非戦闘員に厳しい世界

 音からして、どでかい何かが移動してきたのだと思っていた。

 重たい質量が地を揺らしながら近づいてくる、そういう気配だったが、実際には地面から生えてきた。……地面から生えていた!? 何言ってんだと思うが、だって実際そうなんだもんよ……。

 どでかい男がボゴォ!! と大地を割りながら、その場にぬっと現れた。ええ……さどういう原理なんですか、それ。呼吸とか、どうやってたんです……?

「おまえがオール・フォー・ワンを継ぐものか」

 頭上から落ちてきた声まで重い。耳に届くというより、圧で叩きつけられたようだった。

 俺はその瞬間にはもうダッシュで距離を取っていた。たぶんこれ、黒霧の置き土産だろう。文脈でわかる。戦闘イベントですね。了解です。

 非戦闘員の俺はここで鮮やかに退避しますので、どうぞ俺というお荷物のことは気にせず、戦闘員の皆さんだけで頑張ってください!!
 自己責任で防衛してますので、どうぞ各自頑張ってください!!

 と言っても、まともな遮蔽物になるようなものは無い。
 見渡す限り、あるのは砕石とボロ小屋だけ。かといって、あまり遠くまで離れれば離れたで、今度は援護も何も受けられない位置に放り出されるだけで、逆に危ない。なにもかもが最悪な戦場だ。

 なので俺はある程度離れてから足を止め、即座に防衛用装備を起動した。

 先日、ヒーローサポート事業の一環で開発したものだ。
 完成した時に我に返って「これヒーローに使われたら普通に面倒だな……」と思い、「コスト高すぎて量産無理だね……」と言ってお蔵入りしたやつである。天才すぎてコストがおいつけなかったから仕方ないね。

 性能は単純明快で、周囲の重力に干渉し、一定以上の衝撃を一度だけ完全に相殺する。一回きりとはいえ、防御性能だけ見ればなかなかのものだ。

 ちなみに原価はひとつ三百万。販売価格はその三倍でも足りない。その他にもデメリットがあって、事前に展開していなければ意味がないうえ、停止状態でなければ起動できない。

 要するに、咄嗟の回避や高速戦闘を前提とするヒーロー向けでは全然ない。
 使い勝手が悪いにもほどがある。演説時に狙われる危険がある要人向けでなら、需要がありそうだ。

 だが、まあ、それでもいい。
 これを作れる技術者をこっちで抱え込めている時点で、充分に価値はある。良い給料と、居心地の良い労働環境で囲い込んで、技術の発展を何とか遅らせてるんだ、こっちは。
 くそ。デトネラット社め。許せねえよ、同業他社……っ! このままだとヒーローが強化されちゃうだろうが……!

 俺の退避がどうにか間に合った、その直後にはもう、大男の攻撃が始まっていた。

 上から叩きつける。ただそれだけの、あまりにも単純な動作。
 その大振りな一撃だけで地面は紙みたいに抉れ、巻き上がった衝撃に弾かれてミスターの身体が吹っ飛ぶ。ミスター……! いつも吹っ飛ばされてて可哀想だよ……!

 いや違うんだ、違うんですよ。ミスターは普通に強い男だ。ちゃんと強い。強いんだけど、あの人はまず真っ先に動く判断が早い人間だから、そのぶん誰より先に相手の攻撃圏に入ることが多いだけであって、決して弱いから飛ばされているわけではない。
 俺は知ってるからな! ミスターが強いって、ちゃんと分かってるから……! というか最近ちょっとしょんぼりしてたから、普通に心配なんだよな……。

 大男が天を仰ぎ、轟音が響く。
 なんらかの爆発音かと思ったが、泣き声だった。離れた場所にいても聞こえる、耳を塞ぎたくなるような号泣。弱すぎる、と喚く絶望の声が地響きみたいに響く。

 次の瞬間、全裸大男の号泣パンチが再び大地を抉った。上から叩きつけただけ、それだけのはずなのに、どういう理屈か被害が一点で済まない。

 なんでこれで範囲攻撃なんだよ! 地面だけじゃなく空間ごとまとめて削るな! 余波を受けただけで、装着していた装備が連続で三つ砕けたんだが!?

