認識の外側

彼について知っていること

 

 爆豪勝己くんは、無口で大人しい子だった。少なくとも俺が見ている分には、ちょっぴりシャイな男の子、という印象しかなかった。

 母さん同士が昔からの友人で、片方の家へ集まって喋る日には俺たち子供も一緒に連れていかれた。遊び相手がいて助かるでしょう、と大人は簡単に言うが、俺からすると一歳下の子供を泣かせず、怪我させず、玩具を壊さず夕方まで過ごす仕事に近い。幼稚園でも下の子の面倒をみていたので非常に警戒していたが、勝己くんは手のかからない子だったので、それほど苦にはならなかった。

「この子、照れてんのよ。いつもはもっと元気なのに」

 勝己くんのお母さんは、初めて会った日からそう言っていた。俺が五歳、勝己くんが四歳の頃だったと思う。勝己くんは自分のお母さんの後ろへ半分隠れ、尖った金髪の隙間から俺を睨んでいた。怒っているのかと待っていると、黙ったまま近づいてきて、手に持っていたオールマイトの人形を差し出した。

「みて」

「オールマイトだ」

「これ、げんていの」

「へえ。どこが違うの?」

「ここ。ふつうのはあかだけど、これはきんいろ」

 指されたベルトの留め具はたしかに金色だった。俺が顔を近づけると、勝己くんも人形を持ったまま寄ってきて、肩が触れても離れず、そのままカードや雑誌の切り抜きまで見せてくれた。喋らない子ではない。ただ、自分から話す時には少し時間がかかった。口を閉じ、視線を下げてから、考えてきたらしい言葉をひとつずつ出す。

 何度目かに会った時には、幼稚園で描いた絵を見せてくれた。画用紙の中央にオールマイト、その横に金髪の小さな人間が立ち、二人の前で紫色の何かが爆発していた。

「これ、勝己くん?」

「おれ」

「オールマイトと戦ってるの?」

「いっしょにてきをたおしてんの!」

 そこだけ声が大きくなった。ちゃんとみて、ここみてと言わんばかりに画用紙を指さしている。

「ああ、こっちが敵か。勝己くんが爆発させて、オールマイトが捕まえてるんだな」

「そう」

「役割分担できてて強いな」

 勝己くんは満足したらしく、絵を俺の膝へ置いた。帰るまで持っていていいらしい。折らないように眺めていると、肩を俺の腕へ押しつけてきた。人見知りはするが、慣れた相手にはくっつく子なのだろう。俺はひとりっ子だから、弟がいたらこんな感じかなと可愛く思えた。

 

 勝己くんの個性は派手で強くて、本人もだいぶ気に入っているみたいだった。会う度に、「みて、トックンした。まえよりすごくなった」と小さな手のひらを開いて見せてくれた。汗のようなものが弾け、ぱち、と乾いた音がする。はじめて見た時は驚いて手を取ってしまった。勝己くんの肩が跳ねたので、痛かったのかと思ってすぐ離した。

「ごめん。痛かった?」

「いたくねえ」

「すごい個性だな。大きくなったらもっと強くなりそうだ」

「なる」

 勝己くんは両手を握り、しばらく俯いていた。何か言いたそうなので待った。勝己くんみたいな大人しい子は急かすと余計に喋れなくなる。言うまで待つくらいの気持ちでいた方がいい。

「おおきくなったら、おれはヒーローになる」

「うん」

「オールマイトより、つよくなる」

「勝己くんならなれるよ」

 賢くて、体もよく動き、個性も強い。ヒーローを目指すなら向いているなあと思った。勝己くんは俺の服の裾を握り、顔を横へ向けた。耳が赤くなっている。

 勝己くんのお母さんが言う、いつもはもっと元気、を俺は長いこと見なかった。
 家では怒鳴る、物を爆破しようとする、近所中に声が聞こえる、と聞かされていたが、親は子供の話を少し大きくするものだ。
 俺の母さんも、俺が初めて一人で風呂へ入った時には「もう何でも一人でできる」とばあちゃんへ報告していた。髪に泡を残したまま出てきた部分は黙秘されていたが。

 勝己くんはたまに口調が荒くなるものの、俺の前ではいつも静かだった。何度会っても同じなので、そちらを本人の性格として覚えた。

 

 認識が変わったのは、小学二年生の時だった。
 その日も母親同士の女子会へ連れていかれたが、一年生になった勝己くんは友達と遊びに出ていた。大人の話は面白くない。死んだ目でクッションの縫い目を指で辿っていると、母さんから小銭を渡された。

