【終わらせ損ねた祈りの末路】

 人の気配がほとんどない会議棟の奥、使われていない時間帯の会議室の扉が、躊躇のない動きで押し開かれた。

 静まり返っていた室内に、キャスターの付いたスーツケースが床を転がる低い音が響く。入ってきたのは一人の女だった。
 背筋をまっすぐに伸ばし、移動の疲れを感じさせない軽やかな足取りで部屋の中央まで進み、長机の端にスーツケースを置く。

 アメリカ合衆国ヒーロー庁直属の国際特殊チーム《TRACE-0》のリーダー、ペンデュラ。

 長距離移動の後とは思えないほど落ち着いた目つきで、室内に既に座っていた男を一瞥すると、息を整える暇も与えない調子で言葉を投げつけた。

「忙しい中ゴメンナサイね、ワタシ達も忙しかったのです。No.2。いえ、No.1になったのかしら、おめでとうございます」

 机の向こう側で腕を組んでいた男が、ゆっくりと顔を上げる。日本のトップヒーロー、エンデヴァー。
 黙っているだけでも圧のある眼光が、入室したばかりの女をまっすぐに射抜いた。苛立ちを隠す気配もなく、無言の威嚇を与えるような視線。だが、ペンデュラはそれを強めの照明でも浴びたかのように軽く受け流すだけだった。

 背後で扉が再び開き、もう一人が遅れて入ってくる。彼女の相棒、ホロ・グリッドは部屋の中の緊張など最初から存在しないかのように、ペンデュラの隣に自然に立つ。
 エンデヴァーの視線は今度は彼へ移ったが、ホロ・グリッドはそれに「ハアイ」と片手を上げて軽い挨拶をするのみだった。相手が向ける視線に、苛立ちや威圧があることなど気にもとめないとばかりににこやかに受け流している。

「御託は良い」

 短く吐き捨てるような声が、重く沈んだ空気を切り裂いた。怒気を孕んだその言葉に対しても、二人は表情を変えない。ペンデュラは仕方ないとばかりに小さく肩をすくめると、スーツケースのロックを外して机の上へ持ち上げるようにして開いた。内部に収められていた物が、一つずつ机の上に並べられていく。

 最初に広がったのは、折り畳まれていた巨大な世界地図だった。紙ではなく、薄い布のような素材でできたそれは、広げると机の大半を覆い尽くすほどの大きさになる。大陸と海洋の境界線が精密に描かれ、いくつかの地点には既に小さな印がついていた。

 次に現れたのは、大小さまざまな輝石製のペンデュラム。水晶に似た透明なもの、濃い藍色の鉱石を削り出したもの、黄金の光を内側に閉じ込めたような結晶。どれも細い鎖に繋がれており、光を受けるたびに机の上で静かな反射を繰り返す。

 ホロ・グリッドはそれらを手際よく並べ替え、地図と連動させるかのように配置していく。ペンデュラムが触れ合うたび、小さく澄んだ音が鳴る。

 さらに、医療機器のケースが開かれ、中から整然とパッキングされた注射器が取り出された。滅菌された金属の光沢が、会議室の蛍光灯を鋭く反射する。
 ここまでは、まだ理解の範囲に収まる物品。しかし最後に取り出されたものだけが、場違いなほど異質だった。折りたたみ式のバケツ。アウトドア用品のような質素な構造で、柔らかい素材が折り重なり、コンパクトな円盤の形に畳まれている。
 スーツケースに入れるためにこの形状にしたのだろうが、それにしても容量は多めに見えた。ペンデュラはそれをぱちんと広げて机の端に置く。それが、この一連の準備の中で当然必要な道具であるかのように。

 エンデヴァーの眉がわずかに動いた。だが問いかけは発せられない。彼の視線は、世界地図とペンデュラムの配置へ向いていた。
 部屋の空気は依然として重かったが、ペンデュラ達は最初からそれを相手にしていない。怒りの熱を放つ男と、それを背景音のように扱う調査者たち。その対照が、会議室の静寂の中に奇妙な均衡を生み出していた。

「それで、今更なんだと言うんだ」

 低く、地面を這うような声だった。
 押し潰した怒りが底に沈んでいるせいで、むしろ響きは妙に滑らかで、耳に残る。

 エンデヴァーは机の向こうで動かないまま、二人を見据えていた。

 視線は刃のように鋭いのに、声だけが妙に湿っている。怒りを極限まで押し込めた結果、皮肉の膜を張ったような、嫌味ったらしい響きになっていた。

「小さな島国でたった一人を見つけてる間に、貴様らはアメリカで10人見つけられるんだろう?
今更、なんだ。何年経ったと思っている。俺の息子が、いなくなって、貴様らに協力を依頼して、何年経ったと……!」

