乱反射の果てで待ち合わせ ​

 忘れ物を思い出したのは、校門を出てから十五分くらい歩いたところだった。
 明日の魔法史で使うノートを机へ突っ込んだままにしている。別になくしたわけじゃないし、朝早く来れば済むものの、一度思い出してしまうと気になる。こういうのは家に着いてから「やっぱ取りに戻ればよかったな」と思うのが一番腹立つので、買ったばかりのラムネ菓子を口へ放り込みながら学校へ引き返した。

 途中で最後の一粒まで食べきってしまい、戻らなかったら明日の分まで残っていたのでは、と少し後悔する。いや、明日また買えばいい。なんなら帰りのルートを変えれば、違う店で違うラムネに出会える可能性もある。機嫌よく生きるには発想力が必要だ。
 そんな感じに適当なことを考えながら入った放課後の校舎は、人が少ない分静かで開いた窓から運動部の声だけが遠く聞こえていた。教室まで戻り、扉へ手を掛けようとしたところで、中から自分の名前が聞こえてきた。

 

「じゃあエリオでよくね? あいつなら変な空気になんなそうだし、ネタばらししたら笑うか一発くらい殴って終わりそうじゃん。オレ明日やるから、お前ら途中で笑うなよ」

「男に告んの嫌じゃねえの? まあエースが負けた罰ゲームなんだから俺は別にいいけど」

「嫌だけど負けたんだからしょうがないじゃん。それにエリオならまだマシ。アイツこういうので先生に泣きつくタイプでもねえし」

 

 エリオ、すなわち俺です。扉に掛けていた手を、そのまま下ろした。なるほど。嘘告か。こんなタイミングで聞くことあるか? 突然巻き込まれた当事者だけど、運命的じゃん……。

 まあ、女の子を標的にしないあたり、こいつらも一応ラインを見る頭があるらしい。女の子相手にやったらもう地獄だもんな、さすがにエース達みたいな『ちょっと派手なおふざけ男子集団』でも、「お前……マジかよ……」というドン引きしかでなくなる。

 ただし惜しい。非常に惜しいことに、俺は男も普通に恋愛対象へ入る。

 別に誰かに言った訳ではないので仕方ないことだ。俺だって友達になるたび「ちなみに男もいけます」と発表して回っているわけではないし、そんな自己紹介をしていたら自分でもちょっと嫌だ。

 今ここで扉を開けて「話は聞かせてもらった」とでも言えば、それはそれで「マジかよお前どんなタイミングだよ」とひと笑い起きて、それで終わる。
 でも、どうせ明日わざわざ告白してくれるのなら、そこまで見てみようかなというイタズラ心が湧き上がってきた。俺が真に受けたらどんな顔をするんだろう。驚くかな。焦るかな。それとも意地でも最後までやるんだろうか。意地になりそう。エース・トラッポラというクラスメイトの、軽く知ってるだけの性格でもそう思える。

 考え始めると、取りに戻ったノートよりそっちの方が気になってきた。ノートは別に急ぎじゃないし、朝でいい。せっかく学校まで戻ったのに何も持たず帰ることになったが、明日の楽しみを一個拾ったので損ではない。俺はバレないようにこっそりと、しかし迅速にその場を立ち去った。騙そうと思っていたやつが騙される、そういうの大好きだから……。

 

 翌日のエースは、朝から露骨に俺を見ていた。授業中に二回、昼休みに三回、俺がパンの袋を開けた時にも見ていた。四回目くらいで、今日の俺そんなに顔についてるかな、と頬を触る。何もついていない。しかも目が合うたび逸らすので、昨日の話を知らなくても何か企んでいることくらいは分かりそうだった。
 お前こういうのもっと上手いと思ってたぞ、と少し心配になる。そのくせ本人はうまく隠せているつもりらしく、放課後になるまで何も言ってこなかった。

 

「今日ちょっと時間ある? 帰る前に話したいことあんだけど、別にそんな長くならねえから」

「いいよ。でも俺、帰り売店でアイス買って帰るから長引くなら先に言って。それ次第でアイスの種類を厳選する必要がある」

「なんでオレの話よりアイスの心配してんの? 買う前に話聞けよ。てか今ツラ貸して、裏庭来て。すぐ終わるし」

 

