ホワイトデーホワイトデーif。赤い薔薇を選んでいた場合。
ㅤ目の前の光景に思考が鈍っていくのを感じる。頭ばかりがやけに熱くて、手足は逆に氷のように冷たい。あ、すごい。血圧が急に上がったからか目眩がする。こんなの初めて……ドキドキしちゃうね……。
ㅤこんなに体の中はめちゃくちゃなのに、それを引き起こした本人は普段と何も変わらないままそこに立っている。ちょっと様子を伺ってる雰囲気はあるだろうか。普段なら少し首を傾げたその姿に釘付けになっているのに、今は彼の手元から目を離せなかった。
ㅤ薔薇の花束がそこにある。一本残らず赤い色の。
ㅤ……どうして……?ㅤいや、うん。冷静になろう。ホワイトデーのお返しを持ってきてくれたのはわかる。受け取ってくれただけで満足していたから、最初はすぐに思い出せなかったけど。初めに渡されたのが札束なのもわかる。多分考えた末に実用性を重視してくれたんだろうな。彼らしくて微笑ましかったし、それだけなら笑顔で受け取って保存用ケースの発注を考えるだけで済んだ。花束が添えられたこと自体も、わかる。きっとあかりくんのアイデアだ。文字通り華を添えてくれたんだと思う。そう、わからないのは花のチョイスだけ。
(赤い薔薇の安売りでもしてたのかな……)
ㅤ植物に関連した個性はそう珍しくない。主流は温室栽培だけど、その手の個性の持ち主が流通させている花もある。個性事故でも起こって赤い薔薇が大量生産でもされたのかな?ㅤ安く仕入れたそれらをイベントの内に売り切りたい店員のアピールに押されたとか?ㅤまっしろくん、押しに弱いところがあるし……。うん、きっとそう。特に理由がなかったらあかりくんが無難なものを選んであげてるはずだもん。一度声をかけたら、ある程度までは見ていてあげるくらいには面倒見がいい人だから。よっぽど押し売りされたんだろうな……。
ㅤそう思うと気持ちも落ち着いてきて、穏やかな心で眺めることができた。少しばかり季節外れのその花は、それでも申し分ない瑞々しさと鮮やかさを身に纏っている。きれいだなあ。赤色は好きだよ。偶然だとしても嬉しい。
「……ありがとう!ㅤ綺麗だね」
「喜んでもらえたなら良かったです、あかりさまからアドバイスを、いただきました、現ナマだけでは生々しいと、少しは華やかにしようと、おっしゃいまして、なるほど確かに、贈り物なのだから華やかさもあっていい、その通りです、それは良い考えですねと、アイデアを頂戴した次第でして」
ㅤほら、やっぱり。想像した通りのやり取りをしていて少し笑ってしまった。私への贈り物が会話のきっかけになったのなら良かったな、と思う。あかりくんと会話をしている時の彼は、本当に幸せそうだから。
「そっか!ㅤあかりくんにも後でお礼言わないと。それにしても立派な薔薇だね。今日の一押しとかだったの?」
ㅤたくさん売ってるようなら友達にも教えてあげたいな、無類の薔薇好きの子がいてね、と続けると、首の角度がより傾いた。痛くないのかなあ、それ。
「いえ、特におすすめされていたわけでは、ありませんでした、普通に、他のものと同じように、並んでいましたよ」
「えっ、じゃあなんでこれにしたの?」
ㅤ確かに定番の花ではあるけど、この時期なら他にも色々選択肢はあったでしょう。もっと買いやすい花だっていっぱいあるはずだけど。
「いえあの、貴女に似合うと思って選んだのですが、どうでしょうか、花言葉的に重いとは思いますが、大ぶりの花は似合うなと、思ってしまいましたので」
「……えぁ……?」
ㅤドッ、と胸に衝撃が走る。手渡された花束を掴むを通り越して握り潰しそうになったので、慌てて手の力を抜いて持ち直した。何が起きた?ㅤ今……聞き間違いかな。多分そう。
「顔が赤いですが大丈夫ですか、熱でも?ㅤそうではない、ならよろしい、今日は暖かい日でしたので、そのせいでしょうか、ああでも、そうですね、薔薇色の頬と言いますが、なるほど並べると比喩になるのもわかる、血色の良い頬、ルビーの最高級は鳩の血と呼ばれるそうですね、血は確かに鮮やかな赤色をしている、ならそれを内側に孕む肌も、その色を持つのは、道理でしょう、こうして見ると色もこれで合っていたと思います、大ぶりで、赤い、その花、赤い薔薇、似合っていると思いますよ、個人的な意見ではありますが」
