あいしてるでしょいっしょにおちて

 一回目は「やっぱキモイ」、二回目は「いい加減飽きない?」、三回目は「お前のこと忘れてたわ」、四回目は「一緒にいるの見られたくないんだけど」、五回目は「付き合ってやってんのはオレ!」、六回目は「ナイトレイブンカレッジまで付いてくんのやばくね?」

 以上、俺がエース・トラッポラと別れた回数と、別れる決心をした言葉たちだ。

 
 いちいち全部覚えているあたりがキモいし、飽きた方がいいし、忘れるのが正解で、一緒にいるのは恥ずかしいだろうし、俺が惚れて付き合って貰っていたのは事実で、ナイトレイブンカレッジまで一緒に行くのは執念深すぎて怖いよな。わかる。わかっている。

 だぁって、めっちゃくちゃ好きだったんだもんよ~~。

 あの性格の悪さも、人を舐めた態度も、人をからかう時だけ無駄に頭が回るところも、面倒ごとは嫌いなくせに頼られると少しだけ機嫌が良くなるチョロさも、怒られるぎりぎりの線を踏み抜いてから笑って誤魔化す悪癖も、全部好きだったんだもんよ~~。

 俺はずっと、エレメンタリースクールの時からエース・トラッポラが大好きだった。一度も好きだなんて言われなくても、俺が惚れているのをいいことに、叩けば鳴る玩具みたいに雑に扱われても、傍にいた。好きだったからだ。本当に、もう、ずーーーっと好きだった。

 俺ばかりがずっと好きだった。好きで、好きで、好きになってもらいたくて、「付き合って」という懇願に頷いてくれた奇跡に縋っては、そのたびに打ちのめされた。
 それでも諦めきれなくて、同じところで転んで、同じ傷口をぶつけて、血が止まりかけるたびに自分でまた引っ掻くみたいな関係だった。気持ちわりいよなあ。わかる。俺だって俺のこと気持ち悪いもんよ。
 気付いていないわけじゃなかった。ただ、気付いていてもやめられなかった。やめたら本当に終わると思っていたから、終わらせないために、俺は何度でも自分を馬鹿にした。

 でも、まあ、これが区切りだ。

 俺だって一生雑に扱われたいわけじゃない。本当なら、幼い俺の「恋人になって」という告白が受け入れられたこと自体が間違っていた。ちなみにその時の俺は、なんとバラの花まで用意していた。かわいいもんだろ、パパとママのプロポーズを参考にしたんだ。小さな手で茎を握って、棘が刺さらないようにひとつひとつ抜いて、これを渡したら何かが変わるかもしれないと本気で思っていた。
 あの頃の俺は、恋を魔法みたいなものだと思っていたのだ。好きだと伝えれば、相手の胸にも同じ火が灯るかもしれないなんて、そんな都合のいい夢を見ていた。

 本当なら、翌日にはクラス中に話が漏れて、俺は笑いものになっていたはずだった。
 馬鹿じゃねえのと笑われて、気持ち悪いと言われて、悲しんだり怒ったり、泣いたりふて腐れたりして、そのうち違う人を好きになれたと思う。
 たぶん、絶対、そっちの方が幸せだった。傷は派手でも、治りは早かったはずだ。子どもの失恋なんて、本来そういうものだ。恥ずかしくて、みじめで、二度と思い出したくなくて、それでも何年か経てば「あの時はガチだったんだよ」と笑えるようになるものだ。

 六回傷付いて、六回別れようとしたのは俺だ。六回とも、自分でこれ以上は無理だと思って、自分で終わらせようとして、自分で頭を下げて付き合ってもらい直した。
 エースはただ、「別れるってんなら別にいいけど」と受け入れて、「今回謝んの早いね。いーよ」と許してくれただけだ。責められるようなことは何もしていない。俺だけがずっと好きだと言って、好きになってもらいたくて、勝手に期待して、勝手に傷付いて、勝手に戻って、全部だめだっただけだ。

 俺の中のなにかがバッキリと折れてしまって、妙に落ち着いた気持ちになった。悲しいとかも、特にない。そっかあ、やっぱりなあ。ってかんじ。

 そうしたら、だいぶ生きやすくなった。
 エースが新しい友人を作って、楽しそうに笑っていても、『あいつら仲良いなぁ』と客観的に思うだけで、それ以上何も浮かばない。

 胸の奥を小さな獣が引っ掻くような痛みもない。手のひらが冷たくなるような焦りもない。あれは誰だろう、なんであんなに仲良くしているんだろう、俺より楽しそうにしているのはどうしてだろう、なんて考えない。

