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 反省文を二時間で書ききって、降って湧いた休日を海の中でひとり満喫して、ほどよく塩と疲労を纏って戻ってきたら、家の前で後輩が小さく丸まって座り込んでいた。玄関灯も月も当たらない影の中で、まるで拾われ損ねた犬か、潜水中に見かける死んだ魚の影か、あるいは本当に死体なんじゃないか。え、死んでる……? そう錯覚するほど微動だにしない。思わず近付くのを躊躇った。

「どうした?」

 “生きてるか?”と続ける前に、顔を上げた後輩の頬が涙や鼻水や汗でべちゃべちゃだったので、反射的に首に掛けていたタオルで拭った。海水を吸ってるから大して役に立たないのは分かってる。だけどタオルの下で、「うー」という小さい唸り声としゃくり上げるような声が聞こえてきたから、それに触れてしまったら余計泣く気がして、俺は気づかないふりをして無言で拭き続けた。

「お、おれの、ために」
「うん」
「俺の、為に、怒ってくれてぇ、」
「うん」
「ありがとうございました!!」
「うん、どういたしまして」

 辺りに響き渡る大きな声で「ありがとう」を言われ、少し笑ってしまった。それがバレて「なんでわらってるんですかあ」とタオルの下からぐずられる。なんでだろうな。たぶん、嬉しかったんだろうな。俺は自分が怒るべきところでちゃんと怒れた。間違えなかった。

「これ、母さんから、です」

 ビニール袋いっぱいに、家中から集められたらしい菓子の詰め合わせと手書きの『なんでもいうこと聞く券』が入っていた。なんでもいうこと聞く券……? 「これは?」と後輩に見せると「なんでもいうこと聞く券です」と返される。そうか……。
 裏には『うちの子を助けてくれてありがとう。最高、大好き♡♡♡』と走り書きが記されている。俺と後輩の母との関係、いったいどうなってるんだろう。

 とりあえず、今日はもう遅いからと家に入れた。俯いてしょぼしょぼ歩いている後輩は、風雨に翻弄された柴犬のような弱々しさで哀れを誘う。自分のせいで俺が停学になったと気に病んでいるんだろうなあ。

「腹減ったな」

 俺の声に顔を上げた後輩に、冷蔵庫を指さす。「オムレツ作ってくれないか? すっごく上手になったんだろ」と言葉を続けると、わかりやすく表情が明るくなった。

「はい! 俺、世界で一番オムレツ上手く作れます!」
「うん、楽しみにしてる」
「任せてください!」

 腕まくりをしてやる気を見せる姿を見送って、シャワーを浴びに向かう。俺が勝手に手を出して勝手に停学になっただけなのに。こういうところが可愛いから拒否できずに、今こうなってるんだよなあとしみじみ思う。こいつ、良い子なんだよな……。

 俺の停学期間ずっと一緒にいる気でいたらしい後輩を「少し実家に顔出しに行くし、お前もせっかく学校に慣れたんだからそっちを優先してくれ。皆にも説明が必要だろ、任せたぞ」と説得して合鍵を渡す。
 1ヶ月間の同居中は俺と一緒に行動してたから必要なかったけど、今日みたいに玄関前で待たれたら危ないからな。夜は潮風で冷えるし、人里離れてるせいで獣も出る。鍵を握りしめた後輩は目をキラキラさせて喜んでいたので、こんなものでここまで喜ぶならさっさと渡しておけばよかったなと思った。どうせこんなボロ家、こいつしか来ない。

 で、村に帰って「停学喰らってやったぜ」と報告して「俺も半年喰らって学年ズレた」と知らなくていい親父の秘密を知ったり、イルカの兄弟が2人揃って妊娠してて「胎生なんだ……男でも妊娠できるって魔法って便利だなあ」って驚いたり、婚約しよ♡と迫ってくる老若男女を「俺が欲しければ力を示せ」と躱したり。

 いつも通りの村の生活をして町に戻った。海には入らなかった。たぶん、まだ怖い。俺は自分で思っていたよりも繊細だったみたいで、村から見える海を見つめてはため息をついていた。

