テーブル返しが1分遅れたら死んでた

 原作知識スカスカの俺でも名前を覚えてるくらいの有名キャラ、トガちゃん。にんまり笑う顔がとんでもなくかあいい。──未来のヒロインだ、と確信している。まだデクくんと出会っていないはずなのに、そんなの関係ない。こんなにかわいい子がヒロインじゃない世界線、あるわけないだろ。表紙になってるのも見たことあるし、はじめは敵対していたがなんやかんやで相思相愛っていうのはよくある流れだ。

 そんな未来のヒロインが、俺の作ったザクロのグラニータをまるで初恋でも見つめるみたいに、おめめキラッキラで凝視している。……かわいいね、ほんと。

「私のために作ってくれたんですか?」
 机の上のグラニータと俺を交互に見ながら、期待の光を滲ませる。「良いものあるからこっちおいで~」と誘拐犯めいた手招きをしただけなんだけど、素直に着いてきてくれたので話が早かった。拠点のテーブルには、ちょっと小洒落たグラスに果実を乗せた、鮮やかな赤の氷菓が鎮座している。

「ザクロ好きって言ってたの、覚えてたからね」
 そう答えると、彼女の顔がぱっと花みたいに開いた。ほんの数時間前、返り血まみれで帰ってきた姿と同一人物とは思えないくらい、可憐で無垢な笑顔だ。

 実のところ、ちょっと手に入りにくい果物だから印象に残ってただけだし、ザクロなんて人生二周分で一度もちゃんと食べたことがなかったので、単に自分が食べたかっただけである。ちなみにザクロのグラニータとは、ざっくり言えばザクロジュースシャーベットのようなものだ。作り方はめちゃくちゃ簡単。

 強いて言えば、ミキサーを回しているときに弔くんが「うるせえな、ネズミでも粉砕してんのか」とグロい因縁をつけてきたのが、一番の手間だったかもしれない。その弔くんはザクロを「うわキモ」と文句を言いながら1粒食べて、顔をくしゃくしゃにした後「すっぱ、毒」と呟いて全ての興味を失って出ていった。
 めちゃくちゃ甘くしたやつを別に作っておいたので、帰ってきたら献上しようと思う。俺は弔くんの、こういうところがめちゃくちゃ好きなんだよな……。この世のなにもかもに一旦文句つけてるところが、おもろすぎる……。

「溶ける前に召し上がれ」と促すと、スプーンを手にしたトガちゃんは、まるで宝物をすくうみたいに、グラニータをそっとすくい上げた。透き通った赤い氷が薄暗いBARの照明を受けてきらきら光る。その様子を一瞬だけうっとりと眺めてから、ひとくち。スプーンの上できらめいていた氷が、舌に触れた途端に音もなく崩れ、酸味のある果汁がひんやりと喉を撫でる。甘酸っぱさの余韻が鼻に抜けた瞬間、トガちゃんの目がぱっと輝いた。

「……ん~~~っ! おいしい……っ!」

 頬を染めて、口いっぱいに冷たい果汁の甘酸っぱさを広げるその顔が、もう反則級にかわいい。次の一口も、やっぱり丁寧にすくって、大事そうに口に運んでいく。氷菓というより、特別なプレゼントを味わってるみたいだった。誕生日のケーキとか、そのレベルのものだ。

「おいしいね! うれしいね!」
 一口ごとに、幸せをそのまま声にして伝えてくる。なんて作り甲斐があるんだ……! この美少女が転売ヤーが捨てたハンバーガー食べて飢えを凌いでいたんですか? 世界が許せない。俺が毎日美味いもの作ってあげるから二度とそんなもの食べないでくれ。これは仁くんにも言ってます。俺が……俺がとやくんから貰ったお小遣いでお前らを養ってやるからな……!! 全然格好つかない。俺は実兄に扶養されているか弱い未成年だから……。

 トガちゃんは最後のひとくちを、まるで宝物のように大事そうに口に含んで、ゆっくりと溶かして味わいきると、小さく「ふう」と息をついた。その顔は、食後の満足に満ちていて────まるで安心して眠る前の子どものようだった。

「ごちそうさまでした」
 小さな声で丁寧にそう言って、空になった器を両手で差し出してくる。その仕草が妙にきちんとしていて、なんだか胸がくすぐったくなる。「お粗末さまです」と受け取りながら、俺はそれを流しへと運んだ。

 視界の端で、トガちゃんが自分の頬をもちもちと揉んでいる。氷菓で冷たくなった頬を温めているらしい。その無防備な動きがあまりにも可愛くて、思わず小さく笑いがこぼれる。

 洗い物をしている俺に、彼女はふとまっすぐな瞳を向けてきた。自然と目が合うと言葉が続く。

「なんで、あかりくんはこんなに優しくしてくれるんですか?」

 唐突な問いかけだった。だけど、声には責めるような響きはなくて、ただ真剣に、不思議そうに。小動物が首を傾げるみたいな声と仕草だった。

 俺が返事をするより先に、トガちゃんは指を一本ずつ折っていく。

「泊まる場所を用意してくれました。ご飯もたくさん食べさせてくれます。私がちうちうしてきたら『良かったね』って言ってくれます。好きなものを覚えて、美味しくしてプレゼントしてくれました」

