母さんが再婚を考えている人ができた─────そう思い込んでいたのは、全部俺の早とちりだった。誰かに聞けば一瞬で済むことだったのに、俺は勝手に想像して勝手にビビって、確かめることから逃げていた。
母さんに「は? 息子より大事な男はいないけど。てか、そういう男が出来たらまずあんたに真っ先に言うでしょ。何疑ってんだコルァ!」と叩かれて少し泣かれて、親不孝をしてしまったんだなって気づいた。
先輩の家に行く前は公園で寝てたって言ったら、脇腹も殴られて「自分の顔が母親似の超絶キュートなツラって自覚が足りない!! 男も性被害にあうんだよ!! 変態野郎に連れ去られなくて良かったあ!!」と本気で泣かれた。俺もちょっと泣いた。俺は頭が悪くて、先のこととか全然考えられないから、こういうのをなんにもわかってなかった。自分がどう見られるかも、どう危険にさらされてたかも、誰かが自分を案じてくれるってことの重さも。
だからミョウジ先輩は俺を家に泊めてくれたんだなって。ミョウジ先輩が優しいのは知っていたけど、「優しいから」だけじゃなくて、「俺が危ない場所に放り出されないよう、心配してくれていたから」なんだって。だって俺はこの1ヶ月、ずっと寂しくなかったから。ずっとミョウジ先輩が、俺の傍にいてくれたから。
ミョウジ先輩に会ってから、前より生きるのが楽しい。学校はただの義務だから行かなくても別にいいって思っていたけど、俺と仲が悪かったはずの奴らが「やっと来たな! カスタムの仕方教えろよ」と自分のマジカルホイールを見せて話しかけてくるようになった。ミョウジ先輩のはなしをして「やっぱあの人かっけえよな」って笑って、休みの日にも遊びに誘われるようになった。
週に一度仲間を集めてミョウジ先輩の主導で峠を攻めるのも楽しい。ガラが悪いやつばかり集まったけど、ミョウジ先輩がしっかり統率しているからお行儀がいいんだ。前までは危ないことをするのが格好いいって感じだったけど、今は最小の動きでいかに早く進むかってのが一番格好いいってなってる。
3年になってから背中にも彫られた刺青が、風で捲れたシャツの下から見える度に俺たちは女の子みたいにきゃあきゃあ言ってた。だってあんなのめちゃくちゃ格好いいし。俺も彫りたいって言ったけど、あの刺青はミョウジ先輩の故郷の風習だから部外者は彫れないらしい。俺は見たことあるから知ってるけど、足にある刺青が本当に綺麗なんだ。魚の鱗みたいで、海の中だと角度によって色が変わるって言っていた。
勉強も、真面目に学校に行ってたやつにくらべたら全然だけど、前よりは楽しくなった。ノートをどう取るか教えて貰って、あとから見返した時にも意味がわかるようになったし、前までは俺が教室にいてもクラスメイトが嫌そうな顔をするから邪魔にならないように寝てたけど、試しに一週間くらい続けて行ってみたらみんなすぐ慣れた。
俺がたまにしか来ないから「あいつ誰だ?」って警戒されてたんだなあってわかった。それはそうだよな。少し考えればわかることも、少しも考えないからなんにもわかんなかった。
たのしいなあとか充実してるなあとか、そういうことばっか考えてたから、俺は元々嫌われ者だったことをちょっと忘れてた。最近ずっと世界が優しかったから、油断してた。
廊下を歩いてると、チラチラと刺すような視線がついてきて、そっちを向くとにやにや笑った三年が目を逸らす。
聞こえるか聞こえないかの距離で、「かわいー顔して抱かれてんだろ」「媚び売るしか能ねえ雑魚」みたいな声が落ちる。
母さんに「変態野郎に連れさらわれないで良かった」と泣かれた時、はじめて同性間でもそういう関係になる可能性があるって理解したけど、あいつらが言ってるのは事実じゃないし下衆な妄想ってだけだから気にしてなかった。
ミョウジ先輩が悪く言われたら話は別だけど、俺が馬鹿にされてるだけなら問題ないって思ってた。こういうのは無視しておけば勝手に黙るって分かったし、喧嘩を買っても喧嘩は楽しくないし、それより楽しいことが沢山できたから。
どうやって帰ったのかわからないけど、気付いたらミョウジ先輩が「持っててくれ」と渡してきた荷物を抱きかかえて部屋の中にいた。
仕事から帰ってきた母さんが「うわあ! なにやってんの電気つけな!」と驚いてるのを見て、ようやく意識が鮮明になる。
「かあ”さ”ん”」
「え! なに!? マブが刺された!!?」
俺が先輩の私物を抱きかかえて号泣しはじめたせいで、母さんが最大限不吉な想像をしてヒールを投げ捨てるように俺の元に駆け寄ってくる。
「ミョウジぜんぱいが、おれのせい”で、がっこ、停学んなった”あ」
ミョウジ先輩、無遅刻無欠席だったのに。進学するか悩んでるって言ってたのに、暴力沙汰で停学になった。俺のせいだ。
「お、おれ、が、馬鹿にされたの、ほっといた、から! 俺が、ちゃんと、怒んなかった、からあ」
「あんたがバカにされたのを見て、怒ったってこと?」
「う”ん”」
「そっか……」
母さんに髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜられる。俺は海の匂いがついたカバンを抱いてただただ泣いていた。ミョウジ先輩は教師に囲まれて言われるままに指導室に行って、いつの間にか帰ってしまった。スマホに「荷物そのまま預かっといてくれ」とメッセージが入っていて、俺はどうやって返信すればいいか分からなくてスマホを握りながらずっと呆然としていた。
「過ぎたことはどうにもならないけど、ミョウジくんがあんたの為に怒ってくれたってことは大事にしなね。今まで自分が積み重ねてきたこと、全部台無しにするくらいあんたのことを大切におもってくれたってことだから」
「おれ、なんにも、かえせない、! なんにも、持ってない……!」
「バカだねえ。あんたたちの間に何か貸し借りがあった? ミョウジくんがあんたに「面倒見てやったから何か寄越せ」って言ったことあった?」
「な”い”、ミョウジせんぱ、は、! そんな事言わねえ!」
「分かってんじゃん」
母さんが笑って俺の顔をハンカチで拭う。化粧の香料が染み付いていて、ガキの頃も泣いたらこうやって顔を拭かれたなと思い出した。
「これあたしの経験談だけど、謹慎期間ってめっちゃ暇だから遊びに行ってあげな。そんで、「俺のために怒ってくれてありがとうございました。嬉しかったです」って言うんだよ。謝られたら困るから、ありがとうだけ言いな」
「先輩、俺のこと嫌いになってねえ、かな」
「ないないない」
嫌われたらどうしようと口に出したけど、俺もミョウジ先輩が俺のことを嫌いだって、もう二度と近寄るなって、そう言って怒る想像がつかなかった。
だってずっと優しくされたから、俺のために怒ってくれる人が母さん以外に初めて出来たのが、嬉しくて。ミョウジ先輩が停学になっても、ほんとはそこが、すっげぇ嬉しくて、嬉しいのが、申し訳なくて。
「ごめんなさい」って言いながらカバンを抱き締めて、母さんに頭を撫でられた。ごめんなさい、ミョウジ先輩。俺、良い後輩じゃない。ごめんなさい。
