There is a thin line between cute and love.

かわいい欠乏症

 瞬木読人が人や物を褒めるとき、だいたい最初に出てくる言葉は「かわいい」だった。中学時代の俺は、それを変わった口癖だと思っていた。男子が使うには少し珍しいが、読人は姉妹に囲まれて育ったと言っていたし、本人の明るい性格にも妙に馴染んでいた。
 購買で新しいパンを見つければかわいい。誰かの筆箱についているマスコットもかわいい。教師が板書を間違えて慌てて消す姿までかわいい。別に、女の子や小さな動物だけに使う言葉ではないらしい。読人の中では、いいもの、好きなもの、見つけると嬉しいものが、全部まとめてかわいいという箱に放り込まれていた。だから俺も、最初は深く考えていなかった。

「切島くん、今日もかわいいなあ!」

 朝一番でそんなことを言われるようになるまでは。

 毎日だ。本当に、ほとんど毎日だった。髪が少し跳ねていればかわいい。体育で誰より早く着替えればかわいい。転んでも立ち上がればかわいい。硬化した拳で古い机の角を欠けさせ、教師に怒られている最中ですら、廊下から覗いた読人に「反省してる顔かわいい」と笑われた。褒められているのだとは分かる。悪意なんて欠片もない。
 むしろ、読人は俺のやることを何でも好意的に受け取ってくれた。けれど当時の俺は、自分の個性も気性も、かわいいと評されるようなものではないとわかっていた。目指していたのは紅頼雄斗のような、迷ったときにも前へ出られる漢だった。そんな俺に対して読人は、頼もしいでも勇ましいでもなく、とにかくかわいいと言う。

「かわいいはねえだろ」

 そう返すと、読人は決まって嬉しそうに笑った。

「でもかわいいからなあ。困っちゃうよ」

 何が困るのかは、最後まで分からなかった。ただ、その言葉が嫌だったわけではない。
 最初は居心地が悪くて、次は照れくさくて、そのうち人前で言われると周囲の目が気になるようになった。読人は俺にだけ言っているつもりではなかったかもしれないが、頻度が違った。
 芦戸の新しい髪留めを一度かわいいと言う間に、俺には十回くらい言った。たまたま近くにいるからでもない。廊下の反対側からわざわざ駆け寄ってきて、今日もかわいいと言って去っていくことまであった。
 あれだけ続けば、さすがの俺にも分かる。読人のかわいいは、好きとほとんど同じ意味だった。
 どの種類の好きなのかまでは自信がなかった。友達としてなのか、それ以上なのか。聞くにはあまりにも本人が堂々としていたし、中学生の俺には、男から好かれているかもしれないという可能性をどう扱えばいいのか分からなかった。
 だが嫌ではなかった。困ることはあっても、やめてほしいとは思わなかった。読人が人前で俺を見つけ、迷いなく近づいてくるのは、少し誇らしくさえあった。

 その読人が、雄英へ入学した日から一度も俺をかわいいと言わなくなった。

 最初は髪型のせいだと思った。入学式の日、黒かった髪を赤く染め、逆立てた姿を見せると、読人は一瞬、息を呑んだような顔をした。驚いているだけではなかった。目が丸くなり、口が開き、すぐに何かを堪えるように奥歯を噛んだ。中学時代なら、ああいう顔をした次の瞬間には、かわいいを連発していたはずだった。

「髪の色、変えたんだ! すごく似合ってる。髪型も格好いい!」

 代わりに出てきたのは、格好いいだった。俺がずっと言われたかった言葉だ。新しい髪型には気合いを込めていた。昔の自分を変えるため、憧れたヒーローに近づくため、自分で決めて作った姿だった。それを格好いいと言われたのだから、嬉しくないはずがない。
 けれど、少しだけ拍子抜けした。読人なら、赤くなった髪も立てた前髪も、まとめてかわいいと言うと思っていた。俺が何度否定しても笑って押し通してきたくせに、急にこちらの望んでいた言葉を選ぶようになった。成長したのだろう。そう考えれば、何もおかしくなかった。

