わあ、人が多い。
ナイトレイブンカレッジに足を踏み入れた瞬間、そんな子供みたいな感想しか出てこなかった。
ミドルスクールに入った時にも似たようなことを思ったが、あれとは桁が違う。世界中から人が集められると、空気の密度すら変わるんだな……と、思わず立ち止まりたくなるほどだった。
正門を抜けた途端、景色はまるで絵本の中だ。
高くそびえる本校舎は、童話に出てくる“悪い王様の城”そのままの迫力で、空を切り裂くみたいに尖塔が伸びている。トゲトゲしてると悪っぽいよな、これは二階建て以上の建物がない漁村生まれの田舎者の感想だ。
だが“悪い王様のお城”の重苦しい雰囲気をぎりぎりのところで和らげているのが、メインストリートに鎮座しているグレートセブンの石像だった。偉大だとか伝説だとか、そういう気迫がひしひしと伝わってくる。石像があるだけで歴史上の偉人に敬意があるんだ……と“悪”さが減ってみえる。あれがなかったら、完全に悪い王様の城だ。間違いなく。
いや、レクリエーションで見学したイグニハイドとディアソムニアは、本気で魔王の城だったな……。
イグニハイドは機械仕掛けでギラギラしてて、正直“闇の暴走AIが支配してる悪の科学者の居城”だし、ディアソムニアはおとぎ話の中の黒い竜が本当に住んでそうな雰囲気だった。実際ドラゴンの王子様もいるらしい。都会ってすごいな。
そして俺の所属するサバナクロー寮に入った時─────思わず心の中で「ここだけでミドルスクール全体より人いるぞ」と呟いたくらいには、そこも人で溢れていた。
同じ“寮のひとつ”ってだけでこの人口密度なのだから、ナイトレイブンカレッジ全体がどれほど巨大なのか、改めて実感した。この数の人間に1台ずつ馬車が来たのか? どうなってんだここの財政。
「…………」
「どうしたんスか」
「悪目立ちするかなと思って」
「あんたのそれ、すごいっスもんね」
サバナクローの寮服は腕が出る。つまり、俺の刺青が露わになるということだ。俺もいい加減一般社会の常識というものを学んだんだが、村では当たり前の識別で、誇りで、俺たちの生死を区別する大切な“名前”だった刺青は、村を出れば、“威圧”にも“挑発”にも見られる。
サバナクローは他寮より気性が荒い生徒が多いらしく、絡まれたら困るなあ……とぼんやり思っていた。
1年のうちは寮は四人一部屋だが、俺はこのハイエナの獣人のラギーと、象の獣人のバオウの三人部屋だ。バオウだけで二人分の物理スペースが必要だから……。
当の本人は「暑い」と呟いたきり床で倒れ込んでいる。床がみしりと鳴るたびに、ラギーが「床抜けても弁償義務無いッスよね、あんたが払ってよ」と心配そうなんだか損得勘定なんだかわからない目で見ていた。
一通り荷物をまとめたラギーは手持ち無沙汰になったのか、人懐っこい顔のまま俺の腕をじろじろ眺め、にかっと笑った。
「皮膚剥いで売ったらめちゃくちゃ高値になりそうッスね。死んだらください」
「いやだ」
「死んだら痛くないのに!? オレ、高値で買い取ってくれそうな好事家何人か紹介できるッスよ!?」
「その時点で俺は死んでるんだよなあ」
やべえ奴と会っちゃったなとは思ったが、基本みんなおかしかったので、ある意味ミドルスクールの頃よりは平和だった。
俺の腕を見ても「イカスじゃん」とか「気合い入ってんな」と好意的な奴が多い。サバナクロー特有の治安の悪さが俺に合っているらしい。俺自身はそう治安の悪い男じゃないつもりなんだが……。
寮生活は、ラギーが常に腹を空かせていることを除けば平和だ。
クラスも大きな問題はない。しいて言えば、隣の席のシルバーが数時間に一度、突然寝落ちするので気が抜けないくらいだ。
はじめて見た時はマジカルペンで額を抉りかけていたので、それから気になって世話をやいてしまうようになった。あの寝方はたぶん、寝不足とかそういうのではなくもっと根深い何かだ。箒で飛びながら寝かけた辺りで確信した。
