【珍獣パレード】

「こちらは、防災無線です。緊急の安全案内をお伝えします。現在この周辺で建物崩落の危険があります。二次崩落、有害粉塵の可能性があります。近づかず、落ち着いて距離を取ってください。
けが人や取り残されている人を見かけた場合は119番へ、場所を伝えてください。無理に助けようとせず、周囲に知らせてください。ヒーローに助けを求めてください。
近隣の方は窓を閉め、屋内退避か、広い場所へ移動してください。安全第一で行動してください。
以上、緊急の安全案内でした。繰り返します​─────」

 

 夜の闇を、金属質で均一な声がまっすぐに切り裂いた。倉庫街に溜まっていた静寂は、その一声で粉々に砕け、冷えた空気の中を音だけが滑っていく。倉庫街の向こうには、古い集合住宅と小さな商店街が折り重なる区域があった。小道を通り抜けて大通りに出ると、繁華街と言われるような場所も近い。全ての人間を安全に、避難させるために。遠くの交差点、閉じた商店のシャッター、人気のない駐車場、建物の影に沈んでいた路地の奥まで、逃げ場を探すように放送は反射し、重なり、広がった。

 本来なら、この時間、この場所付近に民間人はいないはずだった。脳無格納庫の制圧は、戦力を集中させ、最速で終わらせる前提で組まれている。人通りの少ない廃倉庫前には、事前に緩やかな規制と誘導が入り、無意識のうちに人の流れは外へ外へと押し出されていた。偶然通りかかる車も、立ち止まる理由もない。巻き込む危険は最小限に抑えられていた​─────少なくとも、計画上は。

 だが、防災無線は“計画”を相手にしない。

 近隣の住宅で、カーテンの向こうに人影が揺れた。窓が閉められ、玄関灯が点く。スマートフォンを片手に外へ出てくる者、家の中で子どもを呼ぶ声、エンジンをかけ直す音。遠回りになるはずだった広い道へ、避難のための車が流れ込み始める。安全な場所へ行こうとする動きは、結果として、人の移動そのものを生んだ。

 誰も騒がない。誰も叫ばない。ただ、静かに、真面目に、言われた通りに動く。屋内退避か、広い場所へ。近づかない。落ち着いて。正しい行動ばかりが、ゆっくりと重なっていく。

 ヒーローたちの視界の端で、想定していなかったテールランプが増え始めた。無線に飛び込んでくるのは、敵情ではなく、交通の変化と人の動きだ。規制ラインの外側が、じわじわと“生き始める”。制圧のために静かに整えられていた舞台が、避難という名の理由で、別の顔を見せ始めていた。

 誰も悪くない。放送は正しく、人々の行動も正しい。だがその正しさが、最短距離を歪め、最速の判断を重くする。戦場は一瞬で、災害対応の現場へと塗り替えられた。

 夜は相変わらず暗い。倉庫の影も、崩れた鉄骨も、なにも変わらない。ただ一つ変わったのは、人の流れだ。静かに、確実に、計画の外側から入り込む“安全第一”の波が、制圧という言葉の意味を、少しずつ、しかし取り返しのつかない形で変えていった。

 「最近は物騒だ」「ヒーローは本当に機能しているのか」「雄英の不手際が​、ヴィランを増長させたんだ……」そんな言葉がだんだんと雑音のように重なり、不安は疑念を巻き込みながら膨れ上がる。

 示された避難ルートは瞬く間に渋滞し、誰かの短い悲鳴が合図のように人々を走らせる。足元を覆うように大量のねずみが走り抜け、それに驚いた声だった​─────その説明が共有される前に、張り詰めていた恐怖は破裂した。

「ヴィランが来たぞ! 人が倒れてる!」
「逃げろ! 殺されるぞ!」

 声はあちらこちらから聞こえた。冷静に聞けば、同じ声だったかもしれない。だが、ビルの階段やシャッターを下ろした店の奥、闇に沈んだ路地から断片的に響くそれを、“同じものだ”と理解できる者は、もはや誰一人いなかった。

 

 

 

 ビルの屋上には、二人だけがいた。でこぼこしたコンクリートの床に並ぶ影は不釣り合いで、片方は小さく、片方はやけに背が高い。身長差のせいで、同じ方向を向いているはずなのに、視線の高さだけが噛み合っていなかった。

 廃倉庫街までは少し距離がある。それでも、崩れた壁や歪んだ鉄骨の輪郭は目視できて、そこが“今まさに何かが起きている場所”だということだけは嫌でも分かる距離だった。

 屋上の縁に近づくたび、下から音が這い上がってくる。
 防災無線の金属質な声が、繰り返し、繰り返し、安全を訴えては空気に溶け、代わりに人のざわめきと悲鳴が重なっていく。喧騒はここでは少し鈍く、遠く、まるで別の世界の出来事のように響いて、風が吹くたび、小さいほうの影がふらりと揺れ、大きいほうが何も言わずにその位置を保つ。二人とも、まだ動かない。ただ、下で膨らみ続ける不安と音を、黙って見下ろしていた。

「ちゅう、ちゅう、ネズミがチュッ。ネズミがネズミが、チュッチュッチュッ」

 小さい方の影……少女の歌声に合わせて、足元のネズミたちが円を描くように踊り、排水管を伝って地上へ雪崩れ落ちた。狙いは一人。噛みつき、登り、まとわりつく。悲鳴は悲鳴を呼び、混乱は連鎖し、収拾がつかなくなる。古びた双眼鏡でその光景を覗き込んでいた大きい方の影が、淡々とした声で言った。

