あれは確か10の頃だ。乳兄弟としてお付きをしていた俺ではなく、別のやつが代わりを務めると告げられた日。荷物をまとめていた背中に、わざとらしい荒い足音と気配が近づいてきた。音も無く近づいて俺を驚かせる悪い趣味をお持ちの第二王子様は、構って欲しい時だけわざとらしく音を立てる。振り返る間もなく、背中からレオナに押し倒された。
「俺から逃げるのか、嘘つき野郎。ずっと一緒って言ったのはてめえのくせに」
がぶり、がぶり、と肩に牙が突き立つ。しがみつく俺よりも小さい身体を振り払わず受け止めて、肉が引き裂かれていく。抱きかかえようと1度だけ距離を取りかけた俺に、レオナは言葉にならない罵声を浴びせ、さらに強く抱きついてきた。
血の匂いが漂い、レオナの口元が真っ赤に染まっている。
「美味くないだろ」と口元を拭うと、低い唸り声。「お前だけは俺のものだ」と傲慢な言葉で、泣きながら牙で肉を抉った。
なんでこんなことを思い出してるかって言うと、同じことを繰り返してるからだ。
先のチェカ様お披露目会。嫌々式典に出たレオナへ向けられた呪いは、逸らされて俺に直撃した。お付きというのは、そういう役割だ。
俺本人にはあまり耐呪性がなかったから、10の頃に俺より優秀な兄が代わりを務める話が出たけど、当の第二王子様自身がそれを拒んだので俺が続けている。
ファレナ様はご壮健、跡取りのチェカ様も生まれ、王位継承の未来は安泰だ。じゃあそろそろ、いくら優秀過ぎて評判が宜しくないといえど、いたいけな学生である第二王子様への妙な疑いはやめて頂けませんか? と思っていたが、臆病者はいつだって臆病だ。時間差で発動するよう仕込まれた呪いは、学園結界の境目で起動し、俺の身体を貫いた。
血が喉からこぼれ、膝が抜ける。視界がぐにゃりと歪む。優秀な呪いをクソみたいなことに使いやがってよ。
城内だったら俺の家族も近くにいたし、呪い返しがあちこちで機能していた。
が、さすがに学園内で1人で受け止めるには重すぎる。結果として、レオナの目の前で血を吐いてぶっ倒れるという腑抜けたザマを晒してしまったってコト。やばいやばい。
担がれてベッドに叩き落とされて、値段度外視で魔法薬をじゃぶじゃぶ使い、優秀な寮長があらゆる解呪を試みて、ギリギリ命が繋がった。
気付いたら日付が三日すぎてて、おお生きてるって驚いて、ついうっかり口が緩くなった。喉が焼けるほど乾いて、どうにか声を絞り出す。「最近はなかったから、油断したな」と笑ってしまったのが悪かった。
「ふざけるなよ、最近はなかった? 昔はあったのか? なんで言わねえんだよ。てめえ、自分が誰のもんか忘れたのか」
と、病み上がりの俺に馬乗りになりながらシーツに顔を擦り付けるように無理な体勢で肩口をめちゃくちゃに噛まれる。
牙が皮膚を裂き肉を抉る感覚が懐かしい。それで、10の頃の出来事を思い出したって訳だ。
耳元からグルルルとひっくい怖い唸り声と、びちゃびちゃと濡れた音がする。
いってえなあとは思うけど、レオナがこうなる時に抵抗したらたぶん二度と許してくれないだろう。こいつはプライドが高くて、欲しがりで、それなのになんにも手に入らなかったと思ってる男だ。俺にこうやるのは、俺が全部許すと信じてるから。
こんな細い糸みたいな信頼、俺以外にやったらすぐ断ち切れるのに俺が断ち切ってやんないからこんな事になってる。
「噛むだけならいいけど食いちぎるのはやめろよ」
「うるせえ、てめえは俺が生かすし俺が殺す」
「ガキかよ。変わんねえな」
荒い呼吸音はいつもと調子が違う。身体が熱いのは熱が出ているからだろう。肌の調子も悪いし髪もパサついてる。かろうじて洗浄魔法はかけてたみたいだが、風呂にも入ってないみたいだ。
本当に、俺が起きるまでの三日間付きっきりだったんだろう。レオナはいつもそうだ。俺が倒れると、誰にも盗られないようにと俺を隠そうとする。
ただでさえ全てが敵だと思ってるような男なのに、それが一気に悪化して『全てが俺のものを盗ろうとする』と思ってしまうらしい。
いつかきっと、この過剰な執着のせいで俺は死ぬ。ああ、いいな。───────望むところだ。
顔を上げたレオナの口元は顎まで血が滴っている。指の腹で唇を拭うと、噛み締めたように傷ができていた。ベッドサイドに転がっていたマジカルペンに手を伸ばして治癒をかけると、「てめえの傷を心配しろ」と鼻で笑われる。俺がお前を優先しないと怒る癖に。
耳元で小さく呪文が聞こえて、じくじくと響いていた痛みが引いていく。ざらついた舌の感触が肩を這って、跡をつけるための甘噛みが繰り返された。
「お前だけは、俺のものだ」
ズシリとベッドが沈む。遠慮も何も無い勢いで腹の上に乗られて圧迫感で吐き気がする。人のことをむちゃくちゃに使いやがって、甘えんぼがよ。
「心配かけて悪かったよ」と頭を撫でると、甘ったれた濁音で喉からごろごろと音を鳴らされた。
俺の尾にレオナの尾が絡まる。そういえば、10の頃。あの時もこうしてきたなと思い出した。どこから持ってきたのかリボンでぐるぐるに勝手に結びつけて。
尾が枯れるまで、牙が落ちるまで。
王宮図書室の古臭い本にしか載ってない様なおまじないに必死になっていたレオナのままなのに、なんでこいつを殺したいほど憎むやつがいるんだろう。
尾が枯れるまで、牙が落ちるまで。 大切な人と共にいる願いのおまじない。
黒いシルクのリボンでお互いの尾を重ねて結び、うなじに噛み跡を残せば、二人は一生離れることはありません。
「レオナ」
「……」
髪をかきあげて目を閉じるレオナのうなじに牙を立てる。「ぐ、」と漏れた声に興奮する。あーあ、俺が死にかけてさえいなければなあ。
口の中に鉄の味が広がって、愛って鉄分なんだよな。と、どうでもいいことを考える。ぐるぐる、ぐううん、甘ったれた低い声が可愛い。
みゃおう 子供が甘える時だけに出る、甲高い子猫の声がレオナの喉から零れた。
これは自分の意思じゃなかったのか、少し嫌そうな顔をしている。
向かい合って、額、頬、唇とキスをおくって、足に引っかかっていたタオルケットを手繰り寄せてレオナに掛ける。放さないように離れないように抱きしめて背中を摩り続けて、疑り深い獅子は痣になるほど強く俺に抱きつきながらようやく瞼を閉じた。
俺の耐呪性の低さだけじゃなくて、俺がこうしないと何日でも起き続けて倒れるような生活をしてたから、お付きの交代のはなしが出たんだぞ。王宮を離れたら一気に反動が出たみたいだけど。
「ごめんな」
俺、たぶんお前を守るために同じような事を繰り返すよ。これからも何度もお前を苦しめるだろう。失う恐怖を、何度も思い出させてしまう。
あまり強くなくて、ごめんな。俺がいないと悲しむってわかってるのに、
少しだけ嬉しい。酷いヤツで、ごめんな。
