体育祭は、結局シリアスな気分になれないまま終わった。久しぶりに見た実父の、なんとも言えない恥ずかしい行動が頭に焼き付いてしまい、あの瞬間の顔の熱さは忘れられない。変な角度で焦凍に申し訳なさを覚えてしまったな……あのテンションの父親と同じ家で暮らしてきたのは、さぞかし辛かっただろうと。
その後も、何とも言えないもやもやを抱えたまま数日が過ぎた。世間ではステイン事件の話題で盛り上がり、ニュースは朝から晩までヒーロー殺しの特集を垂れ流している。俺が目を離している間に、ヒーローは何人も殺され、最終的にどこかの街の一角が半壊。物騒な見出しが紙面とネットを埋め尽くしているのに、俺の日常はほとんど揺らがない。ネトゲをしたり、気分転換に散歩をしたり、そこそこ有意義に時間を潰している。
燈矢くんは相変わらず忙しそうで、深夜に帰ってきては「おかえりって言って」と俺を揺り起こしておかえりを絞り出させるし、モンちゃんはしばらくログインしていない。忙しいのだろうか──そう思った瞬間、ゲーム内のDM通知が異様に膨らんでいることに気づく。送り主はモンちゃん。名前の横に並ぶ未読マークがぎっしりで、見ただけで内容がわかった。
『聞け』
愚痴だ。絶対に愚痴。心の中で覚悟を決め、画面を開く。案の定、怒りと苛立ち、自己弁護と責任転嫁が入り混じった、熱気を帯びた長文が雪崩のように流れ込んできた。
『こないださ、突貫だったけど知り合いから紹介されたヤツとちょっと一緒にパーティしたんだよ。俺はあいつのこと嫌いだけどさ、世話になってる人に紹介されたから顔立ててやってたワケ。でも相手マジで自分勝手で最悪だった。せっかく俺が段取りしてみんな大ハシャギするぜってサプライズ? 突っ込んでさ。大急ぎだったのに準備も仕込みも完璧にして、後はスムーズに回すだけだったはずなんだ。
なのに、一緒にやったやつがマジで自分のことしか考えねえの。いいぜ別にこっちに合わせろとか言わねえし、仲良しごっこする気もないけどよ。せめて自分の役割くらいは果たそうぜって話だ。俺が「ここでこう動く」ってタイミング作ってあったのに、勝手に派手に動き出して、注目を全部かっさらう。別に俺、主役になりたいわけじゃないけど、さすがに礼儀ってもんがあるだろ?
しかも、俺が準備した部分を台無しにするくせに、なんかそいつのことを主人公みたいにしてみんなはしゃいでんの。俺らの方がオマケ扱い。違うだろ、俺がやりたかったのはそういう雑な盛り上げじゃないんだよ。全部がめちゃくちゃになって、こっちは後処理と片付けで疲弊してんのに、そいつはいいとこ取りして去っていくんだぞ。
あと言っとくけど、別に俺だけじゃなくて周りの奴らも「なんか違う」って思ってたからな。俺が神経質なんじゃなくて、普通にあれは空気読めてなかった。俺が悪く言ってるわけじゃなく、事実を言ってるだけ。
いや、別に目立ちたいわけじゃないんだよ。俺はあくまで全体を見て、長期的な利益を考えて動いてるだけ。真面目にやってるとほんとこういうのに利用されるから悲しいよ。勝手にチーム組まされた上に相手がトロールって最悪。ストレス半端ない。ほんと損な役回り押し付けられてるわ。
まあ、こうなるのは読めてたけどな。あいつと組む時点で、こうなる未来は見えてた。でも俺がやらなきゃもっと悲惨になってたのは確実だし。俺、偉すぎるだろ、ほんと疲れたカスすぎるゴミ、しかも死んでねえし。死んどけよボケ。あとそいつ俺の事ぶっ倒してちょっと斬った。頭打ったし傷害罪だろ、お父さんの手も斬ろうとしてた。ムカつくムカつくムカつく。
なんでこんなに上手くいかないんだ? って思うじゃん。わかったんだよ。俺の事目の敵にしてすっげー邪魔してくる奴がいるって。俺もさ、そいつのこと嫌いだからぶっ潰すとは決めてたよ。でもここまで存在自体が邪魔だなんて思ってなかったって感じ。わかるか? あとでまとめて処理しとこうって思ってたタスクが、なんか思ったよりデカかった時の「あーあ」ってかんじ。ここまで邪魔かよってウンザリ。
でも逆に、逆にな? 方向性決まって良かったって部分はある。俺自身もぼやけた考えがまとまってレベルアップしたって実感出てきたしな』
つまり……たぶん……。別々のチームで抗争になったけど、モンちゃんは正面からじゃなくて裏から相手を潰そうとして、でもその作戦は向こうにあいてにされずに終わり、抗争自体も中途半端に決着。で、その相手は多分ヒーローに捕まったんだけど、モンちゃんのチームのことは一切話題にされず、逆に相手は“敵ながら見事”みたいに評価され、それが相当面白くない……こういう状態か……?