 何もおかしくないまま、一週間が過ぎた。二週間過ぎても、読人のかわいいは戻らなかった。

 俺たちは同じ雄英へ入ったが、学科は違う。俺はヒーロー科一年A組、読人はサポート科だ。授業の内容も校舎で過ごす時間も違い、中学の頃のように朝から夕方まで同じ教室にはいられない。
 それでも読人は、昼休みや放課後になると、時々A組を覗きに来た。ヒーロー基礎学でオールマイトが教室に来た翌日には、どこから聞きつけたのか昼休み前に現れ、廊下から大きく手を振った。

「切島くん! あと三奈ー!」

読人、どうした」

「ちょっと、私ついでじゃん!」

 芦戸が笑いながら抗議すると、読人は悪びれもせず胸を張った。

「切島くんメインで生きてるんで……。顔見たかっただけ! A組の噂、いろいろ聞いてるぜ。オールマイトの授業とか、入学早々すごすぎるだろ。二人とも応援してる!」

 それだけ言うと、読人は本当に帰っていった。昼を一緒に食べるでもなく、教室へ入るでもない。後ろからサポート科の生徒に呼ばれ、振り返りざまに相手の名前を呼び返し、そのまま楽しそうに廊下の向こうへ消えていく。
 態度は何も変わっていない。俺を見れば笑う。会えて嬉しいと言う。俺の話を聞きたがり、褒め、応援してくれる。悩んでいるようにも、無理をしているようにも見えなかった。ただ、かわいいだけがなくなった。

「……喧嘩した?」

 読人の背中が見えなくなってから、芦戸が声を潜めた。

「してねえ、と思うんだけど……」

 思う、という言い方しかできなかった。喧嘩どころか、入学してから読人に嫌な顔をされたことすらない。
 連絡を送れば返事は早い。俺の訓練用グローブを見て、もっと硬化した指に馴染む素材があるかもしれないと調べてくれた。サポート科の課題が忙しいと言いながら、分厚い素材規格表を一瞬で読み切り、要点だけまとめて送ってくれた。親切さも距離感も中学時代のままだった。

「でも、おかしいよね。読人、切島に会ったら一回につき最低三回はかわいいって言ってたじゃん」

 芦戸は俺と同じ中学だった。俺が読人にかわいいと言われ続けていたことも、そのたび困った顔をしながら強く拒まなかったことも知っている。
 俺たち以外の同級生も、当然覚えていた。入学後、廊下で顔を合わせた元同級生から、読人と何かあったのかと聞かれたことさえある。俺が知らないと答えると、相手は妙に深刻な顔で口を閉じた。中学時代の読人を知る者にとって、俺に対してかわいいと言わない読人は、それほど不自然らしい。
 俺も同じだった。最初は静かになって助かったと思った。次に、今日は言わなかったなと思った。それが続くと、明日は言うだろうかと待つようになった。待っている自分に気づいたときは、かなり格好悪い気分になった。

 雄英で読人と知り合った連中は、当然そんな事情を知らない。
 サポート科の男子がたまに教室へ顔を出し、俺と芦戸へ声をかける姿を見ているだけだ。けれど読人は、一度会った相手の名前を覚える。瀬呂が廊下で落としたプリントを拾ってやれば、次に会ったときには「瀬呂くん」と呼んだ。上鳴の個性を聞くと、電撃対策の絶縁素材について目を輝かせ、耳郎のイヤホンジャックを見れば、音響機器との接続方式について質問した。常闇の黒影を初めて見たときも驚きはしたが、怖がるより先に「動きがきれいで格好いい」と言った。誰に対しても興味を持ち、良いと思ったところをためらわず言葉にする。それが読人だった。

 ある日の放課後、教室へ入ってきた読人が、俺の机に置いてあった訓練記録を見つけた。個性把握テストの結果を参考に、自主練の内容を考えていた途中だった。

「切島くん、硬化の持続時間伸びてるじゃん! すごいな。こういう地道な伸ばし方できるの、本当に格好いいと思う」

 また格好いいだった。まっすぐ褒められているのに、胸の奥に小さな引っかかりが残った。俺はずっと、本人に尋ねるのが怖かったのだと思う。理由を聞いて、ただ言葉遣いを変えただけだと分かればいい。けれど、もう俺をかわいいと思わなくなったのだと言われたら、何を返せばいいのか分からない。
 かわいいと言われるたび困っていた俺が、言われなくなったことを残念がる資格があるのかも分からなかった。だが、漢気とは、怖いから聞かずに済ませることではない。紅頼雄斗なら、こんなことでぐずぐず悩まない。そう自分へ言い聞かせ、俺は読人が記録表から顔を上げたところで口を開いた。

