「療養中の独身男性! 無事ですかー!」
ドクターのところの処置室────という名目になっている、複数ある拠点のうちのひとつへ勢いよく突撃すると、ベッドの方から手が一本だけ上がった。
「療養中の独身男性は、熱が出てきて大変つらいことになっております」
ずいぶん律儀な返答だった。駆け寄ってみれば、仮面を外したミスターがベッドの上でぐったりしている。額に触れると、汗ばんだ皮膚がじっとりと熱を持っていて、思わず眉が寄った。たぶん傷のせいで熱が上がっているのだろう。
処置そのものは早かったし、ドクターが抱えている医療系個性持ちによる保険適用外治療も景気よく投入されたらしいので、悪化はしないとのことだった。そこはまあ安心していいのだと思う。けれど、それとこれとは話が別だ。悪化しないからといって痛くないわけじゃないし、つらくないわけでもない。
なんせ腕が取れているのだ。そりゃ熱くらい出る。
「可哀想に。マジシャンの手を奪うなんて死罪だよ。弔くんも言ってた」
「仇を討ってくれそう?」
「そりゃそうよ。そのためにもミスターの力が必要なんだから、早く元気になってね」
「腕取れたばかりの人間にスパルタだなぁ……」
軽口を返してはいるけれど、さすがに辛いのだろう。いつものミスターなら、もっと芝居っぽく肩を竦めるなり、わざとらしく嘆いてみせるなりするはずなのに、今日はその余力もないらしい。声が少し掠れていて、冗談の切れ味まで鈍っている。
額に手を当て、そのまま熱を測るふりをしながら髪へ指を滑らせる。普段なら「調子に乗らない」とでも言いながら避けるか、良い感じ台詞のひとつでも返してくるのに、今日はそれすらない。されるがままに頭を預けている。
ミスターは背が高いから、立っている時はそこまで見下ろす感じがしない。視線の高さだってそれなりに近い。それなのに、ベッドに寝かされていると、妙に小さく見えるから不思議だ。もちろん実際に小さくなったわけじゃない。ただ、弱っている男は普段よりずっと無防備に見える。
「よしよし」
子供にするみたいに撫でる。もう一度撫でる。ついでみたいな顔をして繰り返し撫でる。そうしていたら、半分閉じた目でこちらを見たミスターが、低い声でぼそりと呟いた。
「人体急所を触らない」
叱られた。とはいえ、抵抗されないなら別にいいだろうと撫で続けていたら、ひとつため息をついて諦められた。諦めは許容とほぼ同義なので、つまりこれは公認である。よって俺は、気が済むまで撫でさせていただきます。
熱はあるものの、呼吸は安定している。治療が効いているのか、痛みも怪我の程度に比べればだいぶ抑えられているようだった。
もともとそこまで心配はしていなかったけれど、少なくともこの人が「怖くなったのでヴィランやめます」という選択を取るタイプではないのは分かっている。
撫でられ続けているミスターは、さすがに少し居心地が悪そうに視線を逸らしていたが、しばらくしてぽつりと「悪かった」と言った。
謝られる筋合いが思い当たらず、「なに?」と聞き返す。するとミスターは、少し言いにくそうにしてから、「マグネのフォローに入れずに死なせたことと、仇も取れなかったこと」と答えた。
「ミスター……」
「……」
「仁くんもだけど、自分の責任じゃないことまで自分のせいにするの、やめた方がいいよ。この場合、最終責任を取るのは弔くんだから」
「くそ。このガキ、経営者視点で見てやがる」
いや、実際そうだろう。紹介の提案をしたのは仁くんだけれど、会うという最終決定を出したのは弔くんだ。現場における最高責任者も弔くん。部下が労災を負った時に責任を取るのは、現場のトップである。
なので今回の件で「誰が悪いんだ」と順番に詰めていくなら、最終的に弔くんになります。
「まあ、俺の場合は責任を喜んで被ってくれる人材も別に確保してるけど、連合はそういうわけでもないだろ? だから、ミスターが責任を感じる必要はないよ。そういう予備人員を用意してない弔くん側の責任なので……」
「変なところで厳しいな」
「経営論では対等な関係と自負しておりますので」
連合に資金を流すためとはいえ、こっちだって複数の会社を回している。上手くいった案件もあれば、当然こけたものもある。前世からの持ち越しで多少は得意な方だけど、それでも俺は神ではなく人間だ。失敗もするし、現場の動きで労災が出たことだってある。
