ご近所の皆さまへ:夜間の生活音についてのお願い

 休日の午後は街がいつもより少しだけ華やいで見える。

 天気が良くて空気がやわらかくて、通りにはちょっと気合いの入った人が多い気がした。美容院帰りっぽいふんわりした髪の人、ワンピースの裾が春風に揺れてる人、カフェのテラス席からこぼれてくる笑い声。オシャレな人が多くて少し居心地が悪いが、下手に人の少ない道に行くと普通に治安が悪いんだよなあ……。

 ぼんやりと歩きながら、すれ違う人の顔を何となく眺めていた。というより、観察してるようで何も見ていない。相変わらず人の顔をちゃんと覚えるのは苦手だ。いつも耳で聴いてばかりで、目のほうが疎かになってる気がする。

 それでも一人、やけに目に留まる人がいた。

 スマートな体格に、涼しい色味のシャツ。シンプルだけどセンスのある私服。背筋が真っ直ぐで歩き方が綺麗だ。やはり都会はすごい、こんなに普通にモデルさんみたいな人が歩いてる。
 まるで俺の恋人のようだ。肩書きがいっぱいで仕事を抱えまくってる恋人のことを考えるとちょっと寂しくなる。彼が忙しくて会えなくなって一週間は経ってるかな。毎日連絡は取り合っているけど、今日はオフの日! というお誘い待ちのメッセージにわざと気付かないふりをして流したのは昨日だった。

 本当に忙しいから、オフの日にはしっかり休んでもらいたい。1日6回行動くらいしてるせいで、いくら生粋のショートスリーパーだとしても体力削られてるだろうし……。普通に働いてるだけの俺だって、30超えたら生きてるだけで疲れてるんだ。いくら鍛え方が違うと言ったって、同い年だからデバフの付き方は同じだろう。

 そんなことをつらつらと考えていたら、真っ直ぐに脇目も振らずにその人が俺を見ていることに気がついた。
 目が合った……気がした。いや、目の奥の熱量が、明らかに俺をロックオンしてる。

 なんだろう、この感じ。

 距離が縮まるにつれて、表情がだんだん険しくなっていく。うん? もしかして怒ってる? いやいや、誰? 俺なにかした? ていうか、知ってる人? あれ…………?

​─────あ、ひざしくんだ。

 気づいた瞬間には、もう肩をがっしり掴まれていた。

「オレのこと今、分かってなかったなァ!?」

 近い。声がでかい。咄嗟に自分の個性を使って音量を『調節』したが、周囲の人が驚いた顔をして俺たちを見ている。

 そりゃそうだろう、ボイス・ヒーローの怒りの発声だ。俺も個性を使うのが遅れていたら鼓膜の1枚や2枚持っていかれただろう。
 『ヴォイス』が俺に向けてだけ使われていたのは今まで積み重ねてきた信頼、あと単純に「なにぼんやり生きてんだ」という、俺に対するムカつきだ。
 美容院帰りらしく、いつもの特徴的なトサカのような髪は下ろされて、オシャレな私服で街に溶け込んでいる彼は、完全にオフでプレゼント・マイクではなく山田さんちにひざしくんになっている。

「えーと……」

「オレのことトサカとヒゲとサングラスで判断してる!? してたよな!? 今な!?」

 矢継ぎ早に畳みかけられる。文句というか、叱責というか、テンションが高い。たぶん半分くらい冗談。でも、半分くらい本気だろう。悲しい時に派手に騒ぐ癖があるから。

「ごめーん」

 軽く手を合わせて謝った。いや、ほんとごめん。トサカもサングラスもなかったら分かんなかった。オシャレなお兄さんだった。完全に。

「ほんと分かんなかっただけで……なんか雰囲気が違いすぎて……」

「違いすぎて!? それ褒めてんの!? ディスってんの!? どっち!? 13年よオレたちの交際期間!!」

「褒めてるよ。超かっこよかった。めちゃくちゃ見惚れてたもん」

「調子のイイやつゥ……」

 少しだけ怒気が抜けて、ひざしくんの口元がにやっと緩む。よし、許された!

