赤い実つぶれた

「恋人? いるわけないだろ。学園で出会いがあると思うか?」
「え、そうなんですか? トレイ先輩は付き合ってる人がいるって聞いたんですけど」
「どうして俺みたいな普通の男に、そういう噂がたつんだろうな」

 飢えて飢えて仕方ありません! の顔をしたオンボロ寮の監督生にお持ち帰り用のケーキの端切れセットを作ってやっていたら、キッチンの中からそんな会話が聞こえた。
 ケーキナイフについたクリームを切れ端の上に落とし、見た目は悪いが味は確か。カロリーも取れる。今の彼らに必要なものだろう……さっきの言葉は、とりあえず一旦飲み込んでおく。聞こえなかったふりは完璧だ。

「ほおら、土産まとめたぞ。手前のが日持ちしないから今日中に食べるやつで、奥の方は二日は持つ。あとこれはおまけのクッキー、お前のために焼いたからお食べ」
ミョウジ先輩……! 神……!」
ナマエ、俺のは?」
「お前のもあるよ、今食べる?」
「ん」
「はい」

 ぱかりと開かれた口にクッキーを入れると、監督生が俺とトレイを交互に見て「……トレイ先輩、付き合ってる方本当にいないんですか?」と不思議そうに言った。

「いたらそう言うだろう?」
「そう、ですよね?」

 監督生の眼が困惑するように俺をみるので、笑顔で頷いた。笑顔って便利。適当に貼り付けとけば大抵の事はなんとかなる。監督生も「気にしなくていいんだ」と納得してくれたらしい。改めて「ありがとうございます! またよろしくお願いします!」と次の約束まで取り付けて、元気に帰って行った。福祉の手が届いてないよなあ。俺の実家はそこそこ裕福だし、こういうのはノブレスオブリージュと言うやつだろう。俺より金持ちが何もしてないことの方が問題だ。

 ……様々な種族、様々な国の出身者が集まる場所というのを理解していたはずなのに、本当の意味での理解はしていなかったんだなあ。

 映画を一緒に見ないか、と部屋に誘うトレイに、明日提出のレポートの最終確認をしたいからと断りを入れてその場を離れた。残念そうに「俺のを見せるのに」と言うトレイの気持ちがわからない。

 NRCで三年間生き延びた矜恃で、感情を悟らせないように、気持ちばかりはポムフィオーレを合言葉に優雅に部屋へ向かう。猫背にるな3メートル前を見て歩け。これが美しいウォーキングのコツ。いや、所属はハーツラビュルだけどな。
 三年が個室で助かった。マジカルペンを振り、鍵をしっかりかけて防音をする。そのままの勢いでベッドにうつ伏せに倒れた。

「嘘でしょセックスしてるのに付き合ってねえの俺ら!!!?」

 嘘でしょ。え、俺セフレだったのに彼氏面してたの? 死にてえ。

 タオルケットを掴んだ手が震えて、ぐしゃぐしゃに丸めて抱きしめながら床の上を転がった。身体が勝手に暴れて、理性が全く戻らない。椅子を蹴り倒したのも覚えてない。気づけば泣いていた。泣き声が防音に吸い込まれて、どこにも届かないのがまたムカつく。どこかに届いたらそれはそれでムカつく。もうダメだ。何もかもが。

 俺、トレイのなんだったんだ。いや、なんだと思ってたんだ。デートだと思ってた時間は全部、あいつにとっては「なんだこいつ」だったんだろう。俺が好きだと伝えた言葉も「なんだこいつ」に収束したんだ。その上で、まあいいかで流したに違いない。
 そうだよな、あいつ自分に実害がない全てに事なかれ主義が発動するから、放っとけば何もしない勘違い彼氏面イタタ男なんてどうでも良かったんだ。

 俺が彼氏特権だと思ってた夜中の逢い引きも、単にケーキの試作に夜中まで付き合わせても文句を言わない奴を誘っただけだし、恥ずかしいから言わないんだと思ってセックス中に無理やりねだるように言わせた「すき」の言葉も「これ言えばいいんだろ」みたいな意味の無い言葉だったんだ。

