ちなみに声が漏れてたらしい

 かつて、治安の悪いおにいさんもとい治安の悪いおねえさん。今のマグネに貰った本の中にマッサージや整体の本もあったので、逃走生活の暇つぶしに、燈矢くんをこねたりねじったり引っ張ったり……あれよあれよという間に、それなりに「できる気がする」程度の技術が身に付いた。
 とはいえ、問題はそこからだ。俺の整体が本当に効いているのかどうにも判断がつかない。なぜなら燈矢くんは痛くても黙って耐えるタイプだし、マッサージで触られるとそれだけで嬉しくなって反射的に褒めてくる。構われたがりで我慢強い兄が相手では、俺の技術力が正確に測れるはずもない。彼の「褒め」はいつだって兄の情が混じっていて、事実を判別するには役に立たないのだ。
 なので、ヴィラン連合に加入した結果開かれた人間関係が構築されるようになり、試せる相手も増えたので力試しをしたいなあと思っていた。
 俺って本当にマッサージが上手いのか知りたい。忖度しない相手が欲しい。そして真っ先に目に入ったのが天地がひっくり返っても俺に忖度しない我らがボスです。みてよあの猫背、見るからに身体がぐにゃぐにゃしてる。歪みの擬人化だ……。そして絶対に整体とかいかない。たぶん存在も知らない。

「……」
「なに、こわ、キモ」

 とりあえず肩から背中を触ってみると普通に罵倒されたが攻撃は無かった。セーフ。

 触った瞬間、指先に伝わってくるのはまるで石を包んだような硬さだった。薄手の服(俺はボロ布と呼んでる)を着ているので、素材の感触では無いだろう。筋肉が呼吸を忘れたかのように張り詰めて、皮膚の下でいくつものロープが交錯しているようだ。指を滑らせるたびに節くれだった枝をなぞっているような印象がある。

 肩甲骨のあたりを押すと、わずかに身体がびくりと震える。反応はあるのに、奥底はびくともしない。層を重ねた鎧を相手にしているようなもので、表面の筋だけでなく、背骨の両脇に走る深い筋群までが石灰化したように固まっていた。
 ……えっ、土人形?? なにこれ。これと比べたら燈矢くん健やかすぎる。ちゃんと人の感触してた。なーにこれ、ええ……。

「弔くんを……揉まなきゃ……!」
「セクハラの話か? 殺すぞ」
「ちょっとそこの絨毯に転がって、揉むから」
「なんで? 狂った?」

 なにこいつキショすぎると言いながら、俺の暴挙には結構寛容な弔くんは手を引くままに絨毯のところまで来てくれた。
 いつでも俺を殺せるという己のパワーへの自信と、俺の弱さへの信頼が総合的に作用して『優しさ』っぽい形になっているんだと思う。ありがたく利用させていただくぜ……!

 うつ伏せに転がすと「はあ~? 死ね」と後ろ手で中指を立てて威嚇している。俺ほんと弔くんのこういうとこ好き。おもろい。

 さて……こねるか……。腕まくりをして弔くんの肩に手を当てた時に、ふと思った。弔くんはずっとこの肩こりを抱えて生きてきたからこそ”当たり前”として、今の状態が苦痛であると自覚できてないんじゃないか? 1度緩めたら肩こりが辛いと理解してしまうのでは……。

「弔くん、例えば生まれつき盲目の人が1日だけ魔法や奇跡で視力を得たとしたらね、その1日を終えた後の人生は苦痛に満ちていると思うんだよ」
「なに? 俺に何しようとしてるんだ? ほんとに殺した方がいいやつか??」
「弔くんの背中と肩はほぼ板で、血が通ってるのが嘘だろっていうひっどい状態だけど、整体で血が流れるようになったら“肩こりって地獄だったんだな”って初めて理解することになる。今はまだ、その地獄を知らないままで済んでるんだ。これから地獄の人生が始まりますが、仕方ないことだと受け入れてください」
「そんな酷いのかよ………」