 すみません、本当に困る。これ、あと在庫ひとつしかないので、本当に危険です。次をやられたら俺、ただの生身なんですけど。

 俺の冒険が終わるにしたって、せめてもう少しこう、区切りのいいところで終わらせてくれ。
 こんな「うわー! 回避不可即死イベントで死んだ!」みたいな雑な幕引きは嫌すぎる。

 荼毘くんの蒼炎ですら、何ひとつ燃やせないまま大男の顔面をすり抜けていく。終わった。詰んだ。そう思った、まさにその瞬間だった。

 大男はぴたりと動きを止めた。次いで、何かを両手でそっと抱え込むような仕草のまま四つん這いになり、その場へ頬を寄せて、甘えた猫みたいにすり、と顔を擦りつける。ちょっとかわいいな。

 何を持っているんだろう、箱か? ここからだと少し距離がある。必要な情報かもしれない。危ないけど、少しだけ近づいて確認を───────そう思った瞬間、腹の奥から何かが一気にせり上がってきた。

 吐き気、とは少し違う。むしろ血を吐く直前みたいな、内臓そのものが逆流してくるような感覚だった。

 知らない間に胃にでも穴が空いたか、と場違いなことを考えたその時には、もう足元が崩れるみたいに視界がぶれる。
 平衡感覚が抜け落ちる。立っているのか倒れているのかも分からない。トガちゃんが「くさい」と言った、その声でようやく意識が引き戻された。

 荼毘くんに抱き起こされ、荒くなる呼吸のまま周囲を見回して、ぞっとする。
 さっきまでの砕石場みたいな景色は消えていて、代わりにそこにあったのは、いかにも“悪の改造室”とでも呼ぶしかないような空間だった。

 薄暗い室内に、薬液めいた色の液体が並び、その中に何体もの脳無が沈んでいる。
 完成品というより、まだ制作の途中だとでも言うみたいに、無造作に、気味が悪いほど静かに浮かび、それでも呼吸をしているように液体に気泡が爆ぜている。

 荼毘くんが違和感を辿るように「脳無……? これまでのと少し違う」と呟くと、離れた位置から「ほほう、わかるのか差異が!!」と、やけに嬉しそうな声が返ってきた。

 逆光で姿はよく見えないが、声の調子からして、かなりの老人だろう。顔を見るためにミスターが一歩前に踏み出した、その瞬間、相手の椅子がぴょんと跳ねるようにして後ろへ離れる。なるほど、どうやらまだ素顔までは知られたくないらしい。

 ああ、物語が進んだな、という気持ちでそれを眺めていた。

 氏子達磨と今この場で作った偽名で名乗ったドクターは、少なくとも今この時点では、俺たちの完全な味方ではなさそうだった。まだ見ているのだ。俺たちを。もっと言えば、弔くんを。

 “先生”────オール・フォー・ワンの後継者として相応しい器なのかどうか、じっくり値踏みしている最中なのだろう。

 どう考えても話は長くなりそうだったので、俺はその場にあったコードの束へ適当に腰掛けて、成り行きを眺めることにした。

 俺はもう、弔くんについていくと決めている。だから、ここで何を見せられても、何を言われても、その決意が変わることはない。

 全部イヤだ。全部キライだ。ずっと不愉快だ。だから一度ぜんぶ壊して、リセットして、その先にある新しい何かを見てみたい。

 ずいぶん子供っぽい願いだと思う。邪悪なくせに、妙にまっすぐで、バカみたいにでっかい夢だ。それでも、ずっと付き合ってきた俺は、応援したくなる。そういう偉大な夢だった。

 トガちゃんが「私の好きなものまで消しちゃうの?」と尋ねると、弔くんは鷹揚に「仲間の望みは別腹さ、好きに生きてろ」と返す。
 その声に、棘は無い。甘い言葉で懐柔しようとか、都合よく丸め込もうとか、そういう響きでもない。ただ、思ったことをそのまま口にしただけの声だった。ただの真実だ。真実、弔くんは俺たちを“仲間”だと言った。

 えっ、うれしい。

 弔くんの貴重なデレだ。供給ありがとうございます……。いや、ときめいている場合ではないのだが、こっちにも心の準備というものがある。
 貴重な仲間認定を食らった直後に、急に次の戦闘イベントへ放り込まないでほしい。なんか今、あの大男────ギガントマキア? くんを屈服させろとか言ってなかったか、あの爺さん。

 無茶を申すな。というか、それ、どう考えても戦闘員向けの試験では? あの……非戦闘員のこと、見えてます? 俺はここにいます、主に金銭管理とかスケジュール調整をしている裏方の人員です……。

 荼毘くんは前々から別の動きをすると言っていたので、そこはあっさり断った。断ったのはいい。いいのだが、もしかして荼毘くん、自分の腹づもりを俺以外には話していないんですか?
 なんかみんな初耳ですねえみたいな反応をしている。いま結構大きなことしてない!? ねえ! 報連相して! そういう情報共有の偏り、今は困る。

 俺が貴重なデレに気を取られて少しぼんやりしていた間にも、話だけは凄まじい速度で進んでいった。
 あっ、これ、ギガントマキアくんを屈服させるのって確定イベントなんですね?! みんなそこはもう飲み込んでるんだ……。
 いやでも、あれ本当にどうするんだ。冷静に考えて、近代兵器でも持ってこないと勝てなくないか……?

