ニールがまた拗ねただけだと思っていた。だってニールは、オレのことが好きなくせに、すぐ「別れよう」とか嘘をつく。そうやってオレを試す。なっまいき。あいつが本気でオレのこと捨てられるわけねえのに。
どうせまた、オレのことばっか考えて、考えて、考えすぎて勝手に苦しくなって、堪らなくなって、すぐ謝ってくる。だってもう六回も、バカみたいに同じことを繰り返してきたんだぜ。だったら七回目だってあるに決まってんじゃん。オレ、間違ってなくね?
ニールとのトーク画面には、何回スタンプを押しても既読が付かなかった。
ふざけてんのかと思って、いつものやつと、怒ってるやつと、泣いてるやつと、ちょっと可愛い感じのやつまで送ったのに、ひとつも開かれない。
入学式にも一緒にいてくれなかった。別にいいけど。寮が変わったのに、何も言いに来ない。別に、いいけど。……よくねえけど。
ハーツラビュルだと思ってたのに、なんでポムフィオーレなんだよ。
ああ、でも、ニールってそういうところある。変にキザで、格好つけで、綺麗なものが似合う顔してるから。だからかなあ。
だからって、オレに何も言わない理由にはならないだろ。どうせ似合ってんだろうな、ポムフィオーレの制服。腹立つ。オレに一番最初に見せに来いよ、そういうのは。オレの制服見に来いよ。見たいくせになんで我慢してんの。わけわかんねえ。
机の一番でかい引き出しを占拠している、でっかいガラスケース。重いし、場所を取るし、オレの趣味じゃないし、最悪。ちょっと放っておくとすぐガラスが曇るから、磨かなきゃいけないのも面倒くさい。こいつがあるせいで持って来られなかった荷物だってある。ほんと邪魔。ほんと、邪魔なのに。
だいすき、いっしょにいて。おれのこいびとになって。
ませてんの。手ぇ早すぎっしょ。あの時のニールは、差し出してきた薔薇と同じくらいほっぺたを真っ赤にしていて、正直ウケた。ちっちゃい手で茎を握りしめて、噛まないように必死になって、でも途中でちょっと噛んで、それでも最後まで言い切った。あんまり必死だから、まあいいかなって思った。
オレのこと、そんなにだいすきなら。オレの恋人になりたいって言うなら。いいかなあって。頷いて薔薇を受け取ったら、ニールはその場で飛び上がって喜んだ。ほんとちょろい。あんなに簡単に幸せそうな顔するなら、そりゃ、ちょっとくらい頷いてやってもいいかって思うじゃん。
赤かった薔薇は、ドライフラワーにしたら真っ黒になった。オレはまだガキだったから、兄貴に泣きついて「赤くして」って騒いだっけ。
黒じゃやだ、これじゃニールがくれた薔薇じゃない、赤かったのに、って。
兄貴はかなり嫌そうな顔をして、「ここでも薔薇を赤く塗れと言われるなんて」って言っていた。あの時は何言ってんだこいつと思ったけど、今ならオレにも意味が分かる。そりゃ、家に帰ってまでやりたくないよな。
結局、塗り直したらもう別物になるって言われて、諦めた。泣くほど嫌だった黒い薔薇を、そのままガラスケースに入れた。黒くなって、赤くなくなって、もらった時とは全然違う見た目になったのに、こんな所まで持ってきてしまった。
「…………」
電話をかける。呼び出し音は鳴らなかった。すぐに機械の声へ切り替わって、『この番号は出ることができません』というメッセージが流れる。
普通は、『現在電話に出ることができません』だ。今は出られない。あとでなら出られるかもしれない。そういう言い方をする。だけど、『この番号は出ることができません』は違う。出ないんじゃない。出られないんじゃない。出る気がないんでもない。オレからの電話だけ、最初から届かないようにされている時の文言だ。着信拒否。ニールが。オレを。
「オレが、悪かったから……」
声に出したら、思っていたよりずっと情けない音になった。進学したら違う道に行って、遠距離って長続きしないっていうじゃん。だから、同じところに行けるんだって分かって、嬉しくて、ちょっと調子に乗った。そりゃ余計なことを言ったと思ってる。ほんとに悪かったって思ってるよ。ニールがずっとオレのこと好きで、どうせ離れられなくて、また追いかけてくるんだって思ってた。そう思わせたの、ニールじゃん。今まで何回も別れようって言って、でも結局いつも戻ってきたの、ニールじゃん。なのに、なんで今回だけ本気みたいな顔するんだよ。なんで「そうだな、区切りだし。別れよう」なんて言うんだよ。オレが調子に乗るの、分かってんじゃん。分かってて好きだったんじゃないの。なんで許さないんだよ。いつも別れようって言うのはニールの方じゃん。オレ、一回も別れたいとか言ったこと、ないのに。
ガラスケースに水が落ちた。
ぽたり、と、黒い薔薇を閉じ込めた透明な蓋の上で丸くなったそれを、袖で雑に拭う。指で触ったらもっと汚れそうだったから。
そこに映ったオレは、なっさけない顔をしていた。目元は赤いし、口は変に曲がってるし、髪だってぐしゃぐしゃで、ほんと最悪。さいあく。さいあく。寮生活だし、デュースたちが帰ってきたらめんどくせえし、眠れないけど寝る。寝たふりでも何でも、布団をかぶっていれば話しかけられずに済む。
既読のつかないメッセージアプリを開いて、ニールに『おやすみ』と送った。昨日も送った。たぶん明日も送る。既読つけろ。『寝る前に少し話せる?』って、また聞けよ。今度はちゃんと、いいよって言うから。めんどくせえって言わないし、あとでって流さないし、眠いから明日なって笑ったりもしないから。だから、聞けよ。お前がいつもみたいに聞いてくれたら、オレだっていつもと違う返事をしてやるのに。