そのうえで、邪魔してくるヤツってたぶんヒーローの誰か……? ヴィラン方向に完全に突っ走るつもりかな。そうだろうな……。まあ止められるものでもないし、事実として受け止めておこう。
『頭打って斬られたって、大丈夫? この前両腕両足に穴開けたばかりだろ。そっちもまだ治ってないんじゃないっけ』
『いたくてムカつく』
『レスポンスはや』
画面前待機してました? と聞こうと思ったら『PC仕事してるから気づいた』と返ってきた。あなたゲーム画面開きながら仕事してんですか……? ゆるされるの? あと一応社会人だったんだ……。
『前言っただろ、戦争やるって。メンバー集めてんの。Nキャラばっか使っててもしょうがねえから紹介してもらってんだけど、ロクなのいねえ。てかコミュ力ねえやつばっか、狂ってんのかよ』
『正直Nキャラでもコミュ力高ければ割と使えない?』
『それ。でも驚くなよ、Nな上にコミュ力もねえカスキャラばっか手持ちにある』
『引き悪いねえ……』
『だからお前、明日ちょっと顔出せ。お前コミュ力Sでスキル持ちだろ。昼くらいに集合、住所はここな。潰れてそうだけど潰れてないから勝手に開けて入れ』
メッセージの終わり際、手元が小さく揺れて、スマホに知らない住所のメモを接写した画像がぽんと送られてきた。画質の荒い写真に、かすれたインクで書かれた住所。行ったことはないけど存在は知ってる町名が、なんだかじわじわと胸をざわつかせる。
えっっ、このタイミングでオフ会!?
数年間仲良くしてきたのに、これまで直接会う機会はなかった相手だ。想像していなかった展開に、心臓が無駄に忙しくなる。ダウナーお姉さん(社会人)と……2人きりで……!?
いや落ち着け俺、エロがるなエロがるな。相手の属性に惑わされるな、あくまでモンちゃん個人を見ろ。全くエロくはない。
そもそも問答無用で翌日に予定ぶち込むような横暴お姉さんだ、多くを求めてはいけない。しかも会話の流れ的に、なにかしらの仕事を押し付ける為に呼ばれてる。コミュ力が必要そうななにかを……任される予感しかない……。
断ったらキレそうだし、いけない訳では無いので『わかったー。お土産持ってくね』と送信したが、それは既読にならなかった。敢えて返答を見ないことで自分の言い分だけを通す最悪テクニックだ。
これで俺が行かなかったら「なんで来なかったんだよ、断っただと? 俺は見てない、お前が勝手に約束を破った」という理屈でキレてくる。この理屈が通用するんだ、凄いだろ。片手で簡単に食べれてカロリーが高いもの……クッキーでも買ってくか。グミを常食してるくらいだから甘いものは大丈夫だろ、たぶん。
モンちゃんはいなくなったけど、ゲームはしたい。誰か他にフレンドいないかな、いなかったらゲーム内拠点の内装でも変えるかな……と考えていると、今度はスマホでの通話呼び出しが出た。知らない名前だがフレンド表示されている、ということは誰か名前を変えたのか。
「はいはい、どなた? お名前変えたからわからんよ」
『Syuuだ。久しぶりだな』
「久しぶり~、最近すれ違ってたね。ちょうど声聞きたかったんだ」
『口説くな』
Syuuくんはモンちゃんのあとに別のゲームで仲良くなったフレンドだ。こっちは通話勢なので、俺はよくモンちゃんの愚痴メールに理解ある彼くん返信をしつつ、Syuuくんのランクマ通話に付き合って全員で別のゲームをするという訳の分からないことをしていたりした。
この世の大体の人間はモンちゃんよりまともな神経をしてるので、Syuuくんはだいぶまともな方。年相応に少し年上のおにいさんってかんじ。引きこもり歴は俺より上だが、小学校中退の俺よりは高学歴青年だ。
久しぶりに通話出来て嬉しいな、と無邪気に喜んで「遊ぶ?」と聞くと、電話の向こうでSyuuくんが何かを言い淀んでいるのがわかった。どうした、恋バナか? はっきりとは言わないが言葉の節々にモテたいという気持ちが漏れてるお年頃青年なので、なにかリアルで進展があったのかと違う意味でウキウキする。
『……っ、お前とはもう話せない、俺にはやることが出来たんだ』
「やることが出来たことと俺を捨てることに何の関連性が? キレそう」
キレそう、キレた。久しぶりにお話できると喜んでいた俺のウキウキを返してくれ。なんでいきなり絶交されてんだ俺は。
『え、ごめん。でもほら、巻き込んだら悪いし』
「何するかわかんないけど、巻き込まれた程度で友達やめるようなやつだと思われていた事実がちょっと信じられない。俺とお前の数年間の重さが釣り合ってない。俺はSyuuくんを仲良しの友達だと思っているのに」
『俺だって友達だと思ってる!』
「じゃあこれからもお話してくれる?」
『当たり前だろ!!』
「仲直りな。二度とひどいこというな、俺の貴重な友人だという自覚を持って生きてくれよ、こちとら引きこもりで人間関係終わってんだから」
『ああ……俺もお前のこと、友達だと思ってる。……なあ』
「なあに」
『……巻き込んでも、友達でいてくれるか』
「当たり前、ちゃんとマスコミの前で『良い人だったんですけどね』って裏声で言ってあげるから」
『おい!』
なんだお前ちょっと感動したのに! と一通り怒った声を出したあと、ありがとうなと繰り返してSyuuくんは通話を切った。
スマホの通話履歴に残る馴染みのない、変えたばかりの名前をしばらく眺めて「まさかなあ」と思う。思うが、原作の吸引力が実兄中心に作用して俺にひっかかってるから、もしかしたらそうなのかもしれない。
「スピナーって、スピナーかな……」
いたよな、敵連合にそんな名前のやつ。Syuuってたぶん本名由来のハンドルネームだろうけど、スピナーの本名知らないんだよな……あれはヴィランネームだろうし……。ヴィランネームでゲームするな~~~! 漏れてるぞ自己顕示欲が……!!