イルカの兄弟からは「治安はクソだから舐められたら殺す気でいけよ」とか「学園長の話は聞き流しなさい」とか言われたが、そう悪いところじゃない。友人も出来たし、楽しいなあと思いながら次の授業へ向かっていた時だった。
「あー!!」
頭の真上から落雷みたいな叫び声が降ってきて、続けざまに肩を掴まれた。
「やっぱ生きてたんだぁ! あのさあ、足使うのむずくねえ?」
「フロイド、いきなり矢継ぎ早に話す物じゃありませんよ。ご無事でよかったです」
同じ顔をした男達が自分を見下ろしている。悪意も害意も一切感じられない。むしろ嬉しそうですらある。でも、だからこそ意味がわからない。
「ここで会えるとは思いませんでした。今までどの海に行っていたんですか?」
後ろから現れたメガネの男まで、俺を見る目をほころばせている。三人がかりで囲まれたら、人違いと考えるのはさすがに難しい。確実に彼らは俺を知っていて、俺に話しかけている。
俺の脳内にある“知人”というラベルの数はあまりにも少なく、全部引っ張り出してみても該当者は出てこない。
これだけ目立つ男たちなら、忘れているはずがないんだが───────。
「………誰?」
絞り出した問いに、双子の垂れ目の方が悲痛な声を上げた。
……垂れ目、吊り目……どこか覚えのある組み合わせだ。
「あーもう! だからアズールが言ってたじゃん! 低酸素ってやつじゃねえ? 陸ばっか行ってたから頭壊れちゃった? 俺のこと、忘れちゃったの?」
「どうでしょうアズール、治りますか?」
「ナイトレイブンカレッジに来れるくらいだから深刻では無さそうだが……可哀想に、でもご安心ください! 同族のよしみだ、格安でお引き受けしましょう! なんと言っても僕達、お友達ですから!」
「…………あ、人魚たち」
ようやく脳が現実に追いつく。
そういえばイルカの兄弟も、変身薬で人間の身体になれた。
三年も経てば、子供の人魚だって人間の言葉がわかる。身体の色や尾びれのなくなった身体ですぐには分からなかったけど、この双子は確かに、あの人魚たちだ。
じゃあこっちのメガネは…………。
れ、劣化したなあ~~~~~~~~~~~~~~。
俺の中の冷静な部分が、絶対に今はそれどころじゃないというのをわかっている。でも素直な感情が、俺の脳みそをこれ一色にした。
あんなにむちむちで、ふわふわで、海の魔女みたいにミステリアスで、奇跡みたいな美少年だったのに。
抱き心地が良さそうな柔らかいお腹がかわいくって、丸い頬が満月のように完璧な曲線で、八本の足は天女の衣みたいにふわふわ漂って、瞳は深海の蒼に星を落としたようで、あの海で最も美しい人魚だったのに……。
こんなガリガリのやせっぽちに……。
苦労してたのかな……。
俺がしんみりしてしまっていたら、間を縫うようにして「ナマエくん、ちょっと用事があるからツラ貸して欲しいっス。失礼しま~す!」とラギーが俺の手を引いて走り出した。
背後では「てめえ! あ”ーもう足邪魔ァ! 走るってどうやんの!」という怒声が響き、ラギーはペロッと舌を出して「ナマエくん貸しひとつッスよ」と笑う。
「あいつら、オクタヴィネルのやべーやつ。入学早々勢力広げてるから、ナマエくんみたいなボンヤリしてるやつはすぐ骨までしゃぶられて終わりッス。あんたは俺の夕飯奢る仕事があるんだから、命大事に!」
「心配してくれたのか、ありがとう」
「……ナマエくん、扱いにくくて嫌っスねえ」
「どうして……」
普通に感謝しただけなのに顔中しわしわにして拒否された意味がわからん。
そうか、人魚たちもナイトレイブンカレッジに来たのか。
俺は彼らとどう付き合っていけばいいんだろうか。それを考えると、胃が痛い。平和に生きれそうだと思っていたんだがな……。
