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 “貰ってばかりだと不平等だから”。
 そう言ってアズールが持ってきたものを見た瞬間、フロイドはにまにまと口の端を吊り上げた。水の揺らぎが頬に反射して表情がいたずらっぽく光る。

「いっちばん大切にしてたやつじゃーん」
「貨幣価値に換算して等価交換になるのがこれだけだったから! 仕方ないだろ」
「タコちゃんったら素直じゃねえの。嬉しかったからお返しって言えばいーのに。ねえジェイド?」
「そこがアズールの可愛らしいところですよ」

 フロイドはお気に入りの貝殻を、ジェイドはこの日のために探してきた真珠を大事そうに持ち上げる。
 そして三人で、いつもの岩場へ向かった。呼吸するようにそこへ集まるようになった場所だ。いつものところに来てくれた友達に渡すと、驚いた顔をしたあとに笑って受け取ってくれた。

 ジェイドもフロイドも嬉しいが、アズールはもっと嬉しかったらしい。いつもわざとしかめっ面を作って他人を遠ざけようとするのに、素直に笑っている。ジェイドはそれが嬉しくて、彼が持ってきてくれた果物を食べてはしゃいでしまった。
 持ってきた本人がひとつも食べられないだなんて、申し訳ないことをした。食べたことの無い、酸っぱくてあまいもの。きっと僕たちと一緒に食べるために探してきてくれたんだ。

「ごめんね、これかわりに半分あげる。甘くないけど美味しいから」
「こちらの魚もどうぞ、沢山食べてください。今日はお詫びに僕らもたくさんお手伝いします」
「……僕も手伝うから、あの赤いの美味しかった。ありがとう」

 気にしないでいいと言うように首を傾げて、彼は泳ぎ出す。狩場へ行くんだろう。今日は何を追いかけて遊ぼうか。ただ泳ぐだけでも楽しい。だって、サメにも負けない強い友達がいるんだから。

「ねえジェイド、アズールたちすっごく仲良くなったね」
「ええ、彼とアズールは気が合うと思っていました」

 くすくす笑いあって、見上げた先。2本の尾びれがひらひらと揺れて、その少し後ろで八本の柔らかい足がゆらゆらついていく。アズールは誰かと合わせた泳ぎが苦手なのに、一生懸命彼に合わせているのだ。
 ひっきりなしに「僕は誰よりも立派な魔法士になるから、一緒にいて損はないよ」「特別に君を部下にしてあげる」と話しかけている姿は健気だ。彼はそんなアズールの言葉に笑って頷いていた。

「なんだかアズールには特別優しいよねえ」
「ふふ、でもわかります。アズールはとても興味深いですから」

 人間の領域に近い此処は、大人たちから禁止されている場所。でも大丈夫。彼はフロイドに「護ってあげる」と誓いを見せた。だからきっと、怖いものは何も無い。
 アズールは新しい友達と喋りたいことが沢山あったし、ジェイドとフロイドは幼くて、なにが『怖い』のか判別がつかなかった。だから普段は近付かない海面へと上がっていったし、それを止めることも無かった。

 アズールが「え」と言葉に出した瞬間、世界は白い泡に包まれて耳をつんざくような轟音が聞こえた。
 パニックになって耳を塞ぎ、逃げ出そうとする。出来ない。足に絡みつく何かが動きを封じている。
 沢山の泡が視界を覆って、煩い音で情報の整理ができない。二本の手が濁った波を掻き分けるように飛び込んできて、絡みつく銀色の何かからアズールを出そうとする。

「人魚攫いだ!!!」

 これが何であるか理解した瞬間、叫んだ。
 下を見るとジェイドとフロイドもこの音に耳をやられて動けなくなっている。あの子は、と前を向くと、この音は目の前の友達が出していた。聞いたことの無い声だ。泡で顔が見えない。

 なんとかこの網から抜け出そうと足を動かすが、力が抜けていく。身体が重い。“衰弱の呪い”だとすぐに理解した。

「その音止めて! 逃げて! 僕は大丈夫だから!」

 ぶわっと視界が白から赤に変わる。あの子の手に網が食込み、肉が裂けていく。聞こえないはずの、肉が裂けるぶちぶちという音が聞こえた気がした。

「逃げて! 逃げろって!! やめてよ手が壊れちゃう!!」

 真っ赤。真っ赤だ。
 どれほどの血が出ているんだろう。ちぎれるわけがない。魔法に長けた人魚の子を攫うために、様々な呪いがかけられている。それを人魚の子供が、引き裂けるわけなんてない。二人揃って攫われて、おしまいだ。

