あかり教会報誌『ともしびのつどい』No.423

こんにちは、編集部の山本です。
今回は、新潟県のCさんからお寄せいただいた体験談をご紹介させていただきました。

この会報誌が印刷される頃には……と、Cさんが綴ってくださったとおり、私たちがこの原稿を受け取ってから約二ヶ月後、ご家族よりご連絡をいただきました。
Cさんは、ご自宅でご家族に見守られながら、静かに旅立たれたとのことです。

心よりご冥福をお祈りいたします。

最後まで「伝えたい」と願っておられたCさんのお言葉は、編集部の私たちの心にも深く届きました。
《あかり》がもたらしたのは、奇跡のような「治癒」ではなく、「向き合う力」や「許し」「愛の再確認」だったのかもしれません。
限られた時間の中で、Cさんがご家族と過ごされた日々が、どれほど尊く、あたたかいものだったのか……読みながら、何度も涙がこぼれました。

Cさんが最期に遺してくださったたくさんの「ありがとう」や「大好き」が、これからもご家族を照らす《あかり》となって灯り続けますように。
そしてこの言葉が、いま苦しみの中にいる誰かに、そっと寄り添う光となりますように。

改めまして、素晴らしい体験を共有してくださったこと、心から感謝申し上げます。

どうかこのお話が、あなたやあなたの大切な人の心にも、優しく光を灯しますように。


体験談「限られた時間でも、限界まで輝ける」 
30代女性/夫と長女長男の4人家族

私に「取り返しのつかない病」が見つかったのは、ちょうど一年前のことでした。
病名をここに記すことは控えますが、その宣告を受けた瞬間から、私の世界は音を失い、色をなくしました。
――ああ、もうすぐ終わるんだ。
そんな感覚が、毎日毎日、胸の奥に重くのしかかってきたのです。

体は日に日に衰えていきました。
食べられず、眠れず、鏡を見るのも怖くて。
何よりつらかったのは、大好きな子供たちの笑顔が、どこか遠くに感じられるようになったことでした。
夫の優しさも、看病の手も、申し訳なさに変わり、ただただつらくて。
このまま誰にも何も言わず、どこか遠くでひっそりと死んだ方がいいんじゃないか……
「もしかしたら、どこかで生きているかもしれない」という希望を残せば、家族が少しでも楽になるかもしれない。
そう考えるようになっていました。

そしてある日、私はひとりで山に向かいました。
行き先も決めずに、数日間、ただ歩き続け……やがて朦朧とした意識のなかで、私は保護されました。
捜索してくれた方が、私にそっと手渡してくれたのが、《あかり》でした。

病室のベッドの上、私は《あかり》をただ静かに見つめていました。
どこまでも優しく、どこまでも穏やかな光。
それだけのものなのに、心の奥が、少しずつ、ほんの少しずつ、温かくなっていくのを感じたのです。
夫の涙も、子供たちの小さな手のぬくもりも、やっと素直に受け取ることができました。

あのときの私は、間違っていました。
家族の悲しみを置き去りにして、命を投げ出そうとしていたのです。
《あかり》が、私を引き戻してくれました。

《あかり》のおかげで、私は今、「愛されている自分」をやっと信じられるようになりました。
私の命に終わりがあることは変わりません。
けれど、残された時間のすべてで、私は愛を伝えていこうと心に決めています。

この会報誌が家に届く頃、私はもう天国にいるかもしれません。
それでも、どうしても、最後にもう一度だけ、伝えたい言葉があります。

ママはね、みんなを、愛してるよ。
パパ、本当にありがとう。
「幸せにする」って約束、ちゃんと守ってくれたね。
あなたのお嫁さんになれて、私はとても幸せでした。

ゆーちゃん、みーくん。
ふたりのこと、世界でいちばん大切に思っています。
ママのたからものだよ。
いつでも見ているから、たくさん笑って、たくさん幸せになってね。

100万回のキスと、ぎゅーっとするハグを、心から送ります。

ありがとう、大好き。
――世界でいちばんハッピーなママより。