認識の外側

彼だけ知らない

 

 爆豪勝己が継場移澄を初めて見た時、こいつには絶対にすげえと言わせる、と決めた。四歳の頃だった。

 移澄は母親に連れられて爆豪家へ来た。一つ年上で、知らない家へ来ても緊張した様子がない。光己へ挨拶し、勝に頭を下げ、居間へ入った。移澄くんはあんたよりひとつお兄ちゃんよ、と言われたので迎撃の用意はバッチリだった。

 オールマイトの限定人形を見せれば、その珍しさが分かるはずだった。通常版との違い、テレビで見た戦闘、幼稚園で一番速く走った話、昨日できるようになった逆上がり。どちらが上かを教えてやるために、話すことはいくらでも用意していた。

 移澄が目の前へ来ると、全部消えた。

 大人のように笑って誤魔化しもせず、幼稚園の連中のように髪や人形へ勝手に触りもしない。移澄は勝己が何かを始めるまで待っていた。

「ほら勝己、ご挨拶しなさい」

 光己に背中を押され、人形を差し出した。

「みて」

 それしか言えなかった。

 移澄は人形を受け取り、勝己が指した場所を本当に見た。大人は分かっていなくても分かった顔をする。幼稚園の連中は限定品を羨ましがるだけで、細かい違いなど気にしない。移澄はベルトの色を確かめ、箱の裏まで眺めた。

「限定って、色だけ違うの?」

「ポーズもちげえ。ふつうは右手だけど、これは左」

「本当だ。よく見てるな」

 勝己が一番気づいてほしかったところを見つけた。

 それから移澄が来る日には、朝から見せる物を選ぶようになった。玩具箱をひっくり返し、出す順番まで考える。玄関が開き、目が合うと、用意した言葉は毎回消えた。

「みて」

 いつも同じ一言から始まった。

 移澄は急かさなかった。勝己が次の言葉を出すまで待ち、黙って隣へ座っていても何も言わない。服を掴んでも振り払わなかった。移澄が立てば勝己もついていった。喉が渇いたのか、便所へ行くのか、別の部屋へ行くのか、離れると分からなくなる。見えるところに置いておきたかった。

「この子、移澄くんの前だと大人しいのよ。照れてんの」

「照れてねえ!」

 本人がいない場所でしか否定できなかった。
 勝己は自分が優れていると知っていた。足が速く、頭もよく、何をやっても一番だった。褒められても当然だとも思った。移澄に褒められた時だけ、腹の奥がモヤモヤする気持ちになった。モヤモヤするけど、嫌なモヤモヤじゃない。絵を見せれば、上手だ、色が元気だ、と大人は言った。移澄は誰が何をして戦っているのかを聞いてくれた。モヤモヤ。

「勝己くんが爆発させて、オールマイトが捕まえてるんだな」

「そう」

「役割分担できてて強いな」

 見れば分かるだろと言えばいいのに、口に出すのはなにか違うなと思ってその言葉を何度も頭の中で繰り返した。

 個性が出た時も真っ先に見せたかった。周囲の大人は強い個性、ヒーロー向き、と口々に褒めた。移澄は勝己の手を取り、傷がないか確かめた。

「痛かった?」

「いたくねえ」

「すごい個性だな。大きくなったらもっと強くなりそうだ」

「なる。おおきくなったら、おれはヒーローになる」

「うん」

「オールマイトより、つよくなる」

「勝己くんならなれるよ」

 移澄は迷わず言い切った。

 移澄にいちゃんがなれると言った。なら、なる。

 移澄が帰ると、勝己はすぐに光己を追い回した。

「次、移澄にいちゃんいつ来んだよ」

「あんた今帰ったばかりじゃない。いつかなんてまだわかんないわよ、お互い予定があるんだから」

「あした来ねえの」

「毎日は来ません」

「ババア、まいにち茶ァしばいとけよ」

「誰がババアだ、このクソガキ!」

 ババア同士が茶を飲めば移澄が来る。喋る話が尽きれば昨日の話をもう一度すればいい。勝己にとって大事なのは、移澄が家へ来る理由だった。

 

