもないことで笑える程度には浮かれていた。

 でも、そのすぐ近くにはいつもレオナ寮長がいた。ラギーはあの人の食事を用意して、起こして、課題を催促して、頼まれれば用事を済ませて、面倒くさいと言いながら結局いつも一番近くへいる。
 レオナ寮長もレオナ寮長で、他の寮生なら即座に窓から投げ捨てられそうなことをラギーには普通に許している。俺視点からはどの角度で見ても特別だった。

 しかも相手は第二王子で、金持ちで、顔がよくて、強くて、頭もよくて、マジフトもめちゃくちゃ強い。対して俺は俺である。得意なことはバスケだけど、これだって普通にジャミルやフロイドの方が上手い。何の勝負をしても1等にはなれないけど、平均よりちょっとだけ上という微妙な男だ。勝負の舞台に上がる前から帰宅していいくらいの戦力差じゃん。

 だから勝手に諦めた。
 ラギーに好きな相手がいるなら邪魔する気もなかったし、よりにもよって相手がレオナ寮長なら、俺が何かしたところでひっくり返るわけもない。
 今まで通りくだらない話をして、一緒に飯食って、たまにこいつが俺の財布から小銭を抜こうとするのを阻止できれば、それで充分だと思っていた。

 それが今日になって突然、実はお前の好みに合わせるために髪をふわふわにしてましたよ、なんて答えを目の前へ叩きつけられている。

 無理だろ。

 心の準備とかそういうの全然してない。

 いま俺の中で、半年くらい前に埋葬したはずの恋心が土をぶち破って墓から出てきてる。めちゃくちゃ元気。むしろ生前より元気。怖い。

 しかも当のラギーはそんな俺の内情なんか知らず、まだ答えを待っている。さっきまで気持ちよさそうにしていたくせに、俺が黙り込んだせいで耳がまたじわじわ横へ倒れてきた。まずい。拗ね始めてる。何か言わなきゃいけないのは分かっているのに、こういうときに限って口が動かない。

 代わりに手だけはずっと動いている。

 やばい。

 今の俺、手汗やっべえ。

 さっきまであんなにさらさらふわふわだったラギーの髪が、俺が触っているところだけ若干ぺそぺそしてきている気がする。頼むから気付かないでくれ。好きなやつが自分のために髪をふわふわにしていたと知った直後、そのふわふわを手汗で台無しにした男として歴史に名を残したくない。

 仕方がないので、とりあえず自分に言える範囲から言うことにした。

「俺の好み、髪の毛ふわふわで、強欲で、強いやつ」

「……レオナさん? 」

「出身はスラム街」

「オレっスね。なんで一回突き放したんスか許さねえ泣くかと思った」

「いっだあ! マジの肘打ちやめて! いや、この流れで寮長にいくとは思ってなかったんだって! 」

「サバナクローで一番強欲でつええ存在でしょうが! 」

「そうだな! 」

 ぐうの音も出ない。

 そうだった。俺がラギーのことを説明しようとして挙げた長所、レオナ寮長がだいたい上位互換で持ってる。

 髪がふわふわ。レオナ寮長もふわふわ。

 強い。言うまでもなく強い。

 強欲。たぶんサバナクローで一番強欲。何しろ王位まで欲しがってる。

 だめだ。条件を増やせば増やすほど寮長の解像度が上がる。俺はいま好きなやつへ告白するつもりで、その好きなやつの雇い主を詳細に説明している。格好よく告白できない!

 横腹を押さえて呻いていたら、ラギーが呆れたようにため息を吐いた。それから椅子の上でくるりと身体ごとこちらを向き、俺の顔を下から覗き込んでくる。灰青色の目がものすごく近い。さっきまであれだけ口が回っていたくせに、こんなときだけ心臓が急に仕事を思い出したみたいにうるさくなった。

「回りくどいこと言わずに好きって言うんスよ! 」

「好き! 」

「よし!!! 」

 告白というものはもう少し、こう、夕暮れの中で二人きりになったり、緊張して言葉に詰まったり、相手の返事を待つ数秒が永遠みたいに感じられたりするものだと思っていた。少なくとも、好きな相手から「好きって言え」と命令されて反射的に叫び、その本人から「よし!!! 」と現場監督みたいな承認をもらうものではない。

 でもラギーは満足したらしい。腕を組んで、ふん、と鼻を鳴らしながら、口元だけは抑えきれないみたいににやにやしている。完全に勝者の顔だ。

 なので俺は敗北者として大人しく頭を下げた。

 最初に惚れたやつが負けだというなら、俺は最初からずっと負けっぱなしだったんだから、今さら一敗くらい増えたってどうということはない。というか、こいつがこんな嬉しそうな顔してるなら、もうそれでいい。

 そう思っていたら、腕を組んだままそっぽを向いたラギーが、耳だけこっちへ向けながら、聞き逃してもおかしくないくらいの小さな声で「オレもすき」と言った。

 凄い小声だったが、聞き返したらたぶん蹴られるので、何も言わなかった。これからも聞く機会は、たぶんきっと、何回もあるし。あって欲しいし。

 代わりにもう一度だけ頭へ手を伸ばすと、今度は耳も逃げなかった。掌の下で柔らかい髪がふわっと沈んで、指の間からさらさら零れていく。8倍希釈の高級シャンプー。本人なりに頑張ったらしい、俺の好きなふわふわ。

 胸の中までずっとふわふわしている。ほんと、しあわせだ。

 

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