侵入者や狼藉者、食いっぱぐれた傭兵崩れの面々が、下卑た妄想を膨らませて踏み込んだ学園の庭は、彼らが想像していた「戦利品の山」とはおよそかけ離れた光景だった。
腰の高さに切り揃えられた薔薇の生垣。雨避けにもならない優美な屋根付きのベンチ。そして、純白のクロスが掛けられた長いテーブルには、宝石のように色とりどりの菓子が並んでいる。
そこでは、小鳥のように高く、しかし品の良い笑い声が、春の微風のように優しく交わされていた。
見目麗しい少女たちが、闖入者である自分たちを拒絶することなく、慈しむような微笑みで見つめている。その眼差しは、あたかも待ちわびていた客人を出迎えるかのように柔らかく、「こっちよ、来て」と招く手は、血生臭い鉄火場から戻った戦士を労うような慈愛に満ちていた。
まるで妖精の泉に迷い込んだかのような錯覚に、男たちは毒気を抜かれた。良い学園というものは、学生までこんなに美しいのだろうか。
つい先程まで「泣き叫ぶ小娘を押さえつけてどうしてやろうか」と嗤っていた卑劣な欲望は、霧散して二度と思い出せなくなった。この美しく可憐な乙女たちが怯え恐れ戦く姿など、誰が見たいと思うだろうか。
「わたくしのお茶会へようこそ。どうぞこちらへいらっしゃいませ」
その声音は、聖堂の奥深くで鳴り響く銀の鈴のように清らかに、野蛮な男たちの鼓膜を震わせた。同時に、鼻腔を突き抜けるのは噎せ返るような薔薇の芳香。それは、古の聖遺物から立ち上る奇跡の薫香にも似て、吸い込むたびに男たちの薄汚れた思考を純白の霧で塗り潰していく。
そこに立っていたのは、金髪の美しい少女……サンドレッリ家の令嬢、ヴァレンティナであった。
彼女の胸元で鈍い光を放つ薔薇のブローチは、まるで神の加護を象徴する聖印のように厳かだ。
一人の男は、その場に縫い付けられたように立ち尽くし、激しい眩暈と戦っていた。
目の前の少女は、もはや生身の人間ですらなく思えた。
それはまるで、中央教会の最奥に鎮座する、あの大理石のカレリア様神像そのものではないか。
慈愛に満ちた眼差し、黄金の糸を紡いだかのような髪、そして一切の穢れを排した陶器の肌。その指先一つ、裾の翻り一つにさえ、不可侵の神聖さが宿っている。
「あれを、攫う……?」
男は己の脳裏をよぎった下劣な企みに、言いようのない戦慄を覚えた。
それは略奪や暴行といった罪を超え、神の領域を土足で荒らす「大逆」に他ならない。
この、跪いて祈りを捧げることすら許されぬほどに尊く、天上の光をその身に体現した女神のごとき存在に、泥に塗れた指一本触れること。それは魂を永遠の煉獄に叩き落とすに等しい、恐るべき大逆ではないか。
男たちが生きた女神との遭遇に、魂を抜かれた抜け殻のように固まっていたその時、女神の庇護に包まれし小さな乙女たちが、陽だまりのような足取りで歩み寄ってきた。
「ねえおじさま、甘いものはお好き?」
栗色の髪をした子リスのように愛くるしい乙女が、なんの衒いもなく、血と埃で汚れた男の腕にそっと抱き着いてくる。
身の毛もよだつような不潔な格好など一切気にする様子もなく、ただ純粋な善意だけを向けてくるその重みに、男の心臓は激しく波打った。
「ねえお返事して? わたしはマカロンが好きよ。おじさまは?」
「わ、わかんねえ、なあ……?」
「じゃあ、わたしのおすすめを教えてあげる!」
無垢な笑顔。そこには奪われることへの恐怖も、蔑みも存在しない。ただ「客」を歓迎する温かさだけがある。
「ヴァレンティナ様のお茶会へなんて、貴方には百年早くてよ!」
別の男の前には、弾けるような澄んだ声が響き、赤毛の少女が凛と立ちはだかった。その意志の強さと、揺るぎない気高さに男の胸が震える。
「でも、ヴァレンティナ様直々のお招きですもの……仕方ありませんわ。いらっしゃい。わたくしがマナーというものを教えて差し上げます」
伏せた瞳に落ちる、長いまつ毛の影。ふと、彼女がキッと顔を上げた時、その瞳は野性味のある猫のように愛くるしく輝いていた。
自分たちの半分ほどしかない小さな背丈でありながら、背筋を伸ばし、立派に「淑女」として振る舞おうとするその姿。
─────こんなに健気で、守られるべき稚い子供たちを、手篭めにしようなんて奴がこの世にいるのか!?
