何がなんだか分からないうちに犯罪者にされた。
俺は何もやっていないと言っても、誰も信じてくれない。お前が大釜を落としたんだろうとか、いつかやると思っていたとか。そういう言葉ばかりが飛んでくる。俺のことなんて知らないはずのやつまで、当然みたいな顔をして「スペードが悪い」と言う。頭の中がぐちゃぐちゃして、言葉が上手く出てこない。
とりあえずこれだけはやらなきゃと、10歳の誕生日に母さんから貰った『なんでもいうこと聞く券』を机の奥から引っ張り出して、くしゃくしゃに握りしめて母さんに突き出した。
「ミョウジ先輩に言わないで、ぜってえ心配するから、これ以上俺の事で心配かけたくない……!」
ミョウジ先輩、優しいから。めんどくさいとか、関わりたくないとか、そういう方向じゃなくて、本気で俺のことを心配しちまう。自分のことみたいに。
母さんに、ガキの頃みたいに抱き寄せられて宥められながら、「俺、なにも悪いことしてねえよ」と言うと、「知ってるよ。何年あんたのママやってると思ってんのよ」と笑われた。
俺、自分が“良い子”じゃないことくらい分かってるんだ。喧嘩ばっかりしてたし、頭も悪いし、カッとなったら考えるより先に殴ろうとしちまう。悪いやつなんだ。
でも、最近は、ほんとに、毎日たのしくて。学校も、ちょっとたのしくなって。
バチが当たったのかなあ。ずっと悪いことしてたから、神さまとかそういうのが「調子に乗るなよ」って、怒ったのかなあ。
スマホは警察の人に持っていかれて、ミョウジ先輩とも連絡が取れない。
自宅待機って言われて、家からも出ちゃダメだと釘を刺された。
俺のことを調べてくれる警官は「君がやっていないと言うなら、僕は君を信じるよ。必ず無実の証拠を集めてくる」と言ってくれた。母さんも「真実はいつもひとつって言うじゃない? 漫画のセリフだったっけ」なんて、わざと軽く笑ってみせる。
俺はずっと膝を抱えて、自己嫌悪でぐちゃぐちゃになってた。もっともっと小さいガキの頃みたいに、なんにも考えなくても毎日楽しかった時みたいに生きられたら良かったのに。でも、そうやって生きていたら、ミョウジ先輩には会えないのか。それは嫌だなあ。
どれだけそうやって過ごしたかわからなくなった頃、玄関先で母さんの「やったー!!」という声が聞こえた。
「デュース!! 無罪!!! 真実はいつもひとつ!!!」
はしゃぎまわった母さんに引きずり倒されて玄関に行くと、少し疲れた様子の警官が立っている。俺と目が合うとハツラツと笑って、疲れた様子を完全に掻き消した。
「確かな証拠を手に入れることが出来ました。貴方に犯行は不可能です、貴方に罪はない」
ハキハキとした声がぼんやりとした頭にもよく響く。
「おれのこと、信じてくれたんですか」
「もちろんです。貴方は僕に「やっていない」と言った。だから信じました」
「おれがうそを、ついたかもしれない、です」
「例えそうだとしても、本官は貴方を信じます。貴方を信じる人が、すぐ側にいるのですから」
そうだ。母さんはずっと俺の事を信じてくれた。この人も、俺を信じてくれた。
俺みたいなやつでも、信じてもらえるんだ。ああ、いいな。俺もこういう風になりたい。
詳しいことは保護者が話を聞くということになって、母さんは警官と一緒に警察署に行った。「面倒かけてごめん」って謝ったら頭を軽く叩かれて「何が面倒よ。こんなの親の特権よ」と笑われる。
久しぶりに自由に外に出ていいって言われて、何も考えずにバスに乗ったらミョウジ先輩のよく泳いでる海に辿り着いた。もしかしたら家で休んでるかもしれないけど、ここにいるかなんてわかんないけど、浜辺に座り込んで水平線をずっと見ていた。
もし、ミョウジ先輩に会えたら、どうしようかな。言いたいことは沢山あったのに、何を言えばいいのか分からない。会いたいなという気持ちと、会いたくないなって気持ちが同じくらいの重さで胸の中に居座っている。
はっきり形にならないまま、茜色に染まった空を見上げていた。あの日、高架下から見た夕日も、こんな色だった。
波打ち際に、人影が立つ。
刺青の入った肌が、海の光を受けて揺れている。
俺の元に、迷わず真っ直ぐ向かってくる。
この人にとって俺は、有象無象の中のひとりじゃない。俺を見つけたら俺のところに来てくれるくらいに、意味のある関係なんだ。
あのね、ミョウジ先輩。俺、夢が出来たんだ。
バカみたいだろ。あなたが俺を否定しないって、分かってて言うんだ。甘ったれてんだ。ごめんなさい。