 小学校へ上がると、勝己の周囲には人が集まった。強い個性、いい頭、優れた運動能力。勝己が走れば周りも走り、笑えば一緒に笑った。いずれ雄英へ入り、オールマイトを超える。誰も疑わなかった。

 緑谷出久だけが鬱陶しかった。

 無個性のくせにヒーローの話をし、勝己と同じ場所へ行こうとする。勝己が転べば手を伸ばす。遥かに弱い人間から心配されるたび、腹の底がざらついた。

 あの日、緑谷が書いたノートを見つけた。ヒーローの個性、戦い方、弱点、応用。勝己について書かれた頁もあった。頼んでもいないのに観察し、分析し、同じ世界へ立つ準備をしている。

「くだらねえもん書いてんじゃねーよ!」

 ノートを捨て、返せと騒ぐ緑谷を笑った。いつもの光景だった。緑谷は泣いても翌日には来る。周囲もそれを見て笑う。

「はい」

 背後から聞こえた声で、全身が固まった。

 移澄が緑谷のノートを拾い、手渡している。緑谷は頭を下げ、ランドセルの中身をぶちまけた。移澄がしゃがんで一緒に拾った。

 何でここにいる。いつから見ていた。今日は家に来ているのか。それなら、どうして俺を探さなかった。

「勝己くん、外だと元気なんだな」

「あ」

 見せたいものは他にいくらでもあった。個性が強くなった。空き缶を破裂させられる。運動会で一位を取った。算数のテストも満点だった。緑谷のノートを捨てて笑うところなど、見せるつもりはなかった。

「お母さんが言ってた通りだった」

「う」

 言い訳を探した。緑谷が勝手についてくる。無個性のくせにヒーローになろうとしている。頼んでもいないのに勝己を分析する。どれも移澄へ言うには足りなかった。

「いけないんだ、勝己くんのいじめっこ」

 背中が冷たくなって、指の先がふるえる。こんなふうになるのは初めてだった。

「あ、ちが」

 何が違うのかは言えなかった。ノートを取った。捨てた。緑谷が返せと騒ぐのを笑った。どれも自分がしたことだった。

 移澄は緑谷の荷物を拾い終え、勝己を残して歩いていった。追いかけて服を掴み、もう一度違うと言いたかった。足が動かなかった。取り巻きが勝己の顔を見ている。緑谷は拾ってもらったノートを胸へ抱えていた。

 全部こいつのせいだと思った。

 自分が悪いと分かっていたから、緑谷へ押しつけた。

 次に母さんたちが会う日、移澄は来なかった。

移澄にいちゃんは」

「一人で留守番するんだって。もう二年生だものね」

「呼べよ」

「誘ったわよ。今日は行かないって」

 次も、その次も来なかった。光己が電話で、勝己が会いたがっていると伝える声を聞いた。恥ずかしくなったが、移澄が来るなら何でもよかった。

移澄くん、一人で留守番するって」

「何でだよ」

「大きくなったんでしょ。あんたも友達と遊びに行けばいいじゃない」

「うるせえ!」

 いじめっこと呼ばれた日から来なくなった。

 嫌われた。理由を考えたら、その答えしかなかった。

 光己に連れられて移澄の家へ行った時も、本人は塾や合宿でいなかった。玄関に靴がないたび、勝己が来ると知って予定を入れたのではないかと思った。会いたくないから逃げている。

 嫌われるのが怖いとも、寂しいとも言えなかった。移澄が来ない日が増えるほど、緑谷への苛立ちが強くなった。ノートを書くな。勝手についてくるな。移澄の前で被害者みたいな顔をしやがって。

 緑谷は何度突き飛ばしても、翌日には学校へ来た。泣いても、物を壊されても、完全には離れなかった。あのクソナードは昔から不気味なほどしぶとい。折れた形のまま動き続け、翌日にはまた立っていた。

