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 一ヶ月に及ぶ同居生活を終えて、後輩は荷物をまとめた。
 といっても、部屋の景色が劇的に変わるほどの荷物はなかった。もともと持ち込んだのは、よれたスポーツバッグひとつと、学校指定のカバンと、俺があげたノート数冊程度。生活感のほとんどは、知らないうちに俺の側に残っている。

 俺は3年、後輩は2年にあがるタイミングだったから、ある意味ちょうどよかったのかもしれない。区切りとしてはわかりやすい。
 迎えに来た母親にプロレス技を決められたあとに強く抱きしめられて、笑って帰っていった。まあそのあとも週三くらいで「これ母さんからです」って惣菜持って泊まりに来るんだけどな……。
 あとたまに後輩の母も遊びに来るし、俺も家に呼ばれる。海が遠いので……と断ってるけど、この距離の詰め方凄いな。後輩母にマブと呼ばれてるんだけど俺の立ち位置ずっと行方不明。

 3年に進学して変わったことは、将来のことを考えるようになった。これまでは「卒業したら村に戻って漁師をやるんだろうな」と、疑いもなく思っていた。生まれた場所に帰って、死ぬ時は海の中で、そういうふうに生きるもんだと思っていた。
 けれどミドルスクールに来て、陸で暮らして、あのイルカの兄弟のように「魔法士」という選択肢にも、少しだけ憧れが出てきた。と言っても、ナイトレイブンカレッジには「入りたいから」と言って入れるものでは無いけどな。そこまで考えてから、「まあ、考えるだけタダだし」と一旦全部棚上げにして、今は目の前の現実だけ見て生きている。

 俺がちょっと未来を見始めている横で、後輩も少しだけ落ち着いたみたいだった。
 俺とつるむようになる前は、あちこちで喧嘩をして、殴ったり殴られたりしていたらしい。俺はその“あちこち”の被害者側と加害者側、両方から話を聞かされているので、だいたいの戦歴を把握している。
 今では気の合う友人もできたらしく楽しそうにしている。その気の合う友達との共通の話題が『俺』なの、本当になんでなんだよという気持ちでいっぱいだ。俺の知らない俺の武勇伝を流布するの、やめて欲しい。それを伝えると「ミョウジ先輩はクールでかっけえ……!」という方向に持っていかれる。たすけて。

 自分の教室で授業を受けるようになったが、休み時間の度に「ミョウジ先輩!」と会いに来る。
 当初教室のドアが開く度にひっくり返っていたクラスメイトも「ミョウジくん、呼んでるよ」と声をかけてくれるようになったし、後輩も「すいません、ミョウジ先輩いらっしゃいますか」と教室の前で声をかけてくれるようになった。成長をかんじる……。俺もクラスメイトもそれに慣れきっていたので、もはや違和感も何も感じていなかった。

 今日何を勉強したか、どの授業が楽しかったか、マジカルホイールのどこを改造したか、オムレツを作るのがどれだけ上手くなったか──指折り数えて、俺に伝えたいことを怒涛の勢いで語ってくる。
 嬉しいことがあった日は早口で、嫌なことがあった日は少しだけ声が沈んで、それでも「次はこうしようと思うんですけど」と前を見ようとする。
 俺はその全部を拾いながら、「そうか」「よかったな」「そこはこうしたらもっといい」と、うんうん頷く。
 一ヶ月ずっとこういう話をしていたから、俺も慣れたし、後輩も慣れた。
 けど、これって客観的に見たらおかしいんだよな、という自覚もある。
 俺も後輩も、距離が近い。
 そう思ったきっかけは、最近すこし“嫌な目”で見られるようになったからだ。

 後輩が一生懸命喋っていると、廊下の端から違うクラスの奴がにやにや笑いながらこっちをみている。どうみても良い感情のものでは無いだろう。

 最高学年になって調子に乗ってるやつが出始めた。
 他称番長と呼ばれている俺も、“他称”なだけで何かそれっぽいことをした訳ではない。峠は攻めさせられてるが、あれは学校の外だし、校則で「峠を攻めるな」とは書いてない。
 後輩も荒れに荒れていたのは1年の頃の話で、そもそも学校に来ていなかった上に、攻撃されなければ攻撃しないという線引きは持っていた。
 つまり、今ここで目を光らせるほどの“実害”は誰にもないはずなんだが、そういう理屈は関係ないらしい。

