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マラカッチ ♂レベル5
ひかえめなせいかく で にげるのがはやい
ないたあかちゃん を はなびらのまいで なきやませるのが とくい
はやく いっしょ に バトル しようね
友人はポケモンに詳しい。旅先で見かけたポケモンの名前はだいたい分かるし、知らないポケモンでも足跡や鳴き声から何タイプかくらいは当てる。俺が中古で買った図鑑に間違った説明が載っていたときも、進化前と混同しているんじゃないかと気づいたのはこいつだった。弱点だの特性だの、どの地方ではどう暮らしているだの、聞けば大抵のことは返ってくる。
そのくせ、手持ちは一匹もいない。家にもいないし、ボールすら持ち歩いていないので、そういう主義なのかと思って聞いてみたことがある。ポケモンを戦わせるのが嫌なのか、それとも捕まえて連れ歩くのが好きじゃないのか。
友人は少し考えてから眼鏡を外して、シャツの裾でレンズを拭いた。んー、そんな、主義というわけでもないんだけど。そう前置きして、別に隠していたわけでもないのに、なぜか内緒話でもするみたいな声になった。それから、うちにマラカッチがいたんだ、と俺の質問とは少しずれたところから話し始めた。
俺が生まれるより前からいたらしい。親父が若い頃、仕事先でもらってきたとか、母さんの知り合いから譲られたとか、そのへんは聞くたびに話が変わるからよく知らない。たぶん両親も細かいところは忘れたんだと思う。
マラカッチ自身はどうでもよさそうだったらしいし。バトルなんか一回もしたことがなくて、外へ出るときも家族について散歩するくらいで、レベルなんて5とか6とか、その程度だったんじゃないかな。
俺が生まれてからは、ベビーベッドの横にいることが多かったって。赤ん坊が好きだったのか、俺が好きだったのかは知らない。写真を見ると、だいたい俺の近くにいる。俺が毛布を蹴飛ばして寝ていて、その横でマラカッチが窓を見ている写真とか、庭で母さんに抱かれている俺の足元に立ってるバンザイしてる写真とか。赤ん坊の俺は当然そんなの覚えてないけど、母さんは、あんたがもう少し大きくなったらこの子を連れて歩くんだと思ってた、とよく言ってた。マラカッチもそう思ってたのかもしれない。知らないけど。
十五年前、家が火事になったんだ。原因は台所の配線だったらしい。夜中で、親父と母さんは一階にいて、俺だけ二階の奥の子供部屋に寝かされていた。俺、夜泣きとかあんまりしなかったらしいんだよな。育てやすい子だった、ってかんじ。
火は台所から廊下に回って、古い家だったから燃えるのが早かった。親父は階段を登ろうとして煙を吸って、近所の人に止められて、母さんは外でずっと俺の名前を呼んでたらしい。消防が来たころには、二階はもう煙で入れる状態じゃなかった。それで、消火が進んでから消防士がベランダから俺の部屋に入った。正直生きてると思ってなかったってさ。あとで母さんが聞いたらしい。俺の部屋だけ、床が水浸しだった。壁もベッドもびしょびしょで、カーテンなんか水を吸って重たくなってた。
ドアのあたりには花びらが山ほど落ちていて、焼けた廊下から部屋へ入ろうとしていた煙が、そこだけ妙な方向へ流れてたって。窓は割れていたけど、火事で割れたんじゃなくて内側から何度も何かをぶつけたみたいな割れ方だったらしい。
俺は濡れた毛布にくるまって寝ていた。泣いてたのか、もう泣く力もなかったのか、それは誰も覚えてない。でもいまもこうやって元気だし、寝てただけなんだろうな。わかるだろ、俺って結構ずぶとい性格だから。
マラカッチは廊下で見つかった。たぶん、最初は俺の部屋にいたんだと思う。マラカッチって、ちょすいの特性を持ってる個体がいるだろ。あいつがそうだったらしい。雨の日なんかとてつもなく元気になって、庭に出すといつまでも帰ってこなかったって。
どれくらい水を溜めていられるのか知らないし、そもそもポケモンの特性をそんなふうに考えていいのかも分からない。でも俺の部屋にあった水は、どこからともなく水道管が破裂したものじゃなかった。消防が調べてる。花びらも、家に飾ってあった花じゃない。
だからまあ、そういうことなんだと思う。ずっと身体に溜め込んでいた水を全部使ったんだろうな。ベッドも床も壁も、燃えそうなものを片っ端から濡らして、それでも煙が来たから、はなびらのまいを使った。あの技は風を起こす技じゃないけど、花びらをあれだけ動かせるなら空気だって多少は動くんじゃないかって、昔、研究所の人が話を聞きに来たことがあった。