 年賀状も書いた。

『ことしは来い』

『俺の個性みせてやる』

『雄英にいくからみとけ』

 返事には光己と勝と勝己の名前が並んでいた。

『勝己くんも学校がんばって』

 家族の中の一人へ添えられた挨拶に見えた。自分が書いた言葉への答えはない。

「何で俺宛てじゃねえんだよ!」

「ちゃんとあんたの名前も書いてあるでしょ」

「まとめてんじゃねえ!」

「知らないわよ! 直接言いなさいよ!」

 直接言えるなら、とっくに言っていた。会えてないから言えていないだけだ。こうなったらもう、実力で見せるしかなかった。

 ヒーローになる。誰より強くなる。オールマイトを超える。移澄が昔言った通りの人間になれば、いじめっこと呼ばれた記憶も薄くなるはずだ。

 移澄が雄英のヒーロー科へ合格したと聞いた。

移澄くん、雄英ですって。あんたも負けてらんないわね」

「当たり前だ!」

 もともと雄英以外へ行く気はなかった。国内最高峰で一番になり、オールマイトを超える。そこに移澄までいる。勝己にとって、これ以上都合のいい場所はなかった。

 雄英へ入り、実技一位を取った。入学してすぐに二年の教室を調べた。移澄のクラス、席、昼休みにいる場所。会いに行くまで二日かかった。怖じ気づいたわけではない。言うことを整理していた。

 逃げたことを責める。いじめっこではないと訂正する。年賀状を個人宛てに返さなかった理由を聞く。強くなった自分を見せる。今度は勝手にいなくならせない。

 二年の教室へ向かうと、廊下の連中が道を空けた。教室の中に移澄がいる。背が伸び、髪が少し短くなっていた。勝己を見る目は昔と同じだった。何を言うのか待っている。

 

移澄にい、……移澄ッ」

 

 危うく、にいちゃんと呼ぶところだった。二年の教室でそんな呼び方をすれば何かが終わる。何が終わるかは知らないが、とにかく駄目だった。

 逃げたことを後悔させる。今度こそ俺を見ろ。用意した言葉を出す前に、移澄が笑った。

「入学おめでと~! 見てたぞ、勝己くんすごいな。実技一位なんだって?」

「おん……」

 喉から勝手に声が出た。肩の力が抜け、手の煙が止まる。

 移澄は知っていた。自分が雄英へ入ったことも、実技一位だったことも、ちゃんと見ていた。

「小さい頃によく遊んだ子。昔からオールマイトが好きでさ。ずっと頑張ってたんだよ」

 移澄がクラスメイトへ話している。俺が何を目指していたか覚えている。昔から頑張っていたと知っている。嫌われていなかった。

 十年近く胸へ引っかかっていたものが、少し軽くなった。

「……移澄が分かってんなら良い」

 言いたいことは山ほど残っていた。同じ学校にいる。時間はいくらでもある。

「覚悟しとけってだけだ、『移澄センパイ』! もう逃がさねェからな!」

 今度こそ勝手にいなくならせない。そのつもりで宣言した。

 背後で移澄が、逃げた記憶がない、と首を傾げていた。

 爆豪勝己は継場移澄の前にいると少し大人しくなる。その噂が雄英へ広がるまで、長くはかからなかった。最初に見た二年生から一年A組へ伝わり、爆豪を黙らせる先輩がいる、爆豪が頭を下げる相手がいる、爆発を素手で止める、と尾ひれがついた。最後の話は完全な嘘だったが、本人へ確認する勇気のある者はいなかった。