 もうちょっと緊張しろよ、みたいな顔をされた。俺だって内心かなり楽しみにしている。ただし楽しみの向きがエースの期待と真逆なだけだ。あと優先度的にアイスの方が上にあるし。暑いし。お腹すいたし。
 先に歩き出した後頭部を眺めながらついていくと、エースは一回も振り返らなかった。そのくせ普段より少し歩くのが遅い。緊張してんじゃん、と笑いそうになったので、咳払いでごまかした。

 裏庭へ着くと、校舎の窓から昨日の二人が覗いていた。二人揃って頭が半分ずつ出ている。隠れているつもりなら、もうちょっと頑張った方がいい。俺がそちらを見ようとするたびエースが妙に正面へ回り込んでくるので、それも面白かった。少し黙ってから、エースはポケットへ両手を突っ込んだまま口を開く。

 

「その、オレさ、お前のこと結構好きなんだよね。友達とかそういうんじゃなくて、ちゃんと付き合いたい方。だからエリオが嫌じゃなかったら、オレと付き合わない?」

「いいよ。俺もエース好きだし、付き合おうぜ」

「……え、ちょっと待って。お前、男と付き合えんの?」

「付き合えるよ。だからいいって言ったんだけど」

 

 エースが止まった。本当にきれいに止まった。風で髪だけ揺れている。瞬きもしないので、思わず目の前で手を振りそうになる。昨日黙って帰った甲斐があった。いい顔するじゃん。

 

「いや、オレも言っといてあれだけど、そこ全然考えてなかったんだけど。マジでいいの?」

「いいって。エースなら別に嫌じゃないし。じゃあ帰りアイス付き合ってよ。恋人になった記念に奢って」

「付き合った瞬間たかってくんのやめろよ! つーかなんでオレが奢る流れになってんの!」

「告白した方が記念品を出す制度かなと思って」

「そんな制度ねえよ! 行くけど!」

 

 行くんだ。
 窓の向こうでは悪友の片方がしゃがみ込み、もう一人が頭を抱えていた。たぶん大爆笑している。エースにも見えているはずなのに、ここで「嘘でした」とは言わない。引っ込みがつかなくなったらしい。俺の予想としては、俺が告白を快諾したあたりで「うわキショ」くらい言われて、言い過ぎたと思ったエースが慌てて謝る。そしてネタばらし。そういう流れを予想していたんだけど、俺が思っているよりもエースはそこら辺がまともだったらしい。人の性的志向って突っ込みにくいもんな。自分から特攻したら特に。

 面白いので、俺も何も言わず隣を歩いた。アイスは結局エースが奢ってくれた。俺はチョコミント、エースはチェリー味を選ぶ。一口交換しようと言ったら「なんで?」と真顔で返されたので、恋人になったからといって食べ物を自由に分けてもらえるわけではないらしい。
 そのあと俺がチェリーのカップをじっと見ていたら、ものすごく嫌そうな顔で最後に一口だけくれた。なんだ、くれるんじゃん。

 

 

 罰ゲームの交際は、思っていたよりずっと長く続いた。翌日か、せいぜい一週間もすれば耐えきれずな「昨日のあれ嘘だから」と言われるものだと思っていたのに、エースは何も言わない。
 なら俺から終わらせる必要もないので、普通に恋人役をやった。別に嫌いな相手でもない。むしろ友達としては好きな方に入る。

 エースは人をからかうのが好きだけど、こっちがからかい返してもちゃんと笑うし、勝負になれば急に本気になる。何でも面倒くさそうな顔をするくせに、いざとなると案外放っておかない。その辺が一緒にいて楽しかった。

 カードを使った手品を見せてもらった時なんか、普通に感心した。俺が選んだカードを山へ戻して何度か切ったあと、それをなぜか俺の襟元から引っ張り出してみせる。途中までは指を追えたのに、最後だけさっぱり分からない。

 

「今のすげえ! どこで移した? 途中まで分かったのに最後消えたんだけど、もう一回やってよ。次は絶対見る」

「やだね。二回見せたらバレるかもしんないじゃん。つーかお前、普通もっと素直に驚けないわけ? せっかく恋人が格好いいとこ見せてんのに」

「驚いてるって! 分かんなかったから悔しいんだよ。ほかにも出来るなら見せてよ、俺こういうの好き」

「……まあ、気が向いたらな」

 

 翌日には別の手品を覚えてきた。気が向くの早いな、と思ったが黙っておいた。今度もちゃんと驚くと、エースは少しだけ得意そうな顔をする。その顔を見るのも結構好きだった。
 たまに失敗すると途端に不機嫌になるのも面白い。一度カードが袖の中で引っかかって出なくなった時、俺が笑いすぎて机へ突っ伏したら次の日まで根に持たれた。

