陸の30日

 網をちぎろうとした手のひらの傷は、回復薬を飲んでもなかなか治らなかった。指をひらけば、皮膚の奥が熱を持って鈍く疼く。どうやら網そのものに“治癒を拒む呪い”がかけられていたらしい。

 両手が使えないせいで、食事のたびに親父が「ほら、あーん」と匙を突き出してくる。屈辱だ。ほんとうに、屈辱だ。

 傷が治らないせいで熱が出るし、痛いし、寝込んでると嫌なことばかり考える。
 人魚を襲う人間に会って、きっと彼らは人間のことが嫌いになっただろう。俺はずっと一人で泳いでいたから、一人でいるのは寂しいことだなんて知らなかった。誰かと一緒にいるのは楽しいことだなんて知らなかった。
 村には少し年上かすごく年下しかいない。少し年上の子たちはみんな、学校に通うため村を出ていってしまった。俺ももうすぐ彼らの後を追うけど、不安ばかりだ。
 ずっと一人で、一人が嫌な事だと知らないままだったら、もっと気楽に学校へ行けたんじゃないか​─────そんなことまで考えてしまう。

「みんな、おれのこと、嫌いになったかなあ」
「お前の友達は全員無事だったんだ、ナマエのせいじゃないだろう?」
「でも人間が嫌な事したから、おれ、人間だから」
「気にしいだなぁ。その繊細さは俺譲りか?」

 親父に頭をぽんぽんと叩く。まだじくじくと痛い手のひらの、傷がないところをお袋が撫でて「良い手になったねえ。ナマエがみんなを守ろうとしたってこと、ちゃんと伝わっているよ」と言う。そうかなあ。

 良い子、かわいい子、自慢の子。ぐずって泣くくらい小さい頃にきいた子守唄をうたわれて恥ずかしい。
 だって俺、もうすぐミドルスクールに行くし。動けないのは怪我のせいだから、あまり甘やかさないで欲しい。
 熱がまた上がってきて眠くなったので目を閉じた。額の汗を拭かれて、親父とお袋が部屋から出ていく気配がして、静けさだけが部屋にぽつりと残る。

 沈み込むように短い夢を見た。誰かがずっと、泣いていた。