夕飯のあと、皿代わりにしていた大きな葉を火に放り込んでいると、親父が「いいものをやろう」と何かを手渡してきた。白く硬い、獣の牙から削り出された笛だった。磨かれた表面は冬の月みたいに鈍く光ってひんやりと指に吸い付く。
「鳴らしてみろ」
「ふーーーっ、……音でねーよ?」
「はは、そう。それでいい」
何度吹いても音が出ない。壊れてんだろ、と文句を言うと、親父はにやにやしながら教えてくれた。
「そいつは海の中でだけ鳴る笛だ。水を伝って遠くまで響く。なんかに襲われたら吹け。ただし─────人魚と遊ぶ時には大声で吹くなよ、驚かせる」
「人魚と遊んでなんかいないし」
「そーかそーか」
「友達できただけだし」
「良かったなあ」
でかい手で頭を撫でられ、髪がぐしゃぐしゃにされる。振り払っても力が強すぎて敵わない。どんな子なんだと聞かれたから、説明する。
二人はたぶん双子、同じ顔してる。吊り目の子はいろんなものをすぐ食べてて、俺にも分けてくれる。垂れ目の子は元気でよくぐるぐるまわってる。ちょっと飽きっぽい。
一人はすっごい、かわいい。まるまるでむちむちしてる美人。大人しくてかわいい。
「おいこいつ可愛いを二回言ったぞ! 片付けなんてあとで俺がやるからこっち来いよ!」
「うそ、我が子の恋のはなし!? ちょっと母さんも混ぜなさい!!」
「な、ば、ちげーーし!! はぁ!? 俺もう寝る!」
「やっだァ見た我が妻~~? 我が息子かわいい~~♡」
「あんたがあたしに惚れた時と同じ反応じゃ~ん♡親に似るう♡」
「うっせえ! ごちそうさまおやすみなさい!!」
2人揃ってにやにや笑いながら変なことを言われたので、これ以上からかわれる前に逃げた。我が親ながらしつっこいから嫌だ。恋のはなしとかしてないし。まるまるむちむちでかわいいからかわいいって言っただけなのに、なんですぐ好きとかそういうことに繋がるんだろう。ムカつく。次の朝もずっとムカついてたけど、「友達と食べろ」と袋いっぱいにイチゴを渡された。
「海の中じゃ手に入らないやつだからな、きっと喜ぶぞ」
「……海の中じゃないし」
「分かった分かった。ま。友達と仲良くな。喧嘩しないで遊ぶんだぞ」
「うん」
イチゴ、陸でも俺の村ではなかなか手に入らない果物だ。よっぽどの祝い事がないと買ってもらえない果物を、袋いっぱい。
「ありがと」
「いいってことよ」
また頭を撫でられてぐらぐらさせられる。親父ってばほんとうに乱暴。
そういう訳で、いつもの岩場に向かった。俺は当たり前のように今日も彼らがいると思ってたけど、そんな保証はどこにもないんだよな。誰もいなかったらどうしよう。少し不安になったけど、遠くから「きゅるるる」と声が聞こえてほっとした。
双子の人魚と、タコの人魚がいる。今日は三人とも岩場の外にいた。
かろろろ、きゅーきゅー。 いつもの俺にはわからない言葉でタコの人魚が何かをいいながら手を差し出してくる。反応しないでいると、むにむにしたタコ足で俺の手を捕まえ、何かを押し付けた。コインだった。
……俺の渡したやつ、気に食わなかったのかな。
そう思ったけど、双子の人魚も俺の手に何かを押し付けてくる。大きなまだら模様の貝と、少し歪んだ真珠。最初に渡されたコインをよく見ると、俺があげたものとは違うやつだった。
……交換、なのかな?
気に入らなくて突っ返した訳じゃないらしい。それに安心して、俺も持ってきた袋を渡す。開けて覗き込んだ吊り目の人魚は、一瞬の躊躇もなくイチゴを口にいれた。タコの人魚が喚きながらタコ足で揺さぶるが、意に介さない。それどころか口の中にイチゴを押し込んで黙らせていた。
三人はイチゴを気に入ったようで、あっという間に全部なくなった。
そして食べ終わってから、俺が一つも食べてない事に気付いたらしい。
そこら辺の魚を捕まえては半分こして俺に渡してくる。いらない……生臭い……でもたぶんこれ贖罪の魚だから断ったら悲しむ……。
一緒にものを食べて、泳いで、漁をして、最初は岩場から出てこなかったタコの人魚も、俺に対してひっきりなしになにか話しかけてくるようになった。
伝わらないのが申し訳ないなというくらいにずっと何かを話してる。大人しい子だと思っていたけど、人見知りしていただけで本当はおしゃべりな子なんだな。分からないけどとりあえず頷いておく。嬉しそうに笑っていると、ぽよぽよと身体が弾む。本当にかわいい子だなあ。
息継ぎのために海面へ向かおうとした時だった。
───────影が落ちた。
今までそこになかった“船底”が、海の光を遮っている。重く嫌な波が、どん、と身体を押し下げた。
大きな音と波を立てて、俺の後ろを泳いでいたタコの人魚に被さるように銀の網が落ちてくる。
「くそ!! 一匹逃がした!!」
波のぶつかる音に紛れて怒鳴り声が聞こえた瞬間、俺は笛を吹き鳴らした。
網の中でタコの人魚が耳を抑える。双子の人魚もこの音のせいで近付いてこれない。ごめん、嫌われてもいい。これはダメなやつだ。
隠蔽魔法のかかった密漁船。魔法製の違法捕獲網。俺は何度も息継ぎをしては海中に潜り、笛を吹き続ける。密漁者だと知らせなきゃ。遠くへ、大人たちのところまでこの音を響かせないと。密漁者だ。密漁者が来た!
ナイフで網を掻き切ろうとするが、ぜんぜん歯が立たない。魔法がかけられている。引きちぎるしかない。力いっぱい引っ張るけど、網に肉が負けて手がズタズタになるだけだ。
網の中で泣いているから早く助けたいのに、ああもうこんな網程度の分際で! 俺が笛を吹き続けているせいで、タコの人魚は耳から手が離せない。陸ではなんの音も出なかったのに、海の中では信じられない音がしている。
泣いてもかわいいんだなとどうでもいいことばかりが浮かんで、だんだん意識が薄くなってきた。
息継ぎをしていないからだ。
引っ張られる力に抵抗しながら、網を引き裂こうと力を入れ続ける。
肉は裂けても骨はある。
まだやれる。
いやだ、持ってくな。
視界が真っ白になる、その瞬間。
大きな手が俺の横から伸び、網を豪快に引き裂いた。
腕に刻まれた刺青───────お袋の名前と、俺の名前。
とうさんだ。とうさんが助けに来てくれた───────。
安堵が胸に広がり、意識がふっと遠くに沈む。
ひゅいひゅい きゅーるるる…… ともだちの泣き声が聞こえて、悲しくなる。
密漁者から守れなかった。こわがらせて泣かせた。……俺、もう嫌われちゃっただろうな。