「誰か助けて!!」

 瞬間、たくさんの色が目の前に割って入ってきた。

「回れ回れ回れ!! 殺せ殺せ引きずり込め!!! お前たちは危ないから下がってな」

 音に負けて耳を押えていたら、見知らぬ大人の人魚に海底まで抱えられていた。
 フロイドは咄嗟に「アズール!!」と海面を見上げる。名前の無い友達をひとまわりふたまわり大きな、全身に鱗がある大人の人魚が抱えていった。すぐに別の大人の人魚が横から現れ、網の中からアズールを出してこちらに降りてくる。
 イルカの人魚らしい二人の大人達は「大丈夫だぞ、可哀想になあ。怖かったなあ」と三人を撫でる。

「あの子は」

 アズールが泣きじゃくっていた。ジェイドも少し泣いて、フロイドも泣いた。

「僕、あの子の名前が分からない、から、言えなかった。名前、分からないから、あの子を助けてって、言えなかった」

 動かなくなっちゃった。真っ赤だった。悪い呪いがかかったのかもしれない。ジェイド達には見えなかったそれを、アズールは全て見ていた。

「ああそっか、これくらいの年じゃわかんないよな……。あの子はナマエだよ。大丈夫、いっちばん強い男の息子だ。それにこう見えて俺は魔法士だからな、良い回復薬を作ってやれる。暫く寝て休めば、また遊べるようになるよ」
「ほら、上を見てみろ。俺はこれを見て故郷を出ることを決めたんだ」

 ぐすぐすと泣いていた三人は言われた通りに太陽の方向へ目を向けた。尾びれが2本の人魚たちがぐるぐると回っている。色とりどりの鱗が様々な模様を描いて輝いていた。
 その中心で、両足を掴まれた人間達がもがきながら水の中で振り回されている。浮かぼうとするたびに足を掴まれ、モリで刺され、ナイフで切られる。

「ああやって全員で力を合わせて漁をするんだ。水の中でキラキラして、綺麗だろ」
「あの中に俺たちの伴侶がいるんだ。こうやって護ってくれる人」

 イルカの人魚たちはうっとりと尾びれ2本の人魚たちの舞を眺めている。水が光る。鱗が光る。血が散っても光の粒みたいに見えた。太陽の光が差し込んで、本当に綺麗だった。
 あの子も、ナマエも、大人になったら海流を切って舞うのだろうか。手の怪我が治って、誰よりも立派に育ったナマエが鱗を煌めかせてぐるぐると舞い踊る。その鱗はどんな色で光るんだろう。
 それを三人で、このイルカの人魚達のように溶けた眼で眺めるのかもしれない。重ねて「ナマエは大丈夫だよ」と言われ、身体中から力が抜ける。

 動かなくなった人魚攫いの首に縄をかけて引きずりながら、大人たちが帰っていく。

ナマエ、明日には治るかなあ」
「あんなに大きな声を出して喉も痛めたはずです。もっと休まないと治りませんよ」
ナマエ……」

 ナマエナマエナマエ。アズールは小さく口の中で繰り返して、目を閉じた。
 なんで血だらけになっても網を裂こうとしたんだ。こういう時は逃げろって先生に習わなかったの。

 ……違う、違う、あの、あのね。ありがとう、でも、僕のために無理するのはやめて。友達だろ。僕らって、対等だろ。

「アズールがまた泣いたあ」
「怖かったですね」
「うん」

「こわかったねえ」
「こわかった、です」
「こわかった」

「こわ”か、っ、だぁ…! アズールと、ナマエ、も、も”う、会えない、ってぇ……!」
「友達が、一気に、ふたりも……いなく、ならないでくださ……っ」
「まっかになった、まっかっかで、ねえ! ナマエが、うごが、なくっ、て! 僕の足が、動かなく、て!」

 わああん! 泣きながら帰り道を泳ぐ。まだ太陽は落ちてないのに、世界は昨日よりちょっと暗く見えた。