男たちの胸に、それまでの略奪欲とは正反対の、猛烈な義憤が湧き上がった。
それは許されざる「悪」だ。そんな外道を、自分たちが見逃していいはずがない。彼女たちの清らかな世界を汚すものは、たとえ自分自身であっても許し難い。
「わたくしのお茶会では皆様仲良く……武器なんて粗野なもの、どうかお捨てになって」
鈴を転がすようなその声が、決定打となった。
男たちは、まるで夢遊病者のように、うわ言めいた声で「ああ、そうだな……」「なんて失礼なことを……」と呟いた。
先ほどまで固く握り締めていた錆びついた剣も、刃こぼれした斧も、いまや自分の手に残っていることすら耐え難いというように、ひとつ、またひとつと地面へ放り出されていく。乾いた音を立てて転がるそれらは、もはや武器ではなく、己の罪を映す穢れた残滓にすぎなかった。
彼らは続けて、防具の留め具に指をかける。金属が擦れ合う鈍い音とともに、胸当てや籠手、肩当てが外され、無造作に足元へ落とされていく。ハンカチなど持ち歩く習慣のない男たちは、震える手で自分の上着の裾や袖を掴み、必死に、何度も何度も、自らの掌を拭った。まるで皮膚の奥に染みついた何かを、削ぎ落とすかのように。
その瞳に宿っていたのは、もはや下卑た欲望の残り滓ではない。そこにあるのは、聖なるものを前にした者だけが知る、言葉を失うほどの畏怖と、胸の奥へ静かに満ちていく深い安らぎだった。
許しを乞う術すら知らぬまま、ただ救われてしまった者の顔……震えながらも、どこか幸福そうな、歪んだほどに穏やかな表情が、そこには浮かんでいた。
公爵令嬢ヴァレンティナ・サンドレッリの敷いた防御陣。その内部は、外界の喧騒から切り離された「聖域」へと変貌していた。
つい先ほどまで凶行に及ぼうとしていた男たちは、今や虚ろな瞳で、薔薇の香りに満たされたテーブルを囲んでいる。
彼らは可憐な少女たちの言いなりとなり、震える手で茶器を持ち、口に菓子を詰め込まれながら、厳格な紅茶のマナーを叩き込まれていた。かつての獣のような粗野さは消え失せ、そこには場違いなほど従順な「羊たち」の群れがあった。
「魅了魔法ですわ」
麗しの淑女は、一片の音も立てずに磁器のカップをソーサーに戻し、穏やかに微笑んだ。
「わたくしの防御陣は、広範囲を覆う代償として物理的な完全防御は望めません。その代わりに、魔力を持つ女性なら誰しもが密かに湛えている『ある魔法』を、極限まで増幅させる効果を持たせておりますの」
魔力を持つ女性は、その身に生まれながらにして「魅了」の力を宿している。
それは単なる容姿の美醜を指すのではない。身に纏う衣装の揺らぎ、指先の所作、場の空気を支配する香り。それら全てを媒介として、美という名の魔力を行使し続ける。
彼女たちは息をするように美しく、そして残酷なまでに優雅な存在……すなわち、美しき「魔女」として君臨するのだ。
「美しいものや可愛らしいものを守りたいと願うのが人の本性。それらに酷いことをしたいと望む殿方は、この世においては極めて少数派ですもの。多人数を相手取る時は、憎しみを抱かせるより、敬愛と畏怖を植え付ける方がずっと効率がようございますでしょう?」
彼女の言葉は甘く、しかし抗いがたい真理を含んでいた。当時、毒気を抜かれた賊たちは、彼女たちの微笑み一つを得るために、己の命すら差し出しそうな陶酔の中にいたという。
