その始まりを、はっきりと語れる者はいない。
誰が最初に手を伸ばしたのか。
誰が先に、声にならない声を拾い上げたのか。
誰が地図にない場所で、帰らぬ誰かを探しに行ったのか。
───────その記録は、残されていない。
今からおよそ八十年前、まだ“ヒーロー”という存在が法制度として整備されきっておらず、社会の片隅で光と闇がせめぎ合っていた時代があった。
それは現代のように、ヒーローランキングやTV出演で名を馳せる者たちが表舞台を駆けていた時代とはまるで違う。
個性の善用はまだ手探りで、国家がそれを管理しようとする一方で、個々の正義が混沌とぶつかり合う時代だった。
当時のアメリカでは、ヒーローは基本的に個人主義の象徴であり、チームを組むことはむしろ“弱さ”の証とみなされていた。ヒーローとは己の個性と信念で闘い、栄光を手にする者。
メディアに映る彼らは鮮烈で、華やかで、誰よりも強くあらねばならなかった。
複数での出動や連携を重視していたのは、軍出身のヒーローか、法執行機関の支援下にある特殊部隊のみ。
それ以外の“個人ヒーロー”たちは散らばっていた。
小さな街角で交通整理をしていた者もいたし、野良犬の保護と夜回りをしていた者もいた。市民から「便利屋」と呼ばれ、時に嘲笑され、戦闘能力のなさを揶揄されるような、名もなきヒーローたち。
そういう者たちがある時、自然と集まりはじめたのだ。
明確な招集はなかった。「結成式」もなければ、「規約」も存在しなかった。
誰かが声を上げたわけではなく、誰かを選んだわけでもない。ただ、ひとつの共通点だけが、彼らをゆっくりとつないでいった。
彼らは、“行方不明者を捜していた”。
当時、行方不明者の捜索はヒーローの仕事ではなかった。
完全に警察の管轄であり、個性を持つ者の介入はかえって問題視されていた。
特に、証拠も情報もないまま感情的に動くことは“非論理的”とされ、ヒーロー活動として認められなかった時代である。
それでも、彼らは動いていた。
家族を捜してほしいという老婆の声に、
昨日から戻らないという少年の情報に、
消えた友達の靴を持って交番に駆け込んだ少女の涙に、
彼らは耳をふさげなかった。
それが「任務」と呼ばれなくても、報酬が出なくても、人気もランキングも関係なく、彼らは夜の街を歩いた。
「子供を探してほしい」
「妹が帰ってこない」
「帰り道が分からなくなったんじゃないか」
───────どれも、ヒーローが受ける依頼としては軽んじられていた。不人気ヒーローが人気稼ぎのために警察の邪魔をしている、そう石を投げられることもあった。
犯罪の確証もなく、事件性も不明。だが、誰かが泣いていた。誰かが待っていた。
それだけで、彼らが立ち上がるには、諦めずに戦い続けるには十分だった。
集まったのは、記録に残る限り十数人。どこかで名前を聞いたことがあるような者もいれば、本当に誰にも知られていないような者もいた。
空を飛べる者は一人もいなかった。
壁を壊せる者もいなかった。
銃弾を弾く皮膚も、時を止める能力もなかった。
だが、彼らには「捨てられた声を無視できない」という力があった。
そしてそれは、間違いなく、この混沌とした時代に何よりも強く輝く光。
“正義”であり、“愛”だった。
彼らの活動は、長く“非公認”のままだった。
どれほど多くの行方不明者を見つけようと、どれだけ家族のもとに命を還そうと、
公には一切記録されず、功績として評価されることもなかった。
それどころか、“警察の業務を侵害する行為”として注意勧告を受けたり、
“メディア映えしないヒーローの焦り”だと酷評されることすらあった。
それでも、彼らは活動を止めなかった。
金にならず、名も残らない。
それでも。やめる、という選択肢だけは持っていなかった。
記録によれば、彼らが初めて正式に“チーム”として協力したのは、ある年の夏。
山間の町で起きた連続児童失踪事件。
行政は捜索を打ち切り、警察は「自発的な家出の可能性」を示していた。
だが、彼らはあきらめなかった。
聞き込み、捜索、地元の人間すら立ち入らない森林地帯を延々と歩き、人身売買を狙ったヴィラン組織の痕跡を辿り、廃村の地下でかすかに息づく二人の姉弟を見つけ出した。
熱中症寸前、脱水と衰弱。命の灯はかすかだった。だが、彼らを抱き上げ「助けに来た!」と励まし、与えられた希望は彼らの命を地上に繋げた。
誰も報じなかった。名前も公表されなかった。
けれど、あの町に生きて帰った子供たちと、彼らを抱きしめた家族の記憶には、確かに“ヒーロー”が存在していた。
それから、彼らは「呼ばれる前に来る者たち」として、徐々に、都市伝説のように語られ始める。
深夜の電話に応じるヒーロー。
失踪現場に先回りしている無名の人物。
遺族の葬式に名乗らず花を送る影。
記録のないヒーローたち。
功績の裏に立ち続けた影たち。
消えた命を、なかったことにしない者たち。
個性の公共利用に対する理解が徐々に進み、
ヒーローと警察の協力体制がようやく制度として整備されはじめた時代。
組織的な連携の重要性が再評価される中で、アメリカ合衆国ヒーロー庁はついに、長らく記録の隅に埋もれていた、あの無名の集団の存在を“公的に承認”する判断を下した。
だが、そのときにはもう、最初の“彼ら”はほとんど姿を消していた。
顔ぶれは何度も入れ替わり、名簿に残された者たちの多くは、若者たちへと世代を譲っていた。
創始者たちの姿を直接知る者はわずかで、記録と証言の断片を頼りに、初期の活動は後年になってようやく掘り起こされることとなる。
「父はよく『俺はヒーローだ』なんて嘯いていたけど、まさか本当だったのか?」
「曾祖母が……聞いたこともなかった」
公表されたときにはじめて、家族の中にいた無名のヒーローの記憶を知った者も多かったという。
それは、墓前の花が語らぬ言葉を持っていたような、静かな驚きだった。
誰にも語らず、ただひっそりと、“誰かを助けたことがある”だけの人々が、血縁の中に眠っていたのだ。
名もなき者たちが積み上げた記憶の灯が、やがて国の制度に届いたその瞬間、彼らは“公式な存在”として時代の表舞台に姿を現した。
そして、彼らに新たな名と、立場が与えられた。
TRACE-0
“ゼロ”は、出発点。すべての始まりであり、また、何もないところから誰かを辿るという意味でもあった。
“TRACE”は、痕跡。消えた命、失われた希望、踏みしめられた願いの軌跡を、たとえどんなに微かなものであっても、最後まで辿る者たち。
今、TRACE-0はアメリカを代表する“国際特殊救助対応部隊”としてその名を刻んでいる。
だが、その礎となったのは、派手な個性でも、名声でも、制度でもなかった。
ただ、名もなきヒーローたちの、たった一つの共通点───────
『誰かの帰りを待つ声に、背を向けなかった』という記憶が、代を重ねた今も変わらず息づいている。