 足を引っ張られて、驚いて、怖くて、咄嗟にモリを振るった。水が赤くなったのを覚えている。あの時、彼はどんな顔をしていたんだろう。記憶の中で遠くなった「きゅるるる」という声が、時間が経つにつれて悲痛なものになっていく。振り払えばよかっただけなのに、傷付けてしまった。必要のない暴力を振るった。ひどいことを、してしまった。

 思い悩んで元気を失って帰ってきたら、後輩がオムレツをたくさん作って待っていた。これが明太子でこっちが塩味でこれがチーズ入りで……と味を変えたら別物方式らしい。一日の致死量を超えた量のたまごじゃないだろうか。
 俺の元気が無いとわかったのだろう。「飯を食べたら俺とツーリングに行きましょう! 峠攻めましょう!」と一生懸命誘ってくる。
 あれだ、犬は悲しむ飼い主にボールを持ってくるって話がある。自分と遊んでくれたときの笑顔を思い出して、「これだろ?」と押しつけてくる。それと同じだ。こいつは自分が好きなものを差し出す。たぶんそんなかんじなんだろう。後輩は自分がマジカルホイールの運転が好きなので、自分が好きなものはみんなも楽しいだろうと誘ってくるんだ。ちょっとズレてるが、こいつなりの全力の好意だというのはわかっている。

 それで峠を攻めて、翌日後輩が帰って、5日くらい来なくなって「どうしたんだろう」と思ってた夜にチャイムが鳴った。
 後輩ならチャイムも鳴らさず鍵を開けながら「ミョウジ先輩! 俺です!」と元気いっぱいに入ってくるだろう。こんな時間に誰だろうとドアを開けると、警察官が立っていた。

「夜分遅く失礼します、お尋ねしたいことがございまして。ナマエミョウジさんですね」
「はい」
「16日にこの子と一緒にいましたか」

 突然の警官に驚いていると、ぺらりと写真を見せられた。逆立てた金髪に睨みつけるような眼差し。最近は見てなかったが、俺と会ったばかりの頃の棘のある表情をした後輩が写っていた。心臓の音がドッドッドとマジカルホイールのエンジン音みたいに響いて、警官が何かを言ってるけど上手く聞き取れない。器物破損とか、被疑者とかの単語だけ聞き取れた。被疑者!? あいつが!?

 16日、6日前の夜。まてまてまて。慌ててスマホを取り出す。大丈夫だ証拠はある。二人でツーリングは久しぶりだからと記念写真をねだられて、俺のスマホで撮った。こういうのは専門機関に持っていけば日付の偽造も全部バレる。つまりこの時間ここにいたという証拠としてちゃんと使えるってことだ。

「その日は一緒に峠を攻めてました。あの……あいつら誤解を招きやすいし直情的だけど、悪い子じゃないんです。真っ直ぐに曲がっちゃってるだけで、あれで話せば素直なやつで……」

 スマホを差し出して「これ全部証拠です、GPSの記録とかもあると思うんで確認してください」と警官に押し付ける。あの柴犬絶対なにか厄介なことに巻き込まれてる。

「証言でもなんでも全部やるんで、しっかり調べてやってください。絶対にあいつじゃないんです」

 何度も頭を下げてスマホを預けて、俺は絶対に悲壮な顔をしてたのに何故か警官はにこにこしていた。どうして……。お前……。警察沙汰はほんと人生に関わるんだぞ……。最悪村に連れてって漁のやり方教えて育てようか……。

 気がつけば俺は後輩の母にもらった『なんでもいうこと聞く券』を「後輩を村に連れて帰る権利」として使う未来まで考えていた。後輩に連絡をとろうにも、ついさっき警官にスマホを預けていたから何も出来ない。俺の心臓がずっとマジカルホイールのエンジンだ。たぶん、今日で寿命が三年は縮んでる。

 眠れねえ、死にそう。

 諦めてモリを携えて海に潜ったが、生まれて初めて釣果ゼロという結果を得た。何もかもが最悪だ。
 後輩、お前何に巻き込まれたんだ。俺の精神安定の為になんか……もう……優等生になってくれ……お前に不良は向いてないんだよ……。