 肩を押し込むと、沈まない。乾いた板を触っているようで、指先には温もりが乏しく、血の巡りがまるで冬眠中の獣のように沈黙していた。ここから血流を取り戻させるとか、ちょっとした土木工事レベルだな……と心の中で戦略を練りながら、俺はぐっと手に力を込めた。

「待て」

 弔くんの冷静な声が俺を制する。むくっと上半身を起こした弔くんは、眉間に皺を寄せるでもなく、強いて言えばキョトンとでもいうような本当に不思議そうな顔をして「なんで痛いことすんの」と言った。痛かったんだ……。

 意地悪? といやに幼い響きの確認が来るので「これは意地悪じゃなくてマッサージです」と伝えておくと、なにも納得できてない顔が目の前に近づく。

「あかりがグってやった。俺は痛かった。これは意地悪だろ」
「違います。弔くんの身体がズタボロだから痛いだけで他の人はそんなに痛くないんです」
「俺の『痛い』を軽視すんな。俺の痛みは俺のもんだろ、尊重しろ。謝れよ」
「施術前の説明を怠り大変申し訳ございませんでした。続けていい?」
「カス、ボケ、ザコ、ダイオウグソクムシ」
「ごめんなさいね~~」

 両手で中指立てながらうつ伏せになってくれたので、肩の可動域確認しましょうね~~。近接ファイターがこんなカチコチで許されるのかよ。緩めなきゃ……使命感……。

 両手を肩甲骨の内側に深く指を滑り込ませ、親指を背骨の両脇へ押し当てる。呼吸に合わせるように、ゆっくりと圧を沈めていくと、指先の下で硬い筋肉がギシ……と軋んだ。油を差していない古い蝶番を無理やり開いているような抵抗感だ。

「んぐっ……! ……バカじゃねぇの、これ……っ」
「はいはい、呼吸して。力抜いて~~」

 喉の奥から漏れる弔くんの低い唸り声は、怒鳴り声でも悲鳴でもなく、まるで獣が威嚇と我慢を同時にしているような響きだ。つまりいつもと同じ。うつ伏せだけど弔くんの両手は実質フリーなので、本気でキレたら予告なく俺の事を崩壊させにくるだろうから、まだ許されてる。
 指圧して痛いことをする度に、宥めるために撫でて血の流れを確認を繰り返す。さするだけでも意味があると教本に書いていたので問題ない。「痛かったね、でも我慢できたね。えらいえらい」と褒めて褒めて撫でると「舐めやがって……」と地獄のような低音が唸り声と共に上がってきたが、聞こえないふりをしておいた。

 背骨に沿って指を上下させながら、こわばった筋の境目を丁寧に探っていく。節が噛み合って外れないまま固着した部分を見つけて、そこへ親指の腹を沈めた瞬間、弔くんの体がビクンと跳ねた。

「ッッ……! それ今なにした、拷問だろてめえ……!」
「詰まってるねえ。血が通るようになると一瞬ズーンて痛いんだよ。あとちょっと、もうちょっとだから」
「いたい、やだ、や め ろ。俺は別に血が通わなくても生きてんだよありのままの俺を許容しろ……! 」
「おお弔くん我らの偉大なるボスよ。俺はあなたに長生きしてもらいたいので心を鬼にしてこねこねします。これって俺の愛だから受け入れて」
「お前の愛本当に要らねえ、押し付けんなカス!!」
「あっははは」
「笑ってんじゃねえぞ……!!」

 背中を掌で包むように広く押し当て、今度は掌根で肩甲骨を押し流す。肩が動くたびにバキ、ミシッと乾いた音がして、弔くんの呼吸が引きつった。

「うぐ……っ、ふざけんなよ……今ミシっていった! 折った!」
「ガチガチだった関節くんが『あかりくん助けてくれてありがとう』って言ってくれたね……」
「狂った??」

 ぐいぐいと肩を引き下げるように伸ばしていくと、肩の付け根あたりで固まっていた筋膜がじわじわと解けていく感触が手のひらに伝わる。それに合わせて弔くんの呼吸もわずかに深くなった。