「も~、オレだって分かんなかったなら“誰あのイケメン”って言って追いかけてこいよなァ!」

「浮気はNGなんで……恋人が泣いちゃうのはちょっと」
「泣かせんなよお前マジで」
「おっす」

 ひざしくんは胸ポケットに引っ掛けていたいつものとは違うお出かけ用のサングラスをかけて「今日なんか用事あったんじゃねぇの」と俺の腹を小突いてきた。用事はとりあえず今からと言うと、一緒に着いてきてくれるらしい。目的も行く先も何も知らないのにいいんですか? 俺に断られるだろうなとちょっと伺ってくるのが可愛い。こういうところいじらしいんだよな、このハイテンションボイス・ヒーロー……。

「俺さぁ、ひざしくんの声がすっごい好きなんだよね」

 突然脈絡もなく褒められたのに、褒められ慣れしているひざしくんはニカッと笑って「サンキュー。もっと言ってくれていいんだぜ!」と受け入れてくれる。

「いや、ほんとに。プレゼント・マイクのファンはみんなそうだと思うけど、ひざしくんの声って、よく聞こえちゃうわけさ」

「どうしたー?オレを褒めたい気分かー?いいぜ来いよ、甘やかしまくってみなァ」

「甘やかすけどぉ」

けたけたと笑う声は音量15。俺の個性で『調節』して、隣で話す人の声にしては少し大きいくらい。俺はずっとこれで固定してきたわけだけど。

「ひざしくん、声大きいから喘ぎ声全部マンション中貫通してるって。住民の皆様への注意喚起張り紙が発生しました。あと管理会社から電話きた。我々は特定されている」

「……………oh……」

「俺たちの円滑な交際には防音設備が求められている」

「shit!! マジかよ! ごめん!!」

「いや、いいよ。音量15で固定してた俺も悪いし……でも、声の相手がプレゼント・マイクだってバレるとさすがにヤバいかなぁと」

「あーーっ、うーーっ……! やっべぇ……! オレんち、防音バッチバチだったから……その感覚でやっちゃってた……」

「俺も調節してたせいで、気づかなかった。お互い様だね……不動産屋行く予定だったけど、ひざしくんちに転がり込んでいい?」

「……望むところだけどォ……この流れだとは想定外だぜ……」

 トサカがないからいつもよりしょんぼりして見えるけど、俺としては棚からぼたもち瓢箪から駒カモがネギを背負ってやってくる。落ち着いたら籍入れようね、と話したのは20の頃だった。それから10年経ったけど、ひざしくんは一生落ち着かない気がしていた。なんでもかんでも派手に一生懸命頑張ってる姿が好きなので問題ないけど、今がタイミングなのかもしれない。

 わーわー言いながら両手で顔を覆っていたひざしくんも、諸々バレてる恥ずかしさから切り替えたらしく、ナマエいつ来んの今日来ないの引越しとか業者全任せパックあるじゃん今それ予約しろよ今日から住もうよと畳み掛けてくる。

「今日はちょっと」
「んじゃ明日!」
「平日は君、先生でしょうが。さすがに家主いないまま乗り込めないって」
「明日だったら明後日もナマエが家にいるんだぜ!? 明明後日もだ! それなのに……?」
「俺にも生活がありまして……。土曜日はラジオの明けだから、早くて日曜かなあ」
「きょ、今日が日曜なのに……? あとまるまる一週間あるというのに……?」
「うん」
「ど、土曜日……」
「当日の5時までラジオしてる人は寝ててください」

 俺が仕事に誠実なばかりに……と大地に膝をついて嘆くひざしくんの背中を撫でて宥めつつ、突然転がり込む形なのに乗り気でいてくれて嬉しいよと伝えておいた。付き合いが長いのに生活リズムが違いすぎて同棲もしてなかったもんな、俺たち。