「わ……わああ……」
ㅤ待ってほしい本当に。え?ㅤ夢……?ㅤいや現実っぽい。呼吸できなくて息苦しくなってきたし……。
ㅤわかってる。彼は本当に、似合ってるって思ってくれただけだって。わかってる。他意なんてないんだって。きっとなんとなくそう思ってくれた、それだけ。それだけなのに、どうしようもなく心が揺らいでしまう。
ㅤああ、苦しいなあ。
「……似合うって、思ってくれるんだね。ありがとう!ㅤとっても嬉しい。大切にするね」
ㅤちゃんと笑えてるかな。笑顔を作るなんて普段やらないから、上手くできてるか心配。
「ええ、お似合いです、嬉しいと言ってもらえると、私も嬉しい、いわゆるwin-winというやつでしょうか、贈り物をすることがあまりないので、どうだろうかと思ったのですが、気に入ってもらえたなら、幸いです、こちらこそ、ありがとうございました」
ㅤ──良かった。ちゃんとできてたみたい。
ㅤ
ㅤまっしろくんが帰っていくのを見送って、貰ったものを片づけた。札束はひとまず金庫に。花束は処理をして花瓶に。一日くらい飾ったら保存加工をしよう。プリザーブドフラワーにでもしようかな。
ㅤそして全てを置いて外に飛び出した。何かもう走りたい気分だったから……今夜雨だっけ。いいやもう。濡れた方が頭も冷えそうだし。
ㅤ見上げた空は灰色に淀んでいた。わりとすぐに降り始めそうだなあ……。
「あれが『普通』なのかな。やっぱり私がおかしいの?ㅤ気にし過ぎ?ㅤあれくらい誰でもする会話だったりするの?」
「チチッ、キュッ」
「でもまっしろくんの場合は危機感が足りないと思う。私みたいなのにあんなこと言っちゃ駄目じゃないかな。心配になっちゃうね……」
「キー、キュッキュッ」
「お話聞いてくれてありがとう……」
ㅤ膝の上に乗ったねずみを指で撫でる。30分ほど走っていたら案の定降り始めたので、適当な木陰で雨宿りをしていたら、いつの間にか近くにこの子がきていた。そっと捕まえて持ち上げても逃げなかったので、話し相手になってもらっている。聞いてくれる相手がいるだけでも楽になるものがあるよね。
ㅤ大人しく撫でられている姿が可愛い。人に慣れてるから、誰かに飼われてた子なのかもしれない。おやつになるようなもの何も持ってなくてごめんね。指でも齧る?ㅤいらない?ㅤそう……優しいね……。
「あーあ……」
ㅤため息が一つ落ちる。嬉しかったのは本当だった。とっても嬉しくて、舞い上がりそうなほどドキドキして、でも少しだけ胸が痛い。素直な気持ちをもらったのにね。喜ぶ以外の感情なんて、持ちたくなかったんだけどな。
「知識を身につけてたことを後悔するなんて、初めて」
ㅤどんな言葉を携えていても、その気がないのなら意味を持たない。いっそ雑に選んでくれてたなら良かった。「何も考えずに適当に指をさしたらこれだったので買いました」って言われたなら、愉快な偶然として笑いながら受け取れたのに。どうしてちゃんと選んだ先で、あの花にしたの。どうして似合うなんて言ってしまうの。どうして。
ㅤ手の届かない場所から一粒だけ落ちてきた葡萄が甘過ぎて、泣いてしまいそうだった。木の下から動けなくなってしまいそうなことが怖い。そんなこと、あってはいけないのに。
「はやく、幸せにしてあげなくちゃ」
ㅤ早く、早く、まだ手を離してあげられる内に。一欠片で我慢しようと思えている内に。全部は手に入らないってわかってる。だって君はまともな人間だから。壊したものか、最初から壊れてるものしか手に入らないって、知ってるの。だから君はいつまでも頭上の葡萄のまま。狐はきっと賢くて、私は愚か者だった。
ㅤ
ㅤいつか、君が「誰か」を見つけた時。葡萄を収穫する人が現れた時。君はどんな花を贈るんだろう。言葉の持つ意味を大事にする人だから、それも考えた花を贈るんだろうな。一つだけわがままを言っても許されるかな。できればでいいから、赤い薔薇以外の花にしてくれたら嬉しい。無理にとは言わないけど。
ㅤ……雨が本降りになってきちゃった。膝に落ちる水滴がねずみにかからないように、手で覆う。大丈夫、すぐ止むよ。きっと、多分。今夜中には。
わっふるさんからいただきました!
