人生で初めての友達に海の中に引きずり込まれかけてから幾年。
グレちゃおっかな……と思ったりもしたけど、親元を離れてミドルスクールに通うことになったりと環境が変わりすぎてそれどころじゃなかった。
村をはなれてはじめて知ったんだけど、陸の人間って全然刺青いれてないんだな。海で死んだ時どうする気だろう。二度と帰れなくなるのに……。
ずっと“当たり前”だと思っていた文化が、ここでは怪物の目印みたいに扱われる。お袋が「顔に彫ると怖がられるよ」と言っていた意味が、ようやく骨に染みてわかった。下半身にあるだけでこうなのに、これじゃあ俺が来年上半身にも彫ったらみんなどうなっちゃうんだろう。
こんなに沢山の人間がいるのに友達が出来なさすぎて驚いた。彼らとは言語的交流無しでも仲良くできてたんだけどな。いや、仲良くしてたと思っていたのは俺だけか……殺されかけたもんな……。天井を見上げてタオルケットをキュッと抱き締める。孤独。
一人暮らしをはじめたのはいいけど、海からは離れたくない。マジカルホイールで通学30分、海まで徒歩5分。こういうところに住んでいるのも、友達ができない原因かもしれない。放課後に遊びに行くとか出来ないもんな。海の中に3時間いることを考えたら、時間はいつもギリギリだ。
話しかけたら返してくれるけど、同級生はみんな敬語。今年入ってきた1年生にも避けられるし、3年生には何回か囲まれて殴られたから殴り返した。それ以降誰も目を合わせてくれない。なんで……。
俺、いじめにあっているのかもしれない。手紙に書こうかなと思ったけど、悪戯に不安を与えるだけなのでやめておいた。書ける話題が少なすぎて嫌になる。最近はついに天気の話までし始めてしまった。
「生意気だよな、こんなもん見せびらかしてよ」
「ぎゃははっ、いーじゃん! もっとかっこよくしてやろうぜ!」
「おい」
俺、いじめにあってるのかもしれない。なんか…………知らん奴らが……。
「それ俺のマジカルホイールだけど、なんで壊してるんだ?」
俺の交通手段、破壊されている……。
なんで……。
「は!? え、嘘だろ! ぐえっ」
「ちが、違います! 待って、放して!」
とりあえず逃がさないために2人の胸ぐらを掴みあげたが、答えてくれない。
いやこれほんとなんで? たぶん1年か? 俺こいつらに何もしてないのに、タイヤパンクさせられて釘で車体に死ねって書かれてるんだけど……ええ……傷つく……。
とりあえずしばらく経ってもあわあわ言うだけで何も答えてくれなかったので、右手に持ち上げた1年、左手に持ち上げた1年、2人を同時にシンバルのようにぶつけてみた。そのまま地面に放り捨てる。
「明日までに直してくれるか?」
「ひぃ、」
「はい! はいぃ!」
「ん、じゃあいいよ」
俺は心優しい方だと思うんだけどなあ。これ、海で船を壊したとかだったら命は無かったぞ。それをシンバルの刑ひとつと弁償で済ませてるし、文句言わずに徒歩で帰宅を決めたあたり、我ながら心優しい生き物だと思うんだ。誰も評価してくれないけど。
俺がいじめられてるの、誰も止めてくれないし心配もしてくれない。そういう人間関係が築けなかったせいだ。
俺って自覚がなかったけど、コミュニケーション能力が低いのかもしれない。見た目……刺青で怖がられるっていうところはあるだろうけど、それ以上に……。トーク力? そういうが足りない。
「はあ……」
徒歩だし、久しぶりにコンビニにでも寄って帰ろう。
今どきの雑誌とかを読まないのもいけないのかもしれない。話題が海しかないって引き出しが狭すぎるよな。オシャレとかにも興味無いし、刺青さえ隠しとけばTPO弁えてるという判断だったけど、改めていこう。
せめて卒業までに、友達……とは高望みしない。せめて普通に話せる相手が欲しい。
とりあえず年が近そうな人が表紙を飾っている雑誌を手に取り、ついでにホットスナックも適当に買った。レジ横で揚げたてだったはずの唐揚げは、手に取るころにはほんのり冷えていて、油の匂いが指に薄くまとわりつく。味はあまり美味くないが、村では食べられない味なので嫌いではない。
表紙の俳優は、最近上演された映画でヴィラン役だったらしい。悪役のはずなのに、人の目を強制的に惹きつけるような華やかさがあって、主演よりも目を奪われる。
歩きながら読み耽ってしまい、ふと我に返る。……いや、これをファッションの参考にはできない。細身のモデル体型、整った顔立ち、鍛えているが線の細い腕。俺とは生き物の系統が違う。参考にはならない。