「勝己くんが帰ってくる前に、おやつでも買っておいで」

 慣れない街でお買い物のミッションが発生した。が、来る途中にコンビニがあったことは覚えている。帰り道さえ間違えなければ問題ない。小銭を数えながら歩いていると、細い路地から甲高い声が聞こえた。

「やめてよ、かっちゃん! 返して!」

 足を止めて角から覗くと、見慣れた金髪があった。勝己くんは三人の子供の中心に立ち、緑色の髪をした男の子のノートを高く掲げていた。家で会う時より声が大きい。喉を反らし、友達らしい二人と一緒に笑っている。

「くだらねえもん書いてんじゃねーよ!」

 勝己くんが大きく腕を振り、ノートが道端のゴミ箱へ投げ込まれる。「ナイッシュー!」という歓声と、「ゴミはゴミ箱へ!」という笑い声。

 あれま。

 勝己くんのお母さんの話は本当だったらしい。驚きはしたが、家と外で態度が変わる人は珍しくない。うちの母さんも電話口では声が一段高くなる。勝己くんは切り替わり方が派手なのだろう。

 四人は俺に気づいていなかった。横を通り、ゴミ箱からノートを拾う。紙屑を払い、緑髪の子の後ろから差し出した。

「はい」

「ごめんなさい!」

 頭を下げた勢いで、ランドセルの中身が背中から飛び出した。教科書、筆箱、給食袋、折り紙のケース、細い枝まで地面へ散らばる。

「あっ、ありがとうございます!」

「枝まで入ってる」

「観察用で!」

「良い枝だねえ」

 節の感じが良いねと、何となく褒めながら一緒に拾い、教科書をランドセルへ戻す。振り返ると、勝己くんが口を開けたまま立っていた。さっきまで笑っていたのに、顔色が悪い。

「勝己くん、外だと元気なんだな」

「あ」

「お母さんが言ってた通りだった」

「う」

 手のひらで小さな爆発が起きた。緊張すると出るのかもしれない。緑髪の子のランドセルを閉じ、立ち上がる。事情は知らないが、他人の物を捨てるのはよくない。

「いけないんだあ。勝己くんのいじめっこ」

「あ、ちが」

「もう喧嘩すんなよー」

「はい!」

 緑髪の子は元気よく返事をした。勝己くんは黙ったままだった。外での姿を見られ、気まずいのだろう。俺には買い物がある。長居しても困らせるだけだと思い、手を振って路地を出た。

 歩きながら、勝己くんは俺がいると普段通りに振る舞えなくなるらしい、と考えた。

 親同士が仲良しだからという理由で、年上の子供を毎回押しつけられるのも面倒だろう。玩具や絵を用意していたのは、俺を退屈させないためだったのかもしれない。

 服を掴んでいたのも、勝手に別の部屋へ行かれると困るからだろうか。俺が来る日は友達と遊ぶのを我慢して家へ残っていた可能性もある。

 人間の気持ちは考えるほど候補が増える。個性の使い方なら、地形や相手の能力を見ればある程度まで答えを絞れる。本人の感情は証拠が少なくて、聞いたところで正しい答えが返るとも限らない。

 俺は日常について深く考えすぎないようにしていた。相手に負担をかけなければ、ひとまず大きくは間違えない。そこそこに仲良く、波風立てず。穏やかに。これが一番生きやすい。

 

 俺も一人で留守番できる年齢になっていたしと、それから母さんが爆豪家へ行く日にもついていかなくなった。

「勝己くんが会いたいって言ってるけど、一緒に行かない?」

「えー? いいよ、俺一人で留守番できるし」

「あんたが来ないと怒るらしいわよ」

「大袈裟に言ってるんじゃない? 俺がいると気を遣うみたいだよ」

「そうかしら、そんな感じじゃない気がするけど……」

「付き合わせるのも可哀想だよ」

 母さんは妙な顔をしたが、無理には連れ出さなかった。
 勝己くんがこちらの家へ来た日もあったらしい。その頃の俺は塾やボーイスカウトへ通い始め、予定が合わなかった。合宿から帰ると見覚えのない菓子が置かれていたり、塾帰りに爆豪家の車とすれ違ったりした。小学校も高学年になると、親の友人宅へついていく方が珍しい。
 やがて集まりは完全に親だけのものになり、俺たちは母さんから互いの近況を聞く関係になった。

 勝己くんは学校でずっと成績がよく、運動も一番らしかった。個性の威力も年々増し、将来は必ずオールマイトを超えると言い続けていると聞いた。自信満々に言い切ってるんだろうなあと想像がついて、少し微笑ましい気持ちにもなった。