俺は覚えてないよ。母さんから聞いただけ。それで足りなくなったのか、部屋を出た。火が来てるほうへ。たぶん火元に行こうとしたんじゃないかって親父は言ってたけど、それも分からない。何をしようとしていたかなんて、もう聞けないし、これだけ勉強してもポケモン語とかわかんないし。聞く相手いないし。
新聞にも載ったよ。地方欄の、ほんとに小さい記事。古い新聞を図書館で探したらまだ残ってた。住宅火災、乳児一名を救出。同居のポケモン一匹が死亡。そんな程度。その下にもう少しだけ書いてあって、乳児の発見された部屋には大量の水と植物の花弁があり、死亡したマラカッチが技を使用した可能性がある、って。
記事を書いた人も、たぶん何が起きたかは分かってたんだと思う。写真もないし、名前すら載ってない。俺が赤ん坊だったことと、一匹死んだことだけ。
マラカッチは草タイプだろ。草単一。炎なんて、どう考えたって嫌だったと思うよ。野生なら山火事が起きたら真っ先に逃げる側だし、熱い場所が得意なポケモンだからって、燃えるのが平気なわけじゃない。
うちのもコンロの火を嫌がってたらしい。母さんが料理してると台所に入ってこなかったって。同じレベルのヒトカゲからも逃げてたから、こいつはバトルに向かないなって話してたって。だから十五年前のあいつが何を考えて廊下へ出たのかは、俺には分からない。怖くなかったなんて思わないよ。怖かっただろ。たぶん死ぬほど怖かった。それでも、俺の部屋には煙がほとんど入らなかった。俺の肺にも後遺症はない。身体に火傷もない。
動画とかも全部燃えちゃったしさ、焼け残ったアルバムの写真の中にいるマラカッチしか知らない。でも、俺の相棒になるはずだったんだって。母さんが言ってた。
俺が歩けるようになったら一緒に散歩して、もう少し大きくなったらボールを持たせて、学校へ行く歳になったら正式に俺のポケモンにするつもりだったって。バトルなんてしなくていい、レベル5のままでもいい。そういう相棒になるはずだった。
俺がポケモンに詳しいのは、最初はマラカッチのことを調べたかったからだよ。ちょすいでどれだけ水を吸えるのかとか、はなびらのまいを何レベルくらいで覚えるのかとか、炎タイプの技を受けたらどれだけ痛いのかとか。
調べても十五年前のことが変わるわけじゃないけど、子供の頃は、何か一個くらい分かると思ったんだろうな。そのまま他のポケモンのことも調べるようになった。それだけ。別にポケモンが嫌いなわけじゃない。むしろ好きだよ。見てるのも触るのも好きだし、いつか相棒が欲しいなと思ったことも何回かある。ただ、ボールを買おうとすると、なんか違うなってなる。相棒を探そうと思うと、もっと違う。たぶん俺の中では、そこだけ十五年前にもう決まっちゃってるんだろうな。
弱っちいマラカッチだったんだよ。ほんとに。バトルもしたことないし、たぶん野生のポケモンと喧嘩したって負けてたと思う。でも俺、好きなんだよな。そいつのこと。一個だけ覚えてることがあるから、逆に忘れられないのかもしれないな。
アーモンドの花が、たくさん降っていた気がする。白いのや、少し薄桃色のやつが、目の前をふわふわ通っていって、俺はそれを取ろうとして何度も手を伸ばす。まだ指がうまく動かなかったから、掴んだつもりでも手の中には何もなくて、それがひどく悔しかったことだけは覚えている。
花びらが頬に触れたのか、毛布に落ちたのか、そのへんはもう曖昧。見えないところでポケモンが笑っていた。たぶんマラカッチだったんだと思う。どんな声だったかも、本当に笑っていたのかも分からない。ただ、花が降っていて、俺は何度も手を伸ばしていて、そのたびにどこかで楽しそうな声がしていた。それだけが、夢みたいに残ってる。たぶん、あれが俺たちのさよならの思い出だった。
友人はそこまで話して眼鏡をかけ直した。レンズにはまだ端のほうに少しだけ曇りが残っていたけれど、もう拭かなかった。
俺も、最初に何を聞いたのだったかを言い直さなかった。友人の机にはポケモン図鑑が何冊も並んでいて、スマホには野生ポケモンを見かけたときの写真が山ほど入っている。それでもモンスターボールはひとつもない。十五年前の新聞の地方欄には、名前も載らなかった一匹のマラカッチがいる。友人はその話を終えると、それきりだった。

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