朝起きて、オレの文字しか並んでいない画面を見るたびにテンションが下がる。
胃のあたりに石を詰められたみたいで、朝飯もいつもの半分くらいしか入らない。察する能力マイナスのデュースが「最近寝てないのか? 顔色が悪いぞ」と言うから、結構ヤバいかもしれない。デュースに分かるって、それもう不調じゃなくて異常じゃん。
「お前より寝てるって。寝すぎで頭いてえだけ」
「ふふん、オレ様にはわかるぞ! コイワズライだ!」
「こらグリム、エースにそんな繊細な心理が働くわけないだろ。こいつは煩わせる方だ」
「監督生もグリムもオレに厳しくねえ?」
こいつら、たまに唐突に本質を突いてくるから油断できない。嫌な汗が背中ににじんで、誤魔化すみたいに顔を上げた。その先に、ニールがいた。オレを見ていた。ほんの一瞬だったけど、たしかに目が合った。
ほら。やっぱり。
やっぱりオレのこと気になってんじゃん。意地になってるだけじゃん。好きなくせに。別れたとか言って、着信拒否までして、でも見ちゃうんじゃん。そういうところ、ほんと分かりやすい。たまにはオレから声をかけてやってもいいかなって思った。仕方ねえから、こっちから折れてやるかって。そう思った瞬間、ニールは目を逸らした。まるで、うっかり汚いものを見てしまったみたいに、すっと。オレのことなんか、最初から見ていなかったことにするみたいに。
「うわ、どうしたんだ!」
突然デュースに肩を掴まれて気づいた。やっべえめちゃくちゃ涙出てる。ごまかせねえかな? てか、今のでオレの肩砕けてねえ? 平気?
デュース達がニールに絡んでるのがぼやけた視界の奥に見える。ああもう、違うんだって! ニールは関係ないって、平気だから。ああもう!
「こいつ俺に無視されて泣いてるだけだぞ」
ただ事実を述べているだけみたいな、道を聞いた相手に知ってる道を教えてあげるみたいな、そういう声。誰の声かなって思ってたら、ニールの声だった。
「わかってんなら無視してんなよ! 謝れ!! 謝りに来いよ!!」
「ははは、やーーだよ。今後とも冷たくするよ、友達でも恋人でもないから」
「おま、お前が、お前が謝れば全部…!」
「やぁだよ」
なんで。謝ったらオレ、ちゃんと許してたじゃん。いいよって、お前のワガママちゃんと聞いてやってたじゃん。なんで謝ってくんねえの。なんで、振り返ってくんねえの。
オレがもうめちゃくちゃになっていたから、デュースたちが引っ張って部屋まで連れてきてくれた。途中で何を言われたのか、何を言い返したのか、ほとんど覚えていない。足は動いていた気もするし、半分くらい引きずられていた気もする。部屋に入った途端、ベッドに放り投げられて、頭から布団を被せられた。
「わあああん!!」
誰かの声がうるせえなと思っていた。耳元で泣くなよ、頭に響くだろ。そう思ったのに、これ、もしかしてオレの声か。オレが泣いてんのか。デュースも、監督生も、グリムも、他の同室の二人も、オレのベッドの周りをうろうろ歩いている気配がする。誰かが何か言っている。たぶん慰めている。たぶん心配している。たぶん呆れてもいる。でも、オレの声の方がでかいから、何も聞こえない。聞きたくないのかもしれない。だって、聞こえたら、たぶん全部ほんとうになる。
オレが恋人として最悪な態度ばかりしていたのは認める。ニールが許してくれるから、嬉しくて、調子に乗って、ずっとガキみたいに試していた。どこまでならオレのこと許してくれるのか。どこまで酷いことを言っても、オレのことを好きでいてくれるのか。興味ないふりをしても、突き放しても、傷つけるような言い方をしても、それでもニールが困った顔でオレの隣に戻ってくるのが、最低だけど、嬉しかった。オレのことをそんなに好きなんだって分かるのが、気持ちよかった。だから、もっとやった。もっとひどくした。ニールがどこまでオレを選ぶのか、見たかった。
でも、だって、ニールだってひでえじゃん。別れようってすぐ言うじゃん。そんなこと言わないでって、言ってくれればオレも言わないのに、すぐ諦めるじゃん。
別れたくないって、ちゃんと言えばよかったのは分かってる。分かってるけど、ニールが先に言ってくれたらよかった。オレのこと捨てないでって、好きだからやめてって、そう言ってくれたら、オレだってたぶん、笑わなかった。たぶん、ちゃんと聞いた。たぶん、手を離さなかった。なのにニールは、いつも先に終わりにしようとする。オレが追いかける前に、勝手に諦める。今回だってそうだ。オレが悪かった。悪かったのに、悪かったって言う前に、電話もメッセージも全部閉じられた。謝らせてもくれない。許されるかどうかを聞く場所にも立たせてくれない。
布団の中が暑い。息が苦しい。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになって、ほんと最悪だ。こんな顔、ニールに見られたくない。でも、見てほしい。見て、笑って、なにその顔って言って、しょうがないなってため息ついて、また許してほしい。もうしないから。たぶん。いや、するかもしれないけど、でも、今度はちゃんと怒ってくれたらやめるから。別れようじゃなくて、やめてって言ってくれたら、ちゃんと分かるから。
「お、おれが、おれが、わるいから、ゆるしてくんない、ニールが、ゆるしてくんない」
わああああん!!!
