閑話休題 夜のコンビニ

 町外れのコンビニで深夜バイトをしている。日勤よりも給料がいいし、やりたいものという目的があるわけでもない。なんとなくで働き続けて1年だ。

 駅から離れた場所にぽつんと建った店舗は、街灯も疎らな一本道の途中にある。酔っ払いが辿り着くには遠すぎて、家族連れの生活圏からも外れていて、ここにやって来るのは「わざわざ」来る奴らばかりだ。
 午前三時を過ぎると、風の音と冷蔵庫の低い駆動音しか聞こえなくなる。防犯カメラの赤い点滅が妙に頼もしく思える時間帯だ。

 そんな夜、週に一度か二度。あいつは来る。

 最初に気づくのは、音でも姿でもない。空気が変わるのだ。
 焼け焦げた匂い。肉のような、布のような、微かに金属の混じった臭気が、レジカウンターの奥までふわりと漂ってくる。あれは、タバコじゃない。汗でもない。もっと、根本的に不吉なにおい。

 自動ドアの鈍い駆動音と同時に、生物的な恐怖感で背筋が凍る。

 いた。やっぱり。今日も来た。

 マジックで塗ったくったような黒髪が、店内の光を吸い込むようにぼやけて見える。寝癖なのか無造作に手ぐしで梳かしたような髪型から覗くのは、乾いた溶岩のように割れた肌。火傷……というより、もはや“造形”のようだ。無理やり繋ぎ合わせて人の形に整えたような、そこにあるべきものではない異物感が、視線を引きずる。
 生きて動いているのに、どこか“剥製”めいていた。命というより、執念で形を保っているような。無理やり継ぎ接ぎされた人間のフリをした何か。

 服装はその日によって変わるが、どれも共通して不吉な雰囲気を出していた。自分の好みで選んで着ているというものではない、そこにあるものを使い潰すために着ているような、ボロボロのフード付きジャケット、焦げたようなニット、膝の抜けたスウェット。サイズ感も統一性がない。全体的に黒ずんでいて、まるで自分ごと焼け落ちた瓦礫から這い出てきたような風体だ。

 手に持つ財布はいつも違う。レディースものの長財布、草臥れた革財布、二つ折りの小さな財布。けれど、どれにも共通して、黒ずんだ煤と赤黒い染みがあった。
 その中から、折れ曲がった札を引き抜く。その札も、やはり汚い。赤黒く染みがあることも珍しくないし、何より​─────乾いていないときすらある。

 この前なんて、赤く濡れたままの一万円札を、レジのカウンターに直置きされた。指先がペタペタする。匂いでわかる。あれは、血だった。間違いない。

 俺が固まっていると、そいつはおかしそうにニタニタと笑った。

「転んだんだよ。悪ぃな。さっさと会計」

 声が、やけに朗らかだった。どこか芝居がかったような口調。自分でついた嘘に、自分で笑ってみせるような、そんな質の悪さ。
 嘘だろ、と喉の奥が鳴った。ぜってー嘘だ。
だけど、俺は「はい」としか言えなかった。反論はしない。詮索もしない。視線は合わせないけれど、無視はしない。
『自分は人畜無害で、余計なことは何も知らない店員です』と、態度で伝える。
 それだけが、ここで生き延びるためのマニュアルだった。

 俺は何も言わず、レジを打つ。できるだけ手短に。目を合わせずに、でも無視もせずに。

なぜなら​─────会計が終わると、あの人は必ず、ネームタグを覗き込む。

「どうも、『サトウ』サン」

 わざわざ名前を呼ぶのだ。優しげな声で。穏やかな笑顔で。
「お前のことを認識しているぞ」という、あからさまな示威行為。名指しの脅し。

 でも、ヒーローには通報していない。いや、できない。
仮に駆けつけてきたヒーローが、あの人に手を出して、逆に店内で騒ぎにでもなったら。
万が一、俺が『目をつけられた』ら。そう思うと、俺はいつも、あの人の存在を「ただの深夜の客」として処理する。無かったことにして、朝を待つ。命のために。

