閑話休題 ふつうの轟くんち

 昔の話をしよう。俺がまだ、轟家で「可愛い赤ちゃん」だった頃の話だ。

 上に三人兄姉がいるとはいえ、双子は初体験の我が家。てんやわんやの育児戦争のなかで、適時ベビーシッターは頼んでいてもほぼワンオペになりかけていた母さんの姿を見るにつけ、一応前世の記憶があって精神的にはそこそこ成熟してる俺としては、自然と「育てやすい子」であろうとしてしまった。
 結果、普通のベイビーである焦凍が「腹減った!」「眠い!」「暇!」「おむつ濡れた!」でンギャーと泣いて親を呼ぶ中、俺は静かに順番を待っていた。
 泣かない赤子ってのは得てして不気味な存在らしく、「反応が薄い……なにかあるのかも……」と成長に疑問が持たれて、精密検査を受けさせられたこともある。
 たぶん、焦燥感のない顔でじっと大人を見つめる赤子なんて怖かったんだろうな。ごめん、それ性格なんだ。諦めてほしい。

 ある日、死にそうな顔で母さんが「陽火のことですが……」と父さんに切り出した時には、俺のせいで何か大ごとになるのかと内心焦ってちょっと泣いた。その泣き方もシクシクとしたものなので、上の子供たちという比較対象がある母さんは非常に焦ったようだ。少し大きくなった頃に、「元気がないんじゃないかと怖かった」と何度か言われてから知ったことだ。この頃のベイビーな俺は、そんな母心には全く気付いてなかった。

 深刻すぎる母さんの話を一通り聞いた父さんは、すぐに「ただ大人しい子供というだけだと思うが、気になるなら検査に行くか」と即答し、即日で病院を予約。付き添いまでしてきたのにはさすがに驚いた。
 あの父さんが、俺のことであんな即断即決で、しかも一緒に医者の話まで聞くなんて。
 検査結果は特に異常なし。父さんはフンと鼻を鳴らして「俺の言った通りだろう」と言い放ち、そのまま仕事に向かって行った。
 あいかわらず傲慢な後ろ姿だったけど、母さんひとりで病院に行くものと思ってた俺としては、ああこの人、意外とちゃんと「父親」やってるんだなあ……と思ってしまった。
 だから、どうしても本気で嫌いにはなれなかった。

 ちなみに、焦凍はその頃からすでに父さんに懐いていなかった。
 実父が帰宅しても母さんの腕から離れなかったの焦凍に対して、中身が前世持ちの俺は『まあ、一生懸命働いて帰ってきた人には労いをしましょうね……』という気持ちで、ハイハイしながら寄っていってベイビースマイルで膝に乗り込む。
 実父の指をつかんで「あぶあぶ」と遊びながら、どうせ邪魔扱いされて降ろされるだろうなと思っていたけど、想像に反して、ただ膝から落ちないようにがっしりと支えられただけだった。

 父さんの腕はごつごつしていて、俺の小さな体にはやたらと広くて、思いのほか、心地よかった。
 隣に俺がいないとギャン泣きする双子の片割れが近づいてきたときは、父さんの顔を見るなり赤子ながらに激怒の顔をして唸っていたし、母さんはそれを見てちょっと笑っていた。父さんは相変わらず無表情だったけど、どこか困ったような雰囲気で、俺の頭に触れるか触れないかの優しさで撫でてから「陽火は俺に懐いているな」と言い、母さんに「犬猫みたいに言わないでください」と静かに叱られていた。
 あのときの父さんの顔は、まるで懐いてきた野良猫をどう扱えばいいのか分からない人みたいだった。

 仕事帰りだったせいか、炎を使った後の父の体は火照っていて、抱かれてるだけで暑いくらいだった。夏は正直つらかったけど、冬はあの温かさが心地よくて好きだった。こう考えると、父さんは仕事が終わって直ぐにまっすぐ俺たち双子の様子を見に来ていたのか。今更気づいたってしょうがないか。

