寝不足と過労で後輩のことはもう首に縄繋いで飼うか? まで思い詰めかけたが、俺が海から帰るのと同タイミングで現れた昨夜の警官に「情報提供ありがとうございました、もう大丈夫ですよ」とスマホを返された。
俺は朝帰りだが、この人は昨日から今までずっと後輩のために動き回っていたのだろう。良い人だ……。
その考えが頭に浮かんだ瞬間、すっかり疲れきっていた俺はほとんど反射で警官の手を握りしめて、ありがとう、ありがとうございます、と繰り返し頭を下げていた。
「職務を全うしたまでです」
そう言って困ったように微笑んだあと、ふいに俺の耳元へ顔を寄せ、声を潜めた。
「─────これは独り言なのですが、誰かが彼を“嵌めようとした痕跡”がありました」
息が触れたか触れないかの距離で落とされた言葉は、まるで温度のない刃物みたいだった。
言い終えると同時に彼は表情を切り替え、「それでは、本官はこれにて失礼致します!」と自転車に飛び乗り、朝焼けの坂道へ消えていく。
呆然とその背中を眺めながら、胸の奥で冷たいものが広がる。
誰かが。
わざと。
嵌めようとした。
あるんだろうな。
あったんだろうな。
だから、あいつはこうなっているんだ。
思い返せば、初めて会った時も複数に囲まれて襲われていた。なんで忘れていたんだろう。あいつ、元々敵の多い生き方をしていたんだった……。
とりあえず、早朝だけど『なんでもいうこと聞く券』を発動させて後輩の母親にメッセージを送る。
俺が後輩のアリバイ情報を提供したのは、保護者には伝わっているだろう。それを本人には伝えないで欲しい。
ただでさえあいつは俺に受けた恩があると思ってる状態で、それにこの件も重ねてしまったら俺は『先輩』じゃなくて『恩人』になってしまう。そうなると、今みたいな関係は続けられないだろう。はじめは酷いものだったけど、後輩との関係は気に入っているんだ。
寝て起きてちょっと海に行って陸に上がったら、浜辺に後輩がいた。いつもは逆立ててセットしている髪が、風呂上がりみたいに癖もなく真っ直ぐ肩に落ちていて、襟足を軽く結んでいる。母親のものと思われる白い猫の前髪留めを付けて、砂の上で膝を抱えて座っていた。
「ミョウジ先輩」
「どうした」
大丈夫だったかと聞こうとして、何も知らなかった振りをした方がいいなと考え直す。
「家で待っていれば良かったのに、寒くないか」
「だいじょぶです。まだ太陽出てたし、ミョウジ先輩に早く会いたかったから」
「うん」
後輩の横に並んで座ると、夕日は水平線に半分ほど飲み込まれていた。横目で後輩を見ると、今まで見た事のない柔らかい表情で前を見ている。
全てに虚勢を張って自分を強く見せようとしていた時とも、俺と一緒にいて子供のように笑っていた時とも違う。いろんなことが分かって、今まで見えなかったものが見えるようになった。そういう大人の顔をしていた。
「ミョウジ先輩、俺……」
「うん」
「俺なんかが、警官になりたいとか、ありえないですよね」
「なれる」
自嘲の色を一瞬で塗り潰すように、意図せず声が強く出た。
驚いたように目を開いた後輩を見て、俺は視線を海へ戻す。
「お前がなりたいって思えば、なんにだってなれる。お前は真面目で、人の話をよく聞いて、他人を思いやれて、素直で、優しいやつだ。自信を持てよ」
「……へへ、 そうかなあ」
「そうだ」
「母さんも、ミョウジ先輩も、俺にあめぇから。そーやって、簡単に甘やかしてくれちゃうから」
「お前は人に甘えなさすぎるからこれくらいで丁度良いだろ」
「そっかあ……」
俺、大人になったら警官になりたい。もう一度そう呟いて後輩が黙ったので、俺も黙って後輩の頭を撫で続けた。海は月を飲み込んで空が暗くなって星がひかる。そろそろ俺の腕が疲労骨折するか後輩の髪が擦り切れるかというところで、どちらともなく立ち上がった。
「今日も泊めてください! 俺、オムレツ作ります!」
「ああ、魚もあるからそれも焼こう」
「おっす!」
ここから家は近い。後輩が何も言わないので、俺も何も知らないままで取り留めのない話をしながら歩き出す。
「頼みがあるんだが」
「はい! やります!」
「内容を聞く前に了承するのはやめろ。……うん、そうだな。お前、俺の届く範囲にいてくれ。遠いと助けられないから」
「? はい!」
絶対に何の話か分かっていないだろうに、良い子の返事だ。俺も前提として事件を知らない設定だから、これ以上のことが言えない。
しかし、これ以上のことはないだろうなとは思っていた。誰かが悪意を持って後輩を嵌めたとして、それが失敗してすぐにまた行動を起こすなんて考えられないだろう。
でも人生ってわかんないものだ。
なんとなく「海に行かなきゃ」と胸の奥がざわつき、いつもとは違う時間に海へ向かった。いつもと違う時間では潮の流れも変わる。潮の流れに乗って、普段は行かない場所へ向かった。海は穏やかなのに、何か不安感のようなものがまとわりつく。なんだろう、と思っていると目の前に何かが落ちてきた。
崖の近くだから誰かが不法投棄でもしたのだろう。俺に当たったらどうしてくれるんだと怒り半分で、落ちた衝撃で泡におおわれたそれを見た時、心臓が止まりかけた。人だった。後ろ手で縛られて椅子に固定されている。後ろ姿で顔は見えない。小柄で、金髪で、俺が貸した服を着てる。後輩――――!!!!!
あ”―――――!!!!!! やられた!!!!! くそがあああああ!!!!!!!
