パパ、あいしてる。

 双子の兄たちは身体も頭も可笑しかったし、ママも随分イカレていたので、レスターは必然的にパパに育てられた。
 もちろんベビーシッターだとか家政婦だとか、そういう人間も何人かいたはずだ。ただ、この家へ雇われてくる人間はいつの間にかいなくなるのが常だったので、誰に何をしてもらったかまではよく覚えていない。朝食を作ってくれた女と風呂へ入れてくれた女が同じだったかも曖昧だ。ある日までいた人間が次の日からいなくなっても、この家では誰も説明してくれなかったし、レスターもそのうち聞かなくなった。だから結局、子供の頃を思い返したとき、一番たくさん思い出せる大人はパパだった。

 レスターはママも好きだった。子供なのだから、母親に好かれたいと思うくらいは当然だった。ただ、ママがヴィンセントを偏愛していることも、ボーを心底嫌っていることも、そのどちらでもない自分には驚くほど関心が薄いことも、幼いなりによく分かっていたので深く踏み込まなかった。
 膝へ乗せてほしいとせがむことも、抱きしめてほしいと腕を伸ばすこともせず、話しかけられれば返事をして、褒められれば笑う。それなりに聞き分けのいい子供として生きていた。良い子でいれば嫌われない。もっとも、良い子でいたところで特別好かれるわけでもなかった。

 誕生日もクリスマスも、ママからプレゼントをもらった覚えはない。ヴィンセントは毎年何かしら受け取っていた。服だったり玩具だったり、ママがあれこれ考えて選んだらしい品物を渡されても、当の本人はほとんど興味を示さない。包装を解いて中身を一度見ればそれで終わりで、すぐに自分の作業台へ戻り、薄気味悪いほど真剣な顔で蝋人形を作り続けている。
 ボーはそれを見るたびに怒った。自分には何もないのに、どうしてヴィンセントだけ、と喚き散らし、ときにはせっかくのプレゼントを奪って壁へ叩きつけた。箱が潰れ、中身が砕けても、ヴィンセントはろくに顔を上げない。その横でボーだけがますます激昂して、最後にはママに椅子へ縛りつけられる。罵声と泣き声と、椅子の脚が床を引っ掻く耳障りな音。それすらヴィンセントにはどうでもいいらしかった。

 パパは三人にちゃんとプレゼントをくれた。それがレスターには何より嬉しかった。ただ、パパは贈り物を選ぶのがあまり上手くなかった。ある年のクリスマス、レスターが包みを開けると、子供の膝に載せるには少々重すぎる分厚い事典が出てきた。
 動物だの植物だの機械だのが載っている立派な本ではあるが、少なくともそのときのレスターが欲しがっていたものではない。ちらりと横を見ると、ボーは自分の箱を乱暴に振って中身を確かめ、ヴィンセントはとうに興味を失って蝋を弄っていた。パパは三人の顔を順番に眺めて、それからほんの少しだけ悲しそうな顔をした。

「ありがとうパパ、これが欲しかったんだ!」

 レスターは事典を両手で持ち上げて、大げさなくらい喜んでみせた。実際にはまったく興味がなかった。欲しいと言った覚えもない。それでもパパは一瞬目を丸くして、それから困ったように笑った。大きな手が頭へ乗せられ、髪をくしゃりと撫でられる。あの苦笑いからすると、たぶんパパには全部バレていたのだろう。レスターが本当に事典を欲しかったわけではなく、自分を喜ばせようとしているだけだと分かっていた。それでも頭を撫でてくれた。なら、それでよかった。

 隣の部屋からボーが獣みたいな声で吠えるのが聞こえてきた。何かを投げたらしく、派手な音も続いた。パパの顔から笑みが消え、事典を抱えたレスターへ「ここにいなさい」と言い残して部屋を出ていく。それから数分もしないうちに、今度はママとパパの言い争う声が聞こえてきた。何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、ボーのことだろうというのは分かった。
 この家はみんな頭が可笑しい。レスターはずっとそう思っていた。ボーは怒鳴って壊して殴る。ヴィンセントは人間より蝋人形に興味がある。ママは三人の息子を同じように愛することができない。それでもパパだけは、なるべく普通の父親でいようとしていたのだと思う。少なくともレスターにはそう見えていた。
 頭を撫でてくれた。抱きしめてくれた。休みの日には遊んでくれた。ボールを投げれば投げ返してくれたし、本を読んでくれと頼めば最後まで読んでくれた。

