好きじゃなければ耐えきれない所業

 ランバド酒場の二階は、今夜もなかなか賑わっていた。
 仕事帰りの学者たちが酒を片手に議論を交わし、隅の席では商人らしい男たちが大声で笑っている。店主のランバドが新しい客を案内する声も聞こえたが、カーヴェは特に気に留めなかった。目の前にはまだ半分ほど残った酒があり、つまみの皿には好物の焼き魚も残っている。なんとも幸せな夜じゃないか。
 もっとも、そう思っていたのは本人だけだったらしい。

「……カーヴェ。君、今日は何杯飲んだんだ?」

 聞き慣れた声に顔を上げると、テーブルの向こうにザルハンが立っていた。

 教令院の知論派出身で、現在は書記官の下で働いている男だ。学生時代からの付き合いで、カーヴェにとっては気心の知れた友人の一人でもある。いつも身なりが整っていて、誰に対しても物腰が柔らかい。本人に言わせれば、交友関係が広いと余計な揉め事に巻き込まれやすいので、なるべく穏便に済ませたいだけらしい。

「やあ、ザルハン! いいところに来たね。ちょうど君のことを考えていたんだ」

「そうなのかい? それは光栄だけど、まずは帰る準備をしよう。もう遅いし、明日は仕事があるんだろう?」

「仕事の話はやめてくれ。僕は今日、ようやく設計図を仕上げたところなんだ。依頼主に三回も修正を要求されたんだぞ? それも最後の一回なんて、玄関の装飾をもっと豪華にできないかって! 最初から言ってくれれば、いくらでも考えようがあったのにさ! あとから根本的な仕様変更はどの仕事に対しても失礼だと思わないかい!?」

「それは災難だったね。完成したなら、なおさら今日は帰って休んだ方がいい。ほら、荷物はこれで全部かい?」

 早くも帰り支度を始めようとするので、慌てて腕を掴んだ。せっかく来てくれたのだから、もう少し話していってもいいだろう。

「君も一杯くらい付き合ってくれよ。ここの酒は美味しいんだ。今日は僕が奢るからさ」

「ありがとう。でも、俺が酒を飲めないのは知っているだろう?」

「飲めないんじゃなくて、嫌いなんだろ? それなら一口くらい平気じゃないか。ほら、これなんか飲みやすいぞ」

「いや、遠慮しておくよ。酒の味がどうにも苦手でね。どうして君たちがあんなに美味しそうに飲めるのか、昔から不思議なんだ」

 まったく、もったいない話だ。
 こんなに美味しいものを飲まないなんて、人生の楽しみを一つ損しているようなものじゃないか。ザルハンと飲めるならぜったい、とっても、楽しい時間を過ごせるというのに! 酒が入らないせいで、いつも理性的で真面目な話しかしてくれない。つまらない。いや、つまる。理性的で真面目な話しかしないザルハンのことも好ましいけど、だけどさあ!

「酒の良さは味だけじゃないんだぞ。飲んでいるうちに、面倒なことを何も考えなくて済むようになるんだ。まあ、僕くらいになると味も楽しめるけどね。ほら、騙されたと思って飲んでみてくれよ」

「騙されたと思って、というのは勧め方としてどうなんだい? それに、俺は別に忘れたいこともないから……ちょっと、カーヴェ!」

 手元のグラスを押しつけると、ようやく諦めたらしい。渋々といった様子で酒を口に含み、途端に眉を寄せる。

「……まずい」

「ははっ! なんだ、その顔! そんなに嫌がらなくたっていいじゃないか。そうだ、今ので間接キスになったな!」

 思いついたことを口にすると、ますます嫌そうな顔をされた。
 それがなんとも面白くて笑っていると、ザルハンは手の甲で口元を拭った。

「まったく、君は酔うと本当に……」

「……なんだい、今のは」

「何が?」

「今、口を拭いただろう! まさか僕との間接キスがそんなに嫌だったのか? 君まで僕をそんなふうに扱うなんて、あんまりじゃないか!」

 思わずテーブルを叩くと、空になったグラスが跳ねた。
 周囲の視線が集まった気もするが、そんなことはどうだっていい。親しい友人にこんな仕打ちを受けるなんて、いくらなんでもひどすぎる。僕は間接キスでもまったく気にならなかったのに! 健康だぞ僕は! 感染するタイプの病に罹患していない! 風邪もひいてない! 元気だ!