 何人かで一緒に休日に遊びへ行った時は、映画とゲームセンターのどちらへ先に行くかで話が止まった。みんな「どっちでもいい」と言いながら誰かが決めるのを待っている。五分くらい聞いていたら面倒になったので、上映時間を確認して、そのまま映画館へ向かって歩き始めた。後ろから全員ついてきたので、それで決まりである。

 

「お前ほんと勝手だよな。もうちょい他の奴の意見聞こうとかないわけ?」

「五分も聞いたじゃん。誰も決めないから俺が決めただけ。エースはゲームセンター先がよかった?」

「別に映画でいい。そういうとこは嫌いじゃないって話。いつまでもどっちでもいいってやられるよりマシ」

「じゃあ褒められたことにしとく。俺ポップコーン食べたい」

 

 席へ着いてしばらくすると、飲み物を買いに行っていたエースが大きなポップコーンを抱えて戻ってきた。俺が手を伸ばそうとして、カップに印刷されている文字に気づく。劇場が期間限定でやっている、カップル向けのセットだった。
 飲み物二つと、やたら大きいポップコーン一つ。カップの側面にはハートまで飛んでいる。俺がそれとエースを交互に見ると、得意そうにニヤニヤしながら、俺たちの席の真ん中へドンと置いて「いいじゃん、事実だし」と言った。
 こいつ……やるな……。ちょっと感心した。遊びに本気な男は、嘘告の罰ゲームでも手を抜かず本気で俺を騙してくるらしい。

 告白して終わりじゃない。映画へ来ればカップル用のポップコーンまで買う。これは何も知らなかったら普通にときめいていたところだ。あっぶね。危うく罰ゲームの獲物として満点の反応を返すところだった。
 俺は危機を回避した満足感とともにポップコーンへ手を突っ込み、エースも反対側から同時に取ったせいで指先がぶつかった。一瞬だけエースが手を止めたので、こいつ細かいところまで演技するな、とさらに評価を上げた。

 

 普通に遊んだり、二人きりで遊んだり、ミドルスクール生の健全な交際ってこんなかんじですよね、とPTAで賞賛されるようなおつきあいを続けていたが、なかなかネタばらしはされない。

 

 一度だけ、ちょっとした喧嘩をした。駅前で待ち合わせをしたのにエースが四十分ほど遅れてきた時だ。途中から本屋へ入っていたので、待たされたこと自体はそこまで困らなかった。新刊も見つかったし、むしろちょっと得をしたくらいである。
 ただ、やってきたエースが「悪い悪い、ゲームしてたら長引いてさ」と笑っていたので、買ったばかりの本を見せた。

 

「じゃあ俺帰るわ。読みたい本も買えたし、今日はもう満足した」

「は? 今来たばっかなんだけど。悪かったって、これから行けばよくない?」

「俺は四十分前からいるし。次から遅れそうなら連絡してよ。そしたら最初から本屋で待つし、今日はもう帰ってこれ読む」

「……怒ってんの?」

「別に。帰りたいだけ」

 

 確かにイラッとしたけど、六割くらいは買った本を読みたいなという気持ちで本当に帰った。帰る理由をエースが作ってくれた状態なので、苛立ちは続かなかったけど、次の日教室へ入ると机の上に小さな紙袋が置いてある。中には前に俺が美味しいと言った店の焼き菓子が二つ入っていた。エースはもう自分の席にいて、俺が袋を持ち上げるとちょっとだけ目を逸らす。

 

「昨日はゴメン。次から連絡するし、これでチャラな。お前が好きって言ってたやつ買ったけど、いらないならオレが食うから返して」

「いるいる。やった、これ好き。昼に一個ずつ食おうぜ」

「二個ともお前のなんだけど。なんで半分オレに返ってくんの?」

「一緒に食った方が美味しいじゃん」

 

 エースはそこで変な顔をした。何か言おうとして、結局「じゃあ昼な」とだけ返す。その日から遅れる時にはちゃんと連絡が来るようになった。俺はそれで満足だったし、焼き菓子も美味しかった。

 

 

 たぶん、あの辺からエースの方は少しずつおかしくなっていたんだと思う。

 俺が別の友達と昼飯を食べていると、戻ってきたあと「今日いなかったじゃん」と言われる。先輩に魔法実技を教わっていれば、用もないのに近くを通る。別のクラスの奴と話しながら帰ろうとした日には、「今日オレと帰んないの?」と当然みたいに聞かれた。でも俺は、恋人役へ随分入り込んでるなあとしか思わなかった。罰ゲームでも手を抜かない。妙なところで真面目な奴である。

