アフェクト・ターン

 同性兄弟近親相姦(年齢差八歳)。字面だけ見れば地獄そのものだし、実際、きっかけも俺の趣味が影響したなし崩しの関係ではあるのだが、“前世の記憶”があるせいで、そこだけ妙に他人事めいた感覚が残っている。

 だからなのか、兄弟というタブーへの生々しい忌避感は、実のところあまりない。たぶん俺の中では、“兄”という肩書きより先に、“燈矢くん”という個人の輪郭の方が強く立っているのだと思う。

 生まれてからしばらくはずっと一緒にいたし、幼少期の俺は燈矢くんの精神安定用だっこ人形みたいな扱いで、抱き上げられてはあちこちへ持ち運ばれていた。

 陽火くん大好き、陽火くんも俺のこと大好きだよね、陽火くんは俺のこと見限らないよね、陽火くんは俺のこと裏切らないよね、陽火くんは俺のこと信じてくれるよね、陽火くんは俺の可愛い弟だよね────そんなふうに、愛情というより呪詛か洗脳じみた言葉を、繰り返し繰り返し刷り込まれて育ったわけだが、そのあとに三年間の完全な空白期間があったおかげで、そこで一度きれいにリセットされた。
 刷り込まれたはずのものが一度途切れたせいで、逆に俺は、燈矢くんを“昔からそういうものだった相手”としてではなく、再会した時点の印象から選び直せたのかもしれない。

 幸か不幸か、あの粘着質ネトネト兄弟関係が完成してしまうこともないまま、三年後に再会した燈矢くんは、遅れてきた成長期が一気に押し寄せたみたいに、ぱっと見の印象を大きく変えていた。
 火傷のせいで人相そのものが変わっていたことも、その理由として大きい。
 記憶の中にいる燈矢くんと、いま目の前にいる燈矢くんとは、どうしたって完全には重ならなかったのだ。 それでも俺が、目の前のこの人こそ轟燈矢だと信じられたのは、“原作知識”という反則じみた手札があったからだし、燈矢くんは生きていると言い張れたのも、そのズルのおかげだった。
 そう思うと、少しばかり後ろめたさがないでもない。もし俺が、ただ何も知らずにこの世界を生きているだけの人間だったなら、きっと燈矢くんにとって俺は復讐対象のひとりでしかなかったはずだ。
 そうならなかったからこそ、いろいろなものが妙な方向に捻れた。捻れに捻れたその果てに、今の俺たちは立派なインモラル近親相姦兄弟である。 もう俺の中では、燈矢くんを「血の繋がった年の離れた兄」として認識する感覚よりも、「俺のことが大好きで、やたら献身的な男」として認識する感覚のほうが、ずっと大きな比重を占めていた。
 

 だからまあ、率直に言うと、俺はごく普通に燈矢くんのことを好きになってしまっている。

 燈矢くんの方はたぶん、選択肢が俺しかないことと、俺を好き勝手遊ばせて変な事件や事故に巻き込まれたら困るから、自分の身体を使って面倒を見ている────そのくらいの感覚なのだろう。

 けれど、俺は燈矢くんみたいな面倒くさい人間が普通に好みだ。

 そんな好みのタイプに迫られて、そのうえ献身的に愛情まで注がれたら、そりゃあ好きにもなるよなあ、という感じである。
 仕方ない。たとえ相手のそれが、どこまでいっても歪んだ身内の情に根差して、勘違いを幾重にも重ねた末に本物だと誤認しているような「好き」だったとしても、好き好き言われ続けたら、こっちだって好きになってしまうものだろう。しかもそれが、口先だけではなく、行動の端々にまで染み出しているのだからなおさらだ。

 俺が余所見をして余計なことをしないように、根の真面目さが妙な方向へ悪影響を及ぼして、ネットで仕入れたとんでもない知識を実践しようとすることもある。そのくせ、甘えた子供みたいな軽いキスひとつでも嬉しそうに目を細めて、こちらへ身を寄せてくるのを見ると、やっぱり可愛くて、どうしようもなく愛おしくなってしまう。