 けれど、先週のことだ。その日は、少しだけ様子が違った。

 あの男が“連れ”を連れていた。背の高い男で、年齢はたぶん20代前半くらい。
 服装は落ち着いた色味のシャツに、きちんとアイロンのかかったパンツ。柔らかい素材のコートを羽織り、足元は白いスニーカー。夜中にふらっと来るような格好じゃない。まるで誰かの家に訪問するような、“誰かに見られても大丈夫な格好”だった。

 ……というより、何より驚いたのは、いつもの男の服装だった。

 その場にある捨てる服を適当に選んだような煤けたジャケットや膝の抜けたスウェットだったのに、その日は黒いロングコートを羽織っていた。ボロではない、擦れも破れもない。明らかに「選んで着てきた」服だった。髪も少しだけ整っているように見えた。
 全体的に“ちゃんとしすぎている”。まともな格好が怖いってやつもこの世にいるんだと初めて知った。

 まるでその連れに合わせて、見苦しくないように装ってきたような​─────そんな風にすら思えてしまった。

 何者なんだ、このふたり。

 あの男の火傷はそのままだったけど、その日だけは異様に“人間らしい”佇まいに見えた。
 そして、もっと怖かったのは、そんな“整えられた姿”の彼が、急に甘ったるい声を出したことだ。

陽火くん、お菓子食べるか? 買ってやるよ」

 びっくりするくらい、優しい声だった。
あれだけ血の臭いを纏わせていた人間が出すとは思えない、しゃがみこむような声色。年下を慈しむような、あまりに自然な親しさ。
 こんな声が出せるんだ、と思った。こんなふうに笑う顔をしていたんだ、とも思った。

 それが『いつも』の『当たり前』なのか、連れの男はまるで当然のように答える。

「じゃがりこ食べたい」
「うん、好きな味もってきな」
「サラダ味が好き」
「了解、陽火くんの味覚はクラシックだな」

 当たり前の談笑が混じったその会話の一部始終を、俺はレジの奥で固まって見ていた。

 笑っていた。穏やかに、嬉しそうに。
あの火傷の口元が、笑っていた。

 俺はレジに立っていたけど、意識は半分飛んでいた。
これが現実なのか、夢なのか。よくわからなかった。
でも、金はいつも通りぐちゃぐちゃだったし、札に血の跡がついていたのも変わらなかった。

 俺が呆然としてるといつの間にか男が目の前にきていた、『陽火くん』がねだったじゃがりこと、お茶のペットボトル。

「どうも、『サトウ』サン」

変わらず俺の名を呼んで。
だけどその瞬間、連れの男の子が、ふいに言った。

「とやくんって店員さんに丁寧でいいよね。俺そういうとこ好き」

 その言葉に、あの男は少しだけ瞬きして、

「そうか? じゃあこれからもそうするね」

“正解”を教えられた幼い子供みたいな口調だった。
それが一番、ぞっとした。

 ……なにそれ。怖ぇよ。いろんな意味で。
殺されるより、こうして覚えられる方がよっぽど恐ろしい。

 そして気づけば、ふたりはいつの間にか外に出ていた。自動ドアが閉まる音が、やけに遠くに感じた。
 俺はその場に立ち尽くしていたけれど、膝がわずかに震えていた。ぐらりと身体が傾いて、レジカウンターに手をつく。

 立っていられなかった。
レジの後ろへ下がり、誰にも見られていないことを確認してから、そっと膝をついた。

 生存フラグが立った​───────

 そんな言葉が頭の中を、意味もなくぐるぐると回る。
「店員さんに丁寧でいいね」と言われた。
 それはつまり、あの男は俺に対しても“丁寧に接してくれる”ということだろう。
 たぶん、殺さずに済ませてくれる。なぜだか、そう確信できた。

 ……次にまた、あの男が来たら。
また、あの声で、名前を呼ばれるんだろう。

 「どうも、『サトウ』サン」

 ああ、また来るんだろうな。
そして、また俺は何事もなかった顔で、レジを打つんだろう。

 心臓を、ひとつ飲み込みながら。