「これは聞き流していただいていいんですけど、効率、悪くないですか」

 次の瞬間、かんしゃく玉が破裂するみたいに少女が振り向く。

「うるさいわね! あかりも言ってたでしょ、最小の動きで最大の結果を出せばいいのよ! あんたなんか大声出すだけじゃない、あたしの方があかりの役に立ってるんですからねっ」

 双眼鏡を顔から離したもう一人には、顔がなかった。つるりとした皮膚が覆われただけの顔が、夜の闇に光るようにみえる。

「……あんた、それ、見えてるの?」
「ええ、まあ。視覚はあるので。目はないんですけど」

 会話を続けようとした、その瞬間。闇そのものが裂けたように、視界が白く暗転する。爆風じみた圧で身体の軽い少女がふわりと浮き、今にも飛ばされそうになるのを、反射的に掴んで引き寄せた。ほんの数秒。その間に、“顔”は戻っていた。ぬるりと、あるべき位置にある違和感のなさが逆に不気味で、個性が強制的に解除されたのだと理解するには十分だった。
 【偽皮フェイクスキン】────自身の顔を布に写し取り、それを他人の顔に貼り付けて“自分に変える”個性。使用中、本体は顔を失う。制限時間は三時間。その制限より前に解除されたということは、自分に変えていた四人は、全員が死んだか、意識を失ったか、そのどちらかだろう。効率が悪い、と言ったのは事実だったが、どうやら答え合わせの方が先に来たらしい。

「失敗しちゃった! なんでよもうっ! あかりが頼ってくれたのにいいいい!! あかりに幻滅されちゃう!! いやいやいやいや! バカ! キイイイィイ!!」

 屋上に甲高い声が弾ける。小さな身体が地団駄を踏み、コンクリートに怒りを叩きつけるように拳を振り回していた。
「これは聞き流していただいていいんですけど、あかりさまはこの程度の失敗、気になさらないと思いますよ」と、掴まえていた手をはなしながら伝えると、ピタリと動きを止めて最大限低くした声が圧をかけてくる。

「当たり前だろ、あかりは優しいんだから。でも優しく許してくれるからイイってワケないでしょうが!」
「なるほど、真面目ですね」
「あんたも真面目に生きろよ!!」

 そう叫んだ直後、感情の行き場を失ったみたいに、少女はその場にしゃがみ込み、今度は声を潰して泣きじゃくり始めた。

「あたしのネズミが死んじゃったあ!」

 まだ轟音の余韻が残る世界で、その泣き声だけがやけに強く響く。彼女の個性【ねずみばなれラット・アウト】は、自分の肉の重さと引き換えにねずみを生成し操るものだ。ねずみが生きている限り体重として戻せるが、死ねば失われた分は戻らない。

 ビルの屋上に取り残された形なのだろう。非常階段は衝撃で壊れているので、仲間からの救助を待つしかない。地上の様子は明らかに変わっている。廃倉庫方面は地面が抉れ、ここまで離れているのに衝撃が空気を震わせていた。
 泣き続ける少女に、「聞き流していただいていいんですけど、今できることも特にないので、見ます? あかりさまが見えるかもしれませんよ。見たいでしょう」と声をかけると、「見るっ!」と、泣いているのか怒っているのか分からない顔と声で双眼鏡を奪われる。
「見えないじゃない!!」と、今度は確実に怒っている様子を確認して、こちらは小さく頷く。うむうむ。元気でよろしい。

 彼女は失敗したと泣きわめいているが、何をもって失敗と呼んでいるのかは分からない。少なくとも、最初に頼まれたお願いは、過不足なく達成されている。

 【偽皮フェイクスキン】は、個性を使用した相手から、顔を移しているあいだの記憶も回収する。だから分かっている。混乱する住民の心理、拡散されていく不確かな情報、誰かが投げた半端な言葉が別の誰かの恐怖と結びつき、瞬く間に「事実」へと膨れ上がっていく過程を。避難を促すために設計された通信は、信頼を前提にしているがゆえに脆く、ほんの少し歪めれば、群集を一方向へと追い立てる笛に変わる。
 操作された避難経路は、理屈の上では正解だった。だからこそ人は疑わず、集中し、押し合い、前へ進もうとした。その結果、群集雪崩が起こりかけ、転倒した誰かを起点に、恐怖が連鎖していく。ねずみの暴走は、引き金にすぎない。悲鳴が悲鳴を呼び、壊れていく。自分がやった事といえば「ヴィランがいる」「人が殺されている」と叫んだだけだ。ただ、個性を使用したのでまるで複数人が“それ”を見たように思えただろう。あちこちから聞こえることで、世界は一気に“そういう状況”に塗り替えられた。

 そして、極めつけに起きた謎の爆発。倒れたビル群へ向かうはずだった人命救助のための車両は、避難者で膨れ上がった幹線道路に捕まり、動けなくなる。サイレンは鳴っているのに進めない。ヒーローは来ているのに、見えない。助けは確かに存在するのに、届かない。現場では「ヒーローは何をしている」「また後手だ」「助けに来てくれない」と、焦燥感が集めた不満が、今この瞬間の恐怖と結びついて吐き出されていく。

 “信頼”と“秩序”に爪を立てて傷を入れる。ヒーローへの嫌がらせとしては、これ以上ない出来栄えだ。非戦闘員の自分たちができる、“最小の動きで最大の結果”だろう。

 悲鳴と怒声、ヒーローを呼ぶ届かない声を聞きながら、廃倉庫の方面を眺めていた。かみさまだけを、みていた。