ステインが捕まったから、次はたぶん敵連合が集合して……なんだっけ、合宿……? 本当に原作の流れが曖昧だ。数年前にまだ記憶が今より濃い段階でメモとか残しと置くべきだったか……。取り返しのつかない段階じゃないとやるべき事に気づけないんだよな、俺。いつかこれで本気で痛い目に合いそう。
ゲームをする気もなくなって床に倒れ込む。ちょうど帰ってきた燈矢くんが「ただいま」と寄ってきたので「おかえり~~」と歓迎しておいた。
「陽火くん、明日一緒に行って欲しいところがあるんだけど」
「明日……ごめん、さっき予定入れちゃった」
「そっか、じゃあまたタイミングあってからで大丈夫。どこか行くのか?」
「友達のとこ、お呼ばれしたんだ」
「あとでどういう子だったか教えてね、俺も顔見に行くから」
弟の友人のツラを拝みに行く実兄。怖すぎる。でもここで止めてくださいとか言うと、俺に紹介できないってどういう相手どうして隠すの俺より大切な人だから? 俺がそいつに何かすると疑ってんの? という方向でメンがヘラった長文お気持ちゼロ距離読経が始まるので、ニコッと笑って頷いておく。燈矢くんVSモンちゃんなんて、恐竜大戦争にしかならない。怖すぎるが、俺に出来ることなどなにもない。
───────
翌日、俺はお高いクッキーを片手に、場違いなほど上等な紙袋をぶら下げていた。目的地は──薬か臓器かの売買にしか使わないだろうと疑うような、不穏の塊みたいなバー。入口の取っ手に触れた時点で、「これ絶対騙されたろ」と半分以上確信していたが、それでも足を踏み入れた。
途端、空気が湿った毛布のようにまとわりつく。
本来なら感じるはずの酒の匂いはなく、代わりに漂うのは“見られている”という濃密な圧。視線という形を持たないものが、ねっとりと絡みつき、呼吸の奥まで入り込んでくるようだ。
カウンター席で背中を向けていた男が、くるりと振り返った。
数年間、昼間っからチャット越しに交流してきた相手は、もっとこう──薄暗い部屋で猫を抱えている偏屈なお姉さんだと信じて疑わなかったのに。
現実にそこにいたのは、顔に手を貼り付けた白髪の男だった。
細身の体を猫背がちに折り、こちらを見上げながら口の端を持ち上げる。チャットの文章に滲んでいた、軽口の奥に沈殿する重く冷たい悪意。
気まぐれに人を弄び、どうでもいいことにだけ異様に熱中し、興味を失えば容赦なく切り捨てる。
何年も画面越しに浴び続けた、あの腐食するような感触が──今、現実の空気を震わせて、目の前のこの男から立ちのぼっている。
「よう、『おとうと』。待ってたぜ」
じゃれるような軽口。だが、響きは軽薄で空虚だ。カウンターの奥、霧のようなもので出来た頭を持つ男が、薄く笑いながらグラスを拭き、低く付け足す。
「ようこそ、ヴィラン連合へ」
一瞬で理解した。
言葉じゃない。声でもない。
その不遜さと、目の奥にだけ浮く悪意の笑みを見た瞬間──これが「モンちゃん」だと分かった。
画面の向こうで長年付き合ってきた相棒が、現実の悪党の姿で、手を伸ばせば触れられる距離に座っていた。
とりあえず、あの──
「月々の給料と公休数と保険に入れるかどうかだけ教えて……?」
……縁故雇用ってマジだったっぽいですねえ!!