 そういえばはじまりもなんとなく気があって、一緒にいるようになって、近付いてもキスしても嫌がられなくて、セックスも嫌がられなくて、だから付き合ってると思ってた。
 近付いてもキスしてもセックスしても良いくらい俺の事好きでいてくれるって勝手に思ってた。違った。あれはただ都合の良い性処理の相手が出来たなくらいの感覚だったんだ。

 俺は近付くのもキスするのもセックスするのも、好きな人としかしたくないから当然相手もそうなんだろうと思い込みがあった。ダメだな、国が違えばそういう感覚も違うんだって、もっと早くに気付いてたらよかったのに。俺の恋の基準で他人を測っていた。馬鹿だ。文化が違えば、恋愛観なんて根底から違う。分かっていたらここまで惨めにならずに済んだのに。

 床を転がり回っていたらついには机にぶつかって、足元に硬いものが落ちて割れる音が響いた。さすがにこれを無視したらいずれ怪我をするから、心身ともにボロボロの状態で起き上がる。クローバーのマークが入ったマグカップが無惨にも割れていた。
 俺のスートもクローバーだから、使っててもおかしくは無いだろうって初めてのデートでデザイン違いで買ったやつだ。セフレとお揃いってどんな気持ちだったんだろ。
 あいつこういうのにこだわりないから、たぶん単に「マグカップ新しいの欲しいな」ってタイミングで買おうと言われてなんにも考えずに買っただけだ。
 俺は大事な思い出の品だと思ってたけど、こんな風に割れて簡単に壊れるような、どうでもいいやつだったんだ。

 でもこれ、俺にとっては宝物だったんだ。大好きな人に好きになって貰えたって思って、嬉しくて、記念品になるぞって。一生大事に使うって思ってたんだ。
 自分で蹴り落として、割って、バカみたいだ。

 バカみたいだ。勝手に浮かれて、勝手に期待して、勝手に傷ついて、恥ずかしい。

 両手に拾い上げた大きな破片は、白くて滑らかで、触れると少し冷たかった。その白いカーブに涙が落ちて、ぽつ、ぽつと床へこぼれていく。

「……捨てよ」

 要らない紙に包んで、ワレモノとメモを貼って、明日にでも共用ゴミ捨て場に出してしまおう。割れたマグカップはリサイクルも何も出来ない。ただのワレモノでしかない。

 長い長いため息と一緒に、俺の初めての恋は最悪な終わり方をした。2番目の恋は、もっと良い人を好きになりたい。絶対幸せにするから、俺の事も幸せにしてくれ。

ミョウジ先輩の好きなタイプってどういう人なんですか?」
「どうした監督生、最近恋バナが趣味か?」

 定期的な餌付けが成功し、よく懐いた監督生が「元から恋バナ好きなんですよ」と笑う。
 お前のその趣味のおかげで、俺は恥ずかしい勘違いに気付けたので感謝してるんだ。
 好きなタイプ……と考えて、ひとつずつ言葉に出した。

「優しい人がいいな。小柄で、髪は長い方が好みかもしれない」
「思ったより普通の趣味なんですね?」
「俺を一体なんだと思ってたんだ……。あとはまあ、俺の事を好きでいてくれたらそれでいいよ。家事も俺がすればいいし、金だっていくらでも稼いでくるから」
ミョウジ先輩、さては尽くすタイプですね? 俺ミョウジ先輩よりチビですけど、今から髪伸ばしたらわんちゃんあります?」
「そういうこという子はわんちゃんないですねえ」
「くそ~~~!」

 ケラケラ笑って、「俺は尻の大きな人がタイプです!」と割と最悪なことを元気に言う。それにつられて俺も笑って、キッチン横のゴミ捨て場に昨日割ったマグカップを置いた。
 回収日は明日なので、ここに置いておけばゴーストがまとめて出してくれる。よろしく、とチップ替わりにクッキーを置くと静かに消えた。オンボロ寮とは違って、ハーツラビュルだとゴーストはよっぽど強力じゃないと目に見えない。

