たとえば、飼っている犬を私有地で遊ばせていたら、侵入者が突然“なにもしていない人懐っこいだけの犬”を蹴り飛ばして大怪我をさせた。飼い主が気づいた時は、犬はいつもはブンブン振ってた尾を垂れて血まみれで倒れている。そんなかんじ。
水音のような規則正しさで刃が沈む。梱包用のロープで柱に縫い付けられた男の身体は、抵抗するたびに汗と血を滲ませて震え、自分が履いていた靴下を詰め込まれた口の中で呻き声が絡まる。だが刃を持つ手は終始、静かだった。
まるで裁縫でもするかのように、淡々と、刺しては抜き、刺しては抜く。「死ぬ?」「まだ」と端的な会話が、温度無く部屋に落ちている。
肩口の浅い筋を掠めた傷は、ほんの少し角度がズレていれば動脈を裂いていた。
腹部に刻まれた細い線は、臓器を避けて肉だけを裂いている。太腿に走る穿孔は一点を狙い定めながらも大腿動脈を確実に外していた。
殺意はある。けれどそれは、急速に命を断つ激情ではなく、緩慢で霧散しない、静かな執着の温度だった。
「殺す気がない」のではない。ただ、「すぐには死なせない」。刃が血に濡れ、細く光る。
切断されては困る場所を器用に避け、なおも痛みだけを確実に刻み付けていくその様子は、情け容赦ないはずなのに、どこか冷静で理性的ですらあった。
弔くんってこのタイプのブチ切れ方もできるんだ……。今は、BAR拠点の拷問部屋で弔くんとトガちゃんとがバチ切れ粛清してるとこ。対象は、一般野良ヴィランだ。連合関係者ではない。ただただ普通にヴィラン。
普段割と行動がアッパー型な2人が淡々と「ここ切ると死んじゃいます、もっと右」「おう、こっちな」と話し合ってザクザク刺してるの、怖いね……。
「なんて可哀想なの、あかりはなんにもワルイコトしてないのに! 酷いわね……」
「マグネがキスしてくれないと元気でない……」
「んもう、イケない子! 人前でキスなんて恥ずかしくって出来ないわ」
そう言いながら惜しみなく頬にキスしてくれるから、マグネは優しいんだよな。「うるせえぞオカマ! そのアホ犬が黙るまで舌でも捩じ込んでやれ!」と、いつもの全方位炎上不可避レイシスト発言をする弔くんを「いやぁねぇ、リーダーったらエッチ♡」と軽く流して、ドクター直輸入の、何らかの個性を使用した軟膏を塗り直してくれる。
肌の色が少し変わったが、処置が早かったのでこの超高額軟膏を塗り続けておけば元に戻るのも早いだろう。少し前に会社員の立場作って保険適用の身体にしておいて良かった……。ドクター、協力関係なのに俺たちの治療費普通に全額負担でぶんどっていくから最悪だったもんな……。やっぱ“先生”の知り合いってろくな奴居ないよ。
しかし、なんでこんな目に遭っているのかといえば……本当に、ただ運が悪かっただけだ。
帰りに寄ったケーキ屋で商品を受け取り、軽く「ありがとうございます」と感謝を述べただけの会話を、店員のストーカーが勘違いしたらしい。
懐に忍ばせていた瓶の液体を浴びせられたが、俺の身長が高かったおかげで、狙われた顔面は無事。そのかわり、右肩から下が服ごと溶けて大火傷。
アシッドアタック───────そういうやつだ。
個性由来の攻撃はなんとなく警戒してたけど、こういう古典的な方法は逆に無警戒だったなあという反省。店員の悲鳴と騒然とした店内の中、ヒーローが駆けつけるまでの数分の間に脱出のミッションが発生。突っつけば大量に埃が出る身の上なため、たとえ被害者であろうとも俺は表に出てはいけなくて……!