おっとりと語るその姿は、あまりにも慈愛に満ちている。しかし、記者は背筋に走る冷たいものを感じ、あえて問いを重ねた。
「しかし……もし、美しさや愛くるしさを踏みにじることに悦びを感じるような、真に救いようのない外道が紛れていたとしたら、どうなっていたのでしょうか」
記者の震える問いに対し、現在の「薔薇の妃」は、陽光に輝く花びらのように清らかな笑みを向けた。
「ふふ、案じることはありませんわ。もし万が一、わたくしのお茶会の流儀に馴染めぬような野蛮な方が混じっていた場合は─────」
そこで彼女は一度言葉を切り、慈愛に満ちた瞳の奥に、凍てつくような峻厳な光を宿した。
「わたくしがこの手で責任を持って、その賊の首を、一思いに斬り落としましたわ」
その瞬間、豪奢な客間の空気は物理的な質量を伴って凍りつき、部屋の温度が数度下がったかのような錯覚が記者の肌を刺した。
インタビューの場に流れる沈黙は、深海の底のごとく重く、冷徹だ。壁際に彫像のように並び立つ十人の近衛兵。
彼らがわずかに重心を動かした際に響く鎧の擦れる音さえ、無礼者の首を刎ねる死の宣告のように鋭く、鋭利に鼓膜を打つ。
記者は全身から噴き出す冷や汗を拭うことさえ忘れ、ただ目の前に座す「生ける女神」の、人知を超えた神々しさに震えるしかなかった。
その美しさは、もはや慈悲ではない。直視すれば魂を焼き払われ、跪くこと以外の一切の思考を奪われる、暴力的なまでの聖域だ。
この謁見そのものが、死すべき定めの人間に許された領域を遥かに超えている。不敬罪に問われる恐怖よりも、その絶対的な美の奔流に飲み込まれ、己という存在が崩壊していく恍惚が勝っていた。
ふと、記者の視界の端で、一人の近衛兵が微動だにせず王妃を見守る姿が映った。鍛え上げられた強靭な肉体、一切の無駄がない洗練された立ち居振る舞い。だが、彼の過去を知る者は少ない。
あの日の惨劇─────あるいは奇跡。薔薇の香りに包まれた庭園で、虚ろな瞳でマカロンを口にしていた「賊」の一人が、彼だったのである。
あの日、公爵令嬢ヴァレンティナの防御陣に飲み込まれた全ての襲撃者たちは、ある意味で例外なく、完全なる「死」を迎えたのだ。
かつての彼らを突き動かしていた、下卑た妄想も、獣のような粗野な欲望も、貧困ゆえの憎悪も、あの薔薇の香りと淑女たちの微笑みによって跡形もなく漂白されてしまった。
魅了魔法が増幅させた圧倒的な「美」の前に、彼らの人格は一度徹底的に破壊され、再構築されたのである。
労役を終え、罪を償い、己の腕一本で近衛の地位まで成り上がった彼らは、もはや二度と、あの粗野で無知だった自分に戻ることはできない。
彼らの魂の根幹には、あの日刻み込まれた「美への絶対的服従」という名の消えない烙印が押されているのだから。
それは救済であると同時に、呪いにも似た永遠の忠誠だった。
かつて牙を剥いた獣たちは、今や王妃の指先一つで命を捨てる狂信的な騎士へと変貌を遂げている。
「ヴァレンティナ妃、万歳! 万歳! 王国の薔薇、その栄光よ永遠に在れ!」
記者の心からの叫びは、近衛兵たちの沈黙の誓いと同調し、部屋を満たした。
美しき魔女、あるいは残酷な女神。彼女が微笑み続ける限り、この王国は、そしてかつて彼女を害そうとした男たちは、その芳しい支配から決して逃れることはできないのだ。
