オクタヴィネルは海の中にあるので、漁ができるかなと思っていたがいろいろあって断られた。まあ仕方ない。サバナクローにも淡水だが魚の捕れる川はある。
深さが足りないので潜水してスピアフィッシングが出来ないのは残念だが、俺が食べるくらいは賄えている。余分に獲ると買い取ってくれる奴もいるしな。
ラギーは買わない。「ください!!」と言うので与えている。痩せっぽっちだし、いつもお腹を減らしてるし、食料を集めるのが下手なんだと思う。可哀想に……。俺の魚でたんと肥えろ……。
先日再会した人魚たちにはあの日以来会っていない。避けようとしている訳じゃなくて、クラスは別だし俺自身が漁の関係でサバナクローに閉じこもっているからだ。
彼らは俺に悪感情を持っていないようだったが、いまさらどうするという気持ちもある。あの日のことは、お互い忘れた方がいいのかもしれない……。これは逃げだろうか、そうだろうな。溜息をつきつつ、今日の釣果を背負って帰ると部屋の前にバオウが立っていた。異国の美術書でみた石像のようで美しい。こいつ、最高に美形なんだよな……体重が110kgもあるなんて、奇跡の美青年だ。うちの村に来たら瞬きの間に嫁候補が5人は出来る。
「ナマエ、客」
「お邪魔してます」
「お、おお……」
バオウが一歩身体をずらすと、サバナクローでは明らかに暑すぎる服装の男が、俺のベッドにきちんと腰掛けていた。
にこにこしているせいで一瞬誰だか分からなかったが、双子の人魚の吊り目の方だ。どうして……? と首を傾げてバオウを見ると、バオウは己と人魚を指でピッピッと示して「同クラ」とだけ言った。
これだけ美形だと、言葉の足りなさすらクールな魅力になるからずるい。
俺なんか最近、ラギーに毎秒「アンタねえ、言わねーとわかんねえんスから察してちゃんしてないでハッキリ言う!」と胸ぐらを掴まれているというのに。いや、バオウもよくやられてるんだけどな。
「ん」と軽く背を押された瞬間、俺の身体は1mほど前へ飛んだ。その間に扉はぱたんと閉められ、たぶんさっきと同じように門番のように扉の前に立っているのだろう。
俺は、にこにこした人魚の前に、ただ立ち尽くした。
「僕の名前はジェイドです」
「あ、ああ」
「兄弟の名前はフロイド、僕たちはウツボの人魚です。眼鏡を付けていたのはアズール。昔は付けていなかったから驚いたでしょう? 彼はタコの人魚です」
畳み掛けるように言われても、俺の頭ではすぐには噛み砕けない。彼は何がしたいのだろう。立ち上がった彼─────ジェイドは、俺より頭1つ大きい身長で見下ろしてきた。
「あなたの口からあなたの名前を教えてください。僕、ずっと知りたかったんです。人に教えられただけなのは、嫌です」
そっと、手を握られた。
人魚の時とは違う、熱のある手のひら。その一部が、歪に凹んでいる。
「……ナマエ・ミョウジ、だ」
「ふふ、ナマエ。ナマエ……。ねえ、僕のこと覚えていてくれましたよね。忘れないでいてくれましたよね」
するりと俺の腕を這って、ジェイドの指が伸びていく。
顔の目の前で広げられた掌には、白く、大きな傷跡が残されていた。
「『約束』」
「ごめん」
人間って気絶したいと思っても気絶できないもんなんだな。今のところ、異国の謝罪方法『ハラキリ』しか考えられなくなっているんだが、こいつは俺に何を望んでいるんだろう。
「困らせたいわけじゃないんです。僕、あなたに謝りたくて。あの日、尾びれを掴んでごめんなさい。失礼なことをしてしまいました、あなたが怒っても当然です」
「尾びれ?」
「だってナマエが村を離れるなんて、さよならの挨拶なんてするから……悲しくて、行かないで欲しくて……ごめんなさい」
「いや、あれにはちゃんと『また会いましょう』って」
「え」
「書いて……」
「あの……」
ジェイドは言いにくそうに視線を左右に泳がせて、今までで一番申し訳なさそうな顔で言った。
「字が、読めませんでした。その……僕達も幼くて。解読が、未熟で……」
………………俺の、字が汚すぎて……!