 前世持ちとはいえ、前世から変わらず持ち越しているのなんて、せいぜい技能と根本的な性格くらいのものだ。
 前世では三十路間近の社会人でした、とは言えても、だからといって今の俺が「過去世と今世の年齢を足して五十過ぎの大人の男です」みたいな顔をできるかといえば、そんなのはとても無理だ。
 せいぜい知識だけ妙にある、年相応のクソガキにすぎない。
 そんな俺でも、燈矢くんと恋人としての触れ合いをしている時は若干過去に引きずられて、若い恋人が出来たような……そんな気持ちになってしまうんですよ……。今の身体や年齢の感覚とは噛み合っていないのに、妙なところでだけ、昔の自分の感性が顔を出す。

 燈矢くんはまだまともだった時から、思考や人間関係が閉ざされていたせいで、その……恋人として、あの……ウブで可愛い態度を取るので……。
 感情をどう言葉で表現したらいいかわからなくて、ぴたっとくっついて見上げてくるから、普段の格好良さとのギャップが効いてて……。言葉にできないぶんだけ、距離や体温で埋めようとしてくる感じがある。
 八歳年上のオニイチャンが、無知シチュで、それなのに一生懸命俺の事喜ばせようとしてくれるから……そりゃあもう、どうしようもなく可愛いし、愛おしくもなってしまうもので……。

 割と毎日「可愛いなこの男……」と胸をときめかせているが、今日また更新された。

 なんてことはない。仕事を終えて、自宅拠点へ戻る途中の徒歩移動で、道路に落書きがしてあった。
 子供が描いたのだろう、白いチョークみたいな線で丸がいくつも連なっている。懐かしい。この丸に沿って跳んでいく遊びだ。けんけんぱ、というやつ。
 微笑ましいなあと何気なく眺めていたら、隣を歩いていた燈矢くんの影が、不意にふわりと浮いた。

 とん、とん、とん。

 靴底が軽く地面を叩くたび、コートの裾がわずかに揺れて、長い脚が丸の中へ素直に収まっていく。歩幅の大きい人間がやるものだから、子供の遊びにしては動きが妙にすっきりしていて、けれど本人はそんなこと少しも意識していないみたいに、ごく自然な顔で丸をひとつずつ踏んで跳ねていった。

 え~~……!? こういうの、やるんだ……!?

 しかも何も言わずにやっているあたり、本当に無意識でやってる。

 ちょっと弾むたびに重心がふっと上がって、着地のたびに肩先がわずかに沈む、その単純な繰り返しを当たり前みたいにやる。
 案外長く続いていた丸の列のいちばん最後、『turn!!』と書かれた場所に片足を乗せると、そのまま身体をくるりと返した。軸足を残して、もう片方の足先が半円を描く。猫みたいに無駄のない動きで向きを変え、くるんと一回転したあと、何事もなかったような顔で俺と並んでまた歩き出した。たぶん本人の中では、わざわざ話題にするほどのことですらないのだろう。いつも通り、スンとした顔をしている。えっ、かわい。何だこの男……愛おしいな……。

「俺、燈矢くんのこういうとこほんと好き。かわいい……」

 噛み締めるみたいにそう言うと、燈矢くんは、たぶん俺が何を言っているのかそこまで正確にはわかっていないまま、ゆっくりと首を傾げた。

 それから、「俺も陽火くんのことが好きだよ」と、火傷で引きつった顔のまま不器用に、ほんの少しだけ笑う。たぶん、同じ方向の「好き」ではないのだろう。けれど、まあ、それでいい気もする。俺たちには、そのくらいがちょうどいいだろう。
 正しい言葉も置き場も無いままで、全部がダメになる日までの恋人ごっこを楽しんでいきたい。はじめから正解のルートとは外れているんだから、終わる時まで一緒にいよう。死ぬまで一緒にいてあげるって、約束したもんな。

 当たり前のように差し出された手を繋いで、帰路を行く。きっと燈矢くんの中の俺は、ようやく一人歩きをはじめたよちよち歩きのままだ。守ってあげなきゃすぐ死んでしまう弟のまま、“好き”でいてくれるからの献身を、搾取しているだけの関係。たまに自分にゲンナリする。
 前世があって、今世もあって、もしも来世もあるなら、今度は普通に、燈矢くんのことを好きになりたいなあ。無理だろうな。“かわいい弟”じゃない俺のことは、きっと好きにはならないだろうから。
 まったく、いつだつて人生は上手くいかないものだ。そういうふうに、出来ている。そんなものだ。