ただ、そのへんは全部どうにかしてきた。無理やりどうにかした。最高責任者なので。どうにかする以外の選択肢がないだけとも言う。
「腕一本分の血がなくなって疲れてるでしょ。寝てていいよ」
「ねむい」
「そうね、この痛み止め、眠くなるやつだから」
そう言ったら、ミスターは素直に目を閉じた。抵抗する気力もないくらいには消耗しているらしい。
腕を消し飛ばされたのだから当然だ。血止めして終わり、で片づく怪我じゃない。今後の義手接続まで考えて、断面を整えるために骨ごと少し削られたらしいし、治療系個性のおかげで表面に皮膚が作られて出血は止まっていても、中身まで全部なかったことになるわけではない。痛みは残るし、たぶん幻肢痛もある。本当に可哀想に、うちの大事な戦闘員に酷いことをする。万死でもまだ足りない。
ミスターを撫でながら、情報をまとめていく。半分独り言みたいなものだ。頭の中でばらばらになっているものを、順番に並べ直すためだけの作業だった。
「あの男の個性は、弔くんのものと少し似てる。でも、あっちは壊したあとに戻すところまでできるらしい。個性名をそのままヴィランネームにしてるんだろうね。“オーバーホール”。分解して、清掃して、再構築する。そういう意味だ」
そこまで口にして、少しだけ息を吐く。
「だったらなおさら、あいつは治せたんだよ。マグネを。殺そうとして殺した」
その事実が、まずひとつある。
もし本当に円滑な関係を築きたかったのなら、やり方はいくらでもあった。殺してから治してみせるだけでも十分すぎる威嚇になる。力の異常性も、優位性も、それで示せる。なのにあいつはそうしなかった。わざわざ、うちのボスの前で。うちのボスと似た系統の個性を使って。構成員をひとり殺してみせた。
交渉じゃない。たぶん、あれはデモンストレーションだ。
ミスターがやられたあれもそうだ。あれが新商品。目の前で仲間を害されたら、こっちは感情で動く。怒る。反撃する。そこまで含めて、最初から試された。
つまり、死穢八斎會は。オーバーホールという男は。
「ヴィラン連合を……────俺たちを舐めてる」
もちろん、仲間を殺されたことは許せない。
そこは大前提だ。マグネとは連合に入る前からの付き合いがある。ただ同じ組織に所属している構成員のひとり、なんて軽い括り方をしていい相手じゃない。
あの人がどれだけ可愛く笑うかも、どんなタイミングで煙草を咥えるかも、仲間に対してみせる面倒見の良さも知っている。こっちの軽口に付き合ってくれる時の、あの気安さも知っている。
そういう、ちゃんと顔のあるひとりだった。数字にして処理していい損失じゃない。だから個人的な感情で言うなら、マグネを殺されたことに対する怒りはかなり大きい。普通に許せないし、ふざけるなとしか思わない。思い出すたびに腹が立つし、できることなら今すぐオーバーホールには死んでいただきたい。
ミスターの片腕を持っていかれたことだって同じだ。この人の手がどれだけ大事かなんて、改めて説明するまでもない。
飄々として見えるが、指先ひとつまで仕事道具みたいに使う男だ。その男の腕がなくなった。血が出た。熱が出た。痛みがある。
あとから治療がどうとか、義手の見込みがどうとか、そういう話で帳消しにしていい損害じゃない。一ミリも許せるものではない。そこまでは、当然の怒りだ。誰が見てもそうだし、俺が怒る理由としては充分すぎるほど充分だった。
なのに、それでもなお、腹の底にいちばん長く居座って、じわじわと不快な熱を持ち続けているのは、別のところだ。
うちのボスが舐められたことだ。そこがどうしても気に食わない。そこが、やたらとムカつく。
死柄木弔という人間が扱いづらいのは事実だ。
未完成で、荒っぽくて、短気で、一般的な意味では“できた上司”ではない。こっちが勝手にフォローしている部分だって多い。
でも、それとこれとはまったく別の話だ。あの人は俺たちのボスだ。寄せ集めで、好き勝手で、協調性なんて各自の気分次第みたいなヴィランどもが、それでも結果として同じ方向に進んで、ちゃんとひとつの組織として動いている。動き出している。その中心にいるのは、間違いなく死柄木弔だ。
ボスとして完璧だからじゃない。もっと名前のつかない理由で、みんなあの人を中心として認識している。だからあの人はボスなんだ。
その死柄木弔を、向こうは舐めた。
連合はここまで派手に動いている。
うちのボスの個性だって、向こうに把握されていないはずがない。