「いや、そうじゃなくて、単純に酒の味が苦手だから拭ったんだよ。君のことが嫌なわけじゃない。ほら、そんなに怒らないでくれ」

「だったら、僕とのキスが嫌なわけじゃないんだな? それならどうしていつも、僕のことを好きになってくれないんだよ……」

 言っているうちに、なんだか悲しくなってきた。昔からそうなのだ。せっかく仲良くなれたと思った相手が、いつの間にかアルハイゼンの方へ行ってしまう。あいつはろくに人付き合いもしないくせに、どうしてあんなに人から好かれるんだろう。

 まあ、魅力があるのはわかる。頭はいいし、顔もいいし、腹が立つほど自分の考えを曲げない。そういうところが好ましく映る人間もいるのだろう。
 カーヴェ自身、アルハイゼンの良いところを挙げろと言われれば、いくつか思いついてしまう。それがまた癪だった。いや、別に友人を取られたことが悔しいわけじゃない。ただ、ザルハンとは自分の方が先に仲良くなったのだから、少しくらい優先してくれたっていいじゃないか。

「僕だって、君とキスしたいのに……グラス越しすら嫌がられるなんて……ひどいよ……」

「カーヴェ?」

「なんでさあ……僕の方が先に君と仲良くなったのに、君はいつもアルハイゼンばっかり……。僕のことなんて、どうでもいいんだろう……」

 目頭が熱くなって、とうとう涙がこぼれてしまった。
 泣くつもりなんてなかったのに、一度出てしまうと止まらない。慌てて目元を拭ったが、どうにも収まりがつかなかった。

「……アルハイゼンくんは、仕事上の上司だということを忘れないで欲しいな。俺だって四六時中あの人と一緒にいたいわけじゃないよ」

「嘘だ! プライベートでも優先してるじゃないか! 今日だって、あいつに頼まれて僕を迎えに来たんだろ!」

「アルハイゼンくんが君の迎えを俺に頼むと思うかい? あの人は自分の生活に支障が出ない限り、君が何時に帰ろうと気にしないだろう」

「ひどい! なんてひどいことを言うんだ!」

「今のはアルハイゼンくんの話だろう? まあ、否定はしないけどね。とにかく、俺が自分で迎えに来たんだよ。君がまた飲みすぎて、帰れなくなっているんじゃないかと思ってさ」

 いつの間にか隣の席に移ってきたらしく、すぐ近くから声が聞こえた。
 優しく背中を撫でられると、ますます泣けてくる。こんなに親切にしてくれるのに、どうして好きになってくれないんだろう。いや、友人としては好きなのかもしれないが、そういうことじゃなくて。

「……君は、どうしてそんなに親切なんだい? 僕が何かしたっていうのか?」

「別に何もしてないよ。俺が君を好きで、勝手に世話を焼いているだけさ」

「だったら、もっと好きになってくれたっていいだろう……僕は君のことが……」

「うん。酔っている時だけ、毎回そうやって好きだと言うのはやめて欲しいな。こっちも色々と困るんだ」

 困る、と言われて顔を上げた。何か悪いことをしたのだろうか。そう尋ねようとしたところで、両頬をそっと包まれる。涙でぐしゃぐしゃになった顔を間近で覗き込まれ、こんなひどい顔を見られるなんて嫌だなあと思った。せめて涙くらい拭かせてほしい。そう口を開きかけた途端、唇に柔らかなものが触れた。
 
「……まずい」

 離れていった顔が、少しだけ歪む。
 何がまずいのだろう。ああ、そうか。さっきまで飲んでいたモンド産の赤ワインの味が、まだ唇に残っていたのかもしれない。果実の甘酸っぱさと、舌に残るわずかな渋みが気に入って、ついグラスを重ねてしまったのだ。カーヴェにしてみればなかなかの美酒だったが、酒嫌いのザルハンには不評だったらしい。せっかくいいものを飲んでいたのに、もったいない話じゃないか。

「……へへ」

「カーヴェ?」

「ザルハンに、キスしてもらっちゃった……」

 思わず笑みがこぼれた。嬉しくなってザルハンの腕にしがみつくと、困ったような顔をしながらも、振りほどかれることはなかった。だったら、もう一回くらいしてくれたっていいじゃないか。今度はちゃんと目を閉じるし、酒の味が嫌なら水を飲んでもいい。そんなことを考えながら、どうやってねだろうかと悩んでいたところまでは、なんとなく覚えている。

 

 