泣いて、叫んで、寝て、思い出したみたいに起きてまた泣いて、また寝て、そういうのを何回か繰り返した。メイクも落としてない。たぶんシーツにハート型がうつっている。最悪。ほんと最悪。さすがに監督生とグリムは帰ったらしいけど、オレがベッドから起き上がった瞬間、同室者全員がビクッと肩を揺らした。何その反応。オレは魔獣か何かかよ。まあ、さっきまでのオレはわりと魔獣だったかもしれない。
「水」
「ほら、コップに入れてやるから……」
「レモン絞るか?」
「タオルやるから顔を拭きな……」
「全部もらう」
渡された水を一気に飲んで、タオルで顔を拭いた。目の周りをこすったら黒と赤がべったりついて、うわ、と思った。鏡を見なくても分かる。今のオレ、絶対に終わってる。
時計はもう0時を過ぎていた。寮の部屋は妙に静かで、さっきまでオレが泣き散らかしていた分だけ、余計にしんとしている。マジカメを開く。ニールの投稿が流れてきた。オレの知らない奴らと遊んでいる。笑っている。楽しそうでいいな。オレは気絶したみたいに寝て、同室者全員の精神を地獄に突き落としていたのに。ニールは、オレがこんなになっていることも知らないで、普通に笑っている。最悪。
「全員寝てて」
「了解!」
「おっけ、めちゃくちゃ眠いわ」
「𝐺𝑜𝑜𝑑 𝑛𝑖𝑔ℎ𝑡」
返事が早い。寝たふりに入るのも早い。こいつら、本当に限界だったんだろうな。ちょっと悪かったかもしれない。ちょっとだけ。
家から持ってきたノートパソコンを開く。メッセージアプリも通話も駄目。でも、ひとつだけ残っていた。マジカメのDM。ニールがブロックし忘れた、唯一の道。画面の白い入力欄が、やけに眩しく見えた。
「謝れよ……」
謝れ。謝れ。お願いだから、先に謝れ。謝ったらオレ、ちゃんといつもみたいに許すし。ひどいこと言われても、少し怒って、それから許してやるし。オレも悪かったってちゃんと言うから。ほんとに言うから。今度はふざけないし、茶化さないから。だから、謝れよ。別れようなんて言ってごめんって言えよ。オレを置いて楽しそうにしてごめんって言えよ。オレのこと好きなくせに、いないものみたいにしてごめんって言えよ。そうしたら、オレだって謝れる。ごめんって言える。好きだって、たぶん言える。たぶんじゃない。言う。だから、先に、ニールが、言え、言って、お願いだから。
撮り溜めた動画を、DMでも開けるくらいまで軽くしていく。全部で十七本あった。へえ、オレたち、十七回しかしてなかったっけ。
十代にしては慎ましやかじゃね? もっとガンガン来いよ。いつもオレから誘ってんじゃん。そういうとこダメ。リードしろよ。オレのこと、だいすきなんだろ。
イヤホンの向こうで、動画の中のニールが、動画の中のオレに「愛してる」と繰り返している。
この時の気持ちを、まだ覚えている。
腹も胸もいっぱいで、もう何も入らないくらい、しあわせだった。
『謝れ』
一通目を送ってすぐ、入力中の字が動く。
オレのマジカメアカウントの下書きに十七本の動画を貼り付けて、ニールの返信を待った。あとワンタップで投稿完了だな。
ぜーんぶダメだったらぜーーんぶダメにしよっと。
オレもめちゃくちゃになるけど、お前もめちゃくちゃになれ。いっしょに地獄へ堕ちようぜ、ダーリン。