 年賀状も届いた。家族写真の横へ、妙に筆圧の強い字で『ことしは来い』と書かれていた年がある。翌年は『俺の個性みせてやる』、その次は『雄英にいくからみとけ』だった。俺も爆豪家御一同様へ返事を書き、三人の名前を並べて短い挨拶を添えた。
 勝己くんが返事を見て怒っていたらしいが、正月には宿題や親戚やお年玉など、機嫌を損ねる要素が多い。俺の年賀状が原因だとは考えなかった。

 

 中学では成績がよかったので、進路指導の教師から雄英を勧められた。

 俺の個性は【シフト】。事前に触れて記録した味方二人の位置を、視認できる範囲で入れ替えられる。相手が転移を強く拒むと座標がぶれ、移動が遅れたり、着地点がずれたり、発動そのものが失敗する。
 俺が味方と認識できない相手は記録できない。物も動かせないし、俺自身の身体能力も上がらない。前へ出る人間がいて、ようやく役に立つ個性だった。

 ヒーロー科へ強い憧れがあったわけではない。受けるならヒーロー科だろう、落ちたら近所の進学校へ行こう、と決めた。勝己くんの年賀状コメントが少し頭に残っていたというのもある。俺が先輩として現れたら驚くかな、という軽い悪戯心だった。

 実技試験当日は、開始前に周囲の受験生へ握手を求めた。

「よろしく。緊張するな」

「どこの学校?」

「世留風中学校。君の個性、腕が硬くなるやつ?」

「ダメージ反射。そっちは?」

「人を入れ替える。急に飛ばすかもしれないから、その時はよろしく」

「は?」

 握手した後に説明したので、順序はよくなかった。

 試験が始まると、仮想敵は俺が殴ってどうにかなる大きさではなかった。巨大ロボ相手に俺は無力だ。
 撃破点を自力で取る案は早々に捨て、周囲の受験生を見た。個性、機体の進行方向、建物の高さ、路地の幅、瓦礫の位置。
 ダメージ反射の受験生が小型機に足止めされ、索敵向きの受験生が大型機に追われていた。二人を視界へ入れ、位置を交換する。

「うわっ!?」

「何だここ!?」

 大型機の突進を反射で受け流し、索敵型の受験生は狭い通路へ移り、曲がり角の先にいる機体を他の受験生へ知らせた。うまくいったが、後で二人とも怒った。

「いきなり敵の正面へ飛ばすな!」

「悪かった。でも君なら止められると思った」

「失敗したらどうすんだ!」

「俺の判断ミスになる。今回は君がやれると信じた」

 信じた、と言うと、少しだけ黙ってから「へへ、まあアレくらい対処できるけどよ」と照れた。なんて素直なんだ。良い人だなこの人……。

 その後も、地面へ粘着物を出せる受験生を脚部の細い機体が集まる場所へ送り、煙を操る受験生は囲まれた集団の近くへ飛ばした。瓦礫の下敷きになりかけた小柄な受験生と、開けた場所で敵を探していたパワー型を入れ替えた。怒鳴られた。拒否されて失敗もした。謝りながら、それでも必要な場所へ人を送り続けた。

 

「適材適所だよ。君ならできると思った」

「先に言え!」

「次から時間があれば言う」

「なかったらまた勝手に飛ばすのかよ!」

「たぶん」

 我ながら酷い個性だ。人頼みでしか戦えない。全くもってヒーロー向きではない。

 記念受験は本当に記念で終わるなと思ったが、まさかまさか。俺自身は仮想敵を一体も倒さなかったのに、状況把握と個性の運用、間接的な救助への加点で合格した。

 通知映像の中で校長が、君が動かした者たちの得点だけでなく、君の判断にも点が与えられたと説明していた。
 雄英は試験方式を見直した方がいい。同意を取らず人を危険地帯へ送り込んだ受験生を、判断力があるとして合格させている。いずれ事件が起きるぞと思ったが、合格を取り消されると困るので黙っておいた。

 

 入学後は、個性を使った相手への説明を欠かさないようにした。信頼を失えば転移が不安定になる。訓練前には全員へ触れ、飛ばす可能性を伝える。終われば判断理由を話し、危険な目に遭わせた相手には謝った。

 一年が経つ頃には、クラスメイトも転移した瞬間から周囲を見るようになった。硬化個性が前線へ飛ばされたなら盾が必要な場所。遠距離攻撃が高所へ移れば射線の先に敵がいる。救助向きの個性が瓦礫の近くへ出れば、助けを待つ人がいる。