 翌朝、目を覚ますと自分の寝台にいた。ひどく頭が痛い。寝返りを打った途端に胃の辺りがむかついて、思わず呻き声が漏れた。これはいけない。昨夜は少々飲みすぎたらしい。枕元には水差しとグラスが用意され、椅子の背には昨日着ていた上着が掛けられている。靴もきちんと揃えてあったので、どうやら誰かが世話を焼いてくれたようだ。

 昨夜のことを思い出そうとすると、酒場でザルハンと話していたところまでは覚えていた。確か、アルハイゼンに頼まれて迎えに来たとか、そんな話をしていた気がする。それから何を話したのだったか。仕事の愚痴をこぼした覚えはあるし、途中で泣いてしまったような気もする。ああ、まずい。まさかザルハンにまで泣きついてしまったのだろうか。今度会ったら謝っておこう。

 水を飲んでから、のろのろと寝台を抜け出した。上着を片付けようと手に取ったところで、ふと動きが止まる。

 何か、何かとてもいいことがあったような気がする。

 それも、思い出すだけで嬉しくなるような、飛び上がって喜びたくなるようなことが。

 しばらく考えてみたが、どうにも思い出せなかった。まったく、酒というのは困ったものだ。忘れたいことはいつまでも覚えているくせに、肝心なことほど綺麗さっぱり忘れてしまうのだから。

 それからも、ザルハンは時折カーヴェを迎えに来てくれた。

 仕事帰りに酒場へ寄り、適当なところで会計を済ませて、家まで送ってくれる。以前からそうしてくれていたのだが、最近はどうにも申し訳なくなってきた。いくら友人同士とはいえ、毎回こんなに世話を焼いてもらっていては、そのうち嫌われてしまうんじゃないだろうか。少なくとも、酔っ払いの面倒を見るのが好きな人間なんて、そうそういないはずだ。

 もちろん、ザルハン本人は一度だって嫌な顔をしたことがない。それどころか、いつも楽しそうに話を聞いてくれるし、翌朝には必ず水差しが用意されている。まったく、できた男じゃないか。
 こんなに親切で、有能で、しかも顔までいいのだから、さぞかし女性にも人気があるに違いない。学生時代からそうだ。何度も紹介を頼まれては、なんとかのらりくらりと躱してきた。

 ……まあ、それはそれとして。

 やはり、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないだろう。
 そんなわけで、ある日の夕食後、カーヴェは同居人に苦情を申し立てることにした。

「アルハイゼン、ちょっといいか。君に言っておきたいことがあるんだけど」

「内容による。先に断っておくが、君が昨日買ってきた家具をどこに置くかという相談なら、俺は関与しない」

「違うよ! そっちはもう決めたんだ。そうじゃなくて、ザルハンのことなんだけどさ。彼に僕の迎えを頼むのはやめてくれないか?」

 向かいの椅子で本を読んでいたアルハイゼンが、わずかに眉を動かした。

「何の話をしているんだ?」

「だから、ザルハンのことだよ。僕が酒場で飲んでいると、君はいつも彼を迎えに寄越すだろう? 彼にだって仕事があるんだし、そんなことを毎回頼まなくたっていいじゃないか。僕は酔っていたって一人で帰れるんだから!」

「俺は何一つ頼んでいない。ザルハン先輩が自主的にやっていることだ。君も迷惑をかけている自覚があるなら、少しは飲酒を慎んだらどうだ」

「……先輩?」

 思わず聞き返してしまった。

「君、彼のことを先輩って呼んでるのか?」

「業務時間外ではな。何か問題があるのか」

「いや、問題というか……僕とザルハンは同期だぞ? 君、僕のことは平気で呼び捨てにするくせに、彼のことは先輩って呼ぶのかい!? しかも今は君の部下なんだろう!?」

「職務上の上下関係と、学生時代の先輩後輩は別の話だろう。それとも、君も先輩と呼ばれたいのか?」

「そういうことを言ってるんじゃない! まったく、君は昔から……いや、待てよ」

 危ないところだった。危うく本題を忘れて、いつものように口論になるところである。

「つまり、君はザルハンに何も頼んでいないんだな?」

「最初からそう言っている。そもそも、俺がわざわざ彼を酒場に派遣する理由がないだろう。君が飲みすぎて帰れなくなったところで、俺の責任ではない」

「じゃあ、どうして彼は毎回迎えに来るんだい?」

「本人に聞けばいいんじゃないか? 少なくとも、俺に尋ねるよりは確実な答えが得られると思うが」

 それもそうか。
 いや、そうなんだけど。

 なんだか釈然としないまま黙り込むと、アルハイゼンはもう話が終わったものと判断したらしく、さっさと本に視線を戻してしまった。相変わらず愛想のない男である。

 それにしても、自主的に来てくれていたとは知らなかった。
 仕事帰りにわざわざ酒場へ立ち寄って、酔っ払いを家まで送り届ける。いくら付き合いの長い友人とはいえ、なかなかできることではないだろう。何か特別な理由でもあるのだろうか。

