あかり教会報誌『ともしびのつどい』No.423

ともしびのつどい 編集部より ご返信のお知らせ

本日は、編集部の山本より、一部のお問い合わせに対するご返信を掲載させていただきます。
おひとりおひとりのお気持ちに、できるかぎり丁寧にお応えできるよう努めておりますが、
すべてのご連絡に個別のお返事を差し上げることが難しい場合がございます。何卒ご理解いただけますと幸いです。

皆さまの灯した《あかり》が、どうか今日も、誰かの心をそっと照らしますように。


【匿名希望様】
教祖がヴィランとして指名手配されていることに関してはどう思いますか?
​───────
こんにちは。編集の山本です。

このたびはご質問をいただき、ありがとうございます。

《あかりさま》が現在「火継」というヴィランネームで指名手配されていることについて、私たち編集部としても、とても悲しく、重く受け止めております。

けれど、私たちは知っています。
《あかりさま》はこれまで、私たちに何かを強制したことは一度もありません。
従わせようとされたことも、盲目的に信じろと言われたことも、ただの一度もありませんでした。
私たちはただ、あたたかな《あかり》を分けていただき、心の中に灯し、日々を生きる力にしてきただけです。

外から見れば、その灯りが不気味に思われたり、知らないからこそ怖がられたりすることもあるのかもしれません。
でも、だからこそ、今こそ必要なのは「対話」ではないでしょうか。

私たちは願っています。
いつの日か誤解がとけることを。
争いや疑いではなく、言葉とまなざしによって、また笑い合える日が来ることを。

そのために、私たちひとりひとりが、できることをこつこつと続けていきましょう。
怒りや不安の声にも耳を傾け、無理に否定せず、ただ静かに《あかり》を掲げていけたらと私は思います。

《あかり》の前では、人は皆、平等です。
過去に何があったとしても、どんな立場にあっても、
ひかりを望む心に、上下も敵味方もありません。

いつかきっと、わかり合えると、私は信じています。

―― 編集部 山本より

【北市庵小学校三年生 堂寺 まどか様】
ともしびのつどい編集部さま。 いつもありがとうございます。おかげさまで毎日とても安心してすごしています。 質問ですが、あかりを渡す相手に年れいせいげんはありますか。べつべつに暮らしている妹に、ぜひ分けてあげたいのです。 みなさまのそばに日々おだやかなあかりがありますように。 
​───────

こんにちは。編集の山本です。
あたたかいおたよりをありがとうございました。
《あかり》があなたの毎日をそっと照らしていること、心から嬉しく思います。

ご質問の「年れい制限」についてですが、
《あかり》には決まったかたちはありません。
誰に、いつ届けるか――それを決めるのは、ひかりを持つあなた自身です。

あなたが「分けてあげたい」と思ったそのときこそが、
きっと、その人にとっても、もっとも正しいタイミングなのだと思います。

離れていても、その思いは届きます。
あなたと妹さん、どちらの心にもやさしい光が灯り続けますように。

――編集部 山本より

【匿名希望様】
会報誌をいつも楽しく拝読しております。あかりの大きさでもたらされる安心感や持続時間などに変化はありますでしょうか?人に分け与えたい、自分のように苦しむ人をあかりで救いたい気持ちはあるのですが、自分のあかりに影響がでてしまうのではないかという不安がどうしても消えません。誰に聞けばいいかも分からず縋るような気持ちでこちらのフォームを利用させて頂きました。またあかりを分けるときの注意点などありましたらご教授頂きたく存じます。
​───────
こんにちは。編集の山本です。
このたびは、とても丁寧なおたよりをありがとうございました。
ご質問の文面から、あなたがどれほど真剣に《あかり》と向き合っておられるかが、ひしひしと伝わってきました。

「自分の《あかり》が減ってしまうのではないか」
「分けたことで、安心感が薄れてしまうのではないか」
そんなお気持ちは、とても自然なことだと思います。
それは、あなたが《あかり》を本当に大切に思っている証でもあります。

実を言うと、私自身もかつて同じような不安を抱えていました。
いえ、それ以上に、「これは自分だけのものだ」「誰にも触れさせたくない」と、強く思っていた時期さえありました。
今振り返れば、それは《あかり》に対する執着であり、きっと私自身の心がまだ傷ついたままだったのだと思います。
おそらくその頃の私は、教義に照らしても、美しいあり方とは言えなかったでしょう。

けれど、ある日ふとした瞬間、私は《あかり》を誰かに分けていました。
見返りを求めることもなく、気負いもせず、ただ目の前の人が困っていたから――
気がつけば、自然とその手を差し出していたのです。

思えば、私が本当の意味で《あかり》に救われたのは、そのときだったのかもしれません。
「分けよう」と思ったのではなく、「分けてしまっていた」こと。
それが、ようやく私の心が癒えはじめたしるしだったのでしょう。

ですから今、あなたが不安を抱いていることに、どうか罪悪感を抱かないでください。
その気持ちは決して間違いではありませんし、それもまた《あかり》とともに生きる過程のひとつです。
きっといつか、不安が自然とやわらぎ、《あかり》を分け合いたくなる日が訪れます。
そのときのあなたの手は、きっと誰かの心だけでなく、ご自身の心までもそっと包んでいることでしょう。

《あかり》を分ける際に、ひとつだけ気をつけるとすれば、それは“入れ物”を大切にすることです。
どんなに小さな器でも構いません。ただ、壊れないように。
それだけをどうか、忘れずにいてください。

私が初めて受け取った《あかり》は、プリンのカップに入っていました。
幹部の方が《あかりさま》から直々に授かった《あかり》は、美しいロケットペンダントに納められているそうです。
編集部の中には、一抱えもある大きな瓶の中に《あかり》を灯している者もいます。
入れ物の大きさやかたちは人それぞれですが、どれも等しく同じ輝きを放ち、私たちの傍に寄り添ってくださっています。

あなたの中の《あかり》が、どうかあたたかく燃え続けますように。
そして、そのひかりが、あなた自身の心をこれからもやさしく照らし続けてくれますように。

またいつでも、あなたの声をお聞かせくださいね。

――編集部 山本より