「……あ、ちょっと、そこ……変……あっ……」
「あったかくなってきた。今までここ、血止まってたんだよ」
「やめろ、説明が怖い……」

 肩甲骨の内側を指で引っかけるようにしながら、肘を立ててゆっくりと押し広げる。弔くんの唸り声が低く長く続き、拳で絨毯をドンと叩いた。

「ん゛~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ……!!」
「よしよし、いい子いい子……そこ耐えると一気に楽になるから頑張ろうな」
「い”ってぇ……っ」

 最後に背中全体を掌で包み、上下にさすって熱を入れるように流していくと、ようやく弔くんの体から力が抜けた。背中の板のような硬さがほんの少し、柔らかい布地のように沈むのを感じて、俺は小さく息を吐いた。
 手のひらをゆっくりと滑らせる方向へ切り替える。ゴリゴリと指を沈めるのではなく、掌全体で包み込むように肩から背中にかけてゆったりと撫でていく。

 さっきまで「痛い」「折った」と騒いでいた弔くんの呼吸が、いつの間にか静かになっていた。最初は浅く、喉の奥でひゅっと引っかかるような呼吸だったのが、次第に胸郭の奥まで空気が届くようになり、背中の上下がゆるやかな波を描きはじめる。

 力が抜けた背中は、さっきの石板のような抵抗感が嘘のように柔らかい。掌を滑らせるたび、じんわりと体温が手のひらに移ってきて、皮膚の下を血が静かに巡っていくのがわかる。摩擦熱でほんのりと温まった背筋は、まるで冬の日に干したふかふかの布団みたいだった。前と比べて少しだけ肉がついてきたのがよくわかる。俺が育てたおにくです。毎日美味しいものを食べさせて肥やしました。

 肩甲骨の縁を指の腹でなぞると、ぴく、と一度だけ反応があった。でも、それっきり。怒鳴り声も、罵倒も飛んでこない。ただ、呼吸の波が少し深くなって、背中が俺の手を受け入れるように沈んでいく。

 鎖骨の下から腕の付け根にかけて、筋を伸ばすように撫でていくと、うつ伏せのままの弔くんの顔が絨毯に沈み込み、横を向いた。そこから、小さく……本当に小さく、すぅ……すぅ……と寝息が漏れた。

 あっ、寝た。

 マッサージ台でもなんでもない薄い絨毯の上で、全身を預けるように脱力して眠るっている。野生の弔くんがこれほど無防備になるとは、それだけ身体がカチコチだったんだな。かわいそうに。
 背中を優しくさすりながら、その寝息に合わせて手の動きも自然とゆっくりになる。

 俺の気の済むまでこねこねしたけど、揉み返しが出たらさすがにぶん殴られると思っていたが運良く揉み返しはなかったらしい。起きた時に「薬?」と『てめえヤクでも盛ったのか?』の問いを投げつけてくる弔くんに、あなた疲れてたのよ……と伝えてなんとか誤解を解いた。弔くんは不思議そうに自分の身体を動かしたあと、「またやれ」とだけ言ったので楽になっているんだろう。顔色もちょっとだけいつもより良い。

「年季の入ったボロボロボディだから一過性の快適だよ」
「は? やだ」
「またやってあげるからね……」

 身体が楽! 元気! で、ちょっとご機嫌の弔くんはフンと鼻を鳴らす。俺のマッサージ技能は本当に高くなっているんだろうと自信が持てたが、その自信と引き換えに弔くんはいままで気付かなくで済んだ肩凝り身体の歪みと一生付き合うことになるのだ。ちゃんと責任もって適時こねこねしてあげるからね……。

 翌日、いつも通りおしまいの姿勢で長時間ゲームをした結果、自覚したばかりの肩凝りに苛まれた弔くんに「テメェよお……」とド低音激怒されたが、それを見越して用意しておいたマッサージ器と湿布によってなんとか罵声だけで済ませてもらえたのであった。こんど拠点にマッサージチェア置こうね……使いたい人、たぶん沢山いるしね……。