 ミドルスクールの時は、そういうことばかり気になって仕方なかった。視界の端に知らない誰かと並ぶエースが映るだけで、授業中でも飯の途中でも、頭の中がぐちゃぐちゃになった。そういうところを「ストーカーかよ」と笑われたが、全くもってその通りだ。俺が可笑しかった。俺が勝手に狂っていた。

 今は違う。遠くでエースが笑っている。肩を揺らして、いつもの調子で誰かに軽口を叩いている。明るくて、軽くて、調子がよくて、誰のものにもならないみたいな顔をしている。
 その横顔を見ても、もう胸が苦しくならなかった。ただ、ああ、あいつはああいう顔をして笑うんだったな、と思った。昔からそうだったな、とも思った。俺が好きだった顔だ。俺がずっと欲しかった顔だ。けれど今は、欲しいとは思わなかった。

 そう思いながら眺めていると、ふとエースがこちらを見た。

 目が合った。

 ほんの一瞬だった。けれど、その一瞬で、昔の俺なら何十個も意味を探しただろう。今こっち見たよな。なんで見たんだろう。何か言いたいのかな。俺のこと気にしてるのかな。もしかして、なんて、馬鹿みたいな希望をこね回して、手の中で形がなくなるまで握り潰しただろう。

 目が合ったなと思ったから、目を逸らす。それだけ。

 NRCの治安も、生徒の性格も、だいたい最悪だ。性悪と問題児と爆発物を鍋に入れて煮詰めたような学校で、まともに生きるには多少の図太さがいる。けれど、それでも気の合う友人はできた。放課後は彼らを誘って、どこかに遊びに行ってもいいかもしれない。
 誰かとくだらない話をして、笑って、明日の課題に文句を言って、そうやって一日を終わらせてもいい。

 

「うわ、どうしたんだ!」

 エースと一緒にいたスペードの慌てたような声が聞こえて、うっかりまた振り返ってしまった。見なきゃよかった、と思うより先にまた目が合う。
 監督生とスペード、それから魔獣が、エースの周りを檻の中の飢えた熊みたいにウロウロしている。
 何が起きたのかわからないが、とにかく大変そうだということだけはわかる騒ぎ方だった。その中心で、エース・トラッポラがこちらを見ていた。ぱっちりとした猫みたいな眼が、まっすぐ俺を射抜いている。いつもなら人をからかう光を宿しているその眼から、ぼろぼろと涙がこぼれていた。

「エースが泣くなんて、お前、お前! 目の前でエースが可愛がってたハリネズミを殺したのか!?」
「あの赤い子を!? この悪魔!」

 エースがあまりにも不自然に俺を見ているせいで、なぜか俺が犯人としてスムーズに場へ組み込まれた。
 魔獣がふなふな言いながら、青い炎をちろちろ吐いて威嚇してくる。仲が良いのは結構だ。友達が泣いていたら心配して怒ってくれるなんて、たいへん美しい友情だなあ。問題は、なんで俺がハリネズミ殺しの悪魔みたいな扱いを受けているのかという点だけだった。生きてるだろアイツ、さっきそこ歩いてたぞ。たぶん脱走。

「オレって、そのレベルのことがないと泣かねえ奴だって思われてるわけ? ちげえし、眼にでかめの埃が入っただけだから」

 エースはそう言って、いつもの調子に戻そうとするみたいに肩をすくめた。大袈裟な身振りで、笑って、茶化して、場を軽くする。
 何もなかったことにするための仕草。何かあっても、たいしたことじゃないみたいな顔をする癖が……。なんというか、癪に触った。

「こいつ、俺に無視されて泣いてるだけだぞ」

 言った瞬間、空気が変な形に固まった。スペードが「は?」という顔をして、監督生が目を瞬かせ、魔獣が口から出しかけていた炎を中途半端にしぼませる。
 エースだけが、泣いたまま、傷付いたみたいな顔で俺を見ていた。