 最後の言葉が落ちた瞬間、会議室の空気が歪んだ。

 実際に炎が出たわけではない。だがその場にいる誰もが、視界の端で赤いものが揺れた気がした。壁も机も、天井の蛍光灯も、すべてが一瞬だけ業火に包まれたような錯覚を覚える。
 エンデヴァーは指一本動かしていない。そこに座っているだけだ。それなのに、怒りの密度だけで部屋の温度が上がったように感じられた。

 ペンデュラは、その中心に立っていた。炎の幻の中にいても、髪一筋揺らさない。怒鳴り声も、威圧も、視線も、気流の一種でもあるかのように受け流している。彼女は静かに口を開いた。

「八年経ちました。ワタシ達が貴方の声から背を向けて、自国を優先し、そして公式に『解決』とされるまで。ようやく国外案件にリソースを割けるようになりました。
アナタを八年待たせましたが、謝りませんよ。アナタはワタシを憎んで下さい。ワタシはヒーローです。アメリカの、ヒーローですから」

 言葉は穏やかだったが、そこには一切の揺らぎがなかった。言い訳も、取り繕いもない。事実だけを机の上に置くような声音だった。

 その言葉を聞いたエンデヴァーの眉がわずかに動く。
 そして怒気を逃がすように息を吐き、彼は背中を椅子の背もたれへ預けた。ギシッ、と金属と木が軋む音が室内に広がる。
 彼の体重が、重く椅子へ沈み込んだ。燃え上がる怒りはまだ消えていない。それでも、先ほどまで前へ乗り出していた身体が、わずかに引いた。その動きは降参でも納得でもない。ただ、相手の言葉を受け取った男の、ほんの一瞬の間だった。鼻から短く息が抜ける。「ふん」と、その音だけが、静まり返った会議室に残った。

「貴方はまだ息子さん……陽火くんを諦めていませんね。ワタシ達の事前捜査の中も、全て一歩先に貴方の痕跡があります。アナタが日本のNo.1じゃなければスカウトしたいくらい」

 ペンデュラは机の上の地図から視線を上げ、報告書を読み上げるような静かな口調で言った。
 軽口のように聞こえる言葉だったが、その内容は驚くほど具体的だった。

 TRACE-0が行方不明者捜索の際に行う標準的な捜査は多岐にわたる。

 警察やヒーロー事務所の公式記録、公開されている救助ログ、匿名通報、非公式に流れてくる裏社会の断片的な情報、SNSや地下掲示板、救助履歴、医療機関の統計、通信履歴の異常、監視カメラの古いバックアップ、そして人の記憶にしか残らない曖昧な証言まで、可能な限りすべてを拾い上げる。

 その過程で彼らが必ず行う作業がある。​───誰が、どこまで、既に探したかを確認することだ。

 どの捜査にも必ず先行者がいる。だが、陽火の捜索に関しては異様だった。
 どの情報源を辿っても、必ず一歩先に同じ男の影がある。

 地方警察の紛失者ファイルの閲覧履歴、匿名で寄せられた情報の裏取り、廃倉庫の聞き込み、行方不明児童の保護施設への訪問、匿名掲示板の古いログ、裏社会の斡旋屋、海外の人身売買ルート、ヴィラン関連の通報記録。

 TRACE-0が掘り起こしたほぼすべての痕跡に、同じ名前が先に触れていた。

 エンデヴァー。

 彼はヒーローとしての正式な権限で動いたものもあれば、そうでない動きもあった。
 公的な捜査に残る痕跡は当然ある。だがそれ以上に多いのは、残らないはずの足跡だった。匿名の情報提供者が、なぜか“既に誰かが確認していった”と証言する。闇市場の仲介人が、数年前に“炎の個性を持つ大男”に同じ質問をされたと言う。海外の人身売買ルートの古いデータにも、妙に正確な照会履歴がある。

 TRACE-0が動き始めた時点で、既にそのほとんどが踏査済みだった。しかもそれをやっていたのは、国家レベルの捜索チームではない。
 日本のトップヒーローが、たった一人でだ。ペンデュラはその事実を淡々と並べていく。