 休日に街へ出た時は、人混みの中で突然手まで繋がれた。最初は手首を掴まれただけだったのに、そのまま指を絡めてくる。俺が横を見ると、エースは前を向いたまま早口になった。

 

「この辺めちゃくちゃ人多いし、はぐれたら探すのダルいし、お前絶対勝手に店入るから繋いどいた方がマシ」

「じゃあ俺、首から迷子札下げとく? 『拾った方はエース・トラッポラまで』って」

「それいいな。マジックで書いといてよ、『エース・トラッポラの』って」

 

 そう言って嬉しそうにケラケラ笑った。なんか機嫌が良いなあと思いつつ、俺も別に嫌ではなかったのでそのまま歩いた。冬だったからちょっと温かい。帰りに手を離したあと、妙に掌が寒く感じた時も、今日は冷えるなあと思っただけだった。

 そんな調子で半年近く経った頃、さすがに俺も心配になってきた。

 罰ゲーム、長くないか。途中から本人たちも忘れているのでは、とすら思った。それでも俺から「そろそろネタばらししたら?」と聞くのは妙な気がする。エースが楽しそうなら別にいいか、と放っておいた結果、終わらせたのは本人ではなく、最初から事情を知っていた悪友たちだった。

 放課後、四人で帰っている途中、一人が突然笑い出した。「なあ、もういいだろ。エリオ、お前さ、最初にエースから告られたの罰ゲームだったって知ってる?」と聞かれたので、俺も笑って答える。その言葉を待っていた! という気持ちすらあった。

 

「知ってたよ。いつネタばらししてくれるか待ってたのに全然言わないから、途中から俺の方が焦った。これ卒業までやるのかなって思ってたもん」

「なんだよ知ってたのかよ。まあ当たり前か、エースってノンケだろ。お前は男でも女でもよかったわけ?」

「あはは、俺のこと好きって言ってくれたらどっちでもいい感じ。最初に付き合おうって返した時のエース、すごい顔してたよ」

「げえ~~。お前も結構ひどいな」

 

 楽しかった。半年越しの答え合わせである。俺も笑ったし、悪友二人も笑っている。一歩だけ後ろを歩いていたエースだけが何も言わなかった。でもその時点では、本人も恥ずかしいんだろうくらいにしか思っていなかった。

 

 

 

「は?」

 

 

 

 低い声が後ろから飛んできた。足を止めて振り返ると、エースがものすごい顔をしている。怒っている。いや、ものすごく怒っている。何で? こっちは今日ようやく罰ゲームが終わるんだと思って、ちょっと晴れやかな気分だったんだけど。

 

「じゃあお前、オレのこと騙してたってわけ。最初から知ってて、ずっと知らないふりしてたってこと?」

「へ? いや、あれ、ちょっと待って。なんでエースが怒ってんの?」

「オレのこと好きだって言ったのに、お前ずっと嘘ついてたってことじゃん!」

「待って前提条件がねじ曲がってる!! 最初に嘘ついたのお前だろ!? 俺は知ってたから付き合ってやっただけだろ!」

 

 横を見ると、エースの悪友たちがもう鞄を持ち直していた。

 

「じゃ、俺こっちだから。エリオ、明日生きてたら数学のノート見せて」
「俺も塾あるから帰るわ。エース、顔はやめとけよ。目立つから」

 

 二人とも逃げた。しかも片方はいつもの帰り道と逆方向へ走っていった。お前の塾絶対そっちじゃないだろ、と言いたかったが、それどころではない。

 

「でも好きって言った! 手も繋いだし、休みの日も遊んだし、誕生日だってプレゼントくれたし! あれ全部ふざけてやってたってことかよ!? オレのこと騙してたんだ?!」

「いや、ふざけてたっていうか、恋人のふりするならちゃんとやった方がいいかなって……」

「恋人のふり!? 半年も!?」

「そこは俺も長いなって思ってたよ!」

 

 途中からエースの声が少し変だった。怒っているのは間違いないのに、それだけでもない。顔は赤いし、眉間にはしわが寄っている。そのくせ最後の方だけ妙に傷ついたみたいな声を出す。そこでやっと、頭の中にひとつ嫌な可能性が浮かんだ。

 