 ひとつひとつ、数えるたびに指が折れていき、最後には両手を胸の前にぴたりと合わせて、まっすぐ俺を見上げてくる。

「なんでだろうって思ってたんです。私、あかりくんになんにもしてないから。ずっと『変なの』って思ってました」

「変なのって認識だったの!?」

 思わず声が裏返った。予想外すぎる直球に、スポンジを握る手が止まる。

「はい」
「なんて素直な返事だ、かあいいね……」
「えへへ」

 ふにゃんと口角が上がる笑顔は、何かを企んでるでも、媚びているでもなく、ただ心の底から嬉しそうな笑顔だ。かーあいい。

 ……俺のお気遣いがすべて変人の奇行と思われていた可能性が見えてちょっと衝撃を受けたが、まあ、冷静に考えればそうなるよな。見返りを求めてもいないのに、色々世話を焼いて、美味しいものを作ってプレゼントしてくる。そんなやつ、普通に怪しい。

 つまり、俺は見返りゼロで貢ぎ続ける変人であり、トガちゃんは正しくそれを「変」と認識していただけ、ということだ。……うん、正しい。俺が変。

「それは俺がトガちゃんのこと、好きだからって理由」
「ごめんなさい、あかりくんのことは好きだけどそういう好きじゃないです。血の匂いもしないしボロボロじゃないし……」
「待って振らないで、俺も『そういう』好きじゃないの。友達の好きなんです。職場内恋愛無理派なので安心してください」
「びっくりしちゃった」
「不用意な発言申し訳ない」

 あっぶねえ! 未来のヒロインに変なタイミングで告白してフラグを立ててしまうところだった! いや、速攻振られてるからフラグは立たないか……。なんで振られたんだ? 俺。実兄の庇護の元、かすり傷以上の怪我をした事ないから、本当にトガちゃんの好みの外なんだろうな……。いいんだけどさ……。

 恋愛感情はないけど好きっていうのはトガちゃんも分かってくれる感情だったらしく、「じゃあ私たち、トモダチの両想いです」と呟く。その言葉を口にしたトガちゃんの頬は、恋のそれとは違う、でも確かに甘い照れで染まっていた。
 洗い物を終えてトガちゃんの前の席に座ると、もじもじと指先を擦り合わせながら上目遣いになっていた。

「あかりくんのことちうちうしていい? オトモダチでだいすきだから、ちうちうしたいです……」
「死なない程度ならいいよ。でも事務仕事多いから足とかにしてね」

 腕とかだとキーボード打つ時に響くかもしれないから、上半身より下半身の方がいい。俺があまりにもあっさり快諾したことに驚いたのか、トガちゃんは目をまんまるにした後に嬉しそうに満面の笑みになる。

「えへへ、じゃあどこにしよっかな。あかりくんおっきいから選び放題です」

 テーブルを避けてぐるぐる回って狙いを定めているらしい。肉食動物の狩りみたいだなあ。

「穴開けちゃって大丈夫?」
「いいよ」
「じゃあここ、ちうちうします!」

 テーブルの下に潜っていったトガちゃんの手が、太腿に触れる。そこら辺なら座り仕事に影響しないからいいな。───────その瞬間、俺の視界は俯瞰になった。テーブルクロスの下、太腿の間にすっぽり収まった小さな影。完璧な位置取り。完璧にアウトな構図。

「やっっべ!!! ごめんやっぱ腕にしてくんない!?」

 これ完全に位置取り間違えてる! テーブルの下で、俺の足と足の間に入り込んでる状態だから完全にあれ、やばい、トガちゃんが気づいてないうちに修正しないと大変なことになる。誰も来ていない今のうちに止めないと───────!

「やです、ここをちうちうします」

 トガちゃんは小さく膝立ちになりながら、布越しに俺の太腿へ頬をすり寄せた。すり、すり、とまるで甘える猫みたいに。ジーンズ越しに伝わる体温と、柔らかい髪の感触。本人は間違いなく“甘え”のつもりなのが分かるだけに、余計にタチが悪い。

 椅子がぎし、と小さく悲鳴を上げた。テーブルクロスが不自然に膨らみ、俺は一瞬で全身から血の気が引いた。位置と体勢が完全に“アレ”です。テーブルで隠れてるのが、本当にタチが悪い。
 よりにもよって俺の脚の間、正面にぴったり収まる形で甘え始めたせいで、傍から見たら完全にアウトな構図になっている。

「頑固ちゃん~~……!」
「ね、あかりくん。ちうちうしちゃっていいよね? トモダチだもん。ちゃんと約束守ります。死なないくらいにちうちうするの」

 真っ赤な顔で眉を下げながら、上目づかいで確認してくる。断られたのに「いいって言ってたのに!」という小さな抗議と、甘えたい気持ちがごちゃ混ぜになった表情だった。

 ……やめろ、その顔で言うな……誤解される……!!

 本人はただ拗ねて甘えているだけ。なのに構図は完全にアウト。俺は椅子に座りながら引きつった笑顔で、心の中で全力で祈った。ジーンズの生地に小さな穴があけられて、鈍い痛みが脈の動きに従って響いてくる。足の間にある小さな頭をなんとなく撫でながら神に祈った。

 誰も……来るな……今だけは……!!

 ───────が、残念ながらヴィランに神などいやしない。他称神様やらされてるんだから少しぐらい融通してくれてもいいのにな。
 俺の願い虚しく、ドアベルを鳴らしながら帰ってきたミスターが数秒の空白の後、「セックスをしようとしている……? 咥えさせている……?」と聞いてきて、殺伐とした沈黙が流れたのだった。

 テーブルが固定式じゃなくて助かった。なんとか両腕の力でひっくり返し、ちうちうしてるトガちゃんをみせて誤解を解いたが、選択肢をひとつ間違えれば俺はあらゆる意味でおしまいになっていただろう。

 Mr.コンプレス、迷ってたもんな。「ここで始末した方がいいか」って眼をしてたもんな……。俺も逆の立場だったら事情聴取の前に刺してるから、まだ理性的な相手で助かったと思うことにしている。本当に、危ないところだった。