少なくとも、触れたものを崩壊させる、壊すことに特化した危険な個性であることくらいは掴んだ上で出てきているはずだ。
そのうえで、まるで上位互換だとでも言いたげな顔をして、似た系統の個性をぶつけてきた。
壊せます、だけじゃない。こっちは壊したあと治せます、再構築までできます、そっちより便利です、洗練されてます、とでも言うみたいに。
“オーバーホール”なんて、個性名をそのままヴィランネームにしている時点で、思想が透けて見える。
だったらなおさらだ。治せるのに治さず壊した。
助けられるのに助けず殺した。
威嚇として済ませる道もあったのに、わざわざそうしなかった。
うちのボスの前で、うちのボスと似た性質の個性を使って、うちの構成員を殺した。
それは偶然でも事故でもなく、演出だ。お前の力に似た札ならこっちにもある、と見せつけるためのやり方だった。
それが、たまらなく気に食わない。
仲間を傷つけたことへの怒りと、ボスを舐めたことへの怒りは、別物だ。
前者は単純だ。奪われたものがある、傷つけられた人がいる、だから許せない。分かりやすい。正しい怒りだと思う。
でも後者はもっとねちっこくて、腹の奥に嫌な感じで残る。
値踏みされた、試された、反応を見られた、そのうえで“この程度”だと思われた気配があるからだ。
目の前で仲間を害されたら、こっちは反撃に出る。怒る。揺れる。そこまで含めて最初から計算に入れられていた感じがする。
つまり向こうは、ヴィラン連合を、自分たちが好きなように刺激して、反応を観察できる程度の相手だと思っていたんだろう。そういう見下しが透けている。
うちのボスは、そんなふうに雑に測っていい人間じゃない。
こっちは知っている。あの人が未熟でも、粗暴でも、苛立ちやすくても、それでも“壊す”という一点においてどれだけ純度が高いか。
どれだけ危うくて、どれだけ止めづらくて、どれだけ他人の想定から平気で外れる男か。
上手くいかないことも多いし、見ていて頭が痛くなることもあるけれど、だからといって他人に軽く比較されていい存在じゃない。
ましてや“似た個性”なんて安っぽい括り方で並べて、上位だ下位だみたいな顔をされていい相手では絶対にない。
そんなのは、分かってないやつのやることだ。死柄木弔という人間も、ヴィラン連合という組織も、何を相手にしているのか理解していないやつの振る舞いだ。
だからムカつく。ものすごくムカつく。
死柄木弔が舐められた。
それが、どうしようもなく許せない。俺のボスが、馬鹿にされた。ロートルのやくざ者風情が、どこから視点でものを見てるんだ。頭が高いんだよ、クソが。
どうしても同じ考えがぐるぐると回る中、消毒液の匂いが通り過ぎる。ふと、頭の横に触れるものがあった。
さり、さりと、髪を掻き分けるような、弱い手つきで撫でられていた。
「考えはまとまった?」
ミスターの声は、半分夢の中に足を突っ込んでいるみたいにぼやけていた。薬が効いているのだろう。さっきまでより、明らかにまぶたが重そうだ。点滴が繋がった腕が、俺の頬の横を掠める。
「可哀想にな、まともに生きてたらエラい人になれそうなのに」
「自分で選んだんだからいいんだよ」
「自分で選んだの」
反芻するみたいにそう言って、それからふわふわした調子のまま、少し間を置いてから続けた。
「じゃあ、オニイチャンと本当に両想いだったのか」
「うん」
半分寝ている人間のくせに、妙なところだけきっちり聞いてくる。
「向こうは依存だけど、俺は好きだよ」
そう付け足すと、ミスターは少し時間を置いてから、もう一度だけ、やわらかく呟いた。
「可哀想にな」
その意味を訊く前に、寝息が落ちる。完全に寝たらしい。
可哀想に、の意味はちょっと気になった。俺のことを言ったのか、オニイチャンのことを言ったのか、それとも両方まとめてだったのか。でも、寝ぼけた人間の言葉に明確な線引きを求めても仕方ない気がする。たぶん本人も、起きたら覚えていないだろう。
それより、怪我をして、熱まで出して、そんな無防備な状態で、それでも俺の前なら眠っていいと思ってくれていることの方が大事だった。そういう信頼は、もらえるなら素直にうれしい。だから、今は気にしないことにする。
ここに来た理由は、もちろんミスターの状態が気になったからだ。それは本当だ。腕を一本持っていかれた仲間を放っておくほど薄情ではない。ただ、それだけでもない。
少し、頭を整理したかった。