「公式に発表される情報から、匿名で渡される断片まで。全部、アナタが見ていた」

 言葉は断定ではない。だが、疑問でもない。事実確認のような声音だった。エンデヴァーの視線は動かない。ペンデュラは続ける。

「TRACE-0は記録を見る仕事です。何が残されているか、そして何が残されていないか。その両方を見ます」

 彼女は机の端に指を置き、わずかに体重を預けた。

「アナタはここ数年、ほとんど体調を崩していない。戦闘での怪我以外で病院に行った記録もない。
例外が一度だけありました。過労でもなく、戦闘でもなく、感染症でもない。数時間だけの短い診察。医療記録の内容は曖昧でしたが、タイミングだけははっきりしている」

 ペンデュラはひとつ息を吐いて、言葉を続ける。

「あの日、アナタの元には『陽火』を元に作られた酷い動画が届いていたのでは?」

 室内の誰も動かない。時計の音だけが居心地悪そうに規則的に進んでいく。

「被害者家族がヒーローであれば、それを見ないという選択はできない」

 それは、責任だからだ。確認しなければならない。真偽を確かめなければならない。救える可能性が一つでもあるなら、目を背けることは許されない。ペンデュラはほんのわずかに首を傾けた。

「アナタはあれらを見ていたんでしょう」

 それは問いかけの形をしていたが、答えを求めている声音ではなかった。記録の確認のように、静かに置かれた言葉だった。

「……全部ハズレだったがな。くだらん」

 吐き捨てた言葉は短かく、だがそれだけで十分だった。机の向こう側に立つ二人にとって、その一言は答えそのものだった。
 エンデヴァーは見ていたのだ。自分の息子を模して作られた、あの類の動画を。確認せざるを得なかったのだ。ヒーローであり、そして父親である以上。

 会議室の空気が一瞬だけ静まり返る。次の瞬間、空気を変えたのはホロ・グリッドだった。

「ハズレでよかったじゃないか、そしてこれからアタリを見つける時間だ。お待たせしてすまないね、さあ腕を出してくれ」

 突然朗らかな声が室内に響いた。雑談でも始めるような調子で、彼は机の端に置かれていた折りたたみ式のバケツをひょいと持ち上げ、もう片方の手で医療用ケースから注射器を取り出しそのままエンデヴァーの方へ歩いていく。

「なんだこれは」
「注射器っていうんだけど、日本には無い?」
「日本を舐めるなよ貴様……」
「ホロ・グリッド、説明を省かないで。エンデヴァー、アナタの血液を今から2リットルほど貰うわね」
「何をするのか何のために俺の血が抜かれるのか説明しろ。日本には説明責任というものがあるが、アメリカには無いのか」

「ワタシの個性は“サーチ・リンク”。捜査対象と縁を結ぶことで、命の気配を追うことができるもの。縁を結ぶのはこのペンデュラム達。繋がりが最も強いものは血液……正確には『遺伝子情報』。だから実父であるアナタの血液が必要なの」

 ペンデュラは淡々と説明した。まるで長年使い慣れた道具の仕様を確認するような口調で、余計な感情は一切乗っていない。
 対してエンデヴァーは、明らかに納得していない顔でそれを聞いていた。
 胡乱な目つきで、しかし完全に否定するわけでもなく、じっとペンデュラを見据えている。その視線には苛立ちと警戒が混じっているが、同時に、ほんのわずかだけ“期待”の色もあった。
 彼女の実績と経験、それが積み重ねてきた結果を知っているからこそ、完全に突っぱねることもできない。

 数秒の沈黙のあと、エンデヴァーは深く息を吐き、観念したように肩の力を抜いた。そして何も言わず、太い腕をゆっくりと差し出す。その動作は雑だったが、覚悟ははっきりしていた。ホロ・グリッドの表情がぱっと明るくなる。

「やあ任せてくれよ、ミスターバーニング。俺は医師免許は無いが、献血には定期的に通っているんだ」

 軽い調子のまま、彼は手袋を軽く引き直し、腕に触れて血管の位置を探り始める。まるで日常の延長のような手つきだった。だが言っていることは不穏極まりない。足元に置かれたバケツは血液を溜める為のものか。使用方法が分かった途端、不穏なものにしか見えなくなる。