 一回も好きだなんて言ってくれなかったくせに。俺をいらないものみたいに雑に扱って、呼べば来る、突けば鳴る、放っておいてもどうせ戻ってくる玩具みたいに扱って、それでも俺がエースを好きでいることに勝手に安心していたんだろう。
 俺が泣いても、怒っても、別れると言っても、どうせ謝りに来ると思っていたんだろう。
 自分のものだと思っていたものが、断りもなく手の中から離れていくから動揺している。俺が初めて、エース・トラッポラの予定通りに動かなかったから、こんな顔をしている。

 ああ、はじめてエースの心を動かせたんだなと思った。

 そう思うと、大笑いしたい気持ちだった。ずっと欲しかったものが、いちばんいらなくなった瞬間に、向こうから転がってきたみたいだった。

「わかってんなら無視してんなよ! 謝れ!! 謝りに来いよ!!」
「ははは、やーーだよ。今後とも冷たくするよ。友達でも恋人でもないから」
「おま、お前が、お前が謝れば全部……!」
「やぁだよ」

 誰が謝るか。もう七回目は無いんだ。六回も同じところに戻ってやったんだから、俺は十分すぎるほど誠実だった。
 好きだった頃の俺なら、たぶんこの時点で負けていた。泣いているエースを見て、怒鳴られて、謝れと言われて、それでも必要とされているみたいで嬉しくなって、馬鹿みたいに胸を弾ませて、また頭を下げに行ったと思う。ごめんね、俺が悪かったね、別れるなんて言ってごめんね、まだ好きでいさせてねって、壊れた玩具みたいに同じ言葉を繰り返したと思う。

 でも、もう無理だった。俺の中で折れたものは、折れたまま消えてくれずにそこにある。もう痛くはない。ただ、戻らないだけだ。このごろごろとした異物感も、きっとそのうち溶けてなくなる。

「喧嘩したの? たぶんエースが悪いから、ちゃんと謝りな」

 監督生の声だけが、遠慮がちなくせに罪の所在をはっきり断定していて、うっすら耳に届いた。少し笑いそうになる。
 たぶん、ではなく、俺も悪かった。エースばかりが悪かったわけじゃない。
 ずっと許してきたのは俺だ。雑に扱われても笑って、傷付いても戻って、謝れば元通りになる関係を、俺自身が何度も何度も補強してしまった。だからこういう歪な形になった。俺が好きだったせいで、俺たちはここまで来てしまった。

 でも、それも今日で終わりだ。

 俺はもう一度エースを見た。涙で濡れた赤い瞳が、まだ俺を見ている。昔なら世界で一番欲しかった視線だった。今は、少し眩しくて、少しうるさくて、もう要らないものだった。

 

『謝れ』

 マジカメのDMにそんな一文が届いたのは、日付変更線を越えてからだった。

 ベッドの上で半分眠りかけていた俺は、暗い部屋の中でやけに白く光る画面を見下ろした。宛名はエース・トラッポラ。ああ、そういえば電話もメールも、ついでに普段使っているメッセージアプリも、勢いで全部拒否設定にしたんだった。だから、これにしか送れなかったのか。

『謝りに来いよ、なんで電話もメールも拒否してんの』

『謝らないよ』

 送信してから、画面の向こうで相手がどういう顔をしているのかを想像した。眉を寄せているのか、唇を尖らせているのか、それとも鼻で笑っているのか。少し前の俺なら、その全部を知りたくてたまらなかっただろう。

『なんで』

 いつもは俺ばかりメッセージを送っていた。おはようも、おやすみも、今日どうするも、いま何してるのも、だいたい俺からだった。
 エースは気が向いた時だけ返してきて、スタンプひとつで会話が終わることも珍しくなかった。俺はそのスタンプ一個を、今日は機嫌がいいのかな、忙しいのかな、俺のこと面倒になったのかな、と馬鹿みたいに解体して並べ直していた。たかが電子の絵に、恋占いみたいなことをしていたのだ。今考えると涙ぐましい。

 入力中、という文字が出たり消えたりする。

 数分。

 ピコン、と電子音が鳴った。

『だってお前、オレの事ずっと好きだったじゃん。なんでいつもみたいに来ねえの』

『別れるって言っただろ』

『やだ』

 短い返事だった。わがままな子どもみたいな二文字。けれど、その二文字に昔の俺なら負けていたと思う。やだ、ってことは嫌なんだ。俺と別れるのが嫌なんだ。つまり少しは好きなのかもしれない。好きじゃなくても、いなくなるのは嫌なんだ。なら、まだ頑張れるんじゃないか。そんなふうに、わざわざ自分から遠くに放り投げられた首輪を拾いに行ったと思う。我ながら健気だなあ。客観視できるようになった途端、哀れにしか思えなかった。