 まだ俺たちがミルクを飲んでいた頃、焦凍との“生存競争”に敗れて順番待ちをしていたとき、ちょうど父さんが帰宅したことがあった。
 俺の泣き方がシクシクとあまりにも控えめだったのか、父さんは「なんでこいつは大人みたいに泣いてるんだ……」と困惑しながら俺を抱き上げ、双子のために轟家で初導入された粉ミルクを手に取った。
 「作り方は……」と母さんが説明しようとするも、「いい、説明を見ればわかる」と無視して缶の説明書きを熟読し始めた父さんの横顔を、俺はホカホカの腕の中で見上げながら、腹減りシクシクを継続。

 「もっと子供らしく泣きなさい」なんていう小言も、赤ん坊相手に何言ってんだという気持ちで聞き流していたら、ようやく出てきた哺乳瓶。大喜びで咥えたその瞬間​────

 「(あ”っづい”!!!)んぎゃーー!!!」

 双子の弟に叩かれたりかじられたりしても静かにシクシク泣くだけの大人しい俺が、火がついたように絶叫。夜間救急へ文字通り“飛び込む”事態になった。
 原因は、『人肌程度に冷ましてから与える』という注意書きを見た父さんが、自分の“仕事後の高温ボディ”基準で「これくらいが人肌」と判断して作ってしまったかららしい。
 つまり父さんの人肌は、赤ん坊にとっては火傷レベルだったわけだ。

 痛いよ辛いよとシクシク泣きながら火傷処置を受けていると、周囲の大人たちが一斉に父さんにぶち怒る姿が見えた。気のせいかもしれないが、母さんが父さんの胸ぐらを掴んで届いて無くて「しゃがめえ!」と怒鳴っていた気もする。気のせいだよな。うん。俺も確認せずにいきなり飲んだのが悪かったから……と庇う為に父さんに手を伸ばしたらそのまま受け止められる。
 俺を抱いたまま肩をすぼめて縮こまったその巨体はちょっと滑稽だったけど、家に帰ったあとにぬるく作り直されたミルクを飲んでる俺を抱きながら父さんは静かに言った。

 「悪かったな、陽火。父さんが悪かった」

 いつもの声の調子だったけど、どこか凹んだような響きがあって、俺はあぶあぶと笑って指を握ってやった。
 まあ、本人はもう忘れてると思う。でも、そういう時もあったっていうのを、俺は忘れられていない。

 だから俺は、エンデヴァーのことを「父親としてヤバい」と思ってるけど、本気で嫌いにはなれない。

 ベビーカーで双子を連れて公園に行くのが大変だという母さんのひとことを聞いて、すぐ近くの土地を買って公園を作ったりするあたり、めちゃくちゃ不器用なりに子育てに貢献しようとしていたのも、俺には分かってしまう。

 「陽火は目が俺に似ているな」と、あの厳しい顔を綻ばせて笑っていたのも、ちゃんと覚えているから。
 興味を引けなかった、弱個性だったから、無関心に近かった、それは事実だけど​────憎まれていたわけじゃない。そう理解してしまっているからこそ、なおさら「憎めない」。

 結論としては、「実父としてはだいぶヤバいけど、人としてはまあ……ちょっとやばいくらいかな」って感じ。
 あれはもう、No.1という炎に焼かれておかしくなってしまっただけなんだ。

 だから俺としては、本音を言えば「とやくんに謝ってちょっと曇ってほしい」くらいにしか思ってない。
 けど、燈矢くんは俺も父さんのことめちゃくちゃ憎んでると思ってるらしい。「お父さんのことをどう思ってるんだ?」と聞かれたとき、素直に答えた言葉が悪かった。

 「焚き火に寄って焼かれた蛾みたいな人生歩んでるなって」

 ……うん、冷静に考えたら実父を蛾にたとえるのは、まあ憎悪と受け取られても仕方ない。
 でも、特に訂正する必要もない気がして、放置している。その結果、誘蛾灯を見るたびに思い出すようになっただけの話だ。