「医療従事者を呼べ」
「怖がらないで、今のところ失敗したことは三度しかないわ」
「ふざけるなよ……」

 低く押し殺した声とは裏腹に、差し出した腕は引かれないままだった。
 目の前の二人の軽薄な言動に信頼など一欠片も抱いていない。
 それでも、彼らの積み上げてきた実績だけは否定しようがなかった。八年前、切り捨てられたはずの“協力”が、今になって差し出されている。
 躊躇や嫌悪は確かにある。それでも、ここまで来て矜持を優先して手を伸ばさずにいられるほど、彼は潔くなかった。
 ぶら下げられた餌だと分かっていても、食いつくしかない。そう結論づけてしまえる程度には、とうに追い詰められていた。

 

 

 

 幸いにも、致命的な事故には至らなかった。
 処置が終わった直後はどうにか平静を保っていたが、あとから冷静に考えれば、2リットルもの血液を失うというのは常識的に見て無茶の一言に尽きる。それでも、必要なことであるならば仕方がないと、無理やり納得することはできた。

 ​────本来ならば300ml程度で十分だったと聞かされるまでは。

 エンデヴァーの体格が100kgを超える巨躯で、なおかつ戦闘を主とするヒーローであることから、「これくらいイケるでしょ」と軽い調子で量を増やされたらしいと知った時、ちょうど軽い貧血に見舞われていたこともあって、怒る気力すら湧かなかった。
 ただ、結果的に遺伝子情報は多ければ多いほど精度が上がるのだと説明され、合理性だけは理解できたため、渋々ながらも受け入れるしかなかった。

 戦闘中であれば、興奮状態が痛みや負荷を鈍らせる。どれほどの傷を負おうと、立っている限りは動き続けられる。
 だが、平常時に失う血液量には誤魔化しが効かないらしい。
 体の芯からじわじわと力が抜けていくような感覚に、さすがのエンデヴァーも無言で目を閉じるしかなかった。

 目を閉じていると、余計なものが削ぎ落とされて、音だけがやけに鮮明に届く。
 ぽちゃ、と小さく何かが沈む音がした。その“何か”が自分の血液だと理解すると、言いようのない不快感が喉の奥に引っかかる。視界を遮っても、現実そのものが消えるわけではない。

 「では、いきます」と、ペンデュラの声が落ちてきた。静かで、迷いのない声音だった。

 エンデヴァーは目を閉じたまま、短く「ああ」とだけ返す。
 感情は乗っていない。許可でも同意でもなく、ただの応答だ。期待は、していない。かつてはあったのかもしれないが、それはもう何度も擦り減って、形を失っている。

 希望に似たものを抱いては、裏切られることを繰り返してきた。その積み重ねの先に残ったのは、何も信じないという選択だけだ。ペンデュラは“諦めていない”と言ったが、それは違う。諦めていないのではない。やめる理由がないだけだ。
 燈矢のように、骨があればとすら思ったこともある。すぐに否定した考えだが、確かに一瞬、自分は『我が子が死んだ証拠』を欲した。その事実を無かったことにするために、止まることも、終わらせることもできず、続けているだけの行為。惰性と呼ぶのが、いちばん正確だった。

 瞬間、パンッ、と乾いた音が弾ける。

 発砲音よりも軽く、小さく、それでいて妙に耳に残る破裂音が、連続して室内に散る。
 反射的に体が動いた。思考より先に、戦闘態勢へと移行する。椅子を蹴るようにして立ち上がったエンデヴァーの視界に飛び込んできたのは、呆然とした表情で立ち尽くすペンデュラと、その眼前に広がる異様な光景。机に広げられた地図の上に、無数の微細な輝きが散らばっている。光を反射して、細かく瞬くそれらは​─────ペンデュラムの欠片だった。

 先ほどまで整然と並べられていた輝石製の振り子は、ひとつ残らず砕け散っている。
 鎖の先で揺れていたはずの石は、原形を留めていない。まるで内側から弾け飛んだかのように、細かく砕けて、地図の上へと降り積もっていた。

「“PSALM-22”か?」

 ホロ・グリッドの声が低く落ちる。確認するような響きだった。その言葉に、エンデヴァーの意識が一瞬だけ過去へ引き戻される。覚えがあった。アメリカの前時代のヒーロー、グレイ・クロウ。その子息が誘拐され……二十二に分割されて見つかった事件。
 脳裏に浮かびかけた映像を、思考が拒絶する。だが完全に振り払う前に、視線は自然と机へ落ちていた。広げられた世界地図。その中心に描かれているのはアメリカ合衆国。その全土に、細かな欠片が散っている。点在している。ばらばらに、無秩序に。それだけでは終わらない。周囲の国々にも、同じように。
 そして、日本列島には​─────まるで埋め尽くすように、びっしりと。