いちばん伝えたいところが伝わってなかったって訳か!
あれ全部、自分の字が汚いせいで誤解を招いたってことか? 嘘だろ……。
頭を抱えてしゃがみ込むと、ジェイドも同じ高さまで屈んで、覗き込んできた。
「……手、痛かったろ。ごめんな。掴まれて、驚いて、傷つけた。本当にごめん」
「良いんです。僕が悪かったんです。それに、これを見たらナマエは僕たちを忘れないって思いました」
ジェイドは、掌の傷を指先でなぞる。
「あなたは優しいから、僕を傷つけたことを忘れないでしょう? 人魚って丈夫なんですよ。この傷を残すことを選んだのは、僕の意志です」
「……それはちょっと重い」
「酷い人。それほどあなたのことが大好きだという証明なのに」
何が楽しいのか、ジェイドはずっとにこにこしている。
その顔を見ていたら、張り詰めていたものがふっと緩んで、俺も笑ってしまった。
「ナマエと話したいことがたくさんあるんです。共通語がお上手ですね」
「共通語しか知らないからな」
「……昔から?」
「ガキの頃から」
「……言って下さい! 僕たちだって子供の頃から共通語は喋れました!」
「言えと言われてもなあ」
海の中で人は喋れないんだよな……。
まあ、何度か息継ぎの時にタコの人魚……アズールも海面へ出てきてたから、その時に話し掛ければ良かったのかもしれない。
もし一言でも話していたら、全部が変わっていただろうな。……そうしたら、俺はミドルスクールの時に謹慎で里帰りをして、彼らに会って、町に帰る日を遅らせて。デュースを助けることが出来なかっただろう。
過ぎたことは変えられない。
だから、後悔も出来ない。ただ、傷つけた事実だけが、今でも胸の底をじくじくと掻き立てる。
「痛かったろ、ごめんな」
「……痛くなんてありません。ナマエに嫌われたと思った時の方が、僕はずっと痛かった」
「うん、俺も。お前たちに嫌われたと思った。痛かったよ」
「……ごめんなさい。……ナマエと、僕たちは、まだ友達ですよね? あの時からずっと、友達ですよね?」
「お前たちがそう呼んでくれるなら」
「じゃあ、問題ありませんね」
オクタヴィネルに遊びに来てください。たくさんたくさん話したいことがあるんです。僕もフロイドもアズールも、ナマエと話したいことが、たくさん。
少し上擦った声で同じことを繰り返すので、顔を見ないようにして、その手を取ってベッドに座らせた。
俺も話したいことがたくさんある。再会を喜んでいいんだと思えるのが、本当に嬉しい。
オクタヴィネルにも遊びに─────。
「あ」
「どうしました?」
「俺、オクタヴィネル出禁になってる」
「えっ」
「一回頼んで入れてもらったら、うっかり寮長の飼ってたクエをやってな……。永久追放を喰らった」
「それは……見たかったです」
「咎められるまで気付かなかったから、大漁だったな……まあそういう訳で、俺はオクタヴィネルには入れないから、他のところで会おう」
「ふふ、少し待っていただけますか? 出禁なんてすぐに解除されますよ。オクタヴィネルは、海の魔女の慈悲の精神に基づく寮ですから」
そうだといいなあ、と笑って別れた。
その3日後くらいだったか。
やけに立派な書面で『遊びに来てね(要約)』という手紙が届いたのと同時に、
「オクタヴィネルの寮長が決闘で負けて入れ替わった」というニュースが、学園中を駆け巡った。
新しい寮長は、アズール・アーシェングロット。
あの、ガリガリに痩せてしまったタコの人魚だった。