 まあ、舐められてるんだろうな、とは俺でもわかる。
 「番長」と持ち上げられて、後輩や一年連中から慕われて、クラスでも妙に“中心”みたいな位置に立っているくせに、肝心の本人は喧嘩も売らないし絡んでも来ない。
 別に問題はない。俺が舐められる分には、勝手にしろで済む。ただ、俺が舐められることで後輩が怒るかもしれないので、気付かないふりをしていた。
 一番厄介なのは、ああ見えて思い詰めるところがある後輩が「俺のせいで先輩が悪く言われた」と傷付く事だ。そうなると何をするか本当に検討がつかない。俺の想定を飛び越えて何かをしでかすだろう。

 後輩への視線を切るように、さりげなく身体の角度を変えて、「飲み物買いに行くぞ」と肩を押して、廊下の逆方向へと方向転換させる。
 自販機を盾にして、視線の射線から外すつもりだった。
 その直後、背中の方で大きな笑い声が弾けたので、もしかして下手を打ったかもしれないと思った。

「マジでホモじゃん、キッショ! あいつだろ、不良面して女役やってる奴」
「散々悪ぶってたくせに、つええやつに腰振って媚び売ってでしか生きれねえんだな」

 投げつけられた言葉が理解の外にあったので、しばらく噛み砕いてようやく何を言われているかわかった。俺じゃなくて後輩が言われている。
 後輩は、怒りよりも困ったような顔をしていた。眉尻が落ちて、口元だけが引きつっている。
 もしかしたら、俺の知らないところで、何度も同じようなことを言われていたのかもしれない。
 その全部を、「先輩が知ったら嫌な気持ちになるだろうな」と飲み込んでいたのかもしれない。

「…………」
「あの、ミョウジ先輩。俺は平気ですから」
「うん、よし。ちょっとこれ持っててくれ」

 後輩に荷物を預けて、ゆっくりと腕まくりをする。3年になった時に入れた刺青が、シャツの袖の下からのぞいた。
 俺たちを揶揄っていた同級生が、逃げようとしたのか、わずかに身体を引きかける。その動きが、かえって目立つ。

 胸ぐらを掴んで、引き寄せる。シャツの襟がくしゃりと音を立てて、相手の喉元が詰まる。
 そのまま、腹に拳を叩き込む。
 昼食で食べただろう何かが、濁った悲鳴と一緒に、ボタボタと口からこぼれ落ちた。
 膝が折れる前にその身体を支えて、そのまま持ち上げて、もう一人の方へぶつけてなぎ倒す。人間二人がぶつかる鈍い音がして、床に転がったのを足で止めた。

「……ああ、はじめて殴りたいと思って人を殴ったな」

 自分でも驚くくらい、感情の乗らない声が口から出た。
 今までは、“殴られたから殴り返す”“絡まれたから対応する”の延長で拳を振るってきた。
 今回は、殴られてもいないし、肩を掴まれてもいない。ただ、ムカつくな、殴りたいという気持ち1つで暴力に打って出てしまった。

 悲鳴とか、逃げる足音とか、誰かの「あっ」と詰まった声とかが、辺りに一気に広がる。
 後輩が慌てて走ってきて、「ミョウジ先輩!」と俺の腕を掴む。
 ガタガタ震えて倒れている同級生二人の顔を、上から覗き込みながら、「喧嘩しようか」と声をかけると、全力で断られた。
 なんで。意味がわからない。俺を怒らせる意図がなければ、なんで後輩を馬鹿にしたんだ? 陸のやつ訳分からんな。

 停学二週間、反省文20枚の刑を受けたので進学はどうなるか分からなくなった。特に後悔はしてないので別にいい。おしまいおしまい。