巨悪は一旦敗れたらしい

 “先生”のいる方向で、空気そのものが破裂したみたいな大音量と振動に襲われた。鼓膜が悲鳴を上げ、足元が一瞬ふわりと浮く。それでも、そんなものはどうでもよかった。それより先に、胸の奥で煮えたぎった怒りが全部を押し流す。

 ゆゆゆゆるさねえからなヒーロー。よくも俺を殺そうとしてくれたな……! 俺の命は一応、残機1しかないんだぞ!? もう転生で一回使ってんだ、来世とかギリ無いかもしれないのに。保険もバックアップも無い、使い切りの尊い命だぞ?!

 ゆるせん。俺の貴重なかわいい命が、こんな事態で怯えてるのも含めて全部だ。見て俺が震えているよ! 可哀想だろうが……!!
 怒りのついでに“先生”の許可も得ましたので、事前に共有しておいた嫌がらせのひとつを発動した。

 さっきまでひっきりなしに鳴り響いていた防災無線。あれは公的なものじゃない。俺の仲間が、人を同じ方向に同じタイミングで動かすために流した、ただの誘導音だ。

 ヒーローが間に合わない理由は、敵が速いからじゃない。“現場”が遅いから。

 人が多すぎて声が届かない。視界は人の背中と恐怖で塞がれ、指示は途中で砕ける。パニックの中で命令は薄まって、ただの騒音に成り下がる。そのうえ要救助者が同じ場所に重なれば、それを助けようとする“善人”がそこに縫い止められる。動けない善意が、さらに過密を呼ぶ。
 プロのヒーローならトリアージができるだろう。命の選別も仕事のうちだ。でも一般人にはできない。駆けつけたヒーローは助けられる人を先に助け、選別し、選ばれなかった人を置いていく。その光景を前にした一般人は、きっと思う。「なぜ助けてくれないのか」と。

 “私が来た”って言ってみろよ。甘やかされてるんだよ、一般人ってのは。お前らが、テレビで、全部救うみたいなことを言い続けたからさ。ヒーローが来たら大丈夫だって、信じちゃったんだよ。
 俺はそういう甘やかしは嫌いだな。そろそろちゃんと思い知らせた方がいい。来ない時には来ないんだってことも、別にお前が救われる保証なんて、最初からどこにも無いってことも。

 ヒーローに対する期待なんてあるわけないだろ、俺ん家こそがこの日本のNo.2ヒーロー様の御自宅なんだからな。長男はあんなことになってて末っ子は児童虐待で三男の俺は行方不明だ。そろそろ法的に死亡届出されてもいい頃合い。夢も希望もないが、ヒーローにとっての嫌なことだけはしっかり学んだ。行け! 無力感! 救えなかった人の数を思い出して、一生眠りを浅くしやがれ!

「ゲッホ!! くっせぇぇ……んっじゃこりゃあ!」
「悪いね、爆豪くん」
「あ!!?」

 え、爆豪くん!?
どこからともなく降ってきた水音と一緒に、チンピラみたいな声がしたと思えば“先生”が普通に会話をしていた。
 俺が振り返ると同時に、空中からBARにいたはずのみんなが汚水と一緒に落ちてくる。汚水!? なんで? かわいそう……。……?!

「だびくん!!」

 叫ぶより先に体が動いていた。受け身も取れずそのまま地面に叩きつけられ、転がったまま動かない荼毘くんに駆け寄る。
 抱き起こして脈を取ると、意識は無いが生きてはいる。気絶してるだけ、たぶんそれだけだ。……それだけで済ませていいと思ってんのか。これでも内臓はまだぶっ壊れかけなんだぞ。さっきとは別種の怒りがじわじわと増殖する。
 お前よくも壊してくれようとしたな、いろいろ問題はあれど、荼毘くんは俺にとっては優しい兄ちゃんなんだぞ……。

 俺が荼毘くんを抱きかかえて、この世の全てに怒っていると、その隙を縫うようにミスターが前に出て「丁度いいから二人で下がってな」と言ってくれた。「ありがと!」と感謝を投げると、掌からどこからともなく花をポンと出して「どういたしまして」と投げ渡してくる。洒脱……。いまめちゃくちゃ危険なところなのに、なんてステキなんだミスターって男は……。

 その瞬間、空気を読まずに天から地面を割るみたいな衝撃と一緒に、何かが降ってきた。
 何かというか、オールマイトだ。近くで見るのは初めてだったが、思ったよりもでかくて、思ったよりも“象徴”だった。……はあ? こんなのに憧れて、実父はああなったのか? この人間の枠を外れたみたいなやつの背中を追いかけて、我が家はボロボロになったのか? 何もかもが噛み合わなくて、怒りの置き場が分からない。視線も、言葉も、全部宙ぶらりんだ。

 行け! “先生”! やれ!