痛いよう辛いようとなりながら、連合用アプリを起動して近くにフリーだったマグネがいるとわかり、個チャで助けを求めた。
俺の状態をみたマグネは「いやああん! 誰にやられた、あいつか! オルァてめえこっち来い!!」と拘束されていた犯人を個性で引き寄せて回収し、車のトランクにぶち込んで、そのままドライブデートとなった。防犯カメラ関連は連絡を入れて、ツムギくんとリラさんに一帯のデータを全て飛ばしていただいてる。本当に優秀な部下を得られて俺は幸福ですよ。ちなみにこの車はそこら辺の方から“借りた”ものです。久しぶりに自分の個性を煙草の着火以外で使ったな。
「あかりがやられた!」と、拠点のドアをぶち破りながら犯人の頭を鷲掴みして連行したマグネの後ろで、右肩の皮膚が大変なことになってる俺が静かに「弔くん、いたい……」と助けを求めた結果、冒頭の拷問がはじまりました。
栃木に出張悪事中の実兄以外の大半が拠点に大集合していたのが、犯人の運の悪さだと思う。
経緯を聞く、という名目で俺自身がドクターの元へ行けないため、黒霧が“とりあえずいちばん良いもの”という注文で超高額軟膏持ってきてくれた。金額に似合う効果のおかげで今は痛みもそこまで酷くない。
前世からの流れで、攻撃を受けた時に反射的に黙りこんでしまう癖というものがある。
そのせいで、普段よく喋る俺が静か=めちゃくちゃ弱ってる、死にかけかも。という図になってしまったらしい。
前世は攻撃を受けた時に騒いだら、居場所がバレて死ぬまで撃たれるから黙ってるように強く言われてて……! 紛争地域にいたことが多いせいでそんな癖がついたんです……!
マグネは「私不器用だから、死ぬまで殴るしかできないのよ~! なんとかして、リーダー!」と、犯人をBARの真ん中のぶん投げてプンプンと可愛く怒っていたし、トガちゃんは俺が手放すタイミングを失って握りしめていた箱を開けて、ぐしゃぐしゃになってしまったケーキを指ですくって口に含んだ。
小さく「おいし」と言ったあと、ナイフを握り直し「あかりくん、ケーキ買ってきてくれようとしたんですよね。酷いです。私だって、ケーキを持ってる人は狙わないよ。みんなで食べるんだなあって思うから、必要なければ狙いません。弔くん、このひと悪い人です」ときっぱりキレてくれた。
うちの女性陣は仲間想いで優しい。あと命の選別を勝手にやってる分、こっちの方がタチ悪いと思う。
「オニイサンには連絡した? ちょっと時間ずらした方がいいな、こっちでやるから。はい消毒」
ミスターがそう言いながら、犯人の頭にアルコール度数の高い酒をドバドバ浴びせる。すごい、燃えやすそう。
弔くんはずっと無言で、スピナーは止めない。スピナーが止めないってのは凄いぞ。ステイン経由ではあるけど『正義』の意思がある男が、“見て見ぬふりをする”を選んだんだからな。俺って愛されてると思う。
死なないように苦しめてできるだけ長く生かしましょう! という方針で穴だらけにされつつ、適度に超高額軟膏を塗ったくられて止血されてる犯人が呻き声しか上げられなくなった頃に、BARのドアが激しく開いた。
「どっこいしょー!!」
拷問部屋(仮)のドアも同時に開き、トゥワイスの飛び蹴りが縄を引きちぎり、犯人の身体を壁まで吹き飛ばす。
「あ、トゥワイス。おかえり」
「どんなことになってんだよ!? かわいそーに、思ったより平気だな!!? 元気そうじゃねえか! 心配しちゃったぜ、お散歩しながらのんびり登場! こいつか! こいつだな!」
服はズタボロだが皮膚は治ってきてるので、今帰ってきたトゥワイスにはそれほど重症にみえないだろう。そう思っていたら、スっと横からログインしてきたミスターがスマホの画面をトゥワイスに見せていた。
「は? 生肉じゃねーか」
「濃硫酸、俺たちにケーキ買ってこようとしたらやられたって」
おじさんがおじさんの憎悪を増幅させてる……。
トゥワイスはマスクを外して、もう一度「は?」と言いながら転がっている犯人の方をみた。あっちはトゥワイスの激怒で、こっちは仁くんの激怒だ。一度で二度怒れるぞ! お得! お得か? わからん。
「こいつは何もやってねえだろうが…… 裏方の人間狙うとか、やっていい事と悪いことわかんねえか?」