『これから俺はお前じゃない人の為に尽くすし、お前じゃない人とキスをして、お前じゃない人に触れて、エースじゃない人を好きになるよ』

『やだ』

 もう話にならないな、と思った。やだ、だけでは会話にならない。別れるという事実を、幼い掌で押し返そうとしているだけだ。俺は画面を伏せて、とりあえず今日は寝ることにした。夜中に大事な話をしてもろくなことにならない。だいたい、日付が変わってから人に謝れと送りつけてくる時点で、ろくな話ではない。

 ピコン。

 ピコン。

 電子音が、暗い部屋に小さく落ちる。

 無視する。

 ピコン、ピコン。

 まだ鳴る。

 ピコンピコンピコン。

 枕に顔を押しつける。

 ピコンピコンピコン。

 うるさい。

 ピコンピコンピコン。

 ピコンピコンピコン。

 ピコンピコンピコン。

「は?」

 音の連続に、さすがに慌てて画面を掴んだ。通知欄がエースの名前で埋まっている。最初は短いメッセージかと思った。けれど違った。動画だ。動画が大量に貼られている。いくつも、いくつも、同じ送り主から投げつけられている。容量が重いせいで、サムネイルはまだ灰色のままだ。何の映像かはわからない。ただ、画面の中に並ぶ再生マークだけが、やけに不穏に見えた。

 心臓が、一拍遅れて嫌な鳴り方をした。

 俺は慌てて、未読だった部分まで指を戻した。

『なんで』

『ごめんなさい 調子に乗ってました』

『オレ、ニールのことちゃんと好きだよ』

『恥ずかしくて酷いこと沢山言ってごめん』

『仲直りしたい』

『オレと付き合って』

『嫌いになんないで』

『なんで』

『ごめんってば』

『見ろよ』

『謝ってんだろ』

『おい』

『無視してんじゃねえよ』

『は? お前の方がちょーしのってんだろ』

『おい』

ニール

『はあ????』

『謝ってんじゃん!!!』

『あーもういいよ』

『じゃあ全部おしまいにしてやるよ』

 ピコンピコンピコン。

 ピコンピコンピコン。

 ピコンピコンピコン。

 電子音が静寂を切り裂くように響く中、プログレスバーがようやく100%に達し、ダウンロードされた動画の自動再生が始まった。
 画面いっぱいに映し出されたエースが、心許ない手つきでスマートフォンのアングルを調整している。

『なにしてんの』

 画面の向こうから聞こえるのは、どこか気の抜けた自分の声
だ。

『んー、落としたら嫌だから置いてる。……充電器貸して』
『はいよ』

 動画の中の俺が、無造作にベッドの端へ腰掛ける。それを見届けたエースはスマートフォンから手を離し、少し所在なさげに、けれど吸い寄せられるようにしてその隣へと滑り込んできた。

『なあ……オレのベルト、外して』

 鼓膜を震わせたのは、明らかに緊張で上擦ったエースの声。その刹那、脳裏に強烈なフラッシュバックが走る。

 ああ、覚えがある。凄く、覚えがある。
 はじめて、セックスした日だ!!! 野郎!!! ハメ撮り撮ってやがった!!!!

『ダーリン、一緒に人生めちゃくちゃになろうね♡』

本当に最悪だ。逆ギレが過ぎる。性格がやばい。こいつ……でも……俺の事、こんなに必死になって………♡

 もう諦めたと思っていた。忘れたいと思っていた。胸の奥で冷えきって、灰になったはずの気持ちに、ぽっと小さな炎が灯る。こんなもの、どうしたらいいのだろう。消すべきなのか。守るべきなのか。それとも、もう一度だけ手を伸ばして、火傷してみるべきなのか。

 ブロックしていたエースの電話番号を解除して、最初のコールを鳴らす。一瞬で繋がった耳に飛び込んできた声は、マジカメで連投されていた強気な文面からは考えられないほど、嗚咽でぐしゃぐしゃに濁っていた。怒って、泣いて、縋って、全部めちゃくちゃになった声で、やっぱりどうしようもないほど愛おしかった。