 絶対“先生”は悪側で、オールマイトは正義だ。知ったことか! やれ! “先生”!! 原作を壊せ!! 世界の平和より先に、お前の存在でねじ曲がった巨大蛾をどうにかしろ!! ランク1つ下のやつくらい見とけ!! 同僚の家庭に少しは興味を持ちやがれ!! お前しか止めらんなかったんだぞウチの蛾親父はよ!! 助けてくれないヒーローは無いものと一緒! 燈矢くんの身体、元に戻せクソが!! 家族を、メンタルヘルスカウンセリングへ連れて行け!! お前も行け!!!!

 もう何に対する恨みなのか分からない。オールマイトへの恨みなのか、実父への恨みなのか、その境目がぐちゃぐちゃに溶けている。
 もう両者まとめて対消滅してくれ~~!! オールマイトと実父が正面衝突して、生き残った方が“先生”と殴り合って、最後は全部消える。それが世界のハッピーエンドなんじゃないかという気すらしてきた。俺があんまり好きじゃない人間が三人消えるだけだし、それじゃダメか?

 そんな思考を押し潰すみたいに、ホカホカとあたたかい実兄の体温をこぼさないように抱き直す。また体温が上がっている、体内で出血とかあるのかもしれない。可哀想に、よくもまあこんなに酷いことを。
 実兄の、真っ黒に染めた髪を撫でた視界の端で、何かが動いた。崩れかけた塀の向こう、瓦礫の影に​─────何かがいる。

「焦凍!!」

 考えるより先に、知っている名前を叫んでいた。爆豪くんを取り返しに来た、その意図を仲間に伝えるための、ほとんど反射だ。

 俺の声より先に、人影が跳躍する。直後、爆音。空気が叩き潰され、爆風が視界ごと持っていく。消えた。間に合わなかった。捕獲しようとするミスター達は、マウントレディに進路を塞がれ、さらに小さい爺さんが信じられない速度で襲いかかってくる。ああもう、最悪だ。あとちょっと、ほんの少し早く気づいていれば。どうして俺はいつも、決定的なところで一歩足りないんだ。

 ぐん、と身体が引き寄せられた。内臓が一拍遅れてついてくる感覚に歯を食いしばりながら、腕の力だけは緩めない。荼毘くんを手放すものかと抱え込んだまま、視界が傾き、世界が上下を失っていく。足が地面を離れ、次の瞬間にはトガちゃんの方へ、糸で釣られたみたいに身体ごと浮かされていた。

「“火継”を逃がすな!!」

 どこかのヒーローの声が、命令として完成する前に耳へ突き刺さる。その瞬間、景色がぷつりと切れ、闇が口を開けたみたいに俺たちを飲み込んだ。ああもう、最悪だ。仲間にもバレちゃったじゃないか、この名前!! せっかく伏せてたのに、最後の最後に余計なことを……! 心の中で悪態をつくと同時に舌打ちをする。チッチッチ!

 ぐいんと身体の中が揺れる感触、ワープ移動の終わりを察して闇からべちゃりと落ちる。その直前で無理やり姿勢をひねって、荼毘くんを下にしない角度でワープから吐き出されることに成功した。肩と背中に衝撃が走るが、腕の中の重さは無事だ。
 ここは……拠点だ。いくつかあるうちのひとつ、しかもあまり使っていない方。人目につかない代わりに、交通も動線も最悪で、正直“住む”には不向きな場所。だからこそあるとは知っていても放置気味だったはずだが……いや、違うか。少し前から荷物の移動が始まっていた。
 そう考えると、“先生”的にはこれも全部、最初から織り込み済みだったのかもしれない。
 視線を巡らせると、弔くんの大事なものがそのまま揃っている。棚に並んだフィギュア、積まれたゲームソフト、雑に置かれたゲーム機。ついでみたいな顔でパソコンまである。電源、回線、椅子の高さ。今日からここで仕事です、と言われても、たぶん何の支障もなく続けられるだろう。

 さすがに起きた荼毘くんが、俺に抱きしめられている事を理解したあとニマリと笑って頬にキスをする。違う違う違う、今それは違う。貴方、気絶する直前まで普通に戦闘入ってただろうが……。

 

「おおい、空気読め! 自由奔放でイイネ!! うるせえ違う! あかりお前コラ! 仲良くしようなッッ ああもう邪魔だ黙れ!! お前、あーーー、あかり、お前、 “火継” ってなんだ

 ひとりで言い合いがデフォのトゥワイスが脳内会議で勝った1人を代表者にしたのだろう「俺お前のこと殺したくないんだけど、なにか俺たちに嘘ついてる?」と、スムーズに聞きながら凄んでくる。

 もちろん、素早く正座をして言いましたよ。

「《あかり教》教祖、火継と申します。よろしくお願いします」

 今世で一番綺麗に土下座ができたと思う。まあ、まあ聞いてください。でもちょっと待ってね……いま弔くんのメンタルやばいから、今すぐは死んじゃうかもだから……とりあえず、情報整理してからでいいですか? ほんとごめんなさい。俺もまさかこんなタイミングだとは思ってなかったんです。全部つまびらかにするから、どうか皆さん武器を……置いてね……。