 噂を決定づけたのは、学年混合の戦闘訓練だった。後方支援へ入った移澄は、開始前に味方を記録して回った。

「勝己くん、触るぞ」

「あァ」

 勝己は自分から腕を差し出した。一年A組の数人が振り返る。

「爆豪が噛みついてない」

「自分から手を出したぞ」

「飼い主?」

「殺すぞ聞こえてんぞ!」

 周囲へ爆発を向けても、移澄には向けなかった。手首へ指が触れ、移澄が軽く頷く。

「転移に抵抗するなよ。座標がぶれる」

「どこへ飛ばすんだよ」

「必要なところ」

「判断ミスったら爆殺すっぞ」

「その時は怒られてやるから」

 訓練が始まると、勝己は単独で敵陣へ突っ込んだ。正面の一人を爆風で壁へ叩きつけ、拘束を避け、外壁を蹴って上階へ飛ぶ。その瞬間、視界が切り替わった。

 空中にいた体が地上すれすれへ移る。

 右に敵。左に倒れた味方。正面から増援。

「遅ェ!」

 着地と同時に爆破を放ち、正面の二人の進路を潰す。倒れていた味方の襟首を掴み、遮蔽物の陰へ投げた。

「扱い雑!」

「生きてんだろうが!」

 再び視界が切り替わる。屋上から遠距離攻撃を放つ敵が見えた。勝己は移動した瞬間に掌を向け、相手が振り返る前に足場を吹き飛ばした。

 一度も転移を拒まなかった。

 体が浮く感覚も、急に景色が変わる瞬間も気にならない。移澄が飛ばした場所には、必ず自分が呼ばれた理由がある。必要だと判断され、選ばれた。それだけで十分だった。

継場との個性適合性が高いな」

「抵抗が全くありませんね」

「信頼してんだろ」

 訓練を見ていた相澤が、眠そうな声で言った。勝己は後からその話を聞いたが、否定しなかった。

「勝己くん、初めてなのに対応早かったな。助かった」

「テメェの判断が遅えんだよ。二回目、もっと早く飛ばせただろ」

「あの距離で連続転移したら酔うかと思った」

「俺を他の雑魚と一緒にすんな」

「じゃあ次は増やすね」

「最初からそうしろ」

 周囲の一年生たちが妙な顔をしていた。声は大きい。口も悪い。会話の内容も穏やかではない。それでも移澄へ爆発を向けず、説明を交わしているだけで、しおらしい判定を受けた。

「爆豪って、好きな先輩には敬意を払えるんだな」

「どこ見てそう思ったんだよ、クソ髪!」

「いつもの爆豪なら『殺すぞ』で終わるじゃん」

「今も似たこと言ってたぞ」

継場先輩には理由を話してる」

「何で観察してんだ、テメェらまとめて殺す!」

 移澄は騒ぎを眺め、何が珍しいのか分かっていない顔をしていた。

 昔からそうだった。服の裾を掴めば人見知りだと思い、次の予定を聞けば親に言わされた社交辞令だと考える。年賀状へ個人的な言葉を書いても、家族宛てとしてまとめて返した。人の個性や配置を読む目は鋭いくせに、自分へ向けられた感情だけは見落とす。

 今度は気づかせる。

 移澄が卒業するまでまだ時間がある。視認が必要な個性なら、いつでも視界へ入ればいい。遠くへ飛ばされても戻る。役目を終えたら移澄のところへ行く。勝手に負担を考え、勝手に距離を置く暇など与えない。

 もう服の裾を掴む必要はない。自分の足で追いつける。

 移澄が次の訓練内容を端末へ入力している横へ立ち、勝己は画面を覗き込んだ。

「次、俺を最初に記録しろ」

「全員記録するぞ」

「俺を先にしろ」

「順番で何か変わる?」

「変わる。俺が決めた」

「そっか」

 移澄は大して考えず了承した。その呑気さに十年近く振り回された男が隣にいるとも知らず、次の訓練で誰をどこへ飛ばすか考え始める。

 勝己は舌打ちし、肩が触れる距離まで寄った。移澄は少し横へ動き、二人で見られるよう端末の画面を傾けた。

 勝己のために場所を空けた。

「……分かってんなら良い」

「何が?」

「うるせえ!」

 雄英では後に、爆豪勝己を扱う時は継場移澄を近くへ置け、と半ば冗談で語られるようになった。爆発の威力は変わらない。怒鳴り声も減らない。命令を素直に聞くとも限らない。それでも移澄が名前を呼べば一度は振り返る。シフトされれば文句を言いながら着地点の役目を果たす。無茶をさせられた後も、判断が遅いと怒鳴るだけで終わる。

 それをしおらしいと呼んでいいかは意見が分かれた。

 比較される相手が普段の爆豪勝己なので、雄英内では十分にしおらしい側へ分類された。

 

送信中です

×

※コメントは最大3000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!