 いやいや。
 もしかして、なんて考えるのはよくない。

 親切なところが彼の美点なのだから、今さら自分だけ特別扱いされていると思うのも図々しい話じゃないか。

 ……でも、毎回迎えに来てくれるんだよなあ。

 夕食の残りを片付けながら、カーヴェはしばらく考え込んでしまった。

 

 

 数日後、カーヴェはいつものようにランバド酒場で飲んでいた。

 ただし、今夜は少しばかり事情が違う。普段ならとっくに何杯目かもわからなくなっている頃合いだが、今日はまだ酔いが浅かった。もちろん、酒を控えているのには理由がある。今夜こそザルハンに、どうして毎回迎えに来てくれるのか聞いてみようと思っていたのだ。

 ただ、いざ聞くとなると、どう切り出したものか。どうして迎えに来てくれるんだ? 僕のことが好きだから? ……いやいや、何を考えているんだ。そんなことを真顔で尋ねて、単に友人だからだと返された日には、恥ずかしくて二度と顔を合わせられそうにない。あと泣く。素面で。

 かといって、冗談にしてしまうのも少し惜しい気がする。ああ、もう! どうしてこういうことに限って、余計なことばかり考えてしまうんだろう。

 目の前のグラスに視線を落とす。まあ、聞くだけ聞いてみればいい。勘違いだったら笑って誤魔化せばいいし、それでも駄目なら酒を飲んで忘れてしまおう。幸い、今夜はまだ酔いが浅い。多少嫌なことがあったって、今から飲めば十分に忘れられるはずだ。

 そうやって自分に言い聞かせているうちに、階段の方から聞き慣れた声がした。
 
「やあ、カーヴェ。今日はずいぶん大人しく飲んでいるんだね。何かあったのかい?」

 顔を上げると、ちょうどザルハンがこちらへ歩いてくるところだった。
 教令院から直接来たらしく、いつもの服装のままだ。片手に書類鞄を提げているので、どうやら本当に仕事帰りらしい。

「やあ、ザルハン。君こそ、今日も来てくれたのかい? 仕事はもう終わったのか?」

「もちろん。今日は少し遅くなってしまったけどね。アルハイゼンくんが急に書類の確認を頼んできたものだから、帰るのが予定より遅くなってしまったんだ」

「まったく、あいつは人使いが荒いんだから。君だって自分の仕事があるだろうに、なんでもかんでも押しつけるのはよくないと思うよ」

「いや、頼まれたのは俺の担当業務だから、その点は問題ないよ。ただ、退勤間際に渡されたのは少し困ったね。今すぐやれという訳では無いのは分かっているけど、あるだけで気になっちゃって」

「……本当に君はよく我慢してるなあ。僕だったら絶対に文句を言ってるぞ」

「君は本人を目の前にすると、仕事以外のことでも文句を言うじゃないか」

 そう言って笑いながら、向かいの椅子に腰を下ろす。
 まったく、いい笑顔じゃないか。
 こういう顔を見ると、なんでも許してしまいそうになるから困る。いや、別に何か悪いことをされたわけではないのだが。

「……なあ、ザルハン。君に聞きたいことがあるんだけど、いいかい?」

「なんだい? そんなに改まって。設計の相談なら、素人視点の意見くらいしか言えないよ」

「いや、仕事の話じゃないんだ。そうじゃなくて……君はどうして、いつも僕を迎えに来てくれるんだ?」

 尋ねた途端、向かいの顔から笑みが薄れた。しまった、何かまずいことを聞いただろうか。別に迷惑だと言いたいわけじゃない。むしろ、いつも世話になっていることには感謝しているし、これからも迎えに来てくれたら嬉しい。……いや、それはさすがに図々しいか。とにかく、変な誤解をされる前に何か言わなくては。