「……いいえ、ワタシは霊能力は無いの。魂は見えるけど、生死しかわからない。生死問わず、魂の痕跡を追うだけ。……彼は『生きている』」

 ペンデュラの声は、かすかに揺れていた。それでも言葉自体ははっきりしている。否定と、訂正と、そして結論。エンデヴァーの瞳が僅かに見開かれる。

「……! 日本地図を、いや、この規模なら周囲のものでいい。これでいいか?!」

 ホロ・グリッドが即座に動いた。自分の鞄を乱暴に開け、冊子を引き抜く。会議棟の案内図。簡易的な構造図だが、今はそれで十分だった。
 彼はそれを机の上へ広げると、バケツの中に沈めていたペンデュラムを取り出す。まだ血液が滴っている。それを拭うこともせず、ペンデュラに渡す。彼女はそのまま地図の上にかざした。赤い滴がぽたり、と紙面に落ちて線を引く。

「教えなさい! 轟 陽火は、どこにいるの!」

 ペンデュラの声が、初めて強く響いた。命令でも、懇願でもない。ただ、答えを引きずり出すための声だった。
 次の瞬間、再び同じ音が鳴る。パンッ、と。軽く、乾いた破裂音。ペンデュラムが何かに耐えかね弾け、砕け散る。だが、先ほどとは違う。
 飛び散った欠片は、明らかに大きかった。そして数も少ない。散らばり方にも偏りがある。いくつかの点に分かれ、その多くが一箇所へと集中していた。

 視線が自然とそこへ吸い寄せられる。会議棟の構造図。その一角。保管庫。

 

 許可をもぎ取るようにして、職員を伴い保管庫へ踏み込む。
 無機質な通路の先、厳重な認証を幾重にも通過した先にあるその空間は、外界から切り離されたように静かだった。

 温度も湿度も一定に保たれ、整然と並ぶ収蔵物の一つひとつが、ここに至るまでの経緯を一切語らないまま、ただ“存在”している。
 その中の一つに近づいた瞬間、ペンデュラの手にある新たなペンデュラムが、はっきりと反応した。

 微細な揺れではない。引き寄せられるように、強く震える。鎖が細かく鳴り、空気がわずかに張り詰める。

「……ああ、ミスターバーニング。なんと言ったらいいか」

 ホロ・グリッドの声は、先ほどまでの軽さをわずかに失っていた。

陽火くんの個性は“灯火”。なるほど、彼は“あかり”そのもので……分け与えたのね。個性を……己自身を、あんなに……」

 ペンデュラの声は低く、しかし確信に満ちていた。説明というよりは、確認に近い。

 視線の先、保管ケースの中に収められているのは、ただの小さなガラス玉だった。手のひらに収まるほどの、取るに足らない大きさ。だが、その内部では確かに炎が揺れていた。小さく、けれど確かに燃えている。風も酸素もないはずの密閉空間で、消えることなく、ただ静かに灯り続けている。

 エンデヴァーは無言でそれを見つめた。目を凝らす。記憶を掘り返す。だが、何も引っかからない。

 思い出せない。自分が見なかったことにしたもの。諦めたもの。切り捨てたはずのもの。その中心にあったはずの、我が子の“火”。あれがどんな色をしていたのか、どう揺れていたのか、思い出せない。笑った顔も、声も、呼び方すら、曖昧だ。​

 ─────呼ばれたことは、あったのか。問いだけが浮かび、答えは出てこない。

 何一つ、輪郭が残っていない。空白だけがある。だが、その空白の中にあるはずの存在を、目の前の二人は迷いなく指し示している。

 行方不明者捜索に特化した専門チームのリーダー。その女が、このちっぽけなガラス玉を見て、迷いなく言った。それが“息子”なのだと。

 あかり教、象徴的教祖『火継』。そしてヴィラン連合の幹部格、『あかり』。それらすべてが、一本の線で繋がる。​─────『陽火』なのだ、と。

 小さなガラス玉の中、呼吸をするように炎が揺れる。その光は弱いはずなのに、目を逸らすことができなかった。

 まるで、ずっとそこにあったものを、今さら見つけてしまったかのように。