「……エース、もしかして途中から俺のこと本気で好きになった?」

「はあ!? 今そこか!?そこ今気づく!? お前マジで何なんだよ、普通に付き合ってたじゃん!」

「いや分かんないって! 途中で設定変わったなら言ってくれよ!」

「言えるわけねえだろ! 最初嘘で告ったのに、途中からマジになりましたとか嫌われるだろそんなん! なんで気づいてんだよ、オレのこと騙してた! エリオが! オレを! 騙した!!」

「被害者意識の化物かよ……」

 

 胸ぐらを掴まれた。マジだったらしい。嘘だろ。そんなイベントあった?
 俺はここ半年をものすごい勢いで思い返した。手を繋いだ。菓子をくれた。昼食へ誘われた。帰る相手を気にされた。誕生日にはカードケースも貰ったし、俺が風邪を引いた時には授業のプリントを持って家まで来た。そのまま俺のベッドで漫画を読んで、半分床へ落ちた状態で寝ていたことまである。
 あれ全部、罰ゲームへの異様な責任感だと思っていた。いや、友人として好感度上がったゆえの気安さも含まれていると思っていた。違ったのか。いや途中から違ったらしい。申告してくれ。

 

 その日は一応、話し合おうとした。俺はエースのことが嫌いではない。好きな友達ではある。でもここ半年、本当の恋人だと思って過ごしていたわけじゃない。なら一回元へ戻して、そこから考えよう。それが一番まともだと思った。

 

「だから、とりあえず付き合ってない状態に戻ろうぜ。俺もちゃんと考えるから」

「やだ。半年付き合ってたじゃん。今さらなかったことにすんのやだ」

「いや俺の中では最初から罰ゲームだったし、そこは一回戻してくれない? なんか急に俺だけ知らないルールで試合始まってる感じする」

「じゃあ今から聞く。オレのこと好き?」

「好きか嫌いかなら好き。でも恋愛としての好きかは曖昧」

「はい好き。じゃあいいじゃん」

「よくないよ!?」

 

 駄目だった。そこからエースはびっくりするくらい俺の話を聞かなくなった。「まだ恋愛として好きとは言えない」と言えば「そのうち好きになる」で終わる。一度これは本当にまずいと思い、真正面から断ったこともある。「ちゃんと言うけど、今のエースとは付き合わないよ。お前怖いもん」と言ったら、三秒くらい黙ったあと「は??」と返され、そのまま校庭を三周くらい追い回された。

 それ以来、「付き合ってない」と強く主張すると暴力が出ることを学んだ。
 拳で本気で殴られるほどではない。肩を小突かれる、背中を叩かれる、頬を引っ張られる、たまに腹へ軽く拳が入る。それでも暴力は暴力である。俺の認識では付き合っていない。でもそう言うと殴られる。なら何と言えば正解なのか分からないので、だんだん「はいはい」で流すようになった。

 しかも困ったことに、エースはそこから妙に健気になった。朝は普通に迎えに来るし、帰る時には予定を聞く。俺が好きな菓子を覚えている。風邪を引けばまたプリントを持って家まで来て、ついでに俺ん家の母さんと仲良くなってる。

 前より行動だけ見ると恋人らしくなっているのに、その根っこには「いつか好きにさせる」という変な圧があるので怖い。トータルで見ると最悪なのに、一個ずつ取り出すと妙に可愛い。これが一番厄介だった。

 ある日なんて、喧嘩の途中で俺の上へのしかかって、両手首を押さえながら本気で叫んだ。

 

「オレのことを好きにならなきゃ殺す!!」

「恋愛史上かなり下の方の口説き文句じゃないですか? それで落ちる奴いると思うか??」

「うるせえ! お前がいつまで経ってもグダグダ言ってんのが悪いんだよ! もういいから好きになれ!」

 

 力なら俺の方が強い。本当に嫌なら普通にひっくり返せる。それが分かっているから、エースも妙なところで強気だった。

 口論の途中、急に顔が近づいた。何するんだと思った次の瞬間には唇が重なっていて、さすがに驚いた。ほんの一瞬だったくせに、離れた時には仕掛けた本人の方が真っ赤になっている。さっきまで殺すと騒いでいた男とは思えないくらい口元がへにゃっと緩んで、やたら嬉しそうに笑った。

 

「……へへ。お前のファーストキス、もらっといたから」

 

 ファーストキスではなかった。子供の頃、近所の一つ上の子と一度だけしたことがある。これを今言ったらどうなるんだろう、と少し考える。エースはまだ嬉しそうに笑っている。俺は黙った。命は大切にした方がいい。

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