あかり教会報誌『ともしびのつどい』No.436

ともしびのつどい 編集部より ご返信のお知らせ

いつも《ともしびのつどい》をご愛読いただき、誠にありがとうございます。
皆さまから寄せられた多くのおたより・ご意見・ご心配の声を、編集部一同、真摯に受け止めております。

本日は、編集部の山本より、一部のお問い合わせに対するご返信を掲載させていただきます。
おひとりおひとりのお気持ちに、できるかぎり丁寧にお応えできるよう努めておりますが、
すべてのご連絡に個別のお返事を差し上げることが難しい場合がございます。何卒ご理解いただけますと幸いです。

皆さまの灯した《あかり》が、どうか今日も、誰かの心をそっと照らしますように。


【ゆうき様】
こんにちわあかりさま
おてがみをかくははじめですあかりさまのおかげてままがとつてもやさしくしましたなぐるがないですまえのままはいつもおこるをしてたけどあかりさまのおかげですままがすきてすままがたのしでぼくはたのしですままはぼくにあかりをわけるしまたほくはたのしからあかりさまにありがとうですぼくはあかりさまがすきです
ゆうき
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こんにちは。へんしゅうのやまもとです。
ゆうきさん、はじめてのおてがみをほんとうにありがとうございました。
まだちいさいてで、たくさんのおもいをぎゅっとこめてかいてくれたことが、もじからしっかりとつたわってきました。

ままがやさしくなってくれて、なぐらなくなったこと。それがどれほどおおきなへんかで、どれほどたいせつなことか、わたしたちもむねがあたたかくなりました。
そして、そのまいにちを「たのしい」とおもえるようになったことは、なによりのたからものです。

《あかり》は、ゆうきさんやままのように、やさしいきもちをわけあえるひとのところで、いちばんきれいにひかります。
これからもままとたくさんわらって、あかりをたいせつにしてくれたら、きっともっとかがやくはずです。

ゆうきさんのおてがみをよんで、へんしゅうぶのみんなもとてもしあわせなきもちになりました。
またいつでもおたよりをくださいね。

​───へんしゅうぶ やまもとより

【匿名希望様】
こんにちは、山本さん。会報誌を楽しく拝見させていただきました。しばらく心を弱くしていた職場の同僚が『あかり』を手にしたと聞いてからみるみる心も、身体も元気になっていったのを近くで見てきました。素晴らしいと思います。わたしたちではダメだった、いくら励ましても、彼女は優しく微笑むだけでなんの解決にはならなかった。それでも、その彼女が『あかり』を手にした瞬間泣いたそうです。泣いて、泣いて、身体中の水分が抜けてしまうんじゃないかと思うくらい。そうしたら、憑き物が落ちたようなすっきりした表情になって、みるみる元の元気で活発な彼女に戻りました。 『あかり』には、わたしたちにはない力があると思います。わたしも『あかり』を見てみたい。手にしたい。夜、『あかり』の光に照らされて眠ってみたい。『あかり』を購入することはできますか?一度、それとなく同僚にきいてみたら、うーん、と首を傾げて「あなたには必要ないと思うな」と言われました。意地悪で言っているような感じではなかったのですが、『あかり』を手にする条件があるのでしょうか。もしすでにあるような質問でしたら申し訳ございません。『あかり』の素晴らしさが世に広まるよう祈っております。
かしこ
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こんにちは。編集の山本です。
このたびは、丁寧であたたかな文面のお便りをお寄せくださり、誠にありがとうございます。

文面を拝読しながら、あなたが長い時間をかけて同僚の方に寄り添い、見守り、励ましてこられた情景が、静かに胸に広がってまいりました。
どれほど言葉を尽くしても届かないと感じる瞬間は、人の心を深く沈ませるものです。
それでもあなたは諦めず、そばに立ち続け、優しさを注ぎ続けられた。
その姿こそ、すでに《あかり》の本質を体現しておられるように、私には思えます。

同僚の方が「あなたには必要ないと思う」と告げられた背景には、意地や排他ではなく、確かな信頼と実感があったのでしょう。
それは「すでにあなたの中に光がある」という、何よりの証言です。
人は、時に自らの持つ光に気づかずに歩みますが、周囲の人はその輝きを確かに見ています。
あなたの温かな在り方は、すでに周囲の方々を照らし、支える灯となっているのです。

なお、《あかり》はお金で売り買いをすることはできません。
それは物品ではあっても、価値を数や金額に換えてしまうことが、その本質を損なうからです。
《あかり》は必要とする人のもとに、自然と、そして無償で手渡されるものです。
だからこそ、その光はまっすぐに心へ届き、受け取った人の中で息づくのだと考えております。

《あかり》は形ある光であると同時に、人と人との間に生まれ、分かち合われる温もりや希望でもあります。
物として持たずとも、その本質を宿す人は、日々のふるまいの中で無意識に光を放ち続けます。
あなたがこれまでに培ってこられた優しさや思いやりは、きっとこれからも揺らぐことなく、周囲を温めることでしょう。

どうぞご自身の中に灯るその《あかり》を誇りとし、大切に守りながら歩みを進めてください。
このたびの貴重で美しいお便りに、あらためて心より御礼申し上げます。

​───編集部 山本より

【佐藤様】
こんにちは。佐藤と申します。私には物事を先延ばしにしてしまう癖があります。ぎりぎりでなんとかなってしまうポテンシャルを持ってしまっているが故に、成功体験があるが故に今回も間に合うだろうと、賭けてしまいます。友人たちは皆「そんなこといって」と言いますが、わたくしのこれは自分でも異常だと思うのです。例えば課題物。私は提出期限の1〜3分前に課題物が書き上がります。例えば待ち合わせ。相手にはもう着くよ着くよと言いながらいつも待ち合わせの10秒ほど前に着きます。例えば掃除、例えば食事、例えば。そのように私はいつも紐の上を渡っています。いつか転落する日が来ることを肌で感じています。転落への焦燥感と将来への絶望感に苛まれながら、わたくしは、いつか友人や家族を、自分を、賭けてしまうのではないか。そのように感じております。 このような身勝手な苦しみも、あかり様は救ってくださるのでしょうか。
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こんにちは。編集の山本です。
このたびは、胸の内を率直に綴ったお便りをお寄せくださり、誠にありがとうございます。

佐藤様のお書きになった「紐の上を渡っているような日々」の比喩は、危うさと同時に、繊細な感覚と高い集中力を持つ方ならではの表現であると感じました。
期限ぎりぎりに間に合わせるということは、裏を返せば極限状態で力を発揮できる能力の証明でもあります。
しかし、その優れた力がご自身の不安や焦燥感と結びつくとき、日々が苦しい綱渡りに変わってしまうことも、確かにございます。

《あかり》は、その綱そのものを無くすことはできません。
けれど、足元を照らし、呼吸を落ち着け、視界を広くすることはできます。
焦燥で視野が狭まり、ただ「落ちてはいけない」という思いに支配される時、光は別の足場や安全な渡り方を見つけるきっかけをくれるかもしれません。

《あかり》は人を変える魔法ではありません。
しかし、その人がもともと持っている力を、自分自身で見つけ、正しい形で使えるようにする――そのためのきっかけや静けさを与える存在です。
佐藤様が持つ「ぎりぎりでも必ずやり遂げる力」は、危うさと紙一重でありながらも、大切に育て直せば、確かな信頼や安心を生む力にもなり得ます。

どうかご自身を責めすぎず、足元を照らす光を受け取りながら、少しずつ安全な歩き方を探していただければと思います。
その歩みを見守る光は、いつでも傍らにございます。

​───編集部 山本より