 そんな家で長く暮らしていたのだから、きっといつの間にかパパも可笑しくなっていたのだろう。

 あまり天気の良くない日、パパが死んだ。頭を一発撃ち抜いて、パパが死んだ。レスターは身も世もなく泣きじゃくった。何時間も何時間も泣いて、その夜何を食べたのかも覚えていない。呼吸をするたび喉が引きつって、いくら涙を拭いても次から次へと出てきた。パパが死んだという事実だけが頭の中をぐるぐる回っていた。もう頭を撫でてもらえない。もう抱きしめてもらえない。何かをして褒められることも、馬鹿なことをして呆れられることもない。

 棺に納められたパパは、驚くほど静かだった。意外だったのは、ボーが泣いたことだ。あれほど差し出されるものを蹴飛ばし、呼ばれても怒鳴り返し、プレゼントを渡されれば気に入らないと投げ捨てていた兄が、棺へ縋りついて子供のように泣いていた。

「パパ、パパ……」

 何度も呼びながら、冷たくなった手を握って、その指先へキスをしている。返事なんてあるはずがないのに、パパ、と繰り返す。大きな身体を縮め、鼻水まで垂らして泣いている姿はひどく惨めだった。
 ボーがパパの手から指輪を抜き取ったことを、レスターは見ていた。けれど黙っておくことにした。愚かな兄のことを、少しだけ憐れんだからだ。

 レスターには、パパに抱きしめてもらった思い出がある。一緒に遊んだ思い出もある。頭を撫でてもらったことも、下手くそなプレゼントをもらって笑ったことも、ちゃんと覚えている。
 けれどボーは、パパが差し出してきた手をことごとく突っぱねてきた。優しくされれば怒り、心配されれば怒鳴り、何かを渡されれば要らないと投げた。だから今になって掴もうとしても、もう何もない。残っているのは、貰ったプレゼントくらいだ。きっとまだ部屋のどこかにある。投げ捨てられた箱も、開けられなかった包みも、埃を被って残っているのだろう。

 今さら包装紙を剥がしたところで、パパは喜んでくれない。プレゼントは貰ったそのときに「ありがとう」と言わなければ、何の意味もないのだ。気持ちにだって埃が被る。触らないままずっと放っておけば、どれだけ綺麗に包まれていたものだって汚れてしまう。

「……」

 ふと見ると、ヴィンセントが少し離れた場所に突っ立っていた。相変わらず何を考えているのか分からない顔だった。弟二人が泣いているというのに泣きもしなければ、悲しそうな顔すらしない。死人を見る目も、生きている人間を見る目も、蝋の塊を見る目も、この兄はたいして変わらない。やがてヴィンセントは棺へ近づき、泣き続けるボーの肩をぽん、と叩いた。

「触んな!」

 ボーが反射的に肘を振り、まともに食らったヴィンセントが床へ転がった。それでも怒りもしなかった。しばらく床に横たわったあと、何事もなかったように起き上がる。それからボーはもう諦めたのか、今度はレスターのほうを見た。ヴィンセントが蝋を指差す。兄の指、蝋、棺の中のパパ。それだけで意味が分かった。

「ああ、そうか」

 準備をしなくちゃいけない。愛するパパを、永遠にそのままに。もう腐らないように。もうどこにもいかないように。いつでも顔を見られるように、触れられるように、ずっと家にいてもらえるように。
 そう思った途端、さっきまで止まらなかった涙が少しだけ引いた。胸の奥に、別のものがふわりと湧いてくる。

 嬉しい。

 そのことに気づいて、レスターは自分でも少し驚いた。パパが死んだのに。あんなに悲しくて、あんなに泣いたのに。これでもう二度とパパを失わなくていいのだと思ったら、どうしようもなく嬉しかった。

 たぶんレスターも頭が可笑しくなっている。いや、もしかしたら最初から、この家で自分だけがまともだと思っていたことのほうが間違いだったのかもしれない。

 だってこんなに、嬉しいのだ。

 

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