「俺、いま可愛くねえか?」

 聞き方はかなりおかしかったと思う。読人は一度目を瞬き、それから心底嬉しそうに笑った。

「うん! 全然可愛くない!」

 頭の中が真っ白になった。読人は何か続けていた。切島くんはかわいいじゃなくて格好いいから、と言っていたような気もする。けれど最初の一言の攻撃力が高すぎて、そのあとの音はほとんど耳へ入ってこなかった。
 読人のかわいいが好きと同じ意味なら、全然かわいくないは、全然好きではないということになる。
 中学の頃、あれだけ堂々と好きだと言われていたのに、雄英へ入って突然、俺への矢印だけが消えた。読人は笑顔のまま、俺の肩を軽く叩き、課題があるから戻ると言って教室を出ていった。俺はしばらく立ったまま動けなかった。

「顔、真っ青だけど大丈夫かよ」

 瀬呂に声をかけられ、ようやく椅子へ座った。大丈夫ではなかった。何がどう大丈夫ではないのか、自分でも説明できない。
 ただ、胸の真ん中を強く殴られたような気がしていた。その日の俺は訓練へ行っても集中できず、硬化を解除するタイミングを間違え、飯田に体調不良を疑われた。
 翌日の昼休みには、芦戸による恋愛相談らしきものが始まっていた。最初は俺と芦戸だけで話すはずだった。だが教室で相談を始めれば、周囲に聞こえないわけがない。読人と顔見知りになっていた瀬呂と上鳴が入り、俺が相手の反応を気にしていると知った葉隠が加わり、最後には緑谷が黒板の前へ立っていた。

「状況を一度整理したほうがいいと思う」

 緑谷はチョークを持つと、黒板の上部へ大きく【いままでのあらすじ!】と書いた。字の周囲を四角で囲み、その下に中学時代と雄英入学後の二列を作る。

 芦戸が知っている事実を話し、俺が補足し、緑谷が要点を書き込んでいった。

 中学時代。読人は切島に対して、ほぼ毎日かわいいと言っていた。切島が否定しても完全にはやめなかった。読人は切島と同じ高校へ行くと宣言し、実際にサポート科を受験した。

 雄英入学後。訪問頻度、連絡頻度、会話の態度、褒める回数、すべて大きな変化なし。ただし切島への「かわいい」のみ消失し、「格好いい」へ置き換わった。緑谷はそこへ何本も矢印を引き、横に小さな文字で仮説を書いた。

「まず、雄英で瞬木くんと知り合った僕たちが受けている印象をまとめるね」

 緑谷は振り返り、教室に残っていた連中へ尋ねた。返ってきたのは、明るい、親切、話しやすいという言葉だった。上鳴は、初対面でも変に構えず話してくれると言った。瀬呂は、一度しか名乗っていないのに次に会ったとき名前を覚えていたことを挙げた。耳郎は、相手の個性を面白がっても、失礼な聞き方をしないと評価した。障子は、人の長所を見つけるのが早いと言い、常闇は、その評価をためらわず本人へ伝えられるところが美点だと付け加えた。

「総合すると、明るくて親切でいい人。他人の良いところをすぐ見つけて、言葉にして褒めてくれるから友達も多い。人の名前もすぐ覚える、かな」

 緑谷が黒板へまとめると、俺と芦戸は同時に何度も頷いていた。うんうん、わかってる。という、どこ目線が分からない芦戸の言葉に、俺も完全に同意していた。そうだ。読人はいいやつだ。中学の頃からそうだった。

 話したことのない相手がひとりでいれば、自然に輪へ入れる。誰かの持ち物が変わればすぐ気づく。失敗して落ち込んでいる相手には、失敗そのものではなく、そこまで努力した部分を見つけて褒める。俺以外の連中から読人の良いところを並べられると、なぜか自分のことのように嬉しかった。

