アレという、そこそこ長い付き合いの仲間がいる。一応は医療型個性で、胸の上にある縦に裂けたような入口に対象を収納して全身の状態を診察できるのだが、その収納口から出る透明のヌルッヌルな粘液が美容液として価値が高い。ちっちゃな瓶で数万円で取引されてるセレブ御用達謎美容液だ。俺が販売ルートを築きました。効果があればなんでもいいというタイプの美の狂人はこの世に沢山いるので……。ちなみに売り文句は『完全天然成分、保存料無し』だ。
全身焼けてツギハギになり、汗腺もほぼ焼失して皮膚機能がおしまいになりかけている燈矢くんに保護液代わりに塗り続けて数年経つ。
数年経っても燈矢くんは雨に打たれる捨て犬のような目をしながら「これやだ」と微かな拒否を続けているが、必要なことなので無視し続けている。ジャコウネコの未消化豆から出来る高級コーヒーだってあるんだ、三十路男性の胸から湧き出る謎の粘液くらいどうってことないだろ。俺だってお風呂上がりに塗ってるから肌トラブル1度もないぞ。若さのおかげかもしれないけど。ちなみにテクスチャはぬめりが肌の上で伸びて、すぐに膜を張るような感じ。水気じゃなくて油分でもない、得体のしれない保湿感があって原材料を知っていると大変気持ち悪い。知らない人達のクチコミでは『溶けるような滑らかさ』と好評なので、生産者の顔さえ浮かべなかったら問題無いだろう。慣れよう。俺たちはタダだし。
「そんな訳で、弔くん。保湿美容液持ってきたからお顔貸して」
「殺すぞ」
言いながらほっぺたに美容液をつけると普通にキレられた。最近、どこまでやればぶん殴られるかという線引き確認チャレンジをしているんだけど、これも殴られないで済むのか……。アホ犬縁故雇用ゆえに俺にはだいぶ優しくしてくれているんだよな……。
「なに付けたんだよテメエ、普通に無礼だろうが」と袖で拭っているが、美容液に粘性があると気付いたのか激重舌打ちのガン睨みで威圧してくる。
出勤直後に有無を言わさず襲いかかったのはいけなかったのかもしれない。でも説明しても警戒されて初撃の確定一発入れられなくなるし……。
「弔くん、肌カサカサで痒そうだろ。実際掻き壊してるとこあるし。ちゃんと保湿した方がいいって」
本当なら皮膚科に連れていきたいけど、保険証どころか金もないし顔も割れているヴィランだ。行けたとしても弔くんは面倒がって行かないだろうし。なら市販品の中で……と考えた結果、数年間我が実兄のあの火傷跡を保湿し続けた実績持ちの、これを持ってきた。効果の中に瘙痒感の軽減もあったから効くだろう。
俺が美容液を手のひらに流して顔に塗ろうと近づくと、弔くんは顔を左右に振って逃げようとする。ギリギリ引っ掻く気はないがブチギレていることは確かな猫みたいになってるな……。
眉間にしわを寄せ、口元はぎゅっと固く結ばれ、視線だけは鋭く突き刺すようにこちらを睨んでくる。
「1回だけ1回だけ、使用感確かめて。品質は確かだから」
懇願するように言うと、心底嫌そうな顔をしながら渋々と顔を向けてくれたので頬を両手で包むようにして塗ったくる。小さく唸り声が聞こえるが、これを許してくれているだけありがたい。
「塗ったらあまり気にならないと思うよ」
「顔が濡れた」
顔が濡れて力が出ないのはアンパンマンだねえ……。ヒーローの中のヒーローなので一応軽口にも出さないでおくが、弔くんは眼をギュッと瞑って「ゔぅう」と威嚇音を立て続けていた。触った感じ、やっぱり肌がカサカサしていて掻き壊しの跡も目立つな。水分が足りてないんだ……。食生活が終わりすぎていて若さでは補えなくなっているんだ……。
「弔くんトイレ一緒に行こ……」
「やだよ行かねえよ変な趣味に巻き込むな」
「だって弔くんがちゃんと排尿出来ているか確認しないと……」
「なんで? 狂った?」
「死んじゃうから……」
俺の唯一の地雷、尿閉塞での死に関連する部分が動き出した。いや、別に出てるところ見せろというわけじゃないから。回数と尿量だけ3日くらい記録して報告してくれない? ダメ? ならばやはり目視で確認が必要だが…………。
「おいオニイチャン、てめーのオトートが人の小便見たがってんだけどどういう育て方してんだよ!!」
俺が真面目に懇願してるのに、弔くんは電話をかけて怒鳴っていた。とりあえず防御が薄れたので顔から首にかけて美容液を塗ったくり続けているが、電話の先は明らかに我が実兄の荼毘くんだ。今日は埼玉辺りで破壊工作に勤しんでいる。ヴィラン連合は日帰り出張が多いのだ。
「………………おいアホ犬。お前のオニイチャンが初めて『悪い』って言ったぞ。マジなのかコレ。どんな性癖の歪み方してんだお前……」
「誤解されがちだけど性癖ではないです。排尿困難で人はすぐ死ぬのでそれを避けたいだけ。だから弔くん、一緒にトイレ行こう! わかったフェアにやろう、俺も見せる!」
「見たくねえよ乗んな重い退けバカアホおい黒霧!!!! 覗き込んでんじゃねえこいつ退かせ!!!!」
「あかり、同意なき行為は犯罪ですよ」