自宅に戻っても、連合の拠点にいても、たぶん思考はうまく回らなかった気がする。いや、回るには回るのだろうけど、どちらにせよ変な方向へ偏る予感があった。
自宅にいたら、たぶん燈矢くんを頼る方へ転ぶ。
我が兄の火力は信用できるし、俺が「むかつく」と言えば、話を早く終わらせる手段を一切ためらわない。そういう雑で強引な解決方法を、今の俺はたぶん少し魅力的だと思ってしまう。
考えるより先に、燃やしてしまえばいい、壊してしまえばいい。俺が全部やってあげる。そう囁く燈矢くんの方へ、少し引っ張られそうだった。
連合の拠点にいても、別の意味でよくない。
あそこにいると、弔くんが舐められたという事実が、ずっと近いところで煮え続ける。真面目に後処理をしているボスの背中をみていると、オーバーホールへの苛立ちが理性を追い越しかねない。
だから、少し距離が必要だった。
心配する理由があって、なおかつ怒りに飲まれきらない場所。
その結果がここだった。ミスターの様子を見ながら、ひとつずつ考えたかったのだ。今すぐ燃やすでも、今すぐ殴るでもなく、ちゃんと順番に腹を立てるために。
ミスターのおかげで、比較的安全に怒りの整理はできたと思う。
少なくともこれで、感情任せに突っ込むみたいな、頭の悪い動きは抑えられる。
ヒーロー社会全般への嫌がらせと違い、個人へ向けた嫌がらせというのは、ちゃんと頭良くやらないといけない。
勢いだけで殴るのは簡単だけど、それじゃつまらないし、なにより効率が悪い。どうせやるなら、相手がいちばん嫌がるかたちで、きちんと嫌がらせたい。
どう動こう。どれがいちばん“イヤ”だろうか。何を触れば、きれいに顔が歪むだろう。何を失わせれば、自分が舐めた相手の名前をちゃんと思い出すだろう。そういうことを考えていたら、だんだん楽しくなってきた。
スマホには、死穢八斎會の情報が続々と集まってくる。
他愛ない噂話から、元構成員の証言、過去の犯罪、隠し口座の在処まで。掘れば出る。人間、後ろ暗いことをしていればしているほどどこかに綻びを残すものだし、長く続いている組織ほど、腐った部分も積み上がっている。そういう意味では、歴史のある連中は親切だ。崩し甲斐がある。
「舐められてるよなあ」
ぽつりと呟いて、画面をスクロールする。
大切なものを、大切だと分かりやすいかたちで放置しておくのはよくない。
守り切れるとでも思ってるんだろうか。傲慢では? 自分だけは奪われる側に回らないと信じてる人間の顔って、だいたい似ている。油断していて、鈍くて、失う瞬間まで自分が失う側だと分かっていない。だから気軽に人の恨みを買えるんだろう。
充分買い取りましたので、お礼に参りましょうね。
表示された写真の中に、元組長という老人の顔がある。
しばらく眺めてから、小さくため息をついた。厄介な人間って、妙にファザコン気質を持ちがちなのかもしれない。絶対の父、逆らえない象徴、失いたくない支柱。それ“だけ”を心の真ん中に置いてる人間は、大抵めんどくさい。
そこまで考えて、我が兄の顔が頭に浮かんだ。
……うん。まあ、人のことは言えないかもしれない。
でも、だからこそ分かることもある。
守りたいものがはっきりしている人間は、その輪郭のぶんだけ壊しやすい。どこを触られたら嫌か、よく知っているから、相手の嫌がる場所も想像がつく。
そうして悪巧みを煮詰めているうちに、夜は静かに更けていった。
翌日、目を覚ましたミスターは、まだ熱の名残でもあるのか少し気だるげな顔のまま、俺を見るなり開口一番、
「うっわ、めんどくさい事を」
と、ひどく嫌そうな声で嘆いた。
挨拶がわりにそれを言われたので、俺は無言でスマホの通知画面を見せてやる。
実兄からの着信履歴、四十八件。ちなみに、どこにいるかも、なぜここにいるかも事前に報告済みである。そのうえでこの件数だ。愛が重いとかいう可愛い言葉では片付かない。途中から電話に出るのやめてメール返信しかしてなかったので大変ですよ。メッセージみる? “でんわ でて”の連続が大量です。怖いね。
「要らない恨み買わされてる……」
「愛されすぎてごめんね」
ちなみに迎えに来ていないだけ、今回はだいぶ穏当な方だ。
報告なしで泊まり込みなんかしていたら、目覚めたミスターの目の前には、俺の横に読経呪詛長文文句無限生成オニイチャンが怪奇現象の如く存在していただろう。
自宅に帰った俺がその呪詛を浴びるだけで済むので、セーフとしてもらいたいものだ。
