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 異様に怯えた様子の一年が「すいませんでした!」と大地にめり込む勢いで頭を下げて差し出してきたマジカルホイールは、俺が手入れしていた時よりも綺麗になっていた。
 これ、お下がりのお下がりのお下がりだから年季入ってて細かい傷も錆もあったんだけどな……。ハンドルの角度まで微調整されていて、ブレーキも新品みたいに柔らかい。夜通し磨いたんじゃないかってくらい輝いている。

 明らかに過剰サービスなので、これくらいだろと簡単な目星をつけてマドルを渡して引き取ったが、それから登校する度にいつの間にか勝手に整備してくれるようになってしまった……。断っても隙を見て磨いてくる……。朝教室に来る前に駐輪場に行くと既にワックスの匂いがするし、俺の知らないうちにライトすら交換されている。そんなことあるか。

 これはパターンを変えたいじめか? とも思ったが、名も知らぬ1年二人がきらっきらの眼で見てくるのでたぶん好意。
 「ありがとうな」と好意を受け取って昼飯分くらいのマドルを渡す日が続く。結果、そのマドルを稼ぐために漁を頑張る必要が出てきてしまった。なんだこれは。海で命張って稼いだ金が、陸でマシンの改造費に化けていく。循環としては合ってるが、俺の生活がどんどんマジカルホイール中心になっていくのが怖い。

 何もかも本末転倒な気がするけど、俺はコミュニケーション能力が低いので好意を向けられると上手く断れない。
 自覚のなかった己の欠点を今更自覚するようになったのは、ある後輩に懐かれたからだ。
 高架下に呼び出されて殴られかけたので叩き落としたら懐かれた。わからない。なんで……?
 たまにしか登校してこないらしく、登校すると必ず今日のように会いにくる。
 現在4時間目の歴史の授業中だ。突然教室のドアを開け放して「ミョウジ先輩! 今から峠攻めに行きませんか!」と元気いっぱいに誘ってくる。ドアに近いところに座っていたクラスメイトはひっくり返っているし、善良でおとなしい担当教師が半泣きで俺を見ている。どうして俺を見るんだ。俺も被害者だろ。

「…………」

 無言で手招きするとにこにこしながら真っ直ぐ俺のところに来たので、隣の空いてる席を指さして「座れ」と言った。
 なんにもわかってない顔をしながら元気に「はい!」と良い子の返事をして座ったので見えるように教科書を広げてやる。

「俺、1年だから2年のべんきょーわかんねえ、です」
「俺は2年だから2年の勉強をするんだよ。放課後なら一緒に峠でもなんでも行ってやるから、暇ならついでに聞いとけ」

 こいつ、そこら辺に放り出すとまた変なのに囲まれて喧嘩しそうで怖いんだよな。たぶん正解の行動としては、こいつを追い出すことだったんだろうけど。

 クラスメイトと教師が俺の事を信じられないものを見る目で見てるけど、お前らがダメだと言ったら二人で出ていくから言ってくれ。何も言わないなら俺の好きなようにするからな。
 後輩はお利口さんの顔をして座席に座っている。しばらく待ったが異論はないようなので、ノートとペンも渡した。素直に受け取ってノートを取りはじめたから、根が真面目な奴なんだよな。なんで不良みたいなことをしてるんだろうか。

 恐る恐るといった様子で再開された授業は問題なく進み、授業も歴史であることから、後輩も全てが分からないという訳でもないらしい。
 時折首を傾げながらも、教室から出て行ったり、飽きて遊んだりする様子はない。俺も気にせず授業を受けることにしたが、いつものように平和に終了した。終わりの挨拶後の担当教師のダッシュ退室が彼のストレスの高さをうかがえさせる。なんだか申し訳ないな。
 今日は午前終わりなので、特に部活にも入っていないからあとはこのまま帰るだけだ。

 峠を攻めるだったか。俺としてはマジカルホイールはただの交通手段だし、峠攻めは陸地での危険行為としか思えないんだが、せっかく後輩が誘ってくれた上に違う学年の授業まで受けて待っててくれたから報いねば……。
 後輩は一生懸命書いていたノートを見てしきりに首を傾げている。「どうした」と声をかけると、眉を下げて悲しげな顔をしていた。なんでだ。一瞬目を離した隙になんでそうなる。

「なにかあったのか?」
「いえ、俺ってやっぱ頭わりぃなって……。ミョウジ先輩が誘ってくれたから、俺なりに頑張ってノート取ったんですけど。今見たらもう全部わかんねえや」
「貸してみろ」

 おずおずと手渡されたノートは板書されていたものがそのまま写されている。少し右上がりの文字は意外にも几帳面に書かれていた。

「……うん、真面目で良いノートだと思う。ここまで板書をきちんと写すやつなんてそうそういないぞ。少し文字の間にスペースを取って、先生が口頭で言ってることも書き込むとより良くなる。字も丁寧で読みやすいな」

 授業慣れしてないだけで、特別頭が悪いとかじゃないだろ。なにが悪いかって言ったら要領が悪いのかもしれないが、それも慣れたらどうにでもなるやつだ。そこまで言ってノートを返すと、後輩はノートと俺を交互に見て目を瞬かせた。

「……あざっす」
「ん。それ予備のやつだからやる。授業に出る時使えよ」

 お前の担任が何故か俺に頼みに来たからな、授業中に何も出さずに寝てるってバレてんだぞ。
 マジカルホイール取りに行くぞと声をかけて歩き出すと、後輩はノートを両腕で抱き締めるようにして追いかけてきた。

「俺、ミョウジ先輩についていきます!」
「お前の方がうまく運転出来るよ」
「へへ、あざっす!」

 何が楽しいのか、頭ふたつ下の位置からくふくふと含み笑いが聞こえる。厄介だし、手がかかるし、授業中に「あそぼー」と言ってくるあたり近所にいた5歳児と行動が同じだけど、懐いてくれるから可愛いんだよな。こいつ……………。