「人殺し以下の罪はもう誤差だろ」
「なんて悪いヤツだ、俺がしっかり躾ないと世間様に申し訳が立たないな」
黒霧によっこらしょと引き剥がされて、諦めて大の字になる。うーーん、心配だ……。でも荼毘くんと違って弔くんには無理強いすることが出来ない。
諦めて「じゃあせめて毎日2リットル以上の水分補給してね……」と伝えるも、適当な返事で返された。常に手元にペットボトルの水でも置いとこうかな……。あれば飲むだろうし、無いから飲んでないんだろうし……。
夕方に拠点へ帰ってきた荼毘くんが、報告の前に「あかりくん、俺の見せてあげるから他の人にそういうこと言うのはダメだよ」とやわやわな言葉で突然言ってきて、この時の俺はすっかりなんの事が忘れていたので適当に「うん」と同意しておいた。
弔くんが凄い顔をしていたし俺が近づくとシッシッと追い払ってきたのも、いつも通りの悪い態度なので気にしてなかったが、自宅拠点に戻った時に実兄が沈痛な面持ちで俺の手を引いてトイレに向かったので意味がわかった。
違います!! 見たくてみてるわけじゃないんです!!!! でも最近確認してなかったからちょうどいいか……と、ついでに確認しておいた。1回につき15分くらいかかるのは俺がここにいるからって言われたけど、本当かな……排尿困難なんじゃないかな……しんぱい……。久しぶりに燈矢くんが泣いてるのみたな。可哀想に。
実兄の尊厳を軽く破壊してしまったが、それは本題じゃないので置いておく。
出勤の度に「うおお弔くん保湿させろうおおお!」と襲いかかっては叩き落されつつ、最後は折れてくれる弔くんの俺に対する依怙贔屓に乗っかって勝手に美容液を塗ったくる日々だ。
毎日続けていると、弔くんの方もなんか顔が痒いのあんまり無くなったし、カサカサしてなんか嫌だな……となってた皮膚トラブルが一気に解消されたのに気付いたのだろう。「ん」と素直に顔を差し出してくれるようになった。
病院に行くと身体が楽になるぞ! と気づいて勝手に脱走して通院しはじめた犬みたいで可愛いな。ちなみに自分でやれるようにストックを置いているが、それは面倒らしくて使われていない。
俺の食事提供や勝手に導入したウォーターサーバーが功を奏したのか、ちょっとだけお肌の張りも良くなっているような気がする。この調子で平均体重以上まで質量を増やしてやるから覚悟しろよ……。
「あ、弔くん。こんど俺の関係者連れてきていい? 一応所属は連合って事になるからボスと顔合わせした方がいいだろ」
「お前の手持ち気持ち悪いからイヤだ」
「そんな率直な罵倒ある? あったな……。でもトータルするとまともな方だから。オバケくんだって普通の子だっただろ」
「スラップハッピーの病人」
「悪口の速度が速すぎる。そんな酷いこと言うなら、俺でもこいつやばいなって思ってる手持ちを1人2人3人4人5人6人くらい紹介しちゃおっかな……」
「化け物育成組織でも作ってんのか? 連合の外で勝手にやってろ。この線からこっち入るなよ」
こちとら手持ちに人前にお出ししてはいけないな……という自重をもたらすレベルの人材だっているんだぞ。対話がスムーズに出来るだけ100億点なんだからな。
心底嫌そうな顔をした弔くんが渋々了承してくれた数日後、アレを連れて連合に来た俺は弔くん渾身の肩パンを受けた。美容液の生産者として紹介しただけなのに! 何処から何が出ているかちゃんと説明しただけなのに!
「弔くんには特別に出来たてをあげるね……」と、アレに頼み、白い毛並みの奥で縦に裂けた収納口をぐじゅりと開いて、そこから取り出したばかりの三十路男性の体液をいつもの入れ物にいれて差し出した瞬間、弔くんの肩パンが飛んできた。
酷い……これ売ったら高いのに……! 出すところに出せば弔くんのコート余裕で買えるくらいにはなるんだからな!! 原価ゼロ円だから。
「痛い! 折れた!!」
「折れてない折れてない、後ろに引いてあげたから」
偶然その場にいたミスターが俺の首根っこを引いて位置をずらしてくれたので致命傷は免れたが、近接ファイターのマジパンチが飛んできた。痛い! 酷い! 風圧でアザができた!!
「テメエ!!!! 体液を他人に塗ったくるな、ちゃんとした犯罪だろコレは!!!!」
「人殺し以下の罪はまとめて誤差じゃん!!!」
「倫理観が先に死んだ残りカスかよお前はよ!!」
「ヴィラン連合で倫理について叱られるなんて屈辱だ……」
アレを紹介しただけなのに! 美容液の生産者ですって紹介しただけなのに!
「仲違い、良い事ではない。落ち着く方が良い」
「あ”あ”?!」
「落ち着いて弔くん! 俺の可愛い顔を見て心を落ち着かせて」
「クソバカアホ犬がっっ」
俺にはアホ犬縁故雇用の自覚がある。みて、ゆるして、懐いてる犬です。
俺渾身の『媚びへつらう犬の顔』をしてきゅんきゅん言ってたら、弔くんは「ガァ!」とひとつ大きく怒鳴ってそこら辺のものをぶっ潰した。ボス犬の咆哮である。俺は悪くないけどごめんね、何も悪いことしてないけど謝るね。めんご。