「ほら、君も忙しいだろう? 仕事が終わってから、わざわざ酒場まで来るのは面倒じゃないか。僕だって一人で帰れないわけじゃないし、何も毎回……」

「俺が嫌がっているように見える?」

「そういうわけじゃないけど……君は優しいからさ。僕のために無理をしているんじゃないかと思って」

「だったら心配いらないよ。俺は自分がしたいことをしているだけだからね」

 そう言われてしまうと、ますますわからなくなってくる。自分がしたいから迎えに来る。それはつまり、どういうことなんだろう。もう少し踏み込んで聞いてもいいものかと迷いながら、手元のグラスを持ち上げた。中には琥珀色のウイスキーと、角の丸くなった氷が浮かんでいる。少々値は張るが、なかなか美味しい酒だ。もっとも、今夜はじっくり味わうために注文したわけではなかった。
 
「……もしかして、僕のことが好きだから?」

 なるべく冗談めかして言ったつもりだったが、うまく笑えている自信はなかった。ザルハンが笑って否定してくれれば、こちらも調子を合わせて、少しくらい好きになってくれたっていいじゃないか、と軽口を叩けば済む。そうだ、それでいい。もともと深い意味で尋ねたわけじゃないのだから。……いや、深い意味がなかったと言えば嘘になるけれど。

 返事を待ちながら、手元のグラスを握り直した。もし気まずくなったら、これを一気に飲んでしまおう。明日の朝にはきっと何も覚えていない。せっかく注文した酒をそんなふうに使うのは少々もったいないが、今ばかりは酔っ払いの自分に頼るしかなさそうだった。

「そうだよ。君のことが好きだから、心配で迎えに来てるの」

 あまりにもあっさりした返事に、思わずザルハンの顔を見つめた。今、好きだと言ったのか? それも、迎えに来る理由として? いや、待て。好きにも色々あるじゃないか。友人として好ましく思っているとか、放っておけないとか、そういう話かもしれない。けれど、目の前の男は冗談を言った様子もなく、こちらの返事を待っている。

 ……ええと、つまり。
 僕のことが、好き?

「……そ、っかあーー!!」

 気づけば、グラスを口元に運んでいた。ウイスキーが一気に喉を通り、焼けつくような熱さに思わず顔をしかめる。あれ、これ、こんなに強い酒だったか? いつもなら少しずつ味わって飲むのに、今夜は氷が溶ける暇もなかった。空になったグラスをテーブルに置き、慌ててザルハンの方を見る。何か言わなくてはと思うのに、肝心の言葉がちっとも出てこない。向かいでは、目を丸くしたザルハンがこちらを見ていた。どうにも視界が揺れて仕方がない。

 慌てた様子で顔を覗き込まれたので、何か返事をしようと思った。けれど、口を開くより先に強烈な眠気が襲ってきて、どうにも頭が働かない。ああ、これはちょっと飲みすぎたかもしれない。まあ、いいか。今日はこんなに嬉しいことがあったのだし、少しくらい酔っ払ったって構わないだろう。ザルハンには悪いけれど、あとでちゃんと謝ればいい。

 そう思ったところで、カーヴェの記憶は途切れた。

 

 次に気がついた時には、誰かに背負われていた。見覚えのある通りを進んでいるらしく、夜風が頬に当たって気持ちいい。ぼんやりと頭を動かすと、すぐ近くにザルハンの顔があった。

「……あれ? 君、どうしてここにいるんだい? もしかして、僕を迎えに来てくれたのか?」

「もう帰るところだよ。君が酒場で眠ってしまったから、家まで運んでいるんだ。まったく、あんなに勢いよく飲むから……明日はきっとひどい二日酔いになるよ」

「そうかあ……ありがとう、ザルハン。君は本当に優しいなあ。僕は君のそういうところが好きだよ」

「ありがとう。それじゃあ、家に着くまでは大人しくしていてくれるかな。さっきから君が動くたびに重心がずれるものだから、なかなか歩きにくくてね」

「わかったとも! 僕に任せてくれ! 君にはこれ以上迷惑をかけないと約束しよう!」

 そう宣言して、ザルハンの肩に顎を乗せた。これなら多少揺れても平気だろう。なんだかまだ眠たいし、このまま家まで運んでもらおう。

 ところが、しばらくすると大変なことを思い出した。
 そうだ。今日はものすごく大切なことがあったじゃないか。酒場でザルハンと話していて、それで……。

「……あっ!」

「どうしたんだい? 急に大きな声を出して。気分でも悪くなった?」

「違う違う! 君は僕のことが好きなんだよな? それで、僕も君のことが好きだから……つまり、これって両想いってやつじゃないか! すごいぞ、ザルハン! 僕たちは両想いだったんだよ!」