 俺というお荷物、邪魔すぎる。
 でかくてかさばるうえに戦闘能力まで無いのが、こんなにも足を引っ張るだなんて思わなかった。

 ギガマキくんの攻撃をほんの数分食らっただけで、こっちの防御手段はほぼ壊滅しているんです……。もう自助努力でどうにかなる段階をとっくに過ぎてる。

 でも、これ絶対ランクアップイベントだよなァ……!
 なんで俺、原作をちゃんと読んでこなかったんだろう。絶対なんかあるだろ、こういう時に急に生えてくる必殺技とか、覚醒とか、そういうやつが……! 俺には無いんですか、そういう救済措置。無い……だろうな……だって俺、無から生えてきた異物だし……。

「ああ、“陽火”はワシが預かろう。素材にゃせんから安心せい!」

陽火?」

 氏子ドクターが突然口にした、聞き覚えのないはずの名前に、その場の視線が一度ふわりとさ迷ってから、ぴたりと俺に集まった。

「なんで本名言うんです?」

 あの、なぜ俺がずっと隠してきた本名を、こんなところで開示したんですか? なぜ俺じゃなくて、他人のあなたが……。
 年寄りって他人の個人情報の取扱い雑過ぎない? プライバシーをなんだと思ってるんだ。

 本名を知られているということは、たぶん俺の素性はもうだいたい全部割れている。考えうる限り最も最悪な状態だが、まあ、いつかはこうなると思ってたからいいか……。

 横を見ると、荼毘くんが完全に『では今から殺しますね……』の顔をしていたので、まあまあ落ち着いて、とコートの裾を引っ張って止める。

 やめようね。たぶん攻撃効かないから、話が無駄にこじれるからね。

 俺は座り込んでいたコード束からよいしょと立ち上がって、小さくため息をついた。もうこうなったら仕方がない。

「氏子ドクターについていくので、一旦離脱します! みんな頑張って!」

 荼毘くんにしろ弔くんにしろ、どちらについて行ったところで、今の俺は足手まといにしかならない。

 それならドクターの言葉に従った方が、まだ被害は少ないはずだ。

 俺を庇ったせいで仲間が傷を負ったり、好機を逃したりする事態は避けられる。最悪、死ぬ時も俺ひとりで済む。うん、分かりやすい。よし! 覚悟完了!!

 それでも荼毘くんが心配そうな顔​───あのジジイ殺しちゃダメ? の顔とも言う​───をしているから、一度ぎゅっと抱きしめて、宥めるように軽くキスを落とした。
 遠くからドクターの「ヒュ~~ゥ!」と無駄に囃し立ててくる声が聞こえたが、当然のように無視する。

 「大丈夫だから、また連絡する」と言うと、荼毘くんはどう見ても納得していない顔のまま、それでも渋々といった様子で頷いてくれた。
 可愛いな、と思ったので、もう一度だけキスをする。待っていてくれたのだろう、弔くんがしみじみと「キショいな……」と呟いた。
 そんな、噛み締めるように言わないでほしい。そう思った直後、「そんじゃ、俺の犬はあんたに預ける。俺たちを向こうに戻してくれ。やる気があるうちに済ませてやるよ」と、今度は口元にうっすら笑みを浮かべて言った。

 脳を剥き出しにした犬じみた脳無が、ぬめった黒い液体を吐き出す。

 水っぽい音がそれに重なるように揺れたかと思えば、次の瞬間には、皆の姿が目の前から消える。

 ああ、犬っぽいと思っていたけれど、あれ、もしかすると素体は子供なのかもしれない。

 脳のサイズが犬ではないし、歯の並びも違う。
 そんなことを考えてしまったのは、たぶん、今この場の現実をまともに受け止めたくなかったからだ。気づけば本当に、俺はドクターという怖い存在と二人きりになっていた。

「さて……“陽火”よ」
「…………」

 椅子が、ギシリと嫌な音を立てる。ドクターが立ち上がった。
 一歩、一歩、まるで急ぐ必要などどこにもないとでも言うように、ゆっくりこちらへ歩いてくる。

 見た目は恐ろしくない。拍子抜けするくらい、ただの老人だった。

 人当たりのいい町医者だと言われても、一瞬なら信じてしまいそうなほど普通で、優しげですらある。けれど、その“普通らしさ”がいちばん怖かった。俺は何のためにここに残されたのか。何をされるのか。何を言われるのか。
 息を吸うのも忘れたまま、喉の奥を固くして、次に落ちてくる言葉を待った。

「精液をくれんか?」

デスサキュバス?

 あ、そういえば弔くんの搾精義務ってドクター管轄だったな……。
 恋人いるんでそういうのはちょっと……。無理っすね……。未来へ向けての子供ガチャ、俺自身そのガチャ結果みたいな存在なので……。いやです……。マジで……。