継場! ここに俺いらねえ!」

「ごめん、影になって見えなかった!」

「戻せ!」

「代わりに向こうの拘束頼む!」

「しっかりしろよ指揮官!」

 怒鳴りながらも全員が動く。担任から、うちのクラスは不意の状況変化への対応が早いと評価された。突然知らない場所へ放り出される生活を続けると、人間は着地点で立ち止まらなくなるらしい。

 日常生活ではほとんど役に立たない成長だったが、ヒーローとしては良い訓練になっているらしい。ちゃんと叱ってくれないと俺が増長しそうなので、そこそこのところで褒めをやめてほしい。

 

 二年生へ進級した春、母さんから連絡が来た。

『勝己くん、雄英に受かったって。ヒーロー科だってよ』

 実技試験一位。昔から口にしていた夢を、本当に掴んだらしい。

 

 入学式の翌日、教室の窓から勝己くんを見つけた。金髪は昔より鋭く尖り、目つきも悪くなっている。廊下で緑色の髪をした生徒へ怒鳴り、止めに入った眼鏡の生徒へも噛みつき、手のひらを何度も爆発させていた。
 あの緑の子、あの時ノートを捨てられてた子かな? ヒーロー目指してたんだ、頑張ったんだろうなあ。

「ド派手だなあ」

 隣のクラスメイトが窓へ寄ってきた。

「あれ一年? もう校舎壊す気かよ」

「母さんの友達の子。昔よく遊んだ」

「お前、あんなのと何して遊ぶの?」

「オールマイトの人形を見せてもらったり、絵を見たり」

「想像できない」

 小さい頃はシャイだったんだよ、というと納得された。そういう子供に覚えがあったんだろう。割とよくある成長における変化だ。

 とはいえ、物静かに後ろをついてきて、服を掴みながら「移澄にいちゃん」と呼んでいた頃の勝己くんは、俺に気を遣って作っていた姿だったのだろう。窓の向こうで全身を使って怒鳴り、爆発し、周りを引っ張っている様子は生き生きしていた。昔からヒーローになるために頑張っていた。入試一位なら、ここからもやれるだろう。

 頑張れよー、と窓越しに応援し、その場では声をかけなかった。学年も教室も違う。俺と会えばまた大人しくさせてしまうかもしれない。

 

 翌日の昼休み、教室の前が騒がしくなった。廊下にいた生徒たちが左右へ分かれ、その中央を一年生が歩いてくる。金髪、吊り上がった赤い目、着崩した制服、握った手のひらから上がる薄い煙。

 勝己くんだった。

 今から誰か殺すのか。二年へ宣戦布告でもしに来たのか。周囲の顔に同じ疑問が浮かんでいる。勝己くんは視線を全部無視し、俺の前で止まった。近くで見ると随分大きくなっていた。肩幅も広く、子供の頃の印象と大きく変わっている。

 

移澄にい、……移澄ッ」

 

 途中で言葉を噛み、さらに強く睨まれた。昔の呼び方が出かかったらしい。可愛いと思ったが、言えば爆破されそうなので黙っておく。

「入学おめでと~! 見てたぞ、勝己くんすごいな。実技一位なんだって?」

「おん……」

 勝己くんの肩から力が抜けた。手の煙も止まった。教室が静まり返る。

「誰? 爆発の一年だよな?」

「小さい頃によく遊んだ子。昔からオールマイトが好きでさ。ずっと頑張ってたんだよ。実技一位だし、今年の一年すげーな」

 説明すると、勝己くんは黙って俺を見た。何かを確かめるような目だった。

「……移澄が分かってんなら良い」

「何が?」

「うるせえ」

 踵を返し、そのまま帰ろうとする。わざわざ二年の教室まで来たのに用件を聞いていない。

「勝己くん、ご用件はー?」

 振り返った両手で爆発が起き、周囲の生徒が一斉に身構えた。

「覚悟しとけってだけだ、『移澄センパイ』! もう逃がさねェからな!」

 ばん、ばん、と爆発を鳴らしながら去っていく。

「お前、逃げたの?」

「逃げた記憶はない」

「何に対しての覚悟?」

「それも分からない」

「本当に昔遊んだだけ?」

「俺の記憶では」

 何か大きな認識違いがありそうだった。それでも勝己くんは元気だった。入学祝いも言えたし、成績も褒められた。同じ学校にいるなら、そのうち事情も分かるだろう。
 俺は昼休みの残り時間を確認し、購買へ向かった。人気のパンが売り切れる方が、その時は切実だった。

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