6

「僕を誘わないでいいだろ! 二人だけで行けよ!」
「やーだよー。アズールも一緒に遊ばねえとつまんないじゃん」
「そんなに怯えないで下さい。彼は優しい方ですよ」

 白い泡がふわりと浮き、海底の光が揺らぐ。アズールは両脇をがっちり掴まれたまま、ただ水の中を引きずられていく。うつぼの双子が引く腕は容赦がなく、景色が流星みたいに後方へ置き去りにされていく。
 足先は海水をかくだけで、踏ん張る場所がどこにもない。それがたまらなく心細く、恥ずかしく、そして悔しい。

 ジェイドもフロイドも、楽しげに笑っている。アズールの舌打ちは、彼らにとっては海藻の揺れよりも軽い。

 こんなところ、来たくなんてなかった。胸の奥で小さく燃える怒りと恐怖を押し殺すように、アズールは唇を噛む。
 エレメンタリースクールにもほとんど顔を出さないような、人の話を聞くのかも怪しい野蛮な人魚に会って何の得があるんだ。ジェイドたちを助けたのだって偶然だし、フロイドにモリを渡したのも、どうせ古い玩具を放り出す感覚だろう。自分を無理に連れ出し、時間を奪い、気持ちを乱して、何が楽しいんだ。

 誰よりも魔法を覚えたい。誰よりも強くなりたい。馬鹿にするものを見返したい。一秒だって無駄にしたくないのに。

 そうやって断り続けたが、多勢に無勢。流れに逆らいながら海の浅いところへと、哀れにも攫われて行ったのだった。

「行かないったら!」
「ざぁ~んねん、もう来たもんねえ」
「そんなに怒らないでください。また頬が丸くなってますよ?」
「ばかばかばか!!」

  岩場に着いた瞬間、アズールは癇癪を起こしたように飛び込んだ。泡がぱっと散って、海の光が乱反射する無理やり連れてこられたんだから、拒否する権利があるはずだ。当然、うつぼの双子にはそのような理論は通用しない。

 岩場は細く、暗く、隠れるにはちょうどよかった。アズールは身体を小さく丸めて詰まる。ここなら双子たちの“善意”から逃げられる気がした。

「わがままを言わないでください。挨拶しましょう」
「ほらあ、あの子が来ちゃうよ。仲良くしてって言うだけだよ」
「僕は仲良くしたくない!」

 そう叫んだ瞬間、目の前に知らない顔が現れた。興奮と驚きでスミを吐き出す。
 ジェイドかフロイドか、それとも二人かの「あ」という声が聞こえた。じわりと涙が滲む。泣き虫、スミ吐き、太っちょ、いつもこうだ。だから嫌だったんだ。不躾にじっと全身を見て、おかしなやつだと思っているんだろう。ほら逃げた! 僕のことが嫌いになったんだろう。当たり前だ、だっていつもこうだから!

「泣かないでよアズールぅ」
「泣いてない!」
「心配しなくても、スミ程度で怒るような方じゃありませんよ」
「心配してない! 引っ張るなよ、行かないったら!」

 ぐいぐいと足を引っ張られて、少しずつ岩場から引きずり出される。大声で泣きわめいてやろうかと思った瞬間、逃げたはずの『尾びれが2本の人魚』『ジェイドたちの名前の無いおともだち』が目の前に来ていた。彼は双子たちが鷲掴みにしていたアズールの足をそっと外させたのでその隙を逃さず、アズールは小部屋のような暗がりへと潜り込む。狭くて暗くて、味方みたいな空気。ここなら何も見えない。声だけが響く。

「狩り行かないの?」
「アズールを置いて行かないよう気を配ってくださったんですよ」

 そんなの頼んでない。お前たちがいなかったら、勝手に帰る。
 足をまとめて抱えて小さくなりながら、口からこぼれるスミが水に溶けていくのを見ていた。

「ねえ、無理やり連れてきてごめんってば。怒んないでよ、貝とって遊ぼうよ」
「アズールと彼が仲良くなってくれたら嬉しいって思ったんです。アズール、返事をしてください」

 うるさいうるさい。なんだよ、突然やってきて。名前もないのに。
 尾びれだって変な形の癖に。エレメンタリースクールにも来ない引きこもりなのに。返事のひとつもしてくれないのに。

 僕のともだち、二人だけなのに、とらないで。

 ああもうバカみたいだ。子供みたいだ。全部無理やり連れてきたジェイドたちがいけない。もっと時間をくれたら、僕だって余裕を持ってスマートに対応できるんだから。こう考えているのも、子供っぽくて馬鹿らしい。
 ため息を吐いている途中、また目の前に顔が現れた。

「わあ!! 突然出てくるなよ! 出ていけって!」
「…………」

 なんで何も答えてくれないの。僕が失礼だから、怒ってるんだ。あとずさるけど、岩場が背中を押し返す。

「なに!? なんでこっち来るの、やめってってば!」
「…………」

 真っ直ぐアズールの方へ向かってくる。どうしてジェイドとフロイドは来てくれないの。

「うそつき! うそつき! うそつき! 虐めないって言ったのに、うそつき!!」

 うそつき、うそつき、やっぱりいつもこうなんだ! ギュッと目を閉じて、痛くも痒くもないはずの殴打を待つ。殴られるのは痛くないし、書き写した魔法書を破かれるよりは面倒じゃないけど、いつも嫌な気持ちになった。
 なんで遠くまで来てこんなに酷い目に合わされなくちゃならないんだろう。こぽこぽとスミと水が混じる音がする。目頭があつい。泣きたくない時も、こうやって勝手に涙が出るから嫌だった。

「………?」

 いつまでもなにもされなくて、アズールはおそるおそる目を開いた。目の前にいる。いる、けど。

 彼はアズールに銀色の丸いものを差し出していた。手に触れたので、咄嗟に受け入れてしまう。触れた手の温度が南の海のように熱くて驚くと、それを見て、笑った。照れたように困ったように笑って、彼は岩場を出ていった。

 

 

「ねえアズール、あの子意地悪しなかったでしょ」
「…………施しを、受けました。今はもう無い古代サパエル帝国の銀貨。陸で売れば相当な価値が出るやつ」
「僕たちも貰いましたよ。でもアズールのやつが一番良いものですね」

 フロイドとジェイドが出したものも、同じ古代サパエル帝国のコインだ。こちらは銅貨だが、状態はとてもいい。売れば財産になる。

「彼もアズールと同じく借りを作るのを嫌う人です。そんな彼が勝手に貸しを作るなんて有り得ません。これはきっと、単にプレゼントですよ」
「あの子、上手く喋れないんだよ。だから仲良くなろうって言う代わりに、贈り物してくれたんじゃねーの」

 俺たちにもくれたもん、仲良しだから。 おともだちですからね。

 ジェイドの水流がくるりとアズールの周りで踊り、アズールはゆっくりとコインを見つめた。

 海の中でも輝く、魔力を帯びた美しい銀。

 あの子は、確かに笑っていた。照れて、迷って、それでも嬉しそうに。

 アズールは胸の奥がきゅっと絞られるような感覚を覚えながら、小さく息を呑んだ。

 あれは、笑ってくれていたのだ。​─────自分に向けて。