「あいつ、いいやつなんだよ」

 口から出た言葉に、芦戸も大きく頷いた。

「ほんと、それ。昔から友達多かったもんね」

 ただし、そこが問題でもあった。読人は誰とでも仲良くなれる。誰に対しても親切で、良いところを見つければ褒める。雄英へ入ってからの俺も、周囲から見ればその中のひとりにしか見えなかった。
 中学時代には、他の誰より多く向けられていたかわいいがあった。
 あれが読人なりの好きだと分かっていたから、俺は自分が少し特別なのだと思えていた。いまは顔を見に来てくれても、応援してくれても、格好いいと言われても、読人が他の友達へ向ける好意との違いが分からない。読人の態度は何ひとつ冷たくなっていないのに、俺だけが勝手に遠ざけられたような気分になっていた。

「呼び方も気になる」

 芦戸が黒板へ近づき、俺の名前の横を指した。

読人、私のことは三奈って呼ぶのに、切島はずっと切島くんでしょ。中学の頃に名前でいいって言ってたよね?」

「ああ。でも、言うたび笑って誤魔化されてた」

「その頃は、切島くんが可愛すぎて困るって言ってたから、名前で呼べないのも照れてるだけだなって分かったの。でもいまは、そのかわいいがないから、ただ距離が遠いだけに見えるんだよね」

 芦戸の言葉で、胸の引っかかりに輪郭ができた。読人が俺を名字で呼び続けることも、中学の頃は嫌ではなかった。名前で呼べと言えば、なぜか耳を赤くして笑い、俺には難しいなあと返していた。その直後にかわいいと言われていたから、距離を置かれているとは思わなかった。むしろ、俺の名前だけ特別に言いにくいのだと考えていた。いまは違う。かわいいがなくなったせいで、切島くんという呼び方だけが残り、俺と読人の間に妙な線を引いているように感じられた。

瞬木くんの行動自体は変わってない。切島くんへの関心も、接触回数も減っていない。それどころか、顔を見るためだけにヒーロー科まで来ている。だから好意の総量が減ったとは考えにくいと思う」

 緑谷は黒板へ二つの図を描いた。中学時代の欄では、【瞬木】から【切島】へ太い矢印が何本も伸びていた。俺から読人へも、細い矢印が一本描かれる。雄英入学後の欄では、読人から俺へ向かう矢印が点線になり、代わりに俺から読人へ伸びる矢印だけが太くなっていた。

「切島くんから見ると、こう感じてるってことかな」

 図にされると、とんでもなく恥ずかしかった。上鳴が何か言おうとして芦戸に肘で止められる。だが否定もできない。

 俺は黒板に描かれた二本目の矢印を見つめた。中学時代より太くはなっている。けれど、いま俺の胸にあるものと比べると、少し細いような気がした。

「……緑谷、チョーク貸してくれ」

「えっ。う、うん」

 緑谷からチョークを受け取り、俺は【切島】から【瞬木】へ伸びている矢印の上をなぞった。一度では足りない気がして、もう一度なぞる。さらにもう一度重ねると、細かった線は黒板の中でも妙に存在感のある太さになった。

 教室が静まり返った。

 自分が何をしているのか、途中から分かっていた。それでも、いまさら細く戻すほうが格好悪い。俺は熱くなった顔を逸らし、チョークを緑谷へ返した。

「こ、こんくらいは……ある……」

「おお!」

 誰からともなく声が上がった。上鳴と瀬呂は感心したように頷き、葉隠は見えない両手で拍手しているらしい。芦戸は両手を口元へ当て、笑うのを堪えながら目を輝かせていた。緑谷だけは真剣な顔で矢印を見つめ、その横へ小さく【本人による修正】と書き足した。

「書かなくていいだろ、それ!」

「でも重要な情報だから!」

 消そうとすると緑谷が黒板の前へ立ちはだかった。教室のあちこちから笑い声が上がる。恥ずかしくて仕方なかったが、矢印そのものを否定する気にはなれなかった。

 中学の頃は、読人から好きだと言われているのだと思っていた。俺はその好意を受け取る側で、自分がどう返したいのか、ゆっくり考えていればよかった。

 ところが、それが突然見えなくなった。なくなって初めて、俺のほうが読人の言葉を待ち、顔を見に来る時間を気にし、他の友達と同じように扱われることへ落ち込んでいる。
 感情の向きが逆になったように見える。実際には、読人から俺へ向かう矢印が消えたわけではないのかもしれない。ただ、俺に見える印がなくなっただけだ。