雑誌をバッグに押し込み、少し冷めた唐揚げを噛みながら現在地を確認した。
家まではあと三十分ほど。人が少ない地域だから、バスの本数も極端に少ない。日が落ちた倉庫街には、ひび割れたコンクリの匂いと、風に舞う砂埃だけが漂っていて、どれが廃墟でどれが現役なのか判別できない建物ばかりが並んでいる。
「……あ、ここ通れる」
地図アプリを指で拡大していると、視界の端で壁に気付いた。
これを越えれば、ぐるっと迂回しなくて済む。十分短縮は大きい。よーし、登ろう。と思った瞬間にはもう身体が動いていた。
カバンの中に荷物をすべて押し込み、肩ひもをきつく締める。足場を確かめるまでもなく、海で岩場を駆け上がるときと同じ感覚で地面を蹴った。
助走。
耳を過ぎる風の音。
壁のざらりとした表面がかすめる。
塀を掴み、飛ぶ。
着地した足裏にコンクリの硬さが響く。
その一瞬後、視界の右端に“動き”があった。
振りかぶられた拳。
反射的に身をひねり、拳が頬の横をかすめて風を切る。同時に、海でサメに襲われた時と同じ感覚で、腕が勝手に反撃に出ていた。
肘で相手の脇を打ち、足場をずらして姿勢を崩す。鼻と眼を潰さねば、と思った時に「いやダメだろ」と我に返った。人にやってはいけない挙動だ。
拳を避けた俺を、男がまじまじと見つめた。その目つきは、明らかに“状況を誤解している者のそれ”だった。
「誰だテメェ!! 増援か!!」
……増援? この男たちはいったい、何と戦っていたんだ。
「え」
返事にならない声が漏れる。が、問いただす暇もなく、新たな影が正面から飛んでくる。
「おらぁ!!!」
「ええ………?」
今日、何回“ええ……?”って言えば気が済むんだろう。俺が混乱していても時は止まらない。柄の悪い男達が殺気立った眼で俺を睨んでるし殴りかかってくるから殴り返してる……? ええ……? 本当にわからない。
対話をしてくれないだろうか。次々と殴りかかってくる男達を殴り返したり投げ飛ばしたり蹴りつけたりしてるけど、俺だって別に攻撃されなければ反撃姿勢はとらないんだぞ……? 知らない何かに巻き込まれて、俺は彼らの“敵の増援”にされているらしい。いったい何なんだ、俺はどこに所属している何にされているんだ。
次々と飛びかかってくる男たちに応じているうちに、向こうの方が勝手に消耗していく。
最後の一人が転がっていき、肘をつきながら俺を睨みつけ「ちくしょう! 覚えてろよ!」と叫んで逃げていった。“覚えてろ”って言われても、覚えられるほどの因縁が存在しない。
そのまま彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。男たちの足音が遠ざかっていき、倉庫街に再び静寂が戻る。
「…………?」
陸の世界、なんなんだ? 俺が心底呆然としていると、背後から「うぅ……」と小さな呻き声が聞こえた。
あ、また居たんだ。振り返ると、廃倉庫の陰で小柄な影がゆっくりと立ち上がるところだった。
逆立った金髪が、血の匂いと土埃をまとっている。痩せた肩が震え、息は荒い。それでも、目だけが異様に強い。
「……て、ねぇ、ぞ」
ぼたぼたと鼻血を落としながら、金髪の少年は俺を睨み上げた。その眼は、助けられた者のものではない。怒りと、自尊心と、何か焦燥のようなものが渦巻いている。言われる前にわかる。これは“余計なことしやがって”と言われる流れだ。
「助けてくれなんて、言ってねえぞ! 余計なことしやがって、俺一人で全員ぶっ倒せた!」
「そうか」
「てめえ、名前を……、?、っ」
「おっと」
想定内のことを喋りながら、少年は白目を向いてぐらりと倒れかけた。胸ぐらを掴んでバランスをとる。俺は今日で一体何人の胸倉を掴んだんだ? そういう日? 最悪なんだが……。
額から血が出ていると思ったら、どうやら頭を棒のようなもので殴られていたらしい。動かさない方がいいとは思うけど、ここには救急車も入れなそうだ。そもそも事情を説明できない系の訳ありっぽいし……。
「仕方ない……」
もう少し進めば、顔見知りがやっている病院がある。金は取られるけど、詮索はされないし俺も変に疑われる心配がない。
なんだか今日は厄日だなあと、背中に鼻血を付けられながら運んでやったのに、まさか数日後【果たし状】と書かれた紙をロッカーに貼られるとは思わなかった。
陸に来てからずっと厄日。助けて欲しい。