「そうだね。君が明日も覚えていてくれたら、俺としては嬉しいんだけど」

「忘れるわけないじゃないか! こんなに嬉しいことを忘れるなんて、僕はそこまで飲んだくれじゃないぞ! 君は僕の記憶力を少し疑いすぎじゃないか?」

「八回くらい忘れてるんだよなあ……」

「えっ、怖い話かい?」 

「怖い話だよ」

「?」

 よくわからないが、とにかく今日で長い長い片思いが実ったのは確からしい。これは誰かに自慢しなければならない。そうだ、ちょうどいい相手がいるじゃないか。

 家に帰ると、アルハイゼンが居間にいた。どうやら寝るところだったらしく、片手には外したばかりのヘッドホンを持っている。なんとも都合がいい。

「みろ、アルハイゼン! ザルハンだぞ!」

「そうだな。見ればわかる」

「でもな、今日からは違うんだ。よく聞けよ、これは大事な話だからな! 今日からこのザルハンは、僕の恋人のザルハンなんだぞ!!」

「そうだな」

「……なんだい、その反応は! 君はもっと驚いたっていいんじゃないか? 僕たち、付き合うことになったんだぞ!」

「そうだな」

「さっきからそればっかりじゃないか! ちゃんと聞いているのか!?」

 抗議していると、いつの間にかヘッドホンをつけ直したアルハイゼンが、何も言わずに寝室へ向かってしまった。

「なんだよ、あいつ! 人がせっかくいい知らせを持って帰ってきたっていうのに!」

「ごめんね、アルハイゼンくん。明日ちゃんと謝っておくから」

「君が謝る必要なんてないぞ、ザルハン! だいたい、あいつは昔から人の話を聞こうとしないんだ。今日くらい素直に祝福してくれたっていいじゃないか!」

「うん、そうだね。じゃあ、続きは明日にしようか。もう遅いし、君もそろそろ寝ないと」

 そう言って寝室まで連れていかれ、寝台に腰を下ろしたところで、小指を差し出された。

「カーヴェ、約束しよう。明日の朝も、今日のことをちゃんと覚えていてくれるかい?」

「もちろんさ! そんなの約束するまでもないじゃないか。僕は君の恋人になったんだぞ? こんなに嬉しいことを忘れるわけないだろう!」

「それでも、念のためにね。俺は明日、君に忘れられていたら結構傷つくと思うんだ」

 そんなことを言われては、指切りをしないわけにはいかない。差し出された小指に自分の小指を絡めると、ザルハンが嬉しそうに笑った。

「じゃあ、約束だよ。明日も覚えていてね」
「ぜったいに忘れないよ!」

 元気よく答えると、ザルハンが笑いながら頭を撫でてくれた。なんだか子供扱いされている気もするけれど、まあ、恋人に甘やかされるのは悪くない。おやすみのキスまでしてもらい、カーヴェはすこぶる上機嫌で眠りについた。

 そして翌朝、珍しいことに昨夜の記憶はしっかり残っていた。好きだと言われたことも、恋人になったことも、指切りをして約束したことも。ついでに、アルハイゼンを捕まえて散々恋人自慢をしたことまで、嫌になるほど鮮明に思い出せてしまった。

「……ああああっ! なんで僕はあんなに酔っ払ってたんだ!!」

 寝台の上で頭を抱えた。せっかく両想いになれたというのに、告白の返事はウイスキーの一気飲み、帰り道では背負ってもらい、挙げ句の果てに恋人を指差してアルハイゼンに自慢する始末。こんな展開、恋愛小説のどこを探したって載っていないぞ!

 もう少し、こう、雰囲気というものがあったっていいじゃないか!

 好きな人と恋人同士になった、人生で一度きりの夜なのに。もっと気の利いたことを言ったり、二人でゆっくり話したり、いくらでも素敵な過ごし方があっただろうに、どうしてあんな酔っ払いの醜態を晒してしまったのか。

 ひとしきり後悔してから顔を上げると、枕元の水差しの隣に、小さな書き置きがあることに気づいた。見慣れた筆跡で、こう書かれている。

『約束を覚えていたら、今夜は二人で食事に行こう。返事を楽しみにしているよ』

 しばらくその文字を眺めてから、カーヴェはもう一度枕に顔を埋めた。

 ……ああ、もう!

 絶対に酒なんか飲まない! 断酒だ! ……禁酒! 1週間程度……! 

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