ミョウジ先輩は、俺が事件に巻き込まれたなんて知らない。
俺も、それを“無かったこと”みたいに心の隅に押し込んでいた。
けど、だからといって、本当にそれが『無かった』ことになるわけじゃないって、なぜか分かっていなかった。
誰かが俺に罪をなすりつけようとした。それ自体は動かしようのない事実で、そいつらが諦めたかどうかなんて、誰も保証してくれないのに。
油断していた。
学校終わり。いつもの仲間と別れて駐車場にマジカルホイールを止めて、鍵を回してエンジンを切って、さて帰るかと思った時、誰かに肩を叩かれた。
ちゃんと覚えているのは、そこまで。
口の中に血の味が広がっていて、奥歯が欠けてるから、たぶん殴られた。
「スペード、覚えてるかあ」
「…………誰だよ」
見たことがある気がするけど、覚えていない。俺の答えが気に食わなかったのか、髪を掴まれて床に叩きつけられた。手が縛られてる、床が少し柔らかい、動いてる。車の中だ。
運転席から「あんま触んなよ、証拠残るぞ」と下品な笑い声が聞こえる。この声は知ってる、前の番長だ。ミョウジ先輩に突っかかって、一発で沈められたやつ。
「デュースちゃ~ん、海と山どっちが好き?」
こいつら、喧嘩をする気は無いんだな。それだけはハッキリわかった。まともな奴の眼じゃない。そういえば、前の番長はクスリをやってて退学になったと聞いたことを思い出した。仲間とつるんでいると、1人だったら知らなかった情報が手に入る。あの目付きは、クスリか。
「海」
「素直にこたえるじゃん~!! じゃーそこで死のうねえ!!」
ゲラゲラと笑う元番長と、俺を睨みつけてる男。ああ、そういえばこいつ、あの時俺を囲って鉄パイプでぶん殴った奴だ。
「なんで」
たった3文字の言葉にどれだけ憎悪を乗せるんだよって声で、男が言う。俺はお前の名前も覚えてないのに、なんで憎んでるんだよ。囲んでボコろうとしたのはお前らの方なのに、なんなんだよ。
「なんでお前なんかが楽しそうに生きてんだ? 笑ってんじゃねえよ、ずっと底辺這いずってろよ。俺と同じことをしているだけの癖に、なんでお前だけ認められてるんだ」
「……ふ、ははっ」
「何笑ってんだよ!!!」
「触んなつってんだろ!! てめえも殺すぞ!!!!」
頭を殴られて、視界が大きく揺れる。
こんな笑い話があるか。
こいつ、「俺が楽しそうだ」って。
「俺だけ認められてる」って。
ちょっと前の俺と、同じことを言ってる。
こいつは、あの時の俺の成れの果てだ。
あのまま、ミョウジ先輩にも会わず、誰ともつるまず、一人で生きられるって意地をはった俺の、結末だ!!
「お前、誰についてくか間違えたな。かわいそうに」
もう一度頭に衝撃が走って、意識が真っ白になった。馬鹿なヤツ。俺は間違えなかったから、何も怖くないんだ。だって俺は信じてる。ミョウジ先輩は、俺が助けてって言ったら、助けに来てくれるんだ。
「(ミョウジせんぱい、たすけて)」
遠くから、ミョウジ先輩の声が聞こえる。
口が熱い。しょっぱい。波の音より、ミョウジ先輩の呼吸の音の方が近い。
呼吸が苦しいよりも、あれが欲しいって思った。こんなに近いなら、俺のものでいいよな。
両手に、ミョウジ先輩の濡れた髪の感触がする。
日に焼けた肌が熱い。俺の中は冷たくて、口の中だけがスースーして寒い。だから、欲しくなった。
唇を食んで、熱い口内に舌を滑り込ませる。
先輩の熱が俺に移ればいい。俺の中の冷たいものを、全部まとめて飲み込んでくれたらいい。
海水でしょっぱいはずなのに、少し甘い。
ああ、これが、ミョウジ先輩の味だ。
「へへ、おれ、ミョウジせんぱいと、ちゅうしちゃった」
そこから先のことは、正直覚えてない。
俺の証言で犯人は2人とも捕まったらしいけど、そんなことよりもなんで俺はあの時、ミョウジ先輩とちゅうがしたかったんだろう。そっちの方が俺的に問題で、でも答えが出ないから考えるのはやめた。
過ぎたことを考えても無駄だし、俺にはやらなきゃいけないことが沢山できた。
夢が出来た。
尊敬する先輩が出来た。
信頼してもいいなってダチも出来た。
学校も行けている。
…………あいつには何も無かった。
俺に同情されるなんて死ぬほどムカつくだろうけど、いつかあいつにもミョウジ先輩のような、母さんみたいな、あの警官みたいな、─────誰でもいい、誰かひとりでいいから、傍にいてくれる人が出来たらいいなって、そう思うんだ。