「本人に聞くしかないんじゃない?」

 耳郎が黒板いっぱいの情報を眺め、もっともな結論を出した。緑谷も、これ以上は観測できる材料がないと頷いた。俺も分かっていた。黒板をどれだけ埋めても、読人の考えていることは本人にしか分からない。本なら一瞬で読めるあいつも、人の心までは読めないと言っていた。俺だって同じだ。勝手に悪い意味へ翻訳し、落ち込んでいるだけでは何も進まない。
 読人が俺を好きではなくなったのなら、それを受け止めるしかない。だが、あれだけ態度が変わっていないのに、言葉ひとつだけで結論を決めるのは漢らしくない。

 放課後、俺はサポート科の実習棟へ向かった。ヒーロー科とは空気からして違う。廊下には金属と油の匂いが薄く漂い、遠くで何かが爆発する音がした。誰も驚かなかったので、たぶん日常なのだろう。
 開いた扉から中を覗くと、読人は作業台へ分厚い資料を何冊も広げていた。頁を高速でめくっているように見えるが、本人にとってはあれで読めている。俺に気づくと、すぐに顔を上げた。

「切島くん! 珍しいな、どうした?」

 嬉しそうだった。その顔を見ただけで、ここ数日の考えすぎが馬鹿らしくなる。けれど、聞かずに帰れば同じことを繰り返す。俺は作業台の前まで行き、逃げないように両手を握った。

「お前、なんで俺にかわいいって言わなくなったんだ?」

 読人の笑顔が固まった。やはり理由はあったらしい。視線が泳ぎ、開いていた資料へ落ち、それから恐る恐る俺へ戻ってくる。

「……やっぱり気づくよな」

「気づく。前は毎日言ってただろ」

「迷惑だったかなと思って」

 予想していなかった答えに、今度は俺が固まった。読人は少し俯き、作業台の端を指でなぞった。

「入学前にさ、家でいろいろ言われて、やっと分かったんだ。俺、好きって意味で何でもかわいいって言ってたけど、言われる相手が同じ意味で受け取るわけじゃないだろ。切島くん、前からかわいいはないって困ってたのに、俺が勝手に言い続けてた。褒めてるつもりでも、相手が嫌なら押しつけだし。だから禁止した。切島くんには、ちゃんと格好いいって言おうと思って」

 俺が考えていたより、ずっと単純で、ずっと読人らしい理由だった。
 読人の気持ちがなくなったわけではない。むしろ俺が喜ぶようにと考え、言葉を選び直していた。入学式の日に何かを堪えていたのも、俺の赤い髪を気に入らなかったからではなく、禁止した言葉を飲み込んでいたのだ。
 俺は可愛くないかと聞いたときの「全然可愛くない」も、好きではないという意味ではなかった。俺が望んだ格好いい男になったと、全力で肯定しただけだった。俺たちは同じ日本語を使いながら、互いにまるで違う翻訳をしていたらしい。

「俺には可愛いって言っていい。嫌な気持ちになんてなったことない」

 言ってから、顔が熱くなった。自分からかわいいと言ってくれと頼んでいるようなものだ。
 中学時代の俺が聞いたら、何を言っているのかと驚くだろう。それでも訂正する気にはならなかった。困ることはあった。恥ずかしいときもあった。けれど嫌ではなかった。
 読人のかわいいには、俺を見つけた喜びも、頑張ったことへの肯定も、説明できないほど強い好意も、全部入っていた。それがなくなって初めて、俺はずっと受け取っていたのだと分かった。

 読人はしばらく俺の顔を見ていた。言葉の意味を確かめるように、何度か瞬きをする。それから、入学式の日よりも、中学のどの朝よりも明るく笑った。

「ありがとう切島くん! 切島くんは世界一可愛いなあ」

 胸の奥が一気に熱くなった。恥ずかしい。顔もたぶん赤い。世界一は言いすぎだろうとも思う。それなのに、笑いを堪えられなかった。
 読人の言うかわいいが戻った。ただそれだけで、どうしようもなく嬉しかった。
 俺が読人をどう思っているのか、その感情に何という名前をつければいいのか、まだよく分からない。黒板に描かれた矢印が正しいのかも、いまの俺には判断できなかった。

 ただ、読人が俺を見て、昔と同じ言葉を選んでくれたことが、嬉しくて仕方なかった。

 

 

送信中です

×

※コメントは最大3000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!