 まるまる一週間後、予告通りに俺はひざしくんの家に転がり込んだ。わあ! おしゃれの圧がすごい! デザイナーズマンションってことだけは外観だけで分かる! コンシェルジュがおる……。ひざしくんもこの家に引っ越してから8年くらい経ってるので、何回も遊んだり泊まったりはしてるけどこの圧倒的『陽』のオーラに眼がやられる。慣れるか? これ。にこやかに挨拶してくれる住民の皆様も人間として格が高い立ち振る舞いしてるオシャレ人間たちだ……。

 俺が無様に圧倒されていたら、玄関前で待っていたひざしくんが「こっち!」と手をブンブン振って迎えてくれて、仕事で使うものくらいしかない荷物は、引っ越し業者が三往復であっという間に終わらせてくれた。
 とにかくご機嫌のひざしくんは俺が払うより先に業者に支払いをして冷えたポカリと「これチップな!」と心付けまで渡している。行動が……行動が早い……! 1日6回行動してる人間のスピードについていけない……!

 簡単な仕事の上に心付けまで貰ってニコニコの業者の方々と笑顔で「バーイ」していたひざしくんは、玄関の扉を閉めてすぐに「待ってて!」と奥の部屋から何かを引っ張り出してきた。

「これナマエの枕ね」

「……ん?」

「これナマエの皿ね」

 どれも新品ではある。あるけど、全体的にちょっとだけ型が古い。ロゴも廃盤になった食器ブランドのやつだった。

「準備がいいねぇ……」

ナマエと暮らすのは人生設計に組み込んでたしィ?……ま、正直言い出しにくかったってのはあるけど」

「なんで?」

「オレ、家にほとんど帰れないじゃん。ヒーローで、先生で、ラジオもやってるし。なんか、“来いよ”って言ったら重いかなって思ってさァ」

「相変わらず、変なとこで遠慮しいだよね」

「よせやい、謙虚で慎ましいのは元からだろ」

「なんか言ってる」

 家主のひざしくんが自宅に寝に帰ってくるのは月に数日くらいだろうなと思ってたし、同棲からすぐあとで先生の仕事の方で色々あったらしく学校側でも寮という拠点を作られて良くて土日くらいしか帰れなくなった。本人はたまにしょんぼりと「予定と違う……」なんて言ってるが、俺としてはひざしくんちの観葉植物を守護する任務をこなせるし、土曜の早朝にラジオ明けで帰ってくるひざしくんを出迎えられるのが嬉しい。

 それに家で仕事してるひざしくん、クールで格好いいんだよな……。いいのか……? プレゼント・マイクのオフでの生活をこんなに間近で見れて……。

「もっとイチャイチャできると思ったのになァ」

「俺が勝手に毎秒惚れ直してるからいいんじゃない?」

「惚れ直してくれてんの!? なんで言わないんだ言え言え言え! Loveは言葉で伝えるんだよ!! ちなみにオレはナマエが家にいると『え、オレの好きな人がオレの家で24時間一緒にいてくれてる……奇跡……?』って思って幸せですありがとう1日が60時間くらいあればいいのに」

「1日が60時間あったらひざしくんは1日12回行動して結局いまとあまり変わらないと思う。
俺は……そうだな、プレゼント・マイクはみんなのヒーローだけど、俺の前にいる山田ひざしは俺だけの大事な人なんだなあって噛み締められて幸せ。なんか、もっと早く同棲すればよかったな」

「山田家のひざしくんがあげられる全てをナマエに捧げたい」
「だいたい貰ってきたよ」
「そうね」

 付き合いも長いですから、この長さで大きな喧嘩も1度もしてないあたり、本当になんで同棲してなかったんだという話かもしれない。来週役所行って婚姻届貰ってこよう、証人は相澤くんでいいか。同棲したことも話したいし。

 婚姻届持って相澤くんと二人で飲んでたという状況証拠だけではじめての大喧嘩になったのが、これから数日後のことだった。(尚、相澤くんには人生で8回目の絶交をされたものとする)