「なんか割っちゃったんですか?」
「私物のマグカップをな。部屋で暴れてたら8等分くらいに砕けたよ」
「なんでそんなに大暴れを……」
「生きてると色々あるんだよ。ほら、口開けろ」
「はい」

 素直な口にクッキーを入れる。季節のジャムを使った新作は敢えて小ぶりに作っているので作業しながら食べるのに向いているだろう。
 今は補習で頑張っているグリムにも、帰ってきたら分けてやってくれとお土産用にまとめていたものを渡した。入れ替わりにエースとデュースも来たので、「ほら受け取れ」と同じようにまとめたクッキーを投げ渡す。「やった!」「いつもありがとうございまーす!」元気な声に手を振って、部屋に戻った。

 戻ろうとした。

「機嫌が悪い?」
「いや、今のお前よりはいいと思う」
「じゃあ何か怒らせるようなことをしたか?」
「強いて言えば困ってるかな……」
「なにがだ?」
「逃げ場を塞がれて壁ドンされてる現状……」

 部屋の灯りがトレイの背中で全く見えない。完全なる壁ドン。
 突然廊下の横から部屋に引きずり込まれて、ドアに押し当てられている。なに? 普通に怖い。片方の口角を上げて片眉を下げる、いつもの笑みがこんなに怖いとは。

「……突然突き放すなんて酷いじゃないか。俺達はそんなに軽い関係だったか?」
「あー、うん。そうね……」

 肉体関係はあったもんな。恋愛感情はなくても、情はあるよな。さすがにこの日和見主義事なかれ自己中心人をダメにするパティシエも、最低限の人間性はあるか……。

「手ぇ出して」

 俺の突然の言葉に、不思議そうな顔をしながらも言われた通りに手を出してくる。それを掴んで上下に振った。

「いやあ、今までありがとう。これからも友人としてよろしく」
「……は?」
「好きな人が出来たんで、身辺整理したいんだよね。何も言わないで悪かったよ、まあ今後はふつーーに遊ぼ」
「すきなひと」
「そ。すっごい優しくて小柄で髪が長くて、家事はちょっと苦手らしいけど、俺が全部やってやりたいなって。俺の事好きになってもらいたいから、今頑張ってんの。応援してくれよ」

 俺の絞り出した最後の強がりだ。
 勘違いなんてしてなかった。俺だってはじめからわかっていたさ。トレイとは肉体だけの関係で、名前も形もつかない関係だって。好きな人がいるんだ。 
 もう心の底からその子に夢中。よそ見なんて出来ないの。

 呆然と立つトレイに隙を見出して、横をくぐって部屋を出る。

「じゃあ、また明日」

 自分でも驚くほど自然に声が出た。
 笑顔もちゃんと形になっていた。
 鏡があれば褒めてやりたいくらいだ。
 過ぎてしまえば、案外こんなものだったのかと思えてくる。

 この心臓の振動は、“やりとげた”という高鳴りに違いない。そうだろ。それしか理由がないだろ。逃げ込むように飛び込んだ部屋で、扉に背を預けてスマホを取りだした。ベッドまで辿り着ける自信なんてない。
 一刻も早く、何かに追われるようにマジカメを開いて、好きになるための人を探した。

 小柄で髪が長くて優しそうで家事が苦手っぽい子。そんなの沢山いるからさ、沢山恋ができる。こんなに沢山人がいるのに、俺の事を好きになってくれる子だけ一人もいないんだもんな。辛い。

 ぴろん、ぴろん、電子音と一緒に、トレイの名前が通知にあがる。俺はまだ、怖くてそれが見れなかった。今一瞬『逃がさない』って文字が見えた気がしたけど、たぶんルークから。不穏だ。余計メッセージアプリを開けなくなった。

 ちょうどいい子を見つけたので、いいね爆撃をする。君のこと、今からめちゃくちゃ好きになるから、きもくても許して。ちゃんと分別つけて好きになるから。