ナイフ貸して、とトガちゃんから受け取った得物で髪を鷲掴みして持ち上げた頭から、耳に切れ込みを入れる。途中で止めたそれを握って、素手でちぎり落とした。
弾けんばかりの悲鳴が出て、弔くんの「お、まだ元気だな」と少し嬉しそうな声がする。このおもちゃまだ動くぞじゃないんですよ。
ちなみに俺のこれまでの犯罪歴は危険運転致死傷罪、不真正不作為による殺人幇助 、 犯罪隠避・証拠隠滅、テロ対策特措法違反 、反社会的勢力支援、犯罪収益移転防止法違反 、国際送金規制違反、虚偽名義による口座開設、 犯罪収益収受 、 強奪物受領、電子計算機使用詐欺、公的登録手続の虚偽申請、公務執行妨害、職務記録等不正作成・使用─────その他もろもろございます。
実戦部隊じゃないから目立ってないだけで、犯罪の量と罪の重さ的に俺もなかなかのものだと思います……!
あと俺たち、普通に裏方の人間とか、ただの学生とか狙ってテロ行為してる。自分達はやるけど人にやられるとマジでムカつく、実にヴィランで良いと思います。
犯人も、まさかこうなるとは思ってなかっただろうなあ。
ストーキングの果ての異常行動で、自分が被害者になるとは思わなかっただろう。
より強大な邪悪の末端部分を踏んで、死ぬまで報復コースだ。可哀想とは思わないが、運が悪いなとは思う。俺も運がなかったが彼ほどではないだろう。
仁くんが豪快に開けた二枚のドアのおかげで、地下のBARは風通しが良くなった。
階段を下る足音も、よく響く。
カン、カン、と硬質な足音が近づいてきて───────
「コロンビアネクタイってどうやるんだっけ」
「なにそれ? 知らないです。弔くんやってみてください」
そんな物騒な会話で試行錯誤残虐行為をしようとしていた弔くんとトガちゃんが互いに目を合わせて、
「「おしまい」」
と声を揃えて、きっちり拷問終了宣言をした。
「スピナー、痛み止め飲みたいから水取ってきて欲しい」
「ん? ああ、わかった。やっぱ痛覚はすぐ治んないのか」
「evianがいい……」
「お前それコンビニ行かなきゃないだろ」
「スピナーがevian買ってきてくれないと元気でない……それがダメならキスでもいい……」
「OK、すぐ買ってくる」
部屋に入ってくる者と入れ違いで出ていったスピナーの背を見送る。
真っ直ぐに俺を見て、真っ直ぐに歩いてくるのは、荼毘くんだ。
黒霧ワープはドクターや“先生”との連絡に使われていたので、今回は普通に電車の乗り継ぎか、強奪した車で帰ってきたのだろう。
「あかりくん」
妙に平坦な声で俺の名前を呼びながら、彼はこちらへ歩いてくる。
「ただいま。あかりくん、酷いことされたって連絡きたんだけど大丈夫か? 治してもらった? 服こんなになってんじゃん、布が溶けてるし焦げてる、どっちなんだこれ、酸か熱か混ざってる? 匂いが薬品だな、硫酸系だろ、肩から落ちてる形だし狙われたのは顔だったか? 顔は無事だよな? もし顔が焼けてたら俺絶対に相手の家族から順番に全員焼いてまわってやるよ。向こう三軒両隣ってやつ。
ああ、肩の色変わってる、赤と紫がまだ残ってるけど塞がってきてるって事は処置早かったな、 痛みはどれくらいした? まだ痛い? 神経焼けた? 肉見えてた? 血は出た? いい、全部言え、曖昧にするな、俺が把握しないと落とし前の付け方が変わるから。
……なあ、どの瞬間が一番怖かった? 浴びた時? 逃げてる時? それとも痛みが追ってきた時? あかりくんはさ、こういう時黙る癖あるの俺知ってる、我慢強い子だから、なんでそんな我慢すんだよ、言えよ、俺がいる時は言え、黙られたらわかんないよ、俺エスパーじゃないしさ。俺の知らないとこであかりくんが痛い思いするの、許せないから。
なあ、あかりくん、自覚してくれよ。お前は俺にとって特別なんだよ。唯一なんだよ。俺、ダメになっちゃうからさ、約束破らないで。死ぬまで一緒っていったじゃん。
許せないよな、あかりくんが悪いことしてたわけじゃないだろ、あかりくんは優しいもんな。誰かを傷つけたわけでも挑発したわけでもない、何もしてない人を狙って傷つけるなんて最低だ、そんなやつ生かしといていい理由ないよな、誰がやったんだ、こいつ? まだ生きてんの? 俺が燃やすまで待っててくれたの? ありがとうって言った方がいいか?」
長い長い長い長い!
わからんわからんわからん!
荼毘くんが弔くんに向かって「アリガトウ」とカタコトで感謝の意を伝え、それから犯人を燃やそうとする。
その手前で、俺は「待って!」と袖を引いて止めた。
部屋にいるみんなが『いやお前それはさあ……』という顔を向けてくるが、違う、違うんです!
「どうせだったらステインのせいにしない? こいつの口の中に『真のヒーロー、ステインを解放しろ!』ってメモ入れて国会議事堂前で燃やそうよ」
スピナーを一旦外に出した理由、これです。
トガちゃんはステインの顔ファンだからいいけど、スピナーには配慮が必要だから。弔くんが首を傾げながら手遊びのように犯人の腿にナイフを突き立てる。
もうどのタイミングで死んでもいいだろうと、遠慮のない一撃だった。これより前に、悲鳴がうるさい罪でボコボコに躾られた犯人は痙攣しながらのたうち回っている。
「議事堂関係ないだろ、タルタロスじゃねえのか」
「こういうのって全然関係ない訳わかんない所にやった方が話題性でるんだよ。自殺として処理されても他殺として処理されても、どっちみちステインの強火フォロワーの責任になるし。これを止められなかったヒーローの抑止力低下って騒ぎ立てればそこそこ荒れそう。荒らしてやろう、世界を。俺が痛い思いをした分めちゃくちゃになってもらいたい……!」
前世の癖で大人しかったけど、普通にめちゃくちゃ痛かったんだからな……!!
俺が止めた瞬間、助かると勘違いした犯人が目を輝かせたが、なんで全く関係ない俺に酷いことしたヤツを助けるんだよ。普通に死んでくれ……!
自らの手で焼き殺したかった実兄以外の大爆笑と絶賛で、各種報告で大忙しだった黒霧の帰宅と同時に、犯人は靴下の代わりに丁寧に畳まれた紙を口に突っ込まれ、命乞いを叫ぶ前にワープゲートへ蹴り飛ばされた。
気化しても服にたっぷり染み込んだアルコールは、実兄の蒼炎で一気に炎をまわして全身を燃やしながら落ちていく。
───────
食事担当の俺がこのザマなので、今日はピザの日ということにした。ぐちゃぐちゃになったケーキは大皿に乗せておいたらいつの間にかみんなに食べられていた。食料を無駄にしない気持ちの良い仲間たちです。
届いたピザを切り分けて、みんな好き勝手食べながらニュース速報を眺めていた。国会議事堂の前で焼身抗議をした者がいたらしい。
焼け残った口内から発見されたメモには、ステインを解放せよとの文言が!
スピナーの「気合い入った奴がいるな……」という感嘆の言葉を聞きながら、「メッセージ性あるよね」と頷いておく。
蒼炎で焼き殺すなら、一瞬だからさ